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第八回 鵙鳴山宝如寺

 村の外まで、連行された。

 月の明かりは無く、松明の灯が煌々《こうこう》と闇を照らしている。

 夜明け前が一番暗い。この闇では、払暁まで数刻はあるように思えた。

 小弥太は伊平治らに取り囲まれると、荒縄で戒められた。肉が食い込んでいる。傍目からはそう見えるが、不思議な事に痛みは無かった。そして、いざという時に縄が簡単に解けるような、細工をした縛り方だった。

 縄を掛けたのは、仙次である。縛る前に鏑木が、

「仙次の捕縄術は、もう芸術品だぜ」

 と、冗談を言っていたが、あながち嘘ではないのかもしれない。

 小弥太の次に清記、そして今は鏑木が縛られている。

(何という手並みだ)

 その技に、舌を巻いた。

(出来れば、手解きを受けたいものだ)

 小弥太は平山家の跡継ぎとして、剣術のみならず、武芸十八般を叩き込まれた。だが、その中に捕縄術は無い。

「よろしゅうござんすか」

 仙次が、縛られた小弥太の前に立った。

「手首を、こうやって動かして下さいまし」

 見よう見まねで手首を動かすと、身体を戒めていた荒縄が、するすると面白いように解けた。

「おお」

 伊平治と五人の若者から、驚きの声が挙がる。

手妻てづまだな)

 流石は、罪人を捕縛する目明しといった所だろうか。

 そして仙次は再び三人を縛ると、最後は自らの身体を自らで縛った。その技には、清記でさえ目を見開いて驚いていた。

「よし、行くか」

 鏑木の合図で、一同は出立した。

 小弥太ら四人を、伊平治ら六人が囲んでいる。五人の若者は、松明の他に土鮫の一味への贈り物を背負い、小弥太らの刀を腰に差していた。

 未だ、夜道である。松明があるとはいえ、足元に不安があった。何せ両手を縛られているのだ。転びでもしたら、鏑木に大笑いされるだろう。父にも、何と言われるか判ったものではない。

「ここらでいいだろう」

 鏑木が、一同の足を止めた。

 山の斜面に広がる雑木林。そこで、縄を一度解いた。休息である。十人を五人一組に分けて、半刻ずつ仮眠をすると、鏑木が告げた。

「寝不足では戦えんからなぁ」

 と、鏑木が大あくびをした。

 まず、鏑木・仙次・伊平治、そして若者二人が眠り、小弥太と清記は後に眠る事になった。

 小弥太と清記は、身を屈め周囲の氣に神経を尖らせた。五人の寝息が、すぐに聞こえてきた。特に鏑木は軽く鼾をかいている。

(どんな神経しているのやら)

 小弥太は、呆れて鼻白んだ。

「些細な氣も見逃すな」

 そう清記に言われ、小弥太は頷いた。

 四半刻が数刻に思えるほど、時が長く感じた。神経を尖らせているからだろう。それだけで、疲労を覚える。

「緊張するか?」

 不意に、清記が口を開いた。

「はい」

 緊張しないはずがない。鏑木は簡単に言うが、賊徒の巣窟に飛び込むのである。父がいるから失敗はないとは思うが、それでも緊張はする。

「そうか。だが、お前なら出来る」

「私には判りません」

「父には判る」

「……はい」

「安岡文吾はお前が斬れ」

「私が」

「そうだ」

 父に命じられれば、否応の選択肢は無い。斬れと言われれば、ただ斬るだけだ。

「父上」

「何だ?」

「何故、安岡文吾は突如として賊になったのでしょう? もし、襲うつもりなら、二年も待たずに殺したはずです。私には判りません」

 小弥太は胸の内に残っていた疑問を、思い切ってぶつけてみた。清記は暫く考える顔をして、小弥太の顔を見据えた。

「人というものは、難しい生き物だ。安岡文吾が老僧を殺したのか、それは判らん。判る術も本人に訊くしかない。ただ、人は善人悪人と二色に分けられるものではない。突然、悪の囁きに耳を貸す事もあるのだ」

「はい」

「我らとてそうだ」

 小弥太は頷いた。確かにそうだ。藩命を受け、民百姓の為に剣を振っている。それは善事だが、人を斬るという行為そのものは悪事。自分が善人なのか悪人なのか、小弥太は思い悩んでいたが、それはもう考えない事にしている。大切な事は、善人であろうとする心がけだ。

 ちょうど半刻で、鏑木達が目を覚まし交代した。倒木に寄り掛かり、目を閉じる。野鳥や風が揺らす草木のざわめきが、眠気を誘った。

(思えば、昨夜は殆ど眠っていなかった)

 目を覚ませば、剣林弾雨けんりんだんうの修羅場が待っている。目を覚まさない方が幸せなのかもしれない。




 目が覚めると、辺りはすっかり朝の気配に満ちていた。用意した握り飯を腹に詰めると、再び仙次に縛られた。

「進発するぞ」

 鏑木が小声で告げた。

 ここまで、来たら無言だった。

 頂上までの山道は、大人一人がやっと通れる程の隘路だ。しかも曲道が多く、視界は狭い。天然の要害と呼ばれる理由がわかる。これは攻め難さは一目瞭然だ。

(誰かがいるな……)

 小弥太は、氣を感じた。こちらを、ずっと見張っている。誰何すいかして来ない所をみると、今は見守っているという所なのだろう。

 中腹を過ぎると道幅が広くなった。そこで、行く手を塞がれた。

 十名。小弥太は、瞬時に数えた。前に六名、後ろに四名である。

 この男達が、土鮫の一味である事は、聞かずとも明らかだった。武装しているのだ。刀、槍、弓。幸い、鉄砲は持ってはいない。

 横に並ぶ伊平治の、生唾を飲み込む音が聞こえた。

「うぬら、何者だ?」

 男が一人、前に出た。

(この男が指図役か)

 と、小弥太は男を見据えた。肩幅が広い浪人である。手には槍を持っている。

「私は、乙丸村の庄屋で伊平治と申します」

「おう、俺は知っているぞ。乙丸村は豊かだが水濠があり容易に近付けん」

「あれは、農業用水の為の水路でございますれば。……ところで本日は、土鮫の皆様に贈り物をお持ちしました」

 伊平治は、五人の若者に合図をして贈り物を用意させた。中身は、銭や酒・反物・珍味・漢方などである。それらを四つの匣に分けていた。

「ほう」

 指図役が近付いてきた。

「女はいないのか」

「そちらの方は……」

 伊平治が苦笑いを浮かべた。そして、すかさず指図役の袖に、小判二枚を滑り込ませるのが見えた。

(これはこれで、熟練の技か)

 伊平治は緊張していると口では言っていたが、上手くやっているように見えた。兎に角、今はこの演技に賭けるしかない。

「ただ、その代わりと言えばなんですが、別の物をお持ち致しました」

「そこの四人か?」

「ええ。この四人は、村の居酒屋で飲んでいまして、銭を払わない上に鵙啼山を攻めるなどと言っていました」

「なるほど。ふてぇ野郎だな」

「しかも、こちらの二人は数日前に皆様方のお仲間を殺したと言っていたのです」

 伊平治が、清記と小弥太に目をやった。

「なんだと?」

 指図役が顔を近付けた。睨まれる。汗臭い。そして酒の臭い。小弥太は視線を逸らして下を向いた。

「本当か?」

「え、ええ。私もこの耳ではっきり聞きました。そして、この鏑木小四郎と仙次なる男は珂府勤番の役人と目明しでございます」

「そいつは知っている。常々俺達を目の敵にしている役人だ。こっちからの賂も受け取らねぇ」

「この四人が、皆様方を討とう話されていました。私共の村でそんな話をされると、乙丸村にあらぬ疑惑を抱かれます。ですので酒をたら腹飲ませ、縛り上げました」

「そういう事か。でかしたぞ、伊平治とやら。お館様から褒美を下されるかもしれんぞ」

 お館様とは、頭目である文吾の事であろう。

「褒美など、とんでもございませぬ。私共は土鮫様とお近づきになるだけで十分なのです」

「殊勝な心がけだな」

「と言いますのも、久米衛門のようにはなりたくないのです。私共は無力な百姓。役人もこの通り役に立ちません。出来るならば、皆様に守っていただきたいと」

「そういう事か」

 指図役が、目を細めて伊平治を見つめた。

「ですので、出来るならば土鮫の文吾様にご挨拶をと」

 更に一枚、小判を忍ばせた。

「よし。俺が取り成してやる」

 と、指図役が手下を一人走らせた。

 手下が戻ったのは、それから四半刻も後の事だった。

 頂上までの道は、更に険しかった。道は崖に面し、岩が突き出ている所もある。そこで、自分の足が震えている事に、小弥太は気付いた。

(やらねばならない)

 自分達のせいで殺された、あの村の惨劇を思い出す。この責任からは、逃げられないのだ。

 頂上に到達した。宝如寺の山門が城門のように改修されていた。まさに、これは城塞である。

 中に入ると、長屋が密集して建っていた。ここで賊徒が起居しているのだろう。女達の姿も見えた。三人ほどだ。洗濯をしている。

 それを抜けると、本堂があった。それを囲むように庫裏が建てられ、渡り廊下で結ばれている。

 別世界だ。ここで、一つの暮らしが出来上がっている。図面では見ていたが、想像とはまた違っていた。

 土鮫の文吾が待っていた。本堂の前。椅子に腰掛けている。

 巨漢だった。色黒で、髭面。腹の出た肥えた体躯に、女物の派手な打掛を羽織っている。

 左右に、鉄砲を手にした男が二人控えていた。銃口は真っ直ぐこちらに向いている。小菅忠平らしい男の姿は無い。

「お前が伊平治だな?」

「へえ。私めが乙丸村の庄屋、伊平治でございます」

「よく捕らえてくれた。今後、乙丸村は悪いようにはせんぞ」

「ありがたき幸せにございます」

 伊平治が慇懃に頭を下げると、文吾は自尊心を擽られたのか、大きく頷いた。

 それから、

「この四人は切り刻んで、心臓は酒の肴に喰らってやる」

 と、高笑いした。

(いいぞ)

 高笑いは油断の証拠である。もう少し、油断させろと小弥太は念じた。

「おい、鏑木」

 文吾が席を立ち、声を掛けた。

「何だ」

「お前は我々を目の敵にしていたようだな?」

「当たり前だ」

「だが、お上は俺達を懐柔しようとお目溢しを決めた」

「情けない話だぜ。お前達のような糞虫は始末する他に術はねぇというのによ」

「ふん。弱い犬ほどよく吠えるわ」

「弱い犬でも、糞虫は噛み殺せるぜ」

「何とでも言え。お前は早晩死ぬのだからな」

 文吾が、卑しい笑みを浮かべて近付いてきた。

「よく見れば、若い方は美童だな。まずはじっくりと犯してやろう。殺すのはそれからだ」

 俺の事を言われている。小弥太は息を呑んだ。

 一歩。そして、また一歩と文吾が近付く。

「ま、尻の具合次第で命は助けてやってもいいな」

 文吾が、目の前に立った。胸が高鳴る。呼吸も苦しい。

「お前は儂の男妾にしてやろう」

 小弥太は、奥歯を噛み締めた。

(やらなければ)

 久米衛門の村を思い出す。あの光景。殺された乳飲み子。犯された娘。それを命じたのは、目の前の男。

 土鮫の文吾。

「お前が」

 小弥太は、思わず言葉を口に出していた。

「え?」

 殺す。

 今だ、と決めた。

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