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戦闘論(仮)  作者: 如月 恭二
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近接武器 刀剣編 弐

ダスビダーニャ。

 諸君、また合ったな。

 ──私だ。

 此度は剣の特徴と、二刀流にも触れていくつもりである。


 前回、刀剣についてのおさらいをしたが、少し説明して行こうと思う。

 惜しむらくは、手元の資料に何故か青竜刀の類いがないことか。幾冊か持っているが、何処にも無くてな……まあ、いい。無いものはないのだからな。遺憾ではあるが。


 ○ダガー(ダガーナイフ)

 長剣をナイフの形状に押し込めた見た目。

 切っ先が鋭く、刀身が短い為突き刺すことに優れ、転倒させた甲冑装着者にとどめを差す武器として普及した。中世から近世にかけて護身用としても広まった。

 ものによるが、装飾があり中々に美麗。鑑賞用にもってこいではある。

 全長30cm程度のものがこれに当たり、現代日本においては危険武器のひとつとして認識されている。


 ○レイピア

 細剣のことを差し、フランス語の“エペ・ラピエル”。刺突の剣が元。名の通り、刺突に特化している。

 但し刀身が細いため、戦場には不向き。決闘用武器として貴族が帯剣していたことで有名。優美な見た目であるが、耐久性に難あり。

 銃が発達し、鎧が軽装に変遷していく中で再注目されたりしている。

 全長80~90cm程度。


 ○ショート・ソード

 ヨーロッパで、歩兵たちが用いた剣。由来は、騎兵たちが使用した“ロング・ソード”と区別する為だったらしい。

 けして短いという訳ではなく、長いものもあったらしい。重装歩兵が使用した背景か、頑丈かつ切っ先が鋭く作られていることが特徴。

 大体の全長は70~80cm。


 ○ヴァイキングソード

 北欧の戦士、ヴァイキングが愛用したとされる剣。

 五世紀頃に出回ったらしく、当時は製鋼技術が未発達であった。その為、刀身を広く厚い形状を取らせたことで強度を持たせている。

 剣の腹は溝が掘られていて、軽量化を図っている。

 全長60~80cm。


 ○ロングソード

 全長80~90cm。

 キリスト教徒の騎士には、十字架に似た外観から神聖な武器として認識された。

 その為か、儀礼にも使用され、騎士叙任の代名詞ともいえる。騎兵が使ったことからか、ショートソードとは区別された模様。

 かのアーサー王の武器もロングソードの類いだとかなんとか。


 ○バスタード・ソード

 全長、115~140cm。

 長めの柄があり、両手剣としても片手剣としても使用可能だった。十五世紀頃、斬るときに適した剣をゲルマン系。突くことに適した剣をラテン系と区別していた。

 これは双方こなすことが出来る為、「雑種・私生児」を意味するバスタードを冠するようになった。


 ○トゥ・ハンド・ソード

 両手剣の総称。

 ドイツやスイスの傭兵などが好んで使用したとされる。

 成人男性の身の丈を悠に越える刀身で、切れ味は抑えめ。全長は180~250cm。

 “ツヴァイハンダー”などもこれに当たる。

 ツヴァイハンダーなど、一部のものは刃が付いていない部分もあり、ここを持つことで鈍器としても使用出来た。また、持ち手の利を活かして槍のように振るうこともあったとか。

 当然重量は凄まじく、叩き斬るというよりも“斬り潰す”という表現が正しそうである。


 ○フランベルジェ(フランベルジュ)

 刀身が炎のように波打っている剣のことを差し、呼称される。

 ものによるが、ツヴァイハンダーの形状もある。

 主に儀礼用として用いられ、教会などにもあったとか。

 余談は二つほどあり、ひとつはその形から製鋼技術、鍛冶技術。双方が高くないと製造されなかったこと。下手な鍛冶師が失敗して、鉄屑になった話もあるとか。

 もうひとつは、波打っている刃の特性上、斬りつけられると肉が複雑に抉れて深手を負わせる仕様となっている。そうした傷は治癒が困難であり、長い間激痛に苛まれることになる。

 その様を思い浮かべて青い顔をしていた如月曰く、『ドSの鑑を絵にかいたような一振り』だそうだ。

 九割五分、設計をした鍛冶師のせい。





 此処から刀に移行する。

 以下は刀の主なものになるので、説明希望の武器があれば知らせて欲しい。



 ○サーベル

 軍刀もこれに入る。片手で使用可能なように軽量化の工夫がされている。

 一説によると、中央アジアの遊牧民などが用いていた曲刀(シミター)がヨーロッパに伝わって普及したものとされる。

 軍や警察用に採用されたとも。全長70~120cm。

 日本では、「強度が低い」、「すぐ折れる」と大抵の場合は不評であり、サーベルを差さず、先祖より賜った日本刀を帯剣していたこともあった。……サーベル涙目。

 

 ○曲刀(シミター)

 軍刀より、一回り刀身が広い。

 切っ先は丸みを帯びていて、鍔に向かうほど刀身が徐々に狭まっていく。元々の用途が伐採用だからか、軍刀に比べてやや肉厚。

 全長は軍刀と同程度。広義で言えば、軍刀は曲刀のカテゴリに入ると思われる。因みに、曲刀の方が見映えする。


 軍刀「……解せぬ(´・ω・`)」


 ○青竜刀

 中華武術と言えばこれを思い浮かべる人もいると思われる、言わずと知れた刀。

 刀身は肉厚で反り返った曲刀であるが、切断する能力が高く、また重い。この辺りはククリ刀にも通ずるものがありそうだ。湾曲した切っ先は何処か妖しい美しさすらある。

 装飾もあり、見映えもするが殺傷能力はかなり高い。

 某映画では、屋内で幾十合と斬り合うシーンがあり、耐久性も高いことが知れる。

 曲刀ではあるが、知名度は割りと高いと思い、今回は個別にすることとした。


 ○直刀

 紀元前三世紀頃、前漢に当たる中国で生まれた刀。

 反りはなく、刀身は真っ直ぐ。全体が鋳造であり、柄と刀身は一体。

 滑り止めとして、柄を獣や鮫の皮で装丁していた。

 因みに、中国の刀術は片手で振るうことを前提とした単刀術らしい。全体は80~130cm。


 ○打刀(うちがたな)

 室町時代に誕生。現代では日本刀と呼称される。全体は70~80cmで、主に歩兵戦にて用いられた。太刀より短く作られいるものが多い。

 刃を上向きにして差す携帯法は、抜きやすくする工夫のひとつ。双方共に製法自体は大差なく、太刀を短くして打刀として仕立て直すという者もいた。


 ○太刀

 全体75~120cm。

 日本刀の一種。二尺以上かつ、刃を下向きにして携帯するものがこちら。この状態を「太刀を()く」という。「佩刀する」とも。

 本来、馬上での使用を主眼においており、歩兵戦が主流となるにしたがって廃れたが、権威を示す美術品として長く愛されたらしい。




 さて、ようやく術理について触れる訳だが、最近の作品では割りとこの“双剣”が登場する。

 ところが、切っ先は流線形を描いており、何処からどう見ようと“二刀遣い”である。

 中国の演武には“双剣”の項があるが、あちらはあくまでも剣として扱っている。動きも円形と言うよりは直線に近く、剣の特徴である“叩き斬る”ことを念頭に入れていることが(うかが)える。

 そもそも剣と刀では体捌(たいさば)きが違う。

 以前、刀線刃筋の話をしたが、刀は流線形の切っ先である。斬撃の威力を引き出す為に、身体全体を使い円運動を行う必要がある。

 これを覚えているだろうか。


 その点について言えば、最近のアニメ作品にも言えるが大体の場合剣と立ち回りが同じである。剣の斬撃が叩き斬るということを踏まえると、何処か釈然としない。


 (とは言え、創作物である以上、『現実の理や科学的根拠から外れる』ということも往々にしてあるわけだが……。『この作品にはこういう外れたところが必要なのだ』ということであれば致し方ない。私が言わんとするところはあくまで現実の理合いというところ……創作と現実の境目が、或いは最も難儀なのかもな)


 何より双剣だが、その理念は分かる。

 所謂、“守りを廃し、攻めに特化した戦い方”というやつだ。

 しかし、実際に両手で剣を振るうとなると、両利きに近いものでなければ正確な剣捌きが実現出来ようはずもない。

 生半な鍛練では、中途半端な技量になりかねない。それが元で隙を晒すことにも繋がる。見映えだけで見掛けだおし。


 ……と、このように散々な結果となりかねない。

 そもそも、二刀ないしは双剣で戦う場合、守りを廃したとて利はない。

 かの宮本武蔵も二刀遣いだとされるが、どうやら守りと攻めを同時に行えることが理念にあるらしい。

 攻めに一辺倒では、後の先を突かれてしまい、元も子もないのだ。相手が様子見の為防戦に移った場合、手の内を読まれるか(見切られるか)、攻撃後の間隙を見付ける時間を与えることになるからだ。

 但し、剣道のように速攻戦術ならば話は変わる。


 双剣であっても、攻めより防御にこそ手数を割いた方がましだ。

 勿論、受け止めてしまってはいけない。受け流し、死に刀(牽制)を放ち、徐々に相手の打つ手を封じていくような、慎重に。そして時には大胆に斬り込むことが機を掴むには最適だろう。

 “(しのぎ)を削る”という表現は、剣を受け流す時に鎬を使うことから来ている。事実、前回話した受け流し即斬の理合いで説明した流れがそれに当たる。

 少々簡略化してみた。分かりやすければ幸いだ。


 ①上段からの打ち下ろしを予期。これに対し、利き腕で頭上に刀を斜めにして持ち上げる。この時、なるべく身体に沿わせて、刀と身体で出来る角度は30°程度を目指す。

 ②上げた剣に左手を添えて、打ち下ろし準備完了。

 ③添えた左手に柄を持たせ、鎬で受け流して振り下ろす。



 何よりも、死合いは生き死にが掛かる。

 更に突き詰めて言うなら、『人を殺すなら最低限の力をもって、最低限の場所を最低限傷付ければいい』ということに尽きる。

 剣術は試斬でも、試合でもない殺し合いなのだから当然である。現代と昔では死生観が大きく異なる。惨いと思うやも知れんが、元々剣の世界とはそのように出来ていた。


 話が逸れたが、双剣。或いは二刀流とは、元々一本であるはずのものが二つになったということ。

 私は二本目が盾の代替となってもいいのではないのか、ということだ。

 ……せっかくの二刀流だというのに、わざわざ二本とも防御に回すのは理解出来んが。


 読者諸君。ロマンが薄れる、と思うことだろう。

 ああ、そうだとも。

 少なくとも、これを書き始めた頃の私はそう確信していた。


 しかし、絶体絶命の窮地に二本目の剣で間一髪しのぐという構図も出来なくはない!

 二本の内一本を犠牲に仲間を守るなど、使い勝手は良さそうである。作品も厚くなるだろう!


 とは言え、二刀遣いや双剣遣いは、一刀流よりも高い技量を要求される。

 そこに至る説得力、背景を描くとより一層ロマンを求めた仕上がりになるであろう。作品の厚みが増えるというのも喜ばしい。



 閑話休題。


 率直に言えば、術理は阿漕(あこぎ)である。

 何せ、筆者こと如月も術理に反する設定を使用している。

 つまるところ術理も大切ではあるが、ひとつ階梯(かいてい)を飛ばして己独自のものを見付ける方が肝要だということ。

 何も術理を否定する訳ではない。

 私が言いたいのはその逆だ。

 何事も、その作品のスパイスとして欲しいというところに尽きる。私が長ったらしく連ねている術理もその一つだ。


 悲しいかな、小説は嘘の世界だ。

 そこに己独自の世界。そして僅かな術理や科学的根拠などが絡めば、作品自体の深みもコクも出る。

 「この世界は本当にあるんだ」という気持ちこそが大事なのではないかと──今、そう思った。

執筆方面に熱が入りすぎました。

──だが私は謝らない。

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