妖怪が視えるようになった女子の奇談
奇談の始まりは13歳の誕生日の朝。
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目が覚めたと同時にまだ夢かと明はお気に入りの花柄の布団の上にいる奇妙な生き物を見つめた。可愛い子猫だが尻尾が犬みたいで三本。昨日観た妖怪映画のせいだろう。変な生き物が口を大きく開いた。
〈大化け狸様の嫁を見つけたぞ〉
え?化け狸?声を出す前に変な生き物に枯葉が乗って、生き物はシュルルルルと消えていった。
「危なかったな!もう大丈夫だ!」
男の子の声がして私は顔を横に向けた。黒い甚平を着た同じ年頃の男子。格好良いというより可愛い感じの狸顔。
「誰?」
「屋山太郎だ」
人懐っこい笑顔になった太郎君が勢いよく立ち上がった。
「かわいい嫁さんで良かった!明、末永くよろしく」
差し出された右手を眺めた。意識はハッキリしている。夢じゃない?でも太郎君のセリフは非現実的。私はゆっくりと体を起こし、それから首を捻った。
「屋山大明寺の跡取り明。遠路遥々生誕祝いに来たんだ」
四国から?私がお母さんの実家の跡取り?
「可愛くて良かった。子狸たちを信じたら損するところだった」
太郎君が嬉しそうに歯を見せて笑った。私は瞬きを繰り返す。
「誕生日おめでとう明」
太郎君が手に持った赤い秋桜を私に握らせた。またも瞬きしか出来ない。
「それにしても妖を魅了する力が強すぎる。どうして誰も明に修行をさせなかったのか」
ぶつぶつ文句を言いながら太郎君がポケットから出した葉っぱを私にかけた。寝起き早々の珍事に私は途方にくれた。
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屋山
母方の祖母の実家がある田舎村。一度だけひいお婆ちゃんのお葬式で来たことがある。狸の地蔵がずらりと並んだ古くて大きい「屋山大明寺」が母の実家。まだ少しは街っぽい屋山駅からバスで一時間。周りはぐるりと田んぼ。背後には緑豊かな山。他には何もない。コンビニ一つない。
その完全なる田舎、屋山大明寺の大広間という場所で私達家族は正座で横並びになっていた。母、父、私、何故か太郎君、弟の正という順番。左右に並ぶ和服の老若男女。上座には対面二度目の祖母。小柄な背筋を伸ばした着物姿の祖母は、狸顔の母とそっくりだ。
「屋山とは縁切りしました!」
「お前の神通力でも明は隠せない!」
「だから僕は屋山で暮らそうと言ったのに、司さんが猛反対するから」
「無能力者は黙りなさい!」
「お母さん!圭一さんに謝って!」
「司さん、本当の事だから怒らない怒らない。あーあ、僕も妖怪を視てみたいなあ」
全然話が見えない。火花を散らす母と祖母。呑気な父。大広間には人間と同じくらいの妖怪がいるのに……。初めての屋山大明寺に興奮して大広間を楽しそうに眺める弟。そして眠そうな太郎君。混沌だ。父の描く漫画でよく使われる単語を口にして私はため息をついた。超混沌。
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屋山大明寺は妖怪狸の総本山にして、四国を統治する陰陽師一族が住まう寺、らしい。
お父さんの描いている少年漫画に似ている設定。
父が「漫画は半分本当の話なんだよ!」とウィンクした。何その単語。妖怪なんて信じたくない。
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祖母と母の喧嘩がヒートアップして大広間から私と正は追い出された。ついてきた太郎君と弟が庭に立つとドロンと小さい妖怪狸たちが現れた。誕生日から三日、急に視えるようになった妖怪に私はまだ慣れていないので体が竦む。
「姉ちゃんビビりすぎ。可愛いじゃん」
頭の中が超混沌な姉と違い、正は屋山大名寺に来てからずっと楽しそうだ。前から妖怪が視えたらしい。
「これから悪妖怪に沢山襲われるぞ明。だから共に修行しよう」
「太郎、僕も修行する!」
正がせがむように跳ねた。
「妖怪?陰陽師?修行?みんな頭おかしいよ!」
叫んだ私に注がれた太郎君の驚き、正の呆れの視線。
「姉ちゃん馬鹿?お父さんの漫画だよ。俺と姉ちゃんはこの妖怪寺の跡取りで、妖怪の長になれるんだ!めっちゃ凄くね⁈」
漫画は漫画。これは現実。妖怪の長って……。
「その通りだ正。しかし跡取りは直系一人娘の明。そして長になるのは婿の俺だ!」
太郎君がえっへんと胸を張った。周りに妖怪狸が集まって真似をする。ちょっと可愛い。ダメダメそんな事考えちゃ。
「ちょっと待って!婿って?」
最初に私の前に現れた時も嫁さんと言われた。
「俺は明の婿となり、四国の妖怪を統括して平和を守る!ずっと励んできたぞ!」
妖怪狸が太郎君を囲んで両手をひらひらさせた。ドロロロンと宙に葉っぱが現れて紙吹雪みたいに太郎君へと降り注ぐ。正が羨望の眼差しを向けた。
「だが問題がある。悪妖怪が明を狙う。隠されてきた明の魅了の力が目覚めたからだと頭領様が言っていた」
もう嫌だ。これは夢だ。夢だと言ってくれ。
「へえ。それで姉ちゃんずっと妖怪が視えなかったんだ」
正が納得するように頷いた。私は超超混沌なんだけど。
「屋山家はかつて大化け狸が惚れた娘の一族!悪妖怪は大化け狸の封印を解き、屋山の娘を嫁に捧げて操るつもりだ」
妖怪狸たちが大きな枯葉を持ってチャンバラしだした。正も混ざる。
「俺の嫁になるなら守ってやるぞ!でないと大化け狸の嫁さんだ!共に屋山を継ごう!」
清々しいほど爽やかな笑みを浮かべて、太郎君が私に右手を差し出した。自分の顔がひきつるのが分かる。13歳にして初めての告白がまさかのプロポーズで恐喝。
《たぬき小僧はひとめぼれ!ブサイク嫁は嫌だと逃げたのに!可愛いからって手のひら返し!たぬき小僧は現金だ!》
妖怪狸たちがニヤニヤと歌い出した。
「うるさい!お前ら俺を騙そうとしたな!ブサイクのデブが許嫁だと嘘ばっかり!成敗!」
太郎くんが真っ赤になって次々と妖怪狸を空へ投げる。私は突きつけられた現実のせいで血の気が引いた。
***
半年後。
「ただいま帰りました!」
毎日元気の良い太郎君が廊下を走るとお父さんの仕事部屋の障子がいつも通り開いた。
「おかえり太郎君!最近どうだい?」
顔を出したお父さんに太郎君がぶすっと顔をしかめた。
「狐が喧嘩を売ってきました」
それだけ言うと太郎君はドスドスと廊下を進んだ。
《戦じゃーー!戦じゃーー!》
子狸たちが葉っぱを掲げて、太郎君の後ろをトテトテとついていく。お父さんは妖怪が視えないので相変わらず気がつかない。お父さんは顔を引っ込めて手にしていた受話器を耳に当てた。
「そろそろ狐を出します。狐は妖怪の代名詞!長編に移行しましょう」
漫画の打ち合わせ中だったらしい。お父さんは太郎君から話のネタを拾いまくっている。しかし事実は漫画より奇なり。視せてあげたい。
《妖怪大運動会の復活だ!狐に負けるな!合戦じゃ!》
「おうよ!明はまた俺が守ってやるからな!」
太郎君が振り返ってニッコリと笑った。非日常にすっかり慣れてしまった私は素直に頷く。
《たぬき小僧はカッコつけ!たぬき小僧はヤキモチ焼き!屋山の姫はまだ惚れない!》
子狸たちがケラケラ笑いながら太郎君の足をドシドシ張り手した。
「うるさい!そんなことないぞ!多分……。お前ら成敗!」
太郎くんが真っ赤になって次々と妖怪狸を廊下の向こうへ投げた。熱が込み上げる。私は多分赤い顔をしているだろう。