にゃんと鳴く虎 20
──彼に何が起きても僕は責任取らないからね
グレンの言葉が脳裏を過ぎる。
キセノが苦しそうにパジャマの胸の辺りを掴む。
──!!
隣でアリアの息を呑む声が聞こえた。
……キセノの右手が翡翠色の鱗に覆われている。
「熱い……あつ……あぁぁぁぁぁああああぁあ……──」
絶叫したキセノの口から巨大な牙が覗く。見る見る間に口と鼻が一体となって前へせり出し右手同様、翡翠色の鱗に覆われる。
良く見るとキセノの全身からは湯気が立ち昇っているようだ。
「ほほう……やはりこうなってしまったか……」
背後から聞きなれた声が聞こえる。
振り返ると、そこには火の精霊──サラマンドラがふわふわと漂っていた。
精霊は自身が治める領域外へ呼び出されたときには代償として術者の魔力が必要だが、自身の領域であれば自らの意志で自由に飛び回ることが出来る。
おおよそ、キセノの異常を感知しここへ現れたと言うことだろう。
「どういうことだ?」
私は静かにサラマンドラへと詰め寄る。
「本来の属性では無いものの鱗を摂取したために起こる一時的な拒否反応の様なものじゃ。
心配せんでも一時間もすれば収まるじゃろう……そうすればまた十年は安泰じゃ……」
サラマンドラの言葉を信じるなら、凄まじいまでのキセノの変化は竜の血の拒否反応と言うことなのだろう……。
「ただし──」
意味深に一端そこで言葉を切り、一拍置いてから言葉を続けた。
「このままでは力をもて余し、恐らく本来の姿となって拒否反応が収まるまで暴れるじゃろうな……そうなってしまえばこんな小さな町……一瞬で消し飛ぶであろうな」
「そ……そんな……」
アリアの絶望的な声が部屋に響く――。
「何とか押さえる術は無いのか?」
「……先ほども言ったが、これは竜の鱗の力に負けまいとする防衛本能が暴走した結果じゃ。つまり、有り余る力をうまく受け流してやれば、街に被害が及ぶ事は無いじゃろうな……」
随分と簡単に言ってくれる。
暴走する竜の力を受け流す等――。
「ぐ……があああぁぁぁぁっっ!!!」
キセノが咆哮を上げる。迷っている暇はない。やるしかないのだ。
腹を据えた私は勢いよく布団を剥ぎ取り、キセノを抱きかかえ家を飛び出す。
「ガル!?」
後ろからアリアが追いかけてくる。ラッドは泣き崩れたまま追ってこなかった。
部屋を飛び出し、廊下を駆け抜け扉を破り、大通りへと飛び出す。
「――どうするの?」
追いついたアリアが息も絶え絶えに問う。
「キセノが――本来の姿に戻ろうとしている」
私の手の中で鱗に覆われた尾がずるりと垂れ下がる。
「――ッ!」
アリアが息を呑み、一歩後ろに下がる。
「グルルルル……」
キセノが唸り声を上げて鱗に覆われた“巨大な手”で私の腕を掴む。
「恐らく……本来の姿は巨大な竜なのだろう」
右を見ても左を見ても。通りには数多の店が軒を連ねる。
『獅子と風見鶏亭』は大通りの中程に位置する為、街の外までキセノを連れ出すには時間がかかり過ぎる。
「……ならば――上か」
天には丁度明るさを増した陽が輝いている。
「大海を流す百里の風よ──今、我が元へ集い、遙か天空の高見へ――鎌鼬!」
刹那。足下から巻き上がる一陣の風。
風の中級眷属、鎌鼬の力によって私の体が宙に浮かび上がる。
「そこで待ってろ」
アリアにそう告げると、私は一陣の風となって遙か上空を目指す――。
両手が灼けるように熱い。この力はキセノ本来のモノではなく、グレンのモノだろうか?
「……キセノ、苦しいか?」
「ぉぉぉぉ……」
キセノからの返事は無い。メキメキと音を立てて背中に翼が生える。
捕まれた右腕に爪が食い込み、紅い滴が私の被毛を汚す。
「苦しければ虎さんに全部の力をぶつけて来い――私とアリアが全て受け止めてやる」
もはや両手に収まり切らなくなったキセノ。
「ぐるぉぁぁぁぁ!」
目を覆う程の強烈な光、そして轟音を伴った爆発――。
「ウインディー!」
私の呼びかけに即座に姿を現すウインディー。
目に見えない風の鎧で爆風を相殺するが、爆風に耐えきれず地面へ吹き飛ばされる――。
大気がビリビリと悲鳴を上げ、アリアの声が遙か下界から聞こえてきた。
「新緑に輝く谷を翔ける一里の風を此処に──、支えよ――、ウインディー!
二重、三重に風精霊の加護を受け緩やかに大地に降り立つ。
キセノに掴まれていた腕が痛むが傷は浅そうだ。
「ガル、大丈夫!?キセノ君は?」
私は厳しい目つきで空を見上げる。釣られてアリアも目を向け――。
「あれが……キセノ……くん?」
爆煙が消え去り、徐々にその姿を現すキセノ。
翡翠色の輝きに包まれた巨体。見る者を圧倒する偉大な姿。
力強い両脚、逞しい胸。太い尾。そして巨躯を支える為に絶えず躍動を続ける翼。
顔から尻尾の先まで見紛う事無き――竜。
「アリア――覚悟しろ。火の精霊、サラマンドラとは比較にならないぞ!」
――そう。年端もいかない少年とは言え、キセノはれっきとした竜の眷属。
生半可な人間が立ち向かえるほどぬるくは――無い。
地上で這い蹲る私とアリアを嘲笑うかのように口元を歪め、冷たい瞳で見下ろす竜。
恐らく、今のキセノには自分の力を抑制する事は出来ないだろう。
疲弊し、本来の姿が保てなくなるまで、一度解放してしまった力と破壊衝動――すなわち竜の持つ最も深き欲望――の儘に暴れ回る。
竜が大きく口を開く。
「街を守りつつ……か。分が悪すぎるな……」
自然と口元が歪む。
ドラゴン程では無い。しかし――虎もまた争いを好む種族。
戦いの中に生き、戦いの中のみ生き甲斐を感じる生き物。
不利な状況に追い込まれれば追い込まれるほど戦いの高揚を隠せない。
竜が吼える――と、同時に口腔から紅蓮の炎が吐き出される。
このままでは吐き出された炎は波状に広がり、地上を目掛けて降り注ぎ、街に甚大な被害をもたらすだろう――。
「鎌鼬!」
大音声で張り上げた声によって行われる強制召喚。
自分本来の属性である風の精霊ならば、中位精霊の鎌鼬まで無詠唱で召喚を行える。
私の呼びかけに呼応して、竜の目の前に風の障壁が現れる――。
風の障壁が吐き出された火炎を全てはじき返し、竜目掛けて襲いかかる。
炎が竜に着弾する前、わずかに竜の瞳に嘲笑が見える――。
……不意を突いたつもりだが……何とも思っていない訳か――。
「アリア――水の障壁で出来る限りキセノを押さえ込めろ――」
指示を出すと背中の大剣を抜刀し、飛翔呪文を詠唱する。
「大海を流す百里の風よ──」
本来の属性とは言え、祝詞無しで立て続けに酷使すれば精霊の機嫌を損ねる。
祝詞を唱える余裕があるうちは祝詞付きで唱えておく方が、戦いの後半で余裕が生まれる。
「──今、我が元へ集い――」
今日は既にサラマンドラとの戦いの中でウォーティーを祝詞無しで数回、強制的に召喚した。
恐らく彼女はしばらくはもう私の呼びかけには応えてくれないだろう……。
残りの、風、土、火の精霊のみで戦うしか無いが、キセノは今、炎の権化と化している。
……火の精霊の力は当てには出来ない。
それに――竜の扱う炎や風は精霊の力を借りずに自らの力で行使するため、どうしても祝詞を唱えていると後手後手に回ってしまう。
「――遙か天空の高見へ――」
戦いはまだ始まったばかりだと言うのに――。
――やはり分が悪いな。
「――鎌鼬!」
「大海の中の小さな一滴──甘露の恵み、ウォーティー」
私が飛び上がるのと、アリアの障壁が出来上がるのはほぼ同時――。
爆煙ごとキセノを包み込む――と、同時に私の周りにもうっすらと水の膜が現れる。
――一祈複役か。……さすが水の属性たる人間。
ただ一度の祈りでウインディーに複数の命令を与えるとは――。
精霊を讃える祝詞無しの強制召喚を使いこなせる様になるのも時間の問題だな。
「グルォォォォ!!!!」
一向に拡散しない爆煙に包まれたまま、竜が怒りに満ちあふれた雄叫びを上げる。
当然だ。アリアが水の障壁で竜ごと辺り一面を包み込んでいるのだ。
「今こそ百里の風を、我が元へ集め賜え――鎌鼬!」
真空の刃を纏った剣を振り下ろし、アリアの障壁ごと竜を切り飛ばす――
水の障壁は砕け、爆煙を切り裂き――確かな手応えを感じる。否、確か過ぎる手応えだ。
硬質な音が甲高く辺りに響き渡る――。
「くっ……鎌鼬を以てしても切れないか――」
竜の姿が爆煙の向こう側へ消える。
致命傷どころか、こちらの攻撃は全く通用しなかったのだ。
即座に弾き返された剣を引き戻し、反撃に備える。
右、左、上、下、前、後――。五感を研ぎ澄まし、ありとあらゆる全方向からの攻撃に備える。
――一呼吸。――二呼吸。まだ来ない。こちらを焦らす作戦か――?
反撃を警戒した極度の緊張状態。闇雲に時間が過ぎるだけこちらが不利になる。来ないのならば追撃を掛けるまで――
刹那、じりりと髭を焦がす程の圧迫感を感じ、左側面に顔を向け――。
――視界が翡翠色に埋まる。完全に虚を突かれた――。
鞭の様にしなる太い竜の尾の一撃、反射的に剣を突き出し剣の腹で受け止める。
「……ッ!」
――重い。
辛うじて受け止めたが竜の圧倒的な力の前に、耐えきれず体勢が大きく傾く。
元々鎌鼬の力によって宙に繋ぎ止められているだけだ。竜の圧倒的な力に対抗するには支えが効かない――。
結果――音を超える速さで背中から地面へ叩きつけられる。
「ガル――!」
アリアが慌てて駆け寄ってくる。
もし先程の攻撃を喰らったのがアリアであれば、全身の骨が砕け散っていただろう。
痛む背中と腰に鞭打ち、何とか立ち上がると遙か上空に悠然と佇む竜を睨み付け口を開く――。
「援護しろ、大技を放つ!」
やはり……中位精霊程度では竜に太刀打ち等出来ない。
あるいはキセノを殺めてしまうのではないか――と、言う思いから力を押さえて戦っていたが、もてる全ての力をぶつけ無ければこちらが消されてしまう――。
抜刀していた剣を背に戻し、仁王立ちしたままわずかに目を閉じ、静かに息を整える。
心を落ち着ける。心が乱れていては召喚に支障を来す。
今の私の力では最高のコンディションを作り出さなければ召喚出来ない、ギリギリの領域に住まう獣――。
これから呼び出すのはそう言う類の霊獣――。
ゆっくりと流れる時間。微かに流れる風。炎の匂い。震える大気。風の音。
アリアが竜と戦っている。彼女は最下位精霊しか使役出来ないのだ。
……随分無茶な注文をしてしまったな。
逸る気持ちとは裏腹に静かに。深く。息をつく。
今、心を乱してはアリアが稼いでくれている時間が無駄になるのだ。
「――ウォーティー!」
アリアの無詠唱召喚。……この短期間の間にマスターしたのか。
やはり、私とはセンスが違うな。
例え、最下位精霊しか扱えなくとも彼女は立派に竜とやり合っている――。
そう。旅はまだ始まったばかりなのだ。
これからもっと過酷な困難が待っている。我々の旅はそう言う旅なのだ。
だから――こんなところで負けるわけにはいかない。
ゆっくりと目を開く。準備は整った――。
複雑な印を組み、声高らかに歌い上げる――。
「音の壁を越えし者──、我が呼びかけにその耳傾け賜え──遥か千里の彼方より、──天翔けろ、ガルーダ!」
――轟。
圧倒的な質量を持った風。神に祝福されし偉大な酉の神。
そして最強八大精霊の風の眷属――ガルーダ。
私が扱える中で最も力のある精霊だ。
アリアが戦うことも忘れてこちらを凝視する。彼女にすらまだ見せた事の無かった、本当に最後の奥の手。
まさかこんなに早く使う羽目になるとは……。
竜も動きを止める。
アリアに釣られて止まった訳ではない。ガルーダが危険な存在だと本能が告げたのか。
「グルォォーーーー!」
不機嫌に吼えた竜。
「飛べ――」
私の命令にガルーダが猛進する――。
竜とガルーダが互いを制する為に力の限り押し合う――。
時に真空の刃が竜に無数の斬撃を浴びせ――時に紅蓮の炎が酉を包み込む。
私は必死に印を組み直す。ここに――ガルーダを繋ぎ止める為に持てる力を注ぎ込む。
消される訳にはいかないのだ。何としても押さえ込む。
固唾を呑んで見守るアリア。その口元は厳しく一文字に結ばれている。
手の届かない次元の戦い。傍観することしか出来ない自分を責めているのか――。
「……」
竜が薄く笑った。この、緊迫した状況の中で――。
――まだ、お互いの力は拮抗している。
しかし――。
「ガル――」
アリアが悲鳴を上げる。
ガルーダが竜の力に負け、徐々に押し潰されているのだ。
ガルーダの力を以てしても、もはやこれまでか――
心が折れた瞬間。竜がとどめとばかりに荒々しくガルーダを叩きつけた。
その力に堪えきれず、私はガルーダもろとも吹き飛ばされる──。
最強八大精霊のうちの風精霊の力が通用しなかったのだ。
「……やはり……力関係で劣る風の精霊で炎の眷属たる竜を押さえつけるのは困難か……」
息も絶え絶えに立ち上がる。
あるいは、いっぱしの剣士たる私が扱えるガルーダでは、本来の力の数分の一程度の力しか発揮できないと言うことか。
どちらにしてもこちらにこれ以上の切り札が無い以上――
「私達じゃ……キセノ君を助けることが出来ない……?」
アリアが絶望の声を上げる。




