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ふたりの姿を遠目にして、ハリーの横でジョオがため息をついた。まるい額にかかるブルネットの髪が、風に揺れる。
「ノアのチップは外しておくよ。アザも消しておく。依頼のターゲットに傷は付けられないから」
ジョオは3本指を立てて云った。―――そんな事はともかく。
「ノアは、行くって決めたんだな」
またアーロン達に視線を戻しながら、ハリーは呟く。
ハリーを斜めに見上げたジョオは、少しからかうような笑顔だが、敢えてなにも云わない。ハリーの思っている事が判っているからだ。
ハリーも、別の意味で判っている。自分の感じているもどかしさが。―――オレの納得の問題だ。オレの口出す事じゃない。でも…。
「なぁに?」
ハリーのモヤモヤを吐き出させる為に、しかしニヤニヤを隠さずに、ジョオは尋ねてやる。
―――判ってるくせにっ。
ちょっとイラッとしながらハリーは、口を開く。
「あのふたりを見て、何も―――」
云い直す。「嫉妬しないのか?」
「私もさっき、見せつけちゃったし」
フフッと笑って、ジョオは云った。フーバー先生とのやり取りの事を云っている。
ハリーは、ジョオが頑なに否定するものと思っていた。それなら―――。
「父親が死んで、ノアが行ってしまって、お前も戻ってやらないのか、アイツのところに」
欲しかったもの、手に入れたものが、アーロンの手からポロポロこぼれ落ちていく。アーロンなら耐えられる。無理して前を向いて行く。でも…。
「フーバー先生には、私しかいなかったけど…」
ハリーを見上げて、笑顔を見せるジョオ。
もちろん、ハリーはアーロンをひとりにするつもりはない。父親の事やノアの事を知れば、誰だってアーロンに寄り添ってやるだろう。でもアーロンが今いちばん必要としているのは、彼の傍にいるべきなのは、誰かではなくて…。
「良い子は損だ」
昔、クラスメイトが云っていた。手のかからない子は、ほっといても大丈夫だと思われる。手を焼く子は、いつまで経っても心配してもらえる。
「アーロンは、自分の事は自分でするひとだもん」
「だから、それはアイツが優等生だから―――」
「私が必要なら、彼は自分からそう云ってくれるでしょ」
ハリーにはもどかしさだけが募る。
「じゃあ、お前はどうなんだよ、お前は!」
「ハリー!」
ふいに名前を呼ばれた。斜面を登ってくるアーロンもノアも、ケロッとしている。走り出したノアは、真っ直ぐにハリーに飛びついた。
「行くんだろ」
「うん」
ハリーがノアをギュッと抱き締めると、ノアの手にも力が込められた。迷いはない。
すぐ側では、アーロンとジョオが同じようにハグしている。
「この人、面白い事を云うの」
ジョオが、ノアにまで聞こえるように云い出す。
「―――アーロンをひとりにするのか、て」
「ばっ、ちっ、何をっ…」
大慌てで言葉が出ないハリー。目を見開いたアーロンと視線が合うと、見る見るうちに真っ赤になる。
「ハリーがホントにそんな事云ったの?」
絶句するアーロン。
「―――あのハリーが…」
「え、そこ…?」
目が点になるハリーの胸元で、今度はノアが、驚きの発言をする。
「ボクがいなくなったら、ジョオを焚きつけるんだ、ハリーは」
「そっ、…えぇ!?」
妙に艶めく上目遣いのノアにも、タジタジのハリー。それを見て、ノアはクスッと笑った。
「アーロンの事、頼んだよ、ハリー」
「ああ。分かってる」
またふたりは、ギュッとハグした。
「ねえ、ジョオ」
ハリーとノアのすぐ側で、アーロンはジョオを抱き上げて、額を合わせた。―――このひと、こんなに小さかったかな。と思いながら、
「どうやってハリーをてなずけたの?」
「全然懐いてないけど?」
ふたり共、目を閉じている。
「イジワルだなぁ」
「すぐに解るよ」
ハリーが変わりだしている訳を。
「ホント?」
目を開けて、ジョオを降ろす。風で顔にかかる髪を、耳にかけてやる。
「―――ジョオのこと、忘れてしまうから。今のうちに、訊いておかないと」
「パーソナルは思い出せないけど―――」
気持ち良さそうに、アーロンの手に頭を傾けるジョオ。そしてアーロンを真っ直ぐ見上げる。
「私の存在は忘れないでしょ」
奇跡の女の記憶が残っていれば、その痕跡を辿って探し出せる。ジョオ本人が見つからなくても、関係者を手中に収めれば、ジョオをおびき寄せられるかも知れない。その関係者の生死など問題ではない。
「マフィアを全滅させたから?」
アーロンは苦笑いで云った。ジョオは肩をすくめて笑う。
「そう。私の人気は急上昇。どんな汚い手を使っても、私を手に入れたいの。―――私が自ら蒔いた種よ」
「罪と罰?」
ジョオは口角を上げたまま、頷いた。
「辛くなったら、いつでもおいで」
アーロンがそう云うと、笑顔でジョオは睨んだ。
アーロンの肩越しに、日が傾きかけていた。




