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あじさいの城  作者: かしわ
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6

 3人はテオの判断で、ハリーもあまり使わないホテルに陣取っていた。

 その日の夜遅く、公爵のフリートウッド家に配慮して、ハリーのアウディが警察から返された。異例のスピード対応。

 アーロンはすぐに出てノアを救出したいと駄々をこねた。が、みんな昨晩からあまり睡眠をとっていないし、食事もろくにしていない。少しでも休息をとるべきだと、ハリーが押しとどめた。

「心配で寝ていられるか!!」

「ノアの事が心配なのはお前だけじゃない!」

「こうしてる間にもあの子がどんなメに遭っているか…」

「今ノアのGPS辿ったり、いろいろ調べてもらってるんだ!その間は大人しくして!!」

「くっ…」

 ハリーに怒鳴られ、アーロンは仕方なく立ち止まる。唇を噛んで俯いている。止めようとして掴んでいたハリーの手を、ギュッと握った。潰されるかと思った。

「ワイアット先生、コーヒーをどうぞ。ブランデー入りです」

 テオが気を利かせて持って来た。アーロンを椅子に掛けさせるハリー。

「ハリー様は紅茶をどうぞ」

「ありがとう。テオも休まなくちゃダメだよ」

「私はアウディの整備が済んでから―――」

 ハリーの携帯が鳴った。席を立って通話を始める。頼んでいた調査の結果と思いきや、警察からの確認事項だった。

「あー、今朝の警察の方!いや…ええ。はい―――」

 突然背後で陶器の割れる音がした。振り返るとアーロンがテーブルに伸びていた。音は、アーロンが落としたコーヒーカップの割れた音だった。

「アーロン!?」

 ハリーは電話を放り出して駆け寄った。テオも駆け付ける。

「ハリー様!ハリー様、大丈夫です」

 慌てるハリーに、テオは小瓶を見せた。アーロンがグルーバーに使った麻酔薬。ハリーはその場にへたり込んだ。テオは気を利かせ過ぎて、アーロンを眠らせてしまった。―――まあ、どうせ眠れなかっただろうから、いっか…。

「ありがとう、テオ」

 さすがのアーロンも、自分の持って来た麻酔薬で眠らされるとは…。

 安心してため息をつくと、今度は小さなノイズのような音が聞こえてきた。電話がまだ、繋がったままだった。


 翌朝、早い時間にアーロンは起こされた。

 酷い頭痛と、吐き気が少し。麻酔が抜けていない。

 それでも夜は明けているらしく、鳥のさえずりが聞こえる。

 唸り声の交る深いため息。両肘を膝につき、短い髪を乱暴に握ったままホテルのベッドに掛け、立ち上がることが出来ない。

「アーロン、水…」

 床に片膝をついて、キンキンに冷えたミネラルウォーターを差し出すハリー。いつの間に調達したのか手入れされた服を着こなし、寝起きのはずが髪も整っている。片やアーロンは昨日の服装のままでベッドに寝かされたので、シャツはしわくちゃでスラックスの腰からはみ出し、そのスラックスもアイロン跡がなくなりかけていた。しかも裸足。ふたりの姿はあまりにも対象的すぎて、チグハグ感が拭えない。

「ワイアット先生、コーヒーをどうぞ」

 ミネラルウォーターの瓶を一気に半分空け、しかし苦しそうな表情を見せるアーロンの前に、ハリーの横からテオがカップを差し出した。ハリーが受け取り、アーロンの手からミネラルウォーターの瓶と交換する。

「ハリー…」

 ぼそっと云って、髪をくしゃくしゃに掻き回す。じっ、と大人しく待つハリー。

「オレのカバン、ある?」

「うん。持ってくる」

 テオが行こうとするのをハリーは手で制して、一旦部屋を出て行った。

 アーロンはカップをあおる。中身は少量で熱くはなかったが、格段に苦かった。

 飲み終わったカップを受け取ろうと、テオが伸ばした手にカップを渡し、離れる前に手首を掴まえるアーロン。

「昨夜の麻酔薬は、テオだね」

「も、申し訳ありません。出過ぎたマネでした」

「いや。キミがしたことは、正しい」

 うなだれたような姿勢のまま、アーロンはテオを見上げる。まだ辛いのか、すぐに目をつぶる。そのまま口角を上げて目を開くと、表情だけはいつものアーロンに戻る。

「ハリーを頼むよ」

「…え?」

「キミのような人が、ハリーには必要なんだ。こういうコーヒーを淹れられる人が…」

 モーニングコーヒーという意味ではない。頭が冴えなくて説明は足りないが、この若者なら察することが出来るだろう。

 まだ鈍い動きで、アーロンはシャワーの支度を始めた。シャツを脱ぐと、細身だがたくましい胸が晒される。

 そこへハリーが戻ってきて、固まった。

「テオを、襲う気?」



 郊外に向かうのどかな道路を、アウディが疾駆する。東から朝日が昇り、まるでプロモーションビデオのように美しい光景が広がる。

「その場所って、所有者は?」

 アーロンは、クリーニングの済んでいる自分の服を着て、後部座席に体を預けていた。

 アーロンの住んでいるマンションはハリーの所有している不動産なので、当然合鍵をハリーも持っている。使用人を勝手に入らせて持って来させるくらい、わけはない。

「えらい広大な土地だが、貴族ではないな」

 ハリーはアーロンの隣で、ホテルに作らせたサンドイッチを片手に、スマホに送られた報告書を読んでいる。

「名前は?」

「ペータースだってさ」

「資産家です。それもかなりの」

 テオが補足した。

 外資系の会社の持ち主といったところか。―――資源の少ないこの国では、近年、土地の融資などで税収を増やしている。会社ができれば住人も増え、人口が増えれば経済が回る。ただし、移住してくる者が善人とは限らない。

「アーロン、お前は来ない方が良いと思うんだけど」

 無駄だと思いつつ、云ってみるハリー。

「理由は?」

「今回はノアのことで冷静さを欠いてる。それに、相手の狙いはお前だ」

「いいや、狙われてるのはハリーだ」

 かぶせ気味に反論するアーロン。

「根拠は?」

「ノアは『エサ』だ。売春ストリートにハリーが時々顔を出すのは知られてる。ノアを見つければお前が目を付けるのも向こうはお見通しだったし、事実、罠に引っかかった。それに―――」

 アーロンは小さくため息をついた。

「なによ」

「ノアを連れてったヤツら、ハリーのことは知っていた。でも俺のことは知らなかった」

「お言葉ですが、じゃ、なんで、ノアは俺じゃなくて、お前と?」

「誤算…」

 ハリーがジト目で睨む。―――自惚れデスカ?

「――か、あるいは、ノアには別の考えがあったか…」

「それ、ノアも加担してる前提で云ってないか?」

「…」

 答えないのは肯定なのか?

「狙われたのはアーロン、お前だ。現に、『エサ』に食い付いた」

「理由は?オレには狙われる理由がない」

「まあ、情報が薬品関係だから、かな?」

「薄い!理由としてそれは薄過ぎる」

 アーロン先生は厳しい。

「まあ、行って直接訊いたら判るでしょ」

 ハリーはため息をついて、シートに身を預けた。と、その直後。

「そうそう昨夜、アーロンが寝てから知り合いから連絡が来たんだ」

 もう一度身を起こして、ハリーが唐突に云った。

「知り合い?GPSのアプリの?」

「ああ。あの二次元コードはシリアルナンバーになっていて、一度パスワードを解除したら、他の人には見られないように、ロックが掛かる細工がしてあるらしい」

 アーロンは眉間にシワを寄せる。

「早い者勝ちってことか。―――で?」

「コードのパスワードを解除したのは、オレたちを含めて3組。1組目はチンピラの寄せ集め、2組目はスーツのヤツら。3組目は―――」

「お前の知り合い」

「そう。つまりオレ達」

 言葉を切るハリーを、アーロンは片眉を上げて促す。

「コードは4つだろ。何か問題が?」

「そいつが云うには、シリアルナンバーは3つで終わってるって云うんだ」

 3本の指を立てて、身を乗り出すハリー。

「4つ目を探せてないだけだろ?」

 ハリーの、立ってない指の1本を、アーロンが自分の指でぽんぽん叩く。ハリーは頭を振る。

「ナンバー自体がないって」

「アザは間違いなく、両手足にあった。全部診たぞ。合計4ヶ所、アザは4つ」

「探しきれてないのかな…」

「探しきれない、なんてこと、あるのか?」

 半ば呆れた顔で問いかけるアーロンに対し、ハリーは大きく首をすくめた。

「ふつーはない。たぶん。―――あいつまだ探してるだろうな、ヒマだから」



 ペータースの豪邸はシックで洗練されたデザインだった。

 山をバックにして、1階はがっしりした石造り、2階以上は景観を損ねないように壁を黒塗りにしている。重く暗い印象にならない様、窓を大きく取っているが、高台にある為、屋外の人物は内部が見通せず、逆に中からは外が丸見えになる。要塞と云ってもいいだろう。

 その窓から確認したのかどうか、アウディはすんなり門を通過できた。

 アウディを降りた時、アーロンはテオにこっそり云い含めておいた。

「銃声が聞こえたら、ハリーのGPS発信機のスイッチを押すんだ。いいね」

「しかし!」

 テオは着いて来る気満々だったが、多勢に無勢だ。何があるか判らない。

「イザとなったら冷静なテオが必要だろ。ハリーは絶対に死なせないよ」

 アーロンは自信たっぷりの表情でウィンクして見せた。しかし、心配の色を拭えないテオ。昨日からのアーロンの言動に、テオは胸騒ぎのようなものを感じずにはいられなかった。


 建物の出入り口は山側だった。

 3名の、屈強そうな男たちが出迎えた。

「ハリー=フリートウッド卿ですね」

薄っすらと、口角を上げているような表情。だぶん、愛想笑いを浮かべているつもり。

「ああ」

「Dr.アーロン=ワイアット」

「…」

 アーロンはわざと目を合わせない。

「お待ちしておりました。どうぞ」

 内装は特別凝ったデザインではないが、飾られた絵画や装飾品は価値の高そうなもので、床は大理石が使われている。

 ふたりが通されたのは、中庭だった。芝は短く刈られ、他の草花もよく手入れされている。日も高くなり、朝の澄んだ空気が爽やかに見えた。

「ノアは、どこにいる?」

「真ん中まで歩け」

 踏み出す前から、ふたりには見えていた。2階の窓やバルコニー、庭の隅などのあちこちに、銃を構えたチンピラ達がいる。一角にはスーツの男達もいた。しかし、ノアの姿は見当たらない。

「アーロン、抵抗するなよ」

「はいはい」

 銃口を向けられ、アーロンはかなり不満そうだ。ハリーは銃よりもアーロンに注意を向けなければならなかった。―――もしアーロンが飛び出した時は、自分が飛びついてでも彼を止めなければ。

「ようこそ!」

 背後の、上の方で男の声がした。豪邸に似つかわしくないダミ声だ。酒焼けだろうか。

「―――フリートウッド卿のご子息がお出ましだ!」

 声の主は、2階のテラスからふたりを見下ろしていた。小綺麗な服装の、日焼けした男。サングラスをかけていてよくは判らないが、クセのある黒髪が南米を連想させた。その傍らに立つのは、後ろ手に縛られた―――。

「ノアっ!!」

 ノアは男からも、アーロン達からも目を背けている。

「ペータースだな」

 ハリーは自分が狙われていたことなど気にせず、呼びかけられたので確認だけしてみた。

「ハリー様とは初めてお目にかかります。―――私からの差し入れはお気に召して頂けたかな?」

 男は抵抗するノアを無理矢理引き寄せ、髪を掴んで上向かせた。痛みか嫌悪か、歯を食いしばるノアの顎を鷲掴みにして強引にキスした。

「くっ…」

 ハリーは今にもアーロンが飛び出そうとするのではと、そればかりが心配で気が気ではない。アーロンはふたりの様子を睨んだままだが、奥歯を噛み締めて自制していることが顎のラインで判る。

 手を出せないふたりを見て、ペータースが笑い出す。

「うははははっ!―――ターゲットを間違えやがって!」

 ノアの髪を掴んだまま、腹立たしく上下に振った。

「折角、面白くしようと思って苦労して仕掛けたのに、役立たずが!数週間も養ってやったのに、台無しじゃないかっ!」

 ノアは抵抗出来ずにされるがまま、耐えていた。揺さぶられてふらつきながらも必死で立っている。その態度が、男の言動を肯定していた。

「お楽しみを中断して申し訳ないが―――」

 ペータースの後ろから、スーツの男が低い声で近付く。「交渉はどうなるんだ」

「ああ、ホーバット製薬の」

「社名を出すな!」

 数いる腕力信奉者みたいなチンピラの中にあって、神経質そうな、管理職風の男。会社の、否、会社からの信用と報酬のためなら法を犯すこともやぶさかではない、といったところか。

「心配するな。あの二人は生きて帰れはしない」

 ペータースがさらっと云うと、スーツの男は舌打ちをするが、交渉を続ける。

「情報はもらえるんだろうな?」

「ああ。それなら、今から解体ショーをやってやる。片足だけでも持っていけ。―――おい、準備しろ!」

 スーツの男はギョッとする。

「チップに情報が入ってるのか!?」

「ああ。GPSチップと一緒に別のチップが埋まってる。右足か?左足がいいか?」

「チップだけで結構だ!」

「ふん。この面白さが解らんとはな。美しい少年が断末魔の悲鳴を上げるんだぞ!白い太ももにきれ~な赤い血が飛び散って―――」

 銃声が轟いた。アーロンとハリーが、自分の足下に向かって駆け出していた。ペータースの部下達も、中庭を横切って走る。

「折角のショーを、どうしておとなしく見ていられんのだ!」

 部下の用意した椅子に腰掛けながら、中庭を見下ろして嘆息を漏らすペータース。しかしその後ろも騒がしくなってきた。

「誰だっ…!」

 ホーバット製薬の男は振り返って怒鳴ったところを殴られ、あっさり倒れた。小柄な、アジア系の少女が拳を揉んでいた。

「何だ、お前は!?」

「さあね」

 フンと鼻を鳴らしてノアの傍らに立つ少女。直後、屋敷の奥へ向かってノアは走り出した。手首のロープが解かれていた。

「逃がすな!」

 ペータースが気付き、舌を鳴らしてノアを追うが、少女に足をかけられて前のめりに倒れる。怒りの形相で少女を振り返るが、それを横目に少女は中庭に向かって声を上げた。

「ワイアット先生!」

 そこにいた全員が注目する。チンピラを投げ飛ばして見上げたアーロンは、驚愕に目を見張った。

「ジョオ!?」

 少女はニッコリ笑うと、―――飛び降りた。

「魔女だ!」

 ペータースは手摺りに飛びついて覗き込みながら叫んだ。

「―――奇跡を起こす女だ!ああああいつを捕まえろ!早く!」

 ふわりと着地した少女に向かって、ペータースの部下が群がる。

「ジョオ!」

 再び組み合っていた男を蹴り倒して押さえ付けると、囲まれた少女を心配してアーロンが呼びかけた。が、次の瞬間には、男達は丁寧にも一人ずつ殴り倒されていた。

「先生、右!」

 指摘されたアーロンは、振り向く遠心力を利用して、襲ってきた男にストレートを食らわせた。

「お見事」

 ジョオと呼ばれた少女は駆け寄ってきたアーロンに対し、胸の前で小さく拍手する。

「こんな所で…また会えるなんて…」

「感激してくれるのは嬉しいけど、彼、苦戦してるよ」

 ジョオの指差す先には、二人を相手に苦戦する―――、

「ハリー!」

 慌てて走り出すアーロン。スピードを落とさずにジャンプすると、相手の頸部にドロップキックを入れた。ハリーもやっと1対1になり、相手を投げ飛ばしてトドメの突き。

 立ち上がって埃を払うハリーは、不機嫌にアゴで指す。

「この女、知り合い?」

「ああ、ジョオだよ」

 答えるアーロンは、少女を見下ろして微笑んだ。

「―――オレの喧嘩の先生で、心の母親」

 見上げる少女も満面の笑み。ふたりの間にあった筈の時間が全く感じられない。ハリーにはそれが気に入らなかった。

「あんた、噂に聞く、奇跡を起こす女だな」

「ええ、まぁ」

 ハリーが名前で呼ばないことを、気にしないフリをしているような返事が返ってきた。「―――ジョオよ。初めまして」

 僅かに膝を曲げ、軽く会釈したが、無視を決め込むハリー。

「まさかあの噂の魔女が、アーロンの思い出の人物だとは思わなかったよ」

 ハリーはわざと不躾に、ジョオの頭からつま先までを睨め回す。

 快活そうな、黒髪の少女。屈託のない笑顔でハリーを見上げている。小柄な上に細い手足は、たった今、屈強な男達を何人もノックアウトしたとは信じられない。ましてや、アーロンに喧嘩を教えたなんて…。

「永遠に年を取らないって…?」

「ええ。信じてくれなくても困らないけど」

「本当だよ、ハリー。初めて会った時から、ジョオは変わってない。―――ね」

 最後の『ね』は、ジョオに対して向けられたもの。アーロンは絶対の信頼と、親愛の情をもって接している。アーロンのあんな顔、今まで見たことない!

「おしゃべりはそこまでだ!」

 ホーバット製薬の連中が、三人を取り囲んで銃を向けていた。ペータースの部下もまだチラホラ見受けられる。ハリーは緊張して身構えた、が。

「まだ持ってたの?使えないよ、それ」

 風で顔にかかる髪を耳にかけながら、少しアンニュイに周りを見渡したジョオ。男達は訝りながら、それぞれ手にしたものをカチャカチャ鳴らす。顔を上げた時にはその顔は狼狽えていた。ジョオはそれを見てニコッと笑うと、手のひらを上に向けて、人差し指をクイクイっと曲げた。

「素手で来なよ」

 何人かが向かって来た。ジョオは手近な奴を、華麗な動きで蹴り倒す。踊っているようでさえあった。

 アーロンもハリーも、応戦に身構えながら相手と対峙する。と、次の奴を相手にしながら、ジョオは思い出したように声を上げる。

「ワイアット先生とノアの身の安全は保証するけど、フリートウッドのご子息は契約に含まれてないんだよね。自分の身は自分で護ってくれる?」

「へっ?」

 ハリーは自分でも思うほど間抜けな声を上げた。ジョオは話しながら、飛びかかってくる相手を蹴散らす。

「ほら、後ろ!」

 振り向いた態勢が攻撃を上手くかわす形になり、チンピラは勝手にコケる。ハリーはお手本のようなキレイな手刀を食らわせ、チンピラをその場に気絶させた。

「ジョオ、契約って…!」

 ホーバット製薬の男の相手をしながら、アーロンは会話を続けようとしたが、ハリーの呻き声で中断せざるを得なくなった。

「ハリー!」

 ハリーと組み合っていた男はジョオに任せ、膝をつくハリーに駆け寄ると、腰を押さえていた彼の手が真っ赤に染まっていた。

「足を伸ばして横になって!―――ナイフでやられたんだな」

 ハリーに指示をしながらボディバッグから色々取り出し、具合を診て応急処置を施す。

 ナイフの男をねじ伏せたジョオが、覗き込んで云った。

「ごめん、アーロン、悪いんだけど、そろそろノアの所にも行ってあげて」

 驚いて振り向いたアーロンの顔は、青ざめている。

「ハリー、傷は深くない、大丈夫だからな!」

 腰を浮かしながら、痛みに顔を歪めるハリーに云い聞かせるアーロン。そしてジョオに向き直り、

「ジョオ、こいつ、駄々こねると思うけど、頼むよ!」

 普段の彼からは想像もつかないほど狼狽えながら駆け出して行った。

 入れ替わりに、ペータースの部下で、アーロンとハリーを玄関で出迎えた男が、ジョオの前に立った。

「お客様、主人が、ビジネスの話をしたいとのことですが…」

 ジョオは、2階のテラスに立って腕組みをして見下ろすペータースを、斜めに見上げた。

「Miss ジョオ、あなたの報酬は法外だと伺っておりますが、主人はいくらでも支払う用意があると申しております」

 その部下は、やや機械的に伝言を告げた。フン、と鼻を鳴らすジョオ。

「私はお金を稼ぐために仕事をしてる訳ではない。仕事なら、選ぶ程ある。―――そう伝えて」

「俺に雇われれば、面白いものが見られる!」

 聞こえていたとみえて、ペータースはテラスから怒鳴った。

「―――面白い事も出来るぞ!決して退屈はさせない!」

「私を誰だと思ってるんだ」

 迷惑そうに、ジョオは眉をしかめた。

「オマエの云うことなら何でも―――」

 更に云い募るペータースだったが、途中でその場にくずおれた。中庭からは見えなかったが、テラスの部下やホーバット製薬の男達が、ペータースとジョオを交互に見て、狼狽える様子は感じ取れた。目の前にいるペータースの部下も、板に付いた落ち着きを失い、顔を引きつらせて逃げて行った。それを合図にして、動ける者はジョオから遠のいた。辺りに呻き声がチラホラ聞こえているのは、3人で倒した奴らばかり。

 ひと暴れして一応満足したジョオは、ハリーに近づく。

「大丈夫?立てなさそうだね」

 額に脂汗を滲ませるハリー。痛みか嫌悪か、顔をしかめたまま、目を合わせずに低い声で、

「聞かなくても解るんだろ。何でもお見通しだって聞いてるよ」

「まぁ、ね」

 しゃがみ込んで、頬杖をついて見下ろすジョオ。

「動けないだろうから、居てあげる」

 本当に何もせず、ハリーの傍らに座った。

「はあ…」

 痛みに耐えかねて、ハリーはため息を漏らす。足にも腕にも力が入らず、身を起こすことも出来ない。

「仕様がないな」

「なっ、え…」

 ハリーの、切りつけられたのとは反対の、下側の腰の下に、柔かい膨らみが出現した。大きな枕の様なクッションが敷かれたみたいだった。

「膝枕、する?」

「女の膝枕なんかっ」

「じゃあ―――」

 ジョオの声が、低くなった…!

「これでいかが?」

 振り仰ぐと、服装はラフなパンツスタイルに変わっていて、胸板があり、ブルネットはそのままで短髪の、ジョオそっくりの少年が微笑みながら見下ろしていた。しかも、ハリーの応えを待たずにいつの間にか、膝枕をされていた。

 思わず腰を抱きそうになり、痛みが理性を取り戻してくれる。顔をしかめると、優しく髪を梳いてくれた。

―――冷たくあしらっているのに、なんで…?

「サービスな」

 気持ちよさに目を細めていたが、無情な言葉が落ちてくる。これっぽっちの疑問も見逃してくれなかった。

「ワイアット先生はああ見えて、応急処置くらいはお手の物だから、安心して良いよ。内科医だけど」

「中東で経験済みだろ。何でもやらなきゃいけなかったそうだな」

 ジョオ少年の顔がもっと見たい!でも本当は女のはずだから見たくない。痛みに堪えるフリをして目をつぶりながら会話するハリー。

「そ。焦るな慌てるな、て散々怒られたのに、あんな顔してちゃまた怒られちゃうよ、お父さんに」

「お父さん…?」

「ああ」

 ふとした疑問に思わず見上げると、あどけなさの残る額にキリッとした眉を上げて、ジョオが答えた。

「たしか、あいつに現場のノウハウを教えたのは―――」

「彼の父親―――フーバー先生は名乗らなかったし、僕も口止めされてたから、ワイアット先生は未だに知らないけどね」

「それってお前が仕向けたのか…?」

「全くの偶然だよ」

 ジョオは小さく首を振る。

「アーロンは自分で決めて医師になったし、経験を積むために中東に行った。そこでリーダーを務めていたのがたまたまフーバー先生だった」

「お前はなんで中東にいたんだ?アーロンを、待ってたんじゃないのか?」

「フーバー先生が恋人だったんだ。まあ、アーロンのことを頼まれたのは付き合う前だけど」

 片膝に肘をつき、その手で口元を隠すジョオ。あどけなさが消える。

「アーロンのことを報告に行って、そのまま一緒に居続けちゃったカンジかな」

 中庭の芝生が雲の影になる。弱い風が通り抜けた。

「強い人なのに、弱さを見せながら頼んでくるんだ。判ってても頼まれてあげちゃうよね」

「今回の契約って…」

「そう。アーロンをフーバー先生に会わせること。今彼はホスピスに入院してる。父親の名乗りを上げたいんだって。意識がある内に…」

 落ち着いた眼差しで、真っ直ぐ前を見つめるジョオ。アーロンの顔がオーバーラップして、ハリーの胸がチクリとする。

「いまさら…」

 ハリーの呟きが聞こえなかったのか、フフッと笑って向き直るジョオ。

「フーバー先生に久しぶりに会ったけど、やっぱり強い人。強くて、優しい人」

―――ジョオはやっぱり、父親の方に思い入れが強いのか…。

 青く晴れた空に、ジョオの輪郭がくっきりと浮かぶ。瞬きをするまつ毛も。

 問い詰めたい。何故、今まで黙っていたのか?何故、今更名乗りを上げるのか?―――でもそれは、ハリーの役目ではない…。

「ずっと、アーロンの父親と一緒じゃなかったのか?」

 ハリーは話題を逸らした。

「中東を出る時にみんなバラバラに別れたんだ。情勢が悪くなって退避勧告が発令されたから、解散と云うより逃亡だった」

「おまえ、アーロンが中東に来るって判ってて、父親と付き合ってたのか?」

「アーロンのことと恋愛は別モノ。―――フーバー先生が好きだったんだから、仕様がないだろ」

 ジョオは口を尖らせて見せた。そしてまた、優しく目を細める。

「でもあそこに長くいたのは、アーロンがいたからかも知れない」

「じゃあ…」

「息子みたいなもんだよ。目が離せない、心配で。それに―――」

 ジョオはいたずらっ子のように眉を上げた。

「彼は少年が好き」


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