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あじさいの城  作者: かしわ
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 ノアとはその場で別れた。

 長い抱擁の後、アーロンはハリーを置いて、振り返らずに急坂を下る。ハリーもその後に着いて行こうとして、ジョオを振り返る。

 ジョオが航空機のチケットを手配し、依頼人の所までノアに付き添うと云う。

「わざわざ飛行機使わなくても、瞬間移動出来るんだろ?」

 半ば挑発の目で、ハリーがこそっと云った。

「ノアの事を考えてあげて。心の整理と準備が必要でしょ」

「そうでした」

 ジョオのジト目に、ハリーは首をすくめた。

「アーロンのこと―――」

 云いかけてハリーを見上げたジョオの、ダークブラウンの瞳が潤んだように見えたが、一瞬でこぼれるような満面の笑みになる。

「ありがとう」

 そこで、ジョオとも別れた。

 テオの運転するアウディが横付けされる。車を降りようとするテオを、ハリーが制した。並んだアーロンに向き直る。

「お前、なんでジョオを引き止めないんだ、アーロン」

 アーロンが車のドアに手をかけると、ハリーがそのドアを押さえた。

「まだ云ってる」

 呆れながら、アーロンは車に背を向けて寄りかかった。腕を組む。伏し目勝ちに5メートル先を見つめながら、ゆっくり口を開く。

「ジョオを迎え入れるには、オレはまだひよっこ過ぎる。ノアにさえ駄々をこねてた」

 別れ際のノアは、確かに大人びていた。

「理屈じゃない。お前の気持ちはどうなんだ!自分の胸に訊いてみろ!」

「これがオレの出した結論だ。ジョオを引き止められるなら、その前にノアを引き止めてる。―――二兎を追う者一兎をも得ず」

「じゃあ、一人に絞れ!自分の気持ちに正直になるんだ、アーロン。ジョオが無理ならノア―――」

「出来る訳ないだろ!ハリー、お前だってきっとノアを引き止めない」

「それならお前が追いかけろ。ノアについて行け。オレには出来ないが、お前なら出来る!」

「出来ない!」

 うんざりして、アーロンはハリーを振り切る為に、車に乗ってドアを閉めた。が、当然、反対側からドアを開けるハリー。

「出来る!」

「出来ない。―――お前がいる」

「オレをダシに使うな!」

 ハリーには答えず、アーロンはテオに、車を出すように指示する。

 少しの沈黙の後、落ち着いた声で、前を向いたままアーロンが云った。

「ハリー、大人になったな」

「話題すり替えんな」

 ハリーも前を向いたまま、不機嫌に。

「自分の事しか考えてなかったのに、他人の事を考えてやるなんて、成長したんじゃないか?」

「お前は他人じゃない」

 子供みたいに、まだ機嫌を直さないハリー。

「あの人―――」

 もう、すでに名前が出て来ない。胸が締め付けられるが、あえて続けるアーロン。

「あの人、いい人だったろ?」

 どうやったらあんなに打ち解けるのか。こんなに頑固で女性嫌いのハリーと。

 顔のぼやけた女性とハリーが、親しげに会話する姿が思い浮かぶ。これは記憶なのか、それとも想像か。

 子供の頃にも同じもどかしさを感じていた。その切なさだけが、鮮明に思い出される。

 車内に西陽が差して目を逸らすハリー。車窓の景色を見送るアーロンの横顔があった。

「お前の大切な人なら、仕方ないから付き合ってやった」

 ハリーの記憶もすでに、印象でしかない。しかし西陽に照らされるアーロンの輪郭が、記憶の甘さと懐かしさを際立たせる。やがてその記憶は、アーロンやノアと共に、好きな記憶に分類されていく。

「…」

 視線に気付いたのか、アーロンがこっちを向いた。フッと笑って手を伸ばしてきて、ダークブロンドのハリーの髪をわしわしと掻き乱した。

「あ!ハリー、怪我は?」

 急に思い出して、怖い顔で迫ってくるアーロン。

「なんか、治ってる…?」

 大きなガーゼをめくって見ると、出血はそれ程でもなく、傷はもう塞がっている。アーロンの記憶では、縫合が必要なほどではなかったか?

「…」

 声を出しそうになり、飲み込むアーロン。一瞬だけ何かを思い出しそうになり、しかしすぐに遠のいてしまう。ハリーが怪我をしたことで動転して、判断が大げさだったのだろうか?

「ホントにかすり傷だったんだな」

 痛くて立てない程だったはずだが、と記憶を辿るハリー。しかし次の瞬間には、ガーゼを放って服装を整えた。

「帰ったら粛清しないとなー」

 なんとなく残るモヤモヤを払拭しようと、ハリーは話題を変えた。

「心当たりがあるのか?」

「心当たりだらけだ」

 ハリーは伸びをするように両腕を上げ、頭の後ろで手を組む。

「―――大方去年の、貴族に対する国庫負担の終了が、意外にデカかったことに気付いたんじゃないかな?」

「資産があるんだろ。土地とか株とか。それで生活に不自由はないはずなんじゃ…」

「今まで税金で遊んでたんだ。急に働けって云われてもね」

 この前の年、法改正で今まで税収から賄われていた貴族への支給がなくなった。個々の所有している資産で生活していくのに支障はないと判断されていたが、不景気も相まって、思っていた以上に貴族個人の収入が減ってしまったようだ。

「それはお前も同じだろ」

「オレが死ねば身内が相続するだろ。資産が増える」

「それじゃ、容疑者は親類か?」

「―――それだけとは限りませんよ」

 車が路肩に停められた。シートベルトを外して振り向いたテオの手に、銃が握られている。

「…テオ?」

「ある方が私にチャンスを与えて下さった。あなたを殺して私も死にます」

 ハリーを見つめるテオの瞳の中に、今まで見出だせなかったものが映っていた。

「テオに、手を付けたのか、ハリー」

 アーロンの問に、あさっての方を向くハリー。

「身内には手を出すなって、あれ程云ったのに…」

「いやーほら、テオって、プリンスってカンジでかわいいじゃん。ブロンドで目もグレーだし」

「テオはお前のことを大事に思ってるから、お前も大事にしてやれ、て散々云ったよな」

「だから、連れてったんだ、あじさいの城に。テオならいいかなぁ―――」

 銃声がハリーを遮る。銃口は上に向けられていたが、すぐにハリーに向き直る。狭い車内で手を上げるふたり。

「私は本気です!」

「オレは関係ないよな」

 と、アーロン。ドアはロックされている。テオが解除してくれないと出られない。

「黙れ!お前さえいなければ…!」

「勘弁してくれ!大家と店子ってだけで、ハリーとは無関係だ!」

「ハリー様、あなたの中には誰かがいますね」

 ハリーは否定しない。

「早まるな、テオ!オレじゃない!」

「そうでしょうか?それなら―――」

 銃口が、アーロンの方を向く。

「冷たいな、アーロン。あの夜のことは何だったんだ?」

 ハリーがぽそっと呟くように云った。

「どの夜だよっっっ!!」

 ヒステリックに云い返すアーロン。危機感なく、ハリーは云い募る。

「いつでも来てって云ってくれたから会いに行ってやってるんだぞ」

「紛らわしい嘘なんかつくな!」

 ハリーとテオを交互に見るアーロン。ハリーを凝視するテオ。

「―――本当だ、テオ!ハリーとは知り合ってから数年になるが、そうゆーことは、いっっっさいない!」

「そんな!?いつだってお前は無理矢理―――」

「ないわっ!」

 怒鳴った瞬間、アーロンの左ストレートがテオの顔面に決まり、ノックアウト。

「テオ!―――なんてこと…」

 悲鳴のように叫んでから、嘆くハリー。アーロンを責めている訳ではないが、顔を殴られたのは可哀想だった。

「すまない、ハリー」

「いや。テオの事は大事にしてるつもりだったんだ。テオなら、分かってくれてると思ってた」 

 間もなく黒塗りの車が来て、次々とアウディを取り囲む。ゾロゾロと、見覚えのあるSP風の男達が降りてくる。

「グルーバーが来るのも遅かった訳だ」

 云いながら、新たな疑問を禁じ得ないアーロン。

テオは、銃声が鳴ってもGPS発信機を作動させなかった。では何故グルーバーはここへ来たのか?誰が呼んだのか?

 考えている間にも、テオは別の車に移され、ハリーはグルーバーをなだめるのに苦労し、アーロンは散々責められた。帰りは当然、アーロンとハリーは別々の車に乗せられ、アーロンは数時間、尋問の為に軟禁された。自宅に帰れたのは日付が変わってからだった。



 アーロンが自宅マンションに着くと、ポストに分厚い封筒が入っていた。

―――やっと届いたな。

 海外の知り合いから取り寄せた、医療関係の専門書。今夜はそれを読んで過ごす事に決めた。

 マンションの外壁は街並みに溶け込むよう、煉瓦造り風だが、エレベーターも防犯カメラも備えられ、各部屋は最新の電子ロックキー。住人以外は誰も開けられない。

 アーロンは鍵を出さずにボタンを押す。ロックが解除され、ドアノブを引いた。

「遅かったな」

 台詞を全部聞き終わる前に、アーロンは部屋の外側でドアを閉めた。自動施錠の音も確かめずに、エレベーターのドアに駆け寄る。が、エレベーターは移動を始めていた。

「クソっ」

 悪態をつきながら非常階段へ向かう。こちらは鉄製の防火ドア。ノブを回して押す。が、内側から施錠してある。慌ててサムターンに指をかけた時、肩を鷲掴みされた。チェックメイト。

「なんで逃げるんだ、アーロン」

「ハリー…」

 テンションだだ下がりの声で、ため息混じりに相手の名前を呟く。ここ10日程、静かで平和な日々が続いていたのに。

「自分の家だろ。入ってくつろげ」

 ハリーはマンションのオーナーだから、各部屋の鍵を持っていても当然だ。3日と空けずにやってきていたが、ペータースの事件以来、連絡すらなかった。

「オレがいなくて寂しかったろ」

「ああ。引っ越そうかと思ったよ」

「そろそろオレのことが恋しく―――」

 アーロンの肩を抱くように手を添えて歩くハリーの足が止まった。「どこへ?」

「ハリーの来ないとこ」

 ハリーは頭を振り、アーロンの部屋のロックを解除する。アーロンを先に通し、自らも部屋に入った。

「引っ越すなら、家賃を払ってからな」

「いつでもいいって云ってただろ」

 アーロンは天気の話でもするように云いながら、自分の上着とハリーの上着をハンガーにかける。その間、ハリーは窓に近づき、ブラインドから外を覗いた。

「監視が付いてるのか?」

「オレじゃない。お前だ、アーロン」

 公爵家に対する暗殺未遂事件の後だ。渦中の人物と行動を共にしていたのだから、仕方ない。しかしいつまで続くのか?

「もう10日も経ってるのに、ご苦労だな」

「意外に呑気だな、アーロン」

 ハリーがため息混じりに笑った。

「―――お前が狙われる側だぞ」

 アーロンは目を剥いた。

「冗談じゃない!オレはただただ巻き込まれただけの被害者だ!」

 しかしペータースと接触している。何か―――例えば誰が暗殺をペータースに持ちかけたか、聞いているかも知れない。

―――だったら彼はもっと危険だ。

「テオは、どうしてる?」

テーブルに頬杖をついたまま、ハリーは無言で肩をすくめた。

「アーロン、久々に外出できたんだ。アルコールが飲みたいよ」

 ハリーの行きつけのパブは、まだしばらくは行けそうにない。安全確保が第一。その点、アーロンの自宅なら、住人以外は出入りしない。

「盗聴器とか、出なかったか?」

「爆発物探知機まで使ってたぞ」

 室内を見渡しながらアーロンが問うと、ハリーがクスクス笑いながら答えた。今この部屋が、この国でいちばん安全な場所だろう。

「何時にここに来たんだ?」

「アーロンが帰ってくる、3時間くらい前だな」

 そう云われれば、コートハンガーの角度が微妙にいつもと違うし、無造作に重ねて置いた封筒の類が、キチンと揃えられている。

「アーロン、バーボンが飲みたい」

「ない。切らしてる」

「ブランデーは?」

「元々置いてない」

「ワイン」

「ない」

 シンクの前で振り返ったアーロンは、ワイングラスを鳴らした。「―――1本しか」

 ヤギのチーズをカッティングボードに乗せてテーブルに出す。

 山あいの小さな街に、小さな月のあかりがさし込む。人気はなく、静かな夜。

「テオには会ってないけど、報告書は見せてもらった」

 アルコールが入ると、少しだけ饒舌になる。

「元気だって?」

 ニヤニヤ笑うアーロン。そんな事、書いてあるはずがない。

「『チャンスを与えて下さったある方』が誰だか名前も知らないみたい」

「銃を渡したヤツだな。末端の末端だろ」

「監視カメラの映像を確認したらしい。『観光客風』だってさ」

 ヤギのチーズを、長い指で優雅につまみ、鼻先に近付けて香りを楽しむ。

「刑事告訴はしないんだろ」

「未遂だからね。身内の事だし」

 ワイングラスをかざして揺らす。この赤い液体と光の乱反射のデュエットは、何度見ても飽きない。

「GPSを発動したのも、やっぱりテオだった。迷ったんだろうな」

 テオの処分がどうなるのか、今は考えられない。ただ、もう二度と会えない。

 ハリーは考えるのをやめる為、視線を室内に移す。ワインを楽しむなら、間接照明でムーディーに。

「前から思ってたけど、この部屋―――」

 あちこち見渡す。

「フォトスタンドがないな」

「ああ」

 アーロンに家族はいない。このマンションに来る前は、紛争地で命がけで仕事をしていた。過去の写真はほとんどない。

「ノアの写真、撮っておけば良かったな、アーロン」

 ノアと過ごしたのは48時間にも満たない間。そんな短時間で…。

「あるぞ、ノアの写真」

 アーロンは一旦部屋を出て、すぐに戻って来た。ハリーの前に置かれたのは―――。

「GPSチップのアザだろ、これ」

 額に青筋を浮かべて静かに唸るハリー。大学でエミリーに見せたインスタントカメラの写真には、ノアの腕にあった二次元コードのどアップ。

「これが、アーロンの恋人の写真。これが…」

 写真を持つ手をワナワナ震わせていたが何を思いついたのか、スマホを手にとって操作を始めた。それを横目に、アーロンはノアの記憶を辿っていた。

アッシュブロンドの柔らかい髪、白い首にホクロが1つ、甘い匂い、細い肩、長めの白い指、華奢な腰、乳白色の肌に映えるピンクの唇、グレーの瞳が潤んで、アーロンを見つめる―――。

突然、軽快な電子音が鳴り出した。ハリーが自分の電話に出る。相手は興奮しているらしく、声が漏れ聞こえる。

「分かった、すぐ送って。―――うん、ありがとう」

 ハリーは通話を切って、スマホをテーブルに置き、操作する。と、見る見る表情が険しくなる。

「アーロン!」

 いきなり怒鳴られた。ハリーは椅子を倒す勢いで立ち上がると、アーロンの傍らに来て、スマホの画面を突き付けた。

「なに…?」

「この写真のアザ、これだけペータースの付けたヤツじゃなかったんだ!」

「どーゆー…?」

 アーロンには突然の事で、発言の意味が解らない。

「お前が撮ったこのアザだけ、これだけはずっと以前からノアに付けられてたんだ!シリアルナンバーが見つからない訳だ」

 だからって、そんなに興奮しなくても。

「み、見ればいーのか?」

 鼻先に突きつけられたハリーのスマホを受け取り、画面を確認する。飾り気のない白地の画面に、数字と短い文章。

数字は生年月日と、おそらく出生時の身長と体重。電話番号は、病院かホスピスのものか。


ノア、生まれてきてくれて、ありがとう

あなたは偉大な父親を持つ、私のたったひとりの宝物です

一緒にいることは叶わなかったけど、あなたのことは1日たりとも忘れません

最愛の母 ハンナより


 以上が文章の全て。ノアに対するメッセージだった。

 よくあるような、ありきたりのメッセージではある。が、この世に産まれた喜びと愛情、自分の手で育てられない無念さと、ノアへの気遣いが込められていた。

―――ノアは見捨てられた訳じゃない。望まれて、生まれたんだ。

「アーロン…」

 ハリーがおずおずと声をかけると、ギュッと抱きしめられた。

 アーロンには、我が事のように嬉しかった。嬉しくて、ハリーがドン引きするほど感激している。

 ハリーは仕方なく、アーロンの背中に手を回し、何度も優しくさすってあげた。

 この友人の優しさが、いつかちゃんと報われるように―――。


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