昨今の作品における戦闘
最近は、様々な作品が書籍となり、世に出回っている。
ライトノベルは勿論、多種多様なジャンルから出版される。時代物から、異世界テンプレート、果ては恋愛、SFなどなど……。
私は、戦闘狂であり、戦闘行為が大好きだ。強敵と鎬を削る、正に手に汗握るようなものが望ましい。
だが、由々しきことに戦闘というものは中々お目に掛かれない。
先に断っておくと私は何も、ライトノベルを馬鹿にしたり、批判するわけではないことをここに宣言しよう。
最近の作品で、戦闘は割りと省略化されているように映るのは私だけだろうか。有名どころを取るなら、某ハイスクールのハーレムものか。
かの作品の名誉の為に言っておくが、あれは実に読みやすい。小説というものの立ち位置を大きく変えた作品であるとも思う。某憂鬱も同じようなところか。
物語に親しみを持ちやすくした、(私が言うのも烏滸がましいが)素晴らしい作品だ。
学園もの、ファンタジーもの、異世界もの。そして、戦記ものなどでは戦闘というものはズバリ“華”だ。いっそ、一番の見せ場だと言ってもいい。
だが、時として戦闘行為は省略されている箇所が大きくなる。
この辺りは、仕方がないという想いもある。
何故なら、本格的な小説とライトノベルなどのキャラクター小説とでは、やはり違いが生じてしまう。
売りにするものが違う訳だ。
例えば、ライトノベルでは……。
「詠唱が終わり、○○の手に火球が生成される。紅蓮に燃える炎が渦を巻いて踊る。彼は躊躇うことなくそれを放った」
として、キャラクターの思惑やらを後に持ってくる。これは読みやすい……が、同時に物足りなくも思う。
私であれば、
「朗々たる詠唱が始まる。さして大きくもない声は不思議とよく通った。澄んだ歌声にも似たそれが程なくして終わると、彼の手には火が生成された。火種程度のものだったそれは、創造者の魔力を吸って膨れ上がり火球となる。逆巻く炎が渦を形成し、全てを飲み込まんばかりに燃え盛る。○○は怨敵を見据え、それを躊躇なく放った」
……とする。
何というか、折角の見せ場を何故、数行程度で済ませてしまうのか。そこが納得行かない。
流石に中盤でこんな描写を挟まれると、うんざりしてしまうかも知れない。だが、終盤戦の見せ場で少しくどいくらいの描写を差し挟み、キャラクターの感情などを織り交ぜれば覿面だろう。
そして、こうして描写するのは良いが、終盤戦でもたついても居られない。逐一このように描写を入れられては堪らない。
だからこその取捨選択だ。
この辺りは私もかなり苦心する。
終盤戦であっても、戦闘の状況がまだ序ノ口である場合、
「○○が、△△の間合いに斬り込む。勢いそのままに横薙ぎ。そこで○○が返す刀で更に一閃。△△はいずれも受け流し、状況は膠着状態に落ち着く。数合打ち合った後、互いの間合いを如何に侵すか、先の取り合いが始まった。──そう。勝負はまだ、これからなのだ」
このように、ある程度明確に描写をして、長くなるものを省略すればスマートかつ重厚に仕上がることだろう。
また、これは上級者になるが、巧い人はこれに加えて人物の状態を描く。
私なら、得物を握る手が汗ばむだとか、互いの呼吸が聴こえるだとか、様々なことを差し挟むだろう。先述の通り、感情を入れたり、心理描写を入れるなら私は喜んで飛び付き、読み耽ること請け合いだ。
読者諸君もきっと新鮮だと思うだろう。
さて、少しばかり脱線しかけているかと思う。
ここで話を元に戻すが、ライトノベルでは時々最終局面の戦闘が短く、幾らかの作品で不満に思ったことがある。ハーレム、チートは大いに結構だが、見せ場である戦闘がそれでは白けてしまう。
強制をする訳ではないが、『こういう見方もある。俺も、(私も)少しやってみよう』と思って頂けたなら私は大満足だ。
戦闘とは、見せ場であり、アクションや刑事物、ファンタジー等では最早欠かせないものだ。是非、戦闘描写を濃く、熱くして頂きたい。いや、熱くしようではないか。
尚、武術書を読んで、その動きを取り入れると作品に厚みが増すだろう。武装したものの外観、手入れなどの様子を挟むと一層楽しくなるだろう。
後々触れていくが、ここでは遺憾ながら割愛する。
余談ではあるが、私は戦闘も好きだが食事も好きだ。
シンプルかつ野趣溢れる食事などは憧れである。
生きているということを本当に喜ばしく思う。
戦闘描写も良いが、余力があれば食事に目を向けては如何だろう。
恐らく、より楽しくなることだろう。そして、一番大事なことだが作品に厚みがより増すことだろう。
これを以て、今回はここまでとする。また、次のお話でお会いしよう。
私は馬鈴薯やベーコン、肉の腸詰めが好きだ。
玉ねぎのスープなどは垂涎ものである。
戦闘も良いが、調理、食事の味などを含めると面白い。
飯テロは大好きなんだ(笑)