ダンシングチェーンソー
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ではどうぞ、お楽しみくださいませ。
「親父ーっ! かあさーんっ! 孝太ーっ!」
まだ傷跡の痛々しい山肌に、男の悲痛な叫びがこだました。
その年、日本列島を直撃した大型台風は、各地に爪あとを残して去っていった。
この寂れた山村も被害を受けた。崩れた山肌は土石流となって民家を襲い、川を埋め、道路を遮断した。
最も奥まった場所に住むその一家も例外ではなかった。夫婦と息子が一人、林業を生業とする彼らが住んでいた家も。
嵐が過ぎ去り、駆けつけた村人たちが見たものは、土石流の下にわずかに覗く、家の残骸だけだった。
それから一週間後、ようやく町とを結ぶ県道がつながり、復興の槌音が響き始める。
しかし、今はじめて現実を突きつけられた男の耳に、そんな音は届いてはいない。
「陽一。泣いていても始まらん。しっかりしろ」
「お前になにがわかるっ!」
陽一は肩に乗せられた幼馴染の手を振り払った。
林業の傍ら、ログハウスビルダーとしても全国的に名を知られる陽一は、その日雑誌の企画のため村にいなかった。もし俺が残って入れば。
しかし、激情に任せてにらみつけた幼馴染の目は、赤くはれていた。
「わかるさ。俺も家族を流されたからな」
消防団の一員だった彼は、危険を承知で嵐の中を走り回り、そのおかげで、ただ一人難を逃れた。
一番守らなければならなかった家族を守れなかった。すぐ近くにいたのに……
その悔恨は、陽一のそれすら超えるだろう。
「賢治、何人死んだ?」
一瞬の激情が過ぎ去り、陽一は幼馴染にぼそりと尋ねた。
「二十七人だ」
賢治は、一人ひとりの名を上げてゆく。狭い山村だ。名を聞くだけで、日に焼け、額に汗を浮かべた彼らの笑顔を思い浮かべることができる。
「お堂も流されたのか?」
「ああ、羅漢様も一切合財な」
「そうか。なあ、チェーンソーを貸してくれないか」
唐突な陽一の頼みに、賢治は聞き返す。
「なにをするつもりだ?」
「お堂の百羅漢は、この村の誇りだったからな。俺みたいな奴が彫ったものでも、ないよりましだろう」
賢治は、陽一に会ったときに伝えようと思っていた決意を飲み込んだ。
材木の集積場も流され、植林したばかりの苗木もみな持っていかれた。この村はもう終わりだ。家族もいない。だったら、村を捨てよう。
しかし、ログハウスビルダーとして、村を出ても生きてゆくことのできる陽一でさえ、村のために何かをしようとしている。
「お前のチェーンソーアートは最高だからな。出来上がればみんな喜ぶさ」
賢治は、復興の手の届いていない道をここまでつれてきてくれたジムニーの荷台からチェーンソーを取り出すと、燃料タンクと一緒に陽一の足元に置いた。
「ここでやるのか?」
「ああ」
「そうか。後で飯を持ってきてやるよ」
「いらない。二十七の羅漢像を彫り上げるまでは」
「そうか……」
陽一の節くれだった腕がチェーンソーをつかむのを横目に、賢治はジムニーに乗り込んだ。
復興までの道のりは、まだ遠い。
その夜、月に照らされた山間の村に、一晩中チェーンソーのエンジン音が響き続けた。
それはまるで、山々が泣いているかのようだった……
翌朝、わずかな、しかし泥のような眠りから目覚めた賢治は、その音が途絶えていることに気づいて、急いで陽一のもとへと向かった。
あちこちを落石と土砂にふさがれ、はかのゆかぬ道のりに舌打ちをしながら、ジムニーを操る。
そしてようやくその場所にたどり着いた賢治を迎えたのは、ずらりと並ぶ、高さ一メートルほどの羅漢像たちだった。
車から降りた彼は、それらを一体一体見つめながら歩く。
細谷さん……幸田のばあさん……川西んちのたあ坊……
見覚えのある、だけど今は思い出の中にしか残っていない表情。仕草。
お、おふくろ……宏子っ!
賢治は、その二体の前に跪いた。老婆と女の像は、まるで嵐なんかなかったように、少しおどけた様子で笑っていた。
そのとき彼の耳を、エンジン音がつんざいた。二つの像に両手を伸ばしたまま、賢治は振り返る。
そこには、三本の丸太を前に疲れ果て、消耗しきった様子の陽一が、チェーンソーを抱えて立っていた。
しかし、それでも重いチェーンソーが動き出す。回転する刃が丸太に当たって、木屑を飛ばす。
飛び散った木屑は朝日に照らされて、きらきらと舞い落ちる。そして陽一はその中で、何の迷いもなく丸太を削り続けていた。
少しずつ、丸い頭が、肩が、伸ばされた腕が現れてくる。
三つの丸太から、同時に三体の羅漢像が姿を現し始める。
踊っているようだ。
舞い散る光の中、チェーンソーは歌いながら、上へ、下へ。そしてくるりと回って。
賢治は両手に愛する家族を抱いたまま、時間を忘れてチェーンソーのダンスに見とれていた。そして――
踊りつかれたチェーンソーが、歌をやめたとき。
へたり込んだ陽一を、懐かしい家族の笑顔が取り囲んでいた。
(fin)