僕じゃないです
手首を堅く掴まれながら、ボクシング勝者の様に片腕を高々と持ち上げられ、
「この人痴漢です。次の駅で降りるので道開けてください。」
と言いながら、彼女は、力強くグイグイと彼を扉口へと引っ張って行った。
「待って下さい。僕じゃないです、違いますよ。僕そんな事をする訳ないじゃないですか?」
と言いながら、就活中の女に手を掴まれ、今まさに扉口に連行されかけているのは、塚本卓である。彼はと言うと、二十代半ばで、中肉中背で短めの髪型であり、何より清潔感ある青年であった。電車は、地下の最初の駅に着き扉が開いた。このままでは、加害者にされかねないと思った彼は、ホームに降りる直前に、車中に向い大声を上げた。
「誰か僕が無実であることを、証明出来る人いませんか?」
その彼のとっさの行動に、車中の乗客が一斉に彼の方を見た。そして、ひとりの三十半ばの女性が、手を肩の辺りまで上げ、申し訳なさそうに掌を開いた。今度は乗客が一斉に彼女に視線を集中させた性もあり、女性は、「はい、私見ていました。」と小声で呟き、扉口の方へ歩み寄って来た。
ホームに降りた三人の様子を察知してか、駅員がひとり急ぎ寄って来て、話しかけてきた。
「どうかされましたか?」
彼女は、彼の腕をつかみながら、すかさず「痴漢です、痴漢。この人痴漢です。」といって彼を、駅員に差し出した。
「だから、違うってば」と彼が言うと、駅員は、暫く電車を止めておくよう車掌に合図した。そして「ここじゃなんですから」と言いながら駅員は、ホームの中央へと三人を導いた。
「僕、駅員室には行きませんからね、絶対に。テレビで見たもん、部屋に中に入ると、まるで警察の取り調べ室みたいに、問い詰められるって。」少し困った様子の駅員は、今度は三十半ばの女性に向って、「ところであなたは?」と質問をした。
「私、見ていました。この人痴漢じゃありません。だって、彼女が、自分の髪の毛に手をやると、すごく怪訝そうな顔をして、必死に背伸びして、鉄パイプに捕まって彼女の事避けようとしていたし。彼が、持っている荷物を持ちかえようと、鉄パイプを放した途端、電車が揺れて、体勢を崩して、、、少し接触が有ったかもしれないけど、決してわざとでは無かったと思います。」此処まで言うと卓は、「あっそうだっ」と言って、胸ポケットからiPoneを取り出し、電源をOnにして、彼女に見せた。
街受け画面には、ワイシャツにネクタイを絞めた、体格ががちりしたアラフォー親父が、鎮座していた。卓は、Lineの彼のページを開くと「これ僕の彼、そうだ電話して聴いてみて、僕の彼かどうか。僕、卓って言います。」と言ってスピーカをOnにして、彼女にiPoneを手渡した。
彼女は、通話ボタンを押すと、間もなく待ち受けの親父が電話に出た。彼女は。「貴方は塚本卓さん知っていますか? 不躾でなんでさが、もしかして彼の友達、、、いや彼さんですか?」と唐突に聞くと、間もなスピーカーから少し忙しなこえがかえってきた。。「まぁ、そうですけど、貴女は?…… あいつ馬鹿だから、もしかして何処かに電話を、置き忘れていましたか、取りに行かせますので、、、」ここまで聞くと、彼女は電話を切り、卓にiPoneを手渡して、こう言った。「解りました、もういいです。」
これを聞いたと同時に駅員は、車掌に合図を送り、間もなく車両の扉は閉まり電車は発車し出した。するといきなり就活中の彼女が、「ちょっと待ちなさいよ、私のフェラガモ~、待ってよ、お願いだから。」と叫びながら自分達の横を、走り去っていく車両を追いかけながらホームを駆けだした。
残された三人は、もう笑っていた。駅員が「気を付けて下さいよ。っと言ってもあんな満員電車で通勤させている弊社にも多分に責任が、有るんですけど。今回は、彼女のフェラガモに免じて、お許しください。」と言って、笑顔で深々とお辞儀をして、所定の位置へ戻って行った。
卓は、残された女性に「本当に、有難うございました。もう少しで、犯罪者扱いされるとろでした。お礼がしたいんですけど。」というと。女性は、「お礼なんて、良いよ、いい、いい、入らないわよ。社会人として当然の事、しただけだし、それに面白いもの見せてもらったし。」といって女性は、間もなく来た次の列車に乗り込んだ。卓は、閉まる扉の向こう側に居る女性に、これまた深々とお辞儀をした。
手に握られたiPoneがバイブしていた。相手は、勿論訳の解らない電話を受けた、卓の彼からだった。