立ち回りについて 弐
飛天御剣流って卑怯だと思います(笑)
いや、『九つの斬撃が在る』のは分かるけども、それを一挙に、しかも同時に見舞うって(汗)
どこぞの“農民”より化け物ですよ、あいつら……。
H29.3.22 話の終端に加筆。ごく一部の修正。
さて、前回の立ち回りについての話では主に武器関連の話をしたと思う。
そこで今回、実際の立ち回りについて言及して行こう。
前回の冒頭で軽く話したが、ファンタジーに限らず戦闘という行為において“同一の攻撃など、殆どないに等しい”ということを覚えて頂きたい。
例えば、猛獣の爪牙。
猛獣にしても、個々の特性がある。敏捷性が特別高いだとか、種族に違いがあっても持久性に優れるなどだ。
老齢な個体や知識の高い個体の場合、ただ迅いだけでなく隙もない。敢えて隙を晒して交差方を見舞うかも知れない。
猛獣でさえこれだ。人間や怪物を相手どると、また話がかわる。
敏捷性の高い相手に、同じように敏捷性を頼みとした戦術をとれば、決着は目に見えている。敏捷性が高く、戦闘技能に長けた方が勝つに決まっている。
また、攻撃の速度、技の出だしと終わり。ひとつひとつ挙げていけば、それこそキリがない。厳密に全く同一の攻撃なぞ存在しないという理由がこれだ。同じ技や型においても、遣い手や武器によって差が出るのも当然の事なのだ。
先にも出た“敏捷性”だが、これは素早さなどを現す言葉だ。
因みに、敏捷性の低い相手が、己より高い敏捷性の相手と同じ戦術をとっても、自滅するだけだ。
仮に人間と、ライオンが戦ったとしよう。
人間という生き物は、知性を頼りに進化してきた。結果として敏捷性は落ち、筋力も生物の中では脆弱な方だと言われる。
それに比べ、ライオンという生き物は過酷な環境下で強靱な四肢を武器に狩りを行う。言わば狩りの達人だ。
仮定の話ばかりで申し訳ないが、仮に両者が一撃離脱の戦術をとったとしよう。
勝つのはどちらか、最早聞くまでもないだろう。
──勝つのはライオンだ。
相手の土俵で相撲をとることの恐ろしさがこれでよく分かったことだろうと思う。一撃離脱の戦術であれば、交差方を見舞うか相手の足止めを考慮すべきだろう。
逆に、一撃重視かつ動きが鈍重な相手であれば、どうするか。
お分かりかと思うが、こう言った相手は隙が大きいことが大半である。因って、敏捷性を以て一撃離脱を重ね、可能であれば交差方などをお薦めする。
尚、これはあくまでも大抵の場合だ。一撃重視かと思わせて交差方を見舞う敵も居なくはない。また、一撃重視かつ敏捷性の高い相手も居ることだろう(詳しくは、某狩りゲーにて黒鎧、炎王の項目を参照されたし。GHCの黒鎧、炎王の項目は地獄だ……。これらに触れる場合、立ち回りというよりも、回避ばかりに論点が当たりそうなので割愛させて頂こう。)。
一撃重視の相手と違い、手数重視の相手というものは非常に厄介だ。
一見暴れ回っているようにしか見えないこの手の相手は、こちらを追い詰めて着実に潰すような闘い方をしていることさえある。
(……というのも、これは集団対集団の戦闘にはあまり必要がない戦術であるからだ。
考えても見て欲しいが、集団戦闘では敵味方入り乱れて大乱闘となっていることが多い。
また、そのような状態で手数重視の戦術を取れば、味方を傷付けるばかりか、自滅するだけだからだ。何故かと言えば、簡単なことだ。一撃で敵を屠れば問題ないが、乱戦となった状況で手数重視の戦術を取ってもよくて牽制、下手を打てば疲弊して最期には討死という事態に繋がる。そもそもこの戦術、無尽蔵の体力が無ければ成立しない、ある意味両刃之剣とも取れる戦術だからだ。得物をただ振るうだけで疲弊することもあると言うのに、一撃一撃を致命傷に至らせないということも大問題だ。遣い手の技量に依っては、手数重視かつ一撃重視という無謀も不可能ではないだろうが、あまり意味はないだろう。疲弊すれば、最後は死に繋がるのだから)
とは言え、一対一での戦闘でこれ程面倒な敵も居ない。刀剣での立ち合いとなると尚更だ。
刀剣で、腱を斬断されてしまえば無力化されるのと同義だ。剣を振るえなくなるのだから。また、負傷し出血することによって体力の消耗、失血による身体の不調や冴えの欠如が起こる。これは剣士にとって、由々しき事態である。致命打に繋がらなくとも、手数の多さというものはそれだけで充分脅威的だ。
そのことからもたらされる結果は、詰みである。
剣の腕が未熟ならば兎も角、熟達した相手でこう言った戦術を取るのは、よほど慎重か加虐嗜好といった者だろう。実に狡猾で、厭らしい手である──が、同時に合理的でもあるが。
特に後者が厄介である。技量も確かかつ、狙いが正確。その上、狙いが足や腕となれば嬲り殺しとなりかねない。
敢えて防戦の中に好機を見出だすか、相手の流れを崩すしかないだろう。
以下、一例である。流打なる型の、一連を書いてみた。こうすると、相手を崩すことは勿論、一挙に形勢逆転となる訳だ。 ↓
右袈裟に斬りかかる相手に対して、左に受け流し、受け流した反動で刀身が戻ってくるのを利用。相手の右首筋を引き斬ると同時に、相手に踏み込み剣尖を胸に突き込む。
(敵は右八相、受け太刀は右片手下段にて想定)
相手をよく見るということはほぼ必須だが、うまく行けば相手をそのまま捩じ伏せることも可能である。
尚、この“流打”だが、打ち手──つまり、攻撃を仕掛ける側──は攻撃をたて続けに行うことを想定している。
手数が多いことは面倒ではあるが、それが必ずしも良い訳ではないのだ。
様々述べ立てて来たが、一撃重視の相手には敢えて回避主体の立ち回りをするのも悪くない。回避主体ということは、相手を観察し致命打を受けないということだ。そうする中で自然と返し技を思い付いたり、交差方を見舞うこともできるだろう。
尚、私は手数重視の相手には、回避に主眼を置いて立ち回るきらいがあるようだ。回避と同時にすかさず一閃、次の一手に備えるといった戦闘は非常に楽しく感じられる。
……無論、少し間違えば破綻してしまうが。
大体、攻撃というものは勢いに乗る寸前の時間がある。ゲームで言うならほんの六フレームくらいだろうか(この間大体0.1秒)。
攻撃開始時とほぼ同時期である。
“攻撃を、相手の動きを読む”というところは、また触れるつもりだが、これはかなり重要だ。予め予想が出来れば、如何な攻撃も恐れるに足りない。
その時ネックとなるのはやはり、“相手の攻撃が勢いに乗る寸前で前に出る”ということか。しかし、それさえ乗り切れば華麗に攻撃を受け流し、鋭く斬り込むことが可能となることだろう。
上段からの打ち下ろしや、ハイキックなどが読みやすい攻撃に触れようと思う。
これらは予備動作が非常に大きく、攻撃が勢いに乗るまでの時間も非常に長いため、受け流しや交差方を見舞うことが簡単だ。また、攻撃後の隙もかなり大きい為、取り上げることとする。
ハイキックを例にとろう。
ハイキックは、踏み込みが無くては成立しない技だ(踏み込みでまず一動作)。そして更に腰を捻り、脚を繰り出し顔などへ放つ(二動作)。素人などは後、これに二動作くらい増えないだろうか。
打ち下ろしも、上段の構えから振り下ろすのに大体一動作しか無いが非常に読みやすい。何せ上から下に振り下ろすのだから。
結果、受け流し即斬──という事態になる(この一連を、後の受け流しの項で触れようかと思う)。
構えなどで上段がさほど普及しない理由はこれではないかと私は思う。
なにぶん、『叩き潰してくれる』という意気込みも空しく返し技を見舞われて決着となるのだ。示現流ならば理に適ってはいるだろうが、気概も虚しく一太刀で斬られて終わりとあっては何とも悲しいものだ……。
このように、やはり立ち回りというものに最適解はないと思う。様々な戦術を試し、見聞きして最良の立ち回りというものを模索して頂きたい。
また、余談にはなるが……。
以前、“剣で槍を相手取れば、槍手の三倍の力量が必要”と話したことについて話そう。
私見も多少入ることを此処に断っておこう。
思うに、剣は“線”での攻撃が多いと感じる。
比べて槍は、“点”の攻撃が多いことがあるのでは、とも。
槍は急所を確実に、一撃で突くことができる。それも、的確に。剣はと言えば、線で急所を捉えるより他にない。分かるかと思うが、袈裟斬りは斜めに斬りかかり、人中を通り急所を捉える形を取っている。
尚、人中とは人間の急所が通る線の事で、具体例を挙げると、
眉間、喉仏、水月(鳩尾とも)、金的などが通っている。
袈裟斬りでは、斜めに斬ることで急所を突いていることが分かると思う。
剣(或いは刀)では、このように“線”で急所を狙う。当然、線での攻撃を想定していることと思う。
だが、槍は違う‼
線に加えて、“点”による攻撃を持つ為、剣士が槍術士を相手取ると、この攻撃が非常に見切りづらい。
踏み込みと同時に身体の僅かな捻りで刺突を繰り出す訳であり、余程槍に習熟して居なければ返り討ちとなること請け合いだ。
更に、槍という武器は長柄武器であることから、柄の“しなり”もまた厄介な武器となる。
これは、ある意味では不確定要素を孕む攻撃要素であるが、仮にこれを攻撃手段の補助として扱われた場合、剣士には殆ど勝ち目がないことだろう。
剣士にとって、これほど厄介な武器種はないだろうからだ。
穂先を落とそうとしても、しなりを活用して避けられては最早打つ手無しだ。……野戦であれば、返し手のひとつやふたつ思い浮かぶが、槍という武器がどれ程近接武器として破格なことかお分かりかと思う。
槍の派生で、“戟”なるものもあるが……相応の習熟が無ければ性能を十全に活かせず、重心が常に穂先に向いている。
歩兵用にも、あまり普及しなかったそうだ。
同じ理由が元で、斧槍もそうそうに廃れたらしいが、現在では主に儀礼用としての武器となっている。
そのうち、様々な武器についても語りたいと考えている。
少々長くはなったが、これにて立ち回りについての項はひとまず終わりを迎えようと思う。
読んでいただき感謝の極み……また次回お会いしよう。
尚、私は“斎藤一”と“沖田総司”が好きです(笑)
最近困ったことは、『人斬りが如何にして人を斬ったか』が分からないことです(笑)
それさえ知れたら剣戟シーンがおもしろくなるのに……(泣)‼