~五里霧中~ 名前
とりあえず、手を上げる!
もうこれでいくのがベストか。もう一度ばっと手をあげて、武器はないし、何もしませんよアピールを全力でする。
こういうとき、下手に逃げても打ち抜かれるだけだし、理由を話せばわかってくれるはず。
というわけで、もう一度あげて・・・・・・
「うええええええ!!!!」
ひろちゃんの泣きがひどくなる。
ごめんよ、パパ、緊急事態なんだよ・・・・・って、おいおいおいおいおい、なんか輪郭がぼやけてきていませんかい?!
「ちょ、ちょっとちょっと、ひろちん?」
「うええぇぇぇ、ああわあああああぁぁぁ!!!」
泣きがひどくなる。
そして、ひどくなるにつれて輪郭がどんどんぼやけてきて軽くなる。
体の体積も小さくなってきているような。
「な、なんだ?」
目の前にいる彼から慌てた声がする。
見れば、周りの様子が霧がかってきて視界がどんどんと悪くなっていく。
今はまだ、ある程度見渡せるが急速に乳白色の色合いへと変わっていき、それがとどまるところを知らない。
けれども、
「あれ?」
そう、目で見る視界は確かに悪くなっている。
しかし、なぜだろう。目の前の彼の存在、というか、それ以上にまわりの木々や草むらの様子がよくわかる。
今、彼は弓を下に向けて辺りを見回しているが、さっきまでの落ち着きはどこへやらすっかり慌てている様子。
いやまぁ、それもそうだろう。
さっきまで視界良好、晴天快晴といった具合でこんな霧なんて微塵もなかったのだから。
あれ?でも、これってチャンスじゃね?
逃げるという選択肢が・・・・
と、逃げに転じようと踵を返そうとしたが、刹那留まる。
どこへ逃げる?
どうにもこの世界そのものの知識も皆無だし、さっきの争いとか条例とか本当に今は何も知らない状態である。
そんな中、また一人森なり山なりさまようにしても、いずれは人には出会わないといけない。
そもそも、赤子を抱えて一人で森に訳入り遭難がどう考えても確定コースになるリスクを負う必要性があるだろうか?
いや、断じてない。
それに、彼は少なくとも、女性を助け、また安全圏と称するところを教えたりした。
存在を考えると自警団とかそんな感じの人じゃなかろうか?
現代風なら、警察官とか。
現世の警察官にもピンからキリまでいるけども、彼はキリあたりか?
なら、一時的に身を委ねるのもありかもしれない。
とにかく、現状打破。
行動しないと。
草むらから飛び出して前へと駆け出し、彼に一気に詰め寄る。
数歩で詰め寄り、まずは彼の矢を止めて
ひゅっ!
鋭い風きり音。
矢が飛ぶ。
下に向けていた矢をそのまま射る。
威嚇か?
足に一瞬違和感を感じたけど、ちらっとみて特に足が痛いとかなし。
矢も足のすぐそばに地面に突き刺さる。
でも、足を止めない。
二の矢が来る可能性もある。まだ、手にぶら下がってるそれも含めて無力化へ。
いろいろな物事がスローで流れているような感覚だが、駆け出して二秒もたってないかも。
自分から見て左側の腕に持つ弓矢を押しのけ彼に倒れこむ。
無論、前抱きにしているひろちゃんにはきちんと配慮しつつ、倒れ込んでも彼自身と密着しないよう腕を伸ばしてスペースをつくる。
で、出来た光景は
床ドン?
まぁ、床じゃなくて地面だけど、男同士でそんなんやってもちっともつまらないし、自分はノーマルですからね。
でもこれで、彼自身を無力化したわけだ。
でも、これからだ。
「な、なにを!」
「敵意はない」
とにかく言葉をつないでいくこと。
「こっちは赤ちゃん抱えて避難してる。もう、どんな認識でも構わないし、捕虜になるでってもなんでも構わないから」
と、自分で言ってて何のこっちゃとつまりかけたが、こっちもだが彼も多少なり動転してることだし、もう勢いのままいくしかない。
「・・・この状態からしたら逆では?」
「・・・それはそうかも」
『捕虜』という単語に反応したのか?まぁ、それならそれでもいいけど、でも、なんかさっきまでの緊迫した雰囲気から一気に間の抜けた会話になったような。
いや、そもそも、はじめから警戒されてたのか?
「子どものため、そろそろどかないか?」
ああ、確かに。
まぁ、間近に見てイケメンっぷりはよくわかったけどそれ以上に感慨はないしね。
細面で、黒茶の短めの髪。体を倒した時に感じたが鍛えてるんだろう硬い感触もあった。
けど、全体に細めだし、細マッチョというところか。
って、しげしげと眺めるのもあほらしいし、今はこの子の異常をどうにかしないと。
「うん」
と言いつつ、離れてあぐらをかいてひろちゃんを見る。
やはり、まだ輪郭はぼやけてる。
霧も晴れない。
けど、なんでだろ?
落ち着いて感じてみてきちんと抱っこされているという感覚が伝わる。
ふと、お腹の中心にて仄かに光る球体があった。
ぼやけた輪郭の中央にそれはあった。
なんていうか、この子自身が霧になってしまったような薄い乳白色の膜に覆われ、その中心にあるという状態である。
普通の赤ちゃんの状態ではないな。
「すまない。とりあえず、ほんとうに敵意はないようだな」
普通に会話できるだけの至近距離だが、ちょっと霧で彼も薄ボンヤリとしている。
でも、そんなでも彼からさっきまで矢を向けていた緊迫した気配は消えていた。
そりゃね、心配そうに赤ちゃんを見ている自分の様子を、どう見るか。
演技なんかじゃ絶対ないですからね。
「で、もしかして、あなたも避難しているところでしたか。このあたりには『ホーン』の人がいるとはきいたことがないので傭兵かと思ったのですが」
あー、なるほどね・・・・・って、そもそもホーンってのがなんなのかよくわからないけども、さっきからちらちらと頭を見ているようだし、ひょっとすると角に関してのものか。
ということはほかにも角をはやしている人がいるのかな?
それなら、自分もあまり目立つことがなくていいかな。
って、そこまで言って、つと彼は立ち上がる。
「ふむ、そろそろ霧が晴れてきたようですね」
あ、ほんとだ。
霧が晴れてく。
なんかいつの間にかひろちゃんのぐずりも収まって、気がついたらぼんやりとしていた体も元に戻り始めていた。
ちゃんと抱っこの状態になってる。
なんかひと泣きして気が済んだという感じ。
ちょっとほっとした。
で、しっかりと体が戻った頃にはすっかりと辺りの霧が晴れていた。
よかった。
安堵の息をはく。
「座ってないで、早くきませんか?えー」
何かを思い出したように軽く指をあごにつける。
「そういえばあなたの名前をまだ聞いてませんね。流れてきた人なのでしょう。私はこの辺り一帯の森林官でルネといいます」
そういって、あぐらをかいたままの自分に手を差し伸べる。
その手を握ってふと、そういえば名前について思いを巡らした。
実際に、こうして異世界ファンタジーにありがちなカタカナ名前って感じの『ルネ』とか、そういう名前に対して自分の日本語名って違和感無いかなと思った。
そもそも、ここに魂で引っ張られてきたっていうことだし、それを思えば、前の現世日本では自分たちは死んでいるということになるんだろうな。
そう思うと、寂しさが湧き上がる。
けど、こうして握っている手の感触は現実。
現実の中の現実だ。
なら、自分自身、今後この世界に身を置くとなればそれ相応に通りやすい名前のほうがいいだろうな。
「すみません、名乗ってませんね」
前の名前を捨ててしまうほうがふんぎりがつく。
変身願望、昔からないわけではないしね。
「私の名前は・・・」
まぁ、そうなればひろちゃんも名前を変えなきゃね。
でも苦心して付けた名前はだし、名残は残そう。
自分も誕生石、気に入っていて昔のハンドルネームにもつかっていた名前を使お。
ばいばい、前の私たち。こんにちは、今の私たち。
「私の名前はラス。この子の名前はヒィロ。遠い地の難民です」
好きな石ですから