一対多の恐怖。
二次創作乙とか言われませんよね、これ?
死亡シーンだから大丈夫……かなあ?orz
どうも、如月恭二だ。
ゲームをしていて、
──これはまた、なんとも……。
と感じたので一筆認めようと思う。
以前、エッセイとして投下した“戦闘論”で、『ランチェスターの第二法則』に言及したことは覚えておいでだろうか。今回、如月は“寡兵の恐ろしさ”を嫌というほど体感した。
そのゲームだが、名前位は聞いたことがあるのでは無かろうか。
FromSoftwareから発売の、「ダークソウル」シリーズだ。
高難易度として知られるゲームだ。それと言うのも、ダークファンタジー故だろう。
すまない、話を戻そう。
このゲームだが、鬱と中世暗黒時代の再現度も然ることながら、何処までも忠実に人間の打たれ弱さを再現している。
以下、ダイジェスト風に描写してみた。映像を思い浮かべながら、筆者が叩きのめされるシーンを堪能してくれ(泣)
①死亡シーン:袋叩き
不死者の騎士が、亡者の兵と向き合う。右手に剣、左には盾を有している。
続けて、奥まった傾斜の上から亡者が殺到。三対一だ。
圧倒的な物量差に辟易としつつも、目の前の敵に突きを繰り出した。
「──ぐあ!?」
しかし、向かって右手の亡者兵士が火炎瓶を投擲。出鼻を挫かれる形となる。
炎熱が体力を奪う中、怯んだ間隙をついて左手の亡者が来襲。鎧の隙間を縫って短剣を突き立てられる。
痛みに耐え、身をよじったところに、眼前の亡者が剣を降り下ろす。騎士は避けきれずに鎖骨を両断され、敢えなく力尽きるのだった。
②死亡シーン:遁走の先
不死者の騎士は、二体の亡者を相手どって睨み合う。火炎瓶の投擲と白く閃く凶刃に肉体を蝕まれ、既に満身創痍だった。
続いて奥まったところから更に二体。亡者の増援だ。
騎士にとっては絶望的な状況である。
ただでさえ劣勢だというのに、覆しがたい物量差だ。囲まれる事態と相成った。
機をみて切りつけるが、四体居れば互いを支える戦いにもつれ込むのは明白だ。
切り込んだ出端を、側面の亡者が挫く。
完全な泥死合いだ。騎士は体勢を立て直そうと機動力を以て撹乱する。
だが、劣勢と迫る恐怖によってか、彼の意識は断崖付近であるという認識から離れ──脚を踏みははずした。
彼は滑落し、自由落下する。甲冑と自重も加わり、想像もつかぬ程の衝撃によって挽き肉を作り出すに至るのだった。
──さて、我ながら酷い最期ばかり迎えていると思う。
しかし、真の意味で寡兵というのはデメリットが多い。
考えてもみて欲しい。
一人で四体もの敵を相手にしてマトモに立ち回れるか?
答えは“否”だ。
格下相手ならば、立ち回りに気を配れば問題ないだろうが、ある程度力量に差がないとそれは破綻する。
では、仮に力量10と力量2の者が一対四だとするが、これは簡単だ。力量10の者が優る。
初動で一人を潰せれば、後は消化試合だ。
とは言え、力量が低いものはそれでも尚、連携という妙手を以て力量差を埋める場合がある。
烏合の衆であれば、大した連携がとれない。そうでなくとも、力量が一番低い者を初動で惨殺することによって、士気の低下が期待できる。
──失礼(汗)。
だが、力量10と力量5辺りからは難しい。
なまじ力があるだけ、敵を排除する難易度と危険度が上がる為だ。
なんだったか、“油断、慢心駄目ゼッタイ”だったか。
まあ、冗談だが。時に実力が近い格下こそが危険だと私は思う。
一貫性がないのが人。それは人でなくともそうだ。こちらが思うほど筋の通っているようなものではない。
“手負いの獣が恐ろしい”というのはそこだ。
獣は死が怖い。人間とてそうだ、ただそれと知らず本能で知っている。
そんな連中が死にたくなければ何をしでかすか、まさに余人の知る限りではない。何がどうあれ、最期まで生きて立っていればいいのだからな。
どんな痛手であろうと、命の危機に瀕しない限りは目を瞑るだろうし、思いもよらぬ方法で殺しに来る。
あらゆる不確定要素を内包した、無法の殺し合い──それが戦闘だ。それが戦争だ。
そうなると大切なのは人の心にも踏み込むことだ。
ある作品ではないが、「軍を形勢するのは複雑怪奇な人々の心」だ。
奇襲を受ければ混乱もするし、同胞を殺されれば憤激する。
劣勢時ともなれば、その心の揺れは想像するだに難くない。集団心理とはよく言ったものだ、集団となればあらゆる感情が伝播する。
それは武器でも弱点でもある。
抗議デモであってもそうだ。
一人一人の意見が大衆の中に埋没する。結果、“感情に流され”個々の意見という概念が薄れるのだ。
デモが大規模化すると特に顕著で、建設的な意見が埋もれる。つまりはそこが弱点となる。
とは言え、これはあくまでも現実の理論や理を述べ連ねたものだ。
創作においてはその限りではないだろう。寧ろ、貴方様の作風をどうぞ活かしてくれたまえ──そう、存分に。
何も私のように詳しく時代考証や背景を考えても、面白くはないだろう。王道ものなら王道ものを貫き、俺Tueeeeを披露してもいいだろう。
……ダークファンタジーはそうもいかぬやも知れないがな。
ただ、戦闘をする前に劣勢時の立ち回りを、戦闘の非情を知れば作品が厚くなり、私も喜ばしく思う。
尚、少数の兵力であっても、敵の軍団を打ち砕くものもある。ゲリラ戦術というんだが、まあいい。今回はここまでとしよう。
……しかし、なんだな。
いつも思うことだ、この作品に評価が付いたその時から。
「このような奇妙奇天烈なエッセイ紛い、それでも読んでくれるというのか」、と──。
実に嬉しい。
──が、しかし同時にこうも思うのだ。
「作品の雰囲気まで害しはしないのか」と。
既にそれぞれの作風をお持ちの事と思うが、些か不安になってしまうことがある。
願わくば作風を壊さぬようにして頂きたく思う。
僭越ながらこの言葉を以て今回は締めさせて頂く。
──ありがとう。読んでいただき恐悦の至り。私は非常に嬉しく思う。
訳:……あ、ありがとう。←如月のデレ(誰得なのよorz)