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朝早い時間だったが、部屋の外が騒がしくなった。
「ハリーが警察を呼んだな。ノア、私が戻ってくるまで部屋にいなさい。―――それと…」
ノアがしっかり頷くのを確認して、
「チキンスープ、冷めないうちに飲んで。ワイアット先生特製のスープだぞ」
胸に手を当てドヤ顔で云い残し、アーロンは出て行った。
玄関へ行くと、遺体が運び出されるところだった。入れ替わりに制服の警官が立ちはだかる。
「おはようございます。あなたが―――」
「アーロン=ワイアットです。7丁目で開業医をしています」
20代後半の白人男性。190cmくらい、細身。短髪栗毛、ヘーゼル(茶褐色)の瞳。―――警官は彼のセオリー通り、相手の特徴を頭に入れる。
ちなみにハリーは、年齢20代前半の白人男性、185cm前後で、シャツ越しに胸の厚さが伺える。ダークブロンドの髪、アンバー(琥珀色)の瞳、といったところ。類は友を呼ぶとでもいうのか、ふたり揃って甘いマスク、振り返る程の男前だ。
「ハリー=フ、フレットウッドさんから―――」
「フリートウッド」
ハリーとアーロンの声がハモった。ハリーだけ続ける。「―――f.l.e.e.t.w.o.o.d。フリートウッド」
少しは知られた名前のハズですけど。
「貴族みたいな名前でしょ」
アーロンが茶化すと、警官はやっと気付いたようだった。
「フリートウッド卿の―――」
「末っ子のハリーです」
―――問題児!危うく口をついて出そうになる言葉を飲み込んで、警官は最敬礼をした。
「失礼しました!」
「フツーにして頂いて結構ですよ」
いつもの反応に対するいつもの対応。警官も少しはかしこまったものの、相手の価値の大きさともたらされる利益をこっそり値踏みして、云われた通り普通の態度に戻る。
「え~、ハリー卿から先ほど伺いましたが、ワイアット先生、あなたが死亡診断書を?」
「書きました。お持ちします」
アーロンがきびすを返すと、今度はハリーと警官の台詞が重なった。
「渡したよ、アーロン!」
「頂きましたよ、ワイアットさん!」
警官は茶封筒を掲げて見せた。
「今、ハリー卿から、事情を伺ったところでして」
「ええ」
「ワイアットさんからも伺いたいんですが、宜しいですか?」
アーロンはハリーとの打ち合わせ通り、たまたま行き倒れていた一人の男性を、ハリーが拾って知り合いのアーロンが診察したが、手遅れだった、と伝えた。
小鳥のさえずりが、石造りの町並みにも届いている。
昨夜の雨は上がったばかりで、少し霧が出ていた。濡れた石畳に気を付けながら、男性が背を丸めて坂を下る。
アーロンのマンションの前に車が横付けされた。
「派手過ぎないか?」
ベントレーベンティガ。ハリーのお気に入りだが、アーロンにはさっぱり解らない。
ドアを開けるために運転手が降りてくる。
「テオ!」
アーロンは思わず声を上げる。「―――少しは眠ったのか?」
「ええ。少しだけ」
優美に見えて卒のない動きでアーロン達を車に誘うテオ。ハリーが自ら見つけた人材というからには、フリートウッド家で仕込まれたに違いない。
「警察は来た?」
「はい」
「じゃあ、昨夜のアウディも持って行かれた?」
「ええ。後日、事情聴取に応じなければなりません」
ハリーとテオとの間で、口裏は合わせてある。
「悪いね、テオ」
「そんなっ…!勿体ない」
テオは、心底そう思って云っているようだった。
二人のやり取りが済むと、アーロンは行き先を告げる。
「大学に?」
助手席に座るハリーの問いかけに、その後ろで封筒の中身を探りながら応えるアーロン。
「ああ。ノアの手足にあったアザは人工の器具で付けたものなんだけど、どこかで見た気がするんだ」
インスタントカメラの写真を出して見つめながら首をひねる。隣からノアも覗き込むと、アーロンが見やすい位置に下げてくれるが、勿論ノアにも判らない。顔を上げるとアーロンと目が合ったので、小さく肩をすくめる。
服装は出かける前に、元々着ていた服を着た。夜の内に洗濯を済ませてもらっていたその服も、少し大きめで肩がズレてしまうのを、アーロンがこまめに直してくれる。
「写真、見せて」
ハリーはこっそり期待しながら受け取る。―――ノアの白い四肢がどんな風に写っているだろうか。
「あ…」
残念ながらアザのどアップだった。が、ハリーのよく知るものだった。アーロンに自らの襟元を指し示す。
「何、お前の薔薇の…?―――え⁉そうなの⁉」
ハリーの襟足には、髪の毛で見えないが、薔薇の入墨がある。
「知らなかったのか?オレがあの法案のきっかけになったんだけど」
「で…あ…そうか、そういえば、20年くらい前か…」
公爵家の末の男の子が誘拐された。無事に助けられたが、その事件をきっかけに、ある法案が可決された。当時、ペット用に開発されたマイクロチップ型のGPS発信装置を、人間にも使用可能にする法案。
本来なら成人を迎える18歳で装置を外す処置をしなければならないが、ハリーは家柄と普段の行動を考慮して、埋め込んだままになっている。ちなみに、装置を埋め込むとその位置が判るようにアザができるので、見つかって取り除かれるのを防ぐために、ハリーのアザの周りには薔薇の入墨を施してある。
「見たかったら今度一緒に風呂に入ったら見せてやるよ」
「ノーサンキュ」
「遠慮するな、アーロン。何かしてきてもオレは訴えたりしないぞ」
「ハリーはモテるから、予約でいっぱいだろ。アザの形状は大学で見せてもらうから丁重にお断りするよ」
「素直じゃないな。意地張ってるのか?」
車の天井を仰いでアーロンはため息をついた。
「それくらいにしておけよ」
そこは国立の大きな大学の一つで、国の内外から優秀な人材が集まっている。
アーロンは学会で知り合った若き教授を訪ねた。
「やあ、エミリー」
「アーロン!―――ワイアット先生。久しぶりですね」
「アーロンで良いよ」
二人はハグをする。相手の女性はそのまま離れず、アーロンを上目遣いで見つめる。
「本当に久しぶりだわ。相変わらず、独りで病院を?」
「ああ、細々とね」
「以前から云ってるように、大学で診療したら良いのに。設備にも、お給料にも困らないわ、あなたなら」
「ありがとう、エミリー。でもこの前も云ったように、私は時間や報酬にこだわらずに診察がしたいんだ。本当に困ってる患者を助けたい」
「さすがね、アーロン」
つつがなく会話を交わす二人を横目に、ハリーはノアに話しかけた。
「腹の探り合いが始まった」
ノアを半ば強引に連れ出し、喫茶コーナーへ連れて行く。諦め顔は、おどけているように見えて口元は不満そうだ。
「探り合い?」
ノアは、興味はなかったが、相手が云いたいことを云い安いように、そうオウム返しに訊いてやる。客商売のコツだ。
「新しい情報を掴んでないかとか、どういう意図でやって来たのかとか。あの教授の場合、アーロンの気を引くことも含まれてる」
「ワイアット先生のこと…?」
トクン、と胸が小さく鳴る。
「イケメンで背が高くてスマートで、知性もあるし人当たりも良い。アイツをモノにすれば、周囲からの株も上がるだろ」
「株が上がる?」
「人が羨むようなパートナーは極上のアイテムさ」
「先生は、アイテムなの?」
「あの教授だってそこそこ美人だろ。アーロンを落とせると思ってるんだろうけど…」
「先生は…」
「アーロンにその気はないよ」
「そう…なの?」
「誰にでも愛想が良いけど、あの教授に対して恋愛感情はないな。安心した?」
「……」
ノアは答えず、別のことを考えてる風を装う。次の瞬間には、イタズラっぽい顔でハリーを見上げた。
「ハリーは、ソドミイだね」
「ゴリゴリのね」
まるで他人を揶揄するような、ハリーのおどけた表情に、ノアはクスクスと笑った。
「ワイアット先生とのこと、訊いても良い?」
「心配しなくても、オレとアーロンはなんにもない。オレがひとりでヘンなこと云って、からかってるだけ。親しくなっちゃうと、そーゆー気にはなれないんだ、オレは」
「先生と、仲良しだね」
「アーロンが中東から戻った直後に初めて会ったんだ。その時困ってるみたいだったから、住む部屋と開業資金を貸してあげた。ところが全く儲ける気ないんだよなぁ、アイツ」
そう云うハリーは、嬉しそうに見えた。友人を高く評価するハリーと、その評価を裏切らないアーロン。まるで理想的な人間関係が、本当に存在するのかと、ノアには不思議に思える。
本物の信頼関係だろうか?―――ノアには信じられなかった。心の奥では自分の事がいちばんかわいい筈だ。他人のモノは手に入れてみたいと思うのが人間だ。
「もしも、ボクがハリーにモーションかけたら、落とせる?」
ノアが云うと、ハリーの表情は微妙に変化した。
「オレが、たとえその気がなくても、そんな素振りを見せただけでも、アーロンはもう二度とノアには近寄らないよ、たぶん」
話しながらもみるみるうちにハリーの表情が曇っていく。そのままノアを見据える。
―――怒らせたかも知れない。
ノアはハリーから目を逸らした。
「ノア―――」
改めて呼ぶ声は、呟くようで責める気配はない。でもノアが振り向くまで、ひたすら待つ。
「……」
仕方なく、ノアは向きを正すと、ハリーは意外なことを云った。
「謝って」
「え…?」
「アーロンと仲良くするなら、オレもノアと仲良しでいたい。わだかまりを残したくない。だから、謝って」
こんな大人、いるの?―――驚きと戸惑いでノアの目はいっぱいに見開かれた。胸に押し寄せてくる後悔と、あと、なにか。
―――謝って、て云われた。謝って…。―――謝罪の機会を与えられた。謝罪を、待ってる。
「…ごめん…なさい」
喉がつかえてうまく云えなかった。が、ハリーは優しく笑って、ノアを引き寄せ、抱き締めた。キュッと力を込めて。
「ハリー…」
体を離すと、ハリーはいつもの笑顔だった。そして人差し指を立てると、得意げに云った。
「アーロンは、もっっとあったかいよ」




