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ハリーとノアが、アーロンのいるラボに戻ると、彼はエミリーに写真を渡していた。ノアのアザの写真だ。
「体内に埋め込まれたGPSチップなんだけど、埋め込まれたままでチップの情報を読み取ることは可能なのかな?」
「ええ。初期のものは発信機能しかなかったけど、最近のものなら受信したり、スキャンしたりすれば可能ね。パスワードとIDが判れば情報が得られるはず。公開されていれば、だけど」
ラボの窓から朝日が差し込み、積み重ねられた本や書類にまんべんなく当たる。助手の女の子がブラインドを下ろしていくが、その配慮を嘲笑するように、日が翳るのがブラインド越しにも感じられた。
「スキャンか…。スキャナーを使うのかな?」
考え事をするアーロンの横顔は端正で、男女を問わず、魅了する。
「そうね…。ちょっと前のならバーコードのスキャナーみたいな物だったと思うけど。それで良ければ、うちの大学にもあるはず」
エミリーは、キメの笑顔を向ける。「―――借りて来ましょうか?」
「ホント!?助かるよ」
「この写真では不鮮明だけど、線に見える所がQRコードみたいになってるはずよ。最新のものなら、スマホでも読み取れるかも知れないけど―――」
エミリーが写真を返そうと腕を伸ばした時、警報機が鳴り出した。全員が腰を浮かせて部屋を見渡す。
直後、ハリーの携帯が鳴る。ハリーは画面を確認してすぐ、立ち上がった。
「アーロン、行くぞ!車がやられた!!」
「運転手は!?」
「無事だけど合流はできない」
「エミリー、スキャナーはどこに?」
「法医学部ならあるはず!」
「ありがとう!今度食事をご馳走するよ!!―――ノア、おいで!」
三人が駆け出して行くと、エミリーは助手に問いかけた。
「今、手とか繋いだり、してた?」
「法医学部は?」
「1階。駐車場とは反対側だからうまく行けば撒けるかも」
ジグザグの階段を3人で駆け下りながら、怒鳴るように会話する。
「運転手―――テオは!?」
「逃げてる。心配ない。でも車が穴だらけだって。―――オレのベントレーが…」
「奴ら、銃を使ったのか!?」
アーロンの顔色が変わる。
「先生、ボクのせい?」
「昨夜の奴らだろうけど大丈夫」
そう云ってノアに微笑むと、繋いだ手に力を込める。「―――取り敢えず、その手足のアザをスキャンして出よう」
法医学部は遺体安置所の隣の部屋だった。遺体搬送口が近いこともあって、警備員が避難する人を誘導していた。
「安全が確認できるまでは、戻らずに避難して下さい!」
「頼むよ!俺達のばあちゃんが解剖されてる最中なんだ」
「ダメですよ!もう解剖の先生も避難―――」
「狂犬病の疑いなんだよ、ばあちゃん」
「狂犬病!?」
警備員は目を剥いて進路を譲ってくれた。
「で、本当のおばあさんは?」
「ピンピンしてる。人をアゴで使ってるよ」
フリートウッド家の女帝を思い浮かべながら、ハリーはウィンクした。
警報機が鳴って慌てて避難を始めたようで、法医学部のラボは予想通り無施錠だった。3人は一応、そっと入り込み、一瞥して無人を確認する。
「高価な物かな?だったら鍵のかかった保管庫だろうな…」
アーロンはキャビネットを一つひとつ確認する。書類や書物が雑然と積まれている様に見えて、ファイルに逐一ラベルが付いていたりして、整理は出来ているのかも知れない。しかしゆっくりしているヒマはない。銃を使ったという情報が彼を焦らせる。
「スキャナー、どんなヤツか見てないよね」
ノアは済まなそうに首を振る。
「でも先生、スキャンできても、ボク、IDとかパスワード、知らないけど…」
「取りあえずまずはスキャンしてみてからの話だよ―――ハリーはどんな形か、見たことない?」
「あー、待って」
鳴り出した携帯を耳にあてながら歩き出すハリー。携帯を切ると振り返った。
「アーロン、良い知らせと悪い知らせがあるんだけど、どっちを先に聞く?」
捜索の手を止めて、アーロンは立ち上がった。
「そのクセは治した方が良いよ、ハリー。結局はどっちも―――」
「良い方が先で!」
アーロンが云い終わらないうちにノアがかぶせて云った。
「オッケー!良い方は、俺の知り合いにID、パスワードをハッキング出来るやつがいる。連絡してみたらすぐに来いって」
「マジか!じゃ、あとはスキャナーを―――」
「アプリがあればスキャナー要らないだろ」
「えっ…!?」
ハリーは自分のスマホを掲げて見せた。アーロンは26歳にしてネット音痴。
「アプリをインストールしてアザの写真を撮れば、あとはIDとパスワードだけ。スキャナー要らない」
「そう…なんだ…」
早く云ってよ、そーゆーの!一生懸命探しちゃった。
「ハリー、悪い方は?」
気を取り直してノアが云った途端、ドアが開いて揉み合う男達が乱入して来た。スーツの男達と、チンピラ風のイカつい男達。あんなに入り乱れてしまっては、銃は使えないだろう。
「ハリー様!」
乱闘の合間を縫うようにこちらへ辿り着いたスーツの大男。ハリーは肩をすくめて無言で示した。―――これが、悪い方のお知らせ。
スーツの男たちはフリートウッド家のボディガード達だった。その中でも、ハリーに近づく大男は、アーロンも会ったことがある。
その男は、ハリーの前で安堵のため息をついた。
「ご無事でしたか!」
「グルーバー、よく来てくれた」
「GPS発信機の信号が受信されたので、胸が潰れる思いで駆けつけました」
大仰な身振りでハリーに迫る。おそらくテオが発信のスイッチを入れたのだろう。銃撃から逃げながらの行動だと思うと、主人思いがいじらしい。
ハリーはグルーバーに負けずに主を演じる。
「手間をかけさせたね」
「とんでもございません。ハリー様のためならわたくしは、どんな場所へでも馳せ参じます」
ハリーはニッコリと頷いて見せた。
グルーバーは、ハリーではなく、フリートウッド家のバトラーのひとり。主に外向きの業務を統括している。問題児のハリーはグルーバーにとっても要注意人物になる。
ハリーのGPSチップは、フリートウッド家の使用人なら大抵の者が、発信の起動ができる。グルーバーは特に注意を払わなければならない信号というわけだ。発信が始まると警察にも自動的に連絡が入るため、発信を止める際は、本人あるいは家族の者が電話で停止の連絡をしなければならない。
ハリーが電話を始めると、手持ち無沙汰になったグルーバーは、目ざとくアーロンを見つけた。
「ワイアット!またお前か、ヤブ医者!」
「どうも。鎖で繋いでおいてくれるとこっちも助かるんだけど」
「お前がハリー様をそそのかすからだ、ヤブ医者!」
電話を終えて、掴みかかろうとするグルーバーを押しとどめるハリー。スマホをポケットにしまいながら、グルーバーに訊く。
「車は?」
「そこの通用門の外に停めてあります。こちらへ」
乱闘する男達の間を、トウモロコシ畑を掻き分けるように道を作って通り抜ける。
「あっ」
一瞬、ノアが腕を掴まれて引き込まれそうになったが、アーロンがその男を殴りつけ、何事もなかったように4人は外に出た。
「アーロン、ハンカチをくれないか」
アーロンはカバンから折りたたんだ白い布を出してハリーに渡した。
グルーバーは黒塗りの、きれいに磨かれた車の横で止まり、後部座席のドアを開けようと、大きな体を少しかがめた。
「ハリー様―――」
どうぞ、と声をかけようとする顔に、ハリーは白い布を押しあてた。すると操り人形の糸が切れたように、その場に崩折れる。道端に手足を投げ出している割には、グルーバーの顔は至極穏やかだった。
「相変わらず効くな、この麻酔薬」
感心しながら、ハリーはアーロンに布を返す。車の影になるので、グルーバーは人目につくことなく、しばらくは寝ていられるだろう。
「行こう。地下鉄か?」
「ひと駅先だ」
「車に乗らないの?」
「この車はフリートウッド家の車だからね」
地下鉄はあまり混んではいなかった。平日の正午前後でも、座席には空席があった。
「フリートウッド家の車にもGPS機能が付いてるからね。勝手に乗ったらグルーバーみたいなのが追いかけて来ちゃうんだ」
アーロンは座席に座ったノアに説明した。
「オレって箱入り息子なの」
アーロンの隣に立つハリーが、胸に手を当てて嘆くように云う。
「成人したのにGPS外してもらえないって、どんだけ信用ないんだ」
「常に監視されてるんだ」
並んで立つと、二人共背が高い。壁が迫ってくる様だ。アーロンはいつもの癖で、吊革の上のバーに手首を掛けて少し前屈み気味に。育ちの良いハリーは、動く電車の中でも姿勢が良い。
「おっと?」
地上に出るとハリーは携帯の振動に気付き、ポケットから取り出す。
「メール?」
ハリーのスマホを覗き込むアーロン。
「知り合いからだ。先に写真を送れって。―――あの店に入ろう」
ハリーは古着屋へ二人を連れて入った。
適当に服を取り、試着をするフリをして、試着室へノアを連れ込む。
「何でアーロンまで入って来るんだ!」
「キミと二人では心配だ」
「ヤキモチ?」
アーロンは無言でハリーから携帯を奪い、試着室から追い出した。
「ちょっと、ゴメンネ」
ノアが呆気に取られてる間に、アーロンは手早くノアのシャツを脱がせて片腕を肌けさせる。ノアをくるっと半回転させ、クラシックダンスでリードするように後ろから肌けた腕を取って上に持ち上げた。
「先生…」
後ろから抱きすくめるように、スマホを持ったアーロンの手がノアの前へ回された。ドキっとして見上げると、先生は伏し目で真剣な表情のまま顔を近づけてきた。次の瞬間…。
ピピッと携帯が鳴り、「よし!」と会心の声を上げるアーロン。
「あ…、写真?―――撮れたんですね」
アーロンは嬉しそうにウィンクした。
「さ、服を着て」
ノアを促しながらも、アーロンは試着室のカーテンから顔とスマホだけ出して、ハリーに声をかけた。
「上手く撮れてるだろ」
「お、良いんじゃないか。キミにしては上出来だな」
「一言余計だ」
「じゃ」
「先生!」
ノアが慌てたように顔を出した。「―――ハリーは一緒じゃないの?」
「ああ。人数が少ない方が何かとコンパクトだし、ハリーに何かあると、さっきのグルーバーみたいなヤツがいっぱい押し寄せて来るからね」
「そっか…」
「服、着れたね」
ノアの手を引いて、少々急ぎ足でアーロンは歩き出す。「―――また地下鉄に乗るよ」




