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第四回 武士の義務

 宿が無かった。

 旅籠を幾つか訪ねたが、どこも一杯だと断られてしまうのだ。

 賑わっている宿場というわけではない。というのに、建ち並ぶ旅籠が全て満杯というのは、どう考えても不可解である。応対の態度も何処かよそよそしい。

(偽りに違いない)

 小弥太は、したたかな腹立ちを覚えた。が、そうした事態でも父は顔色を一つ変えずに、

「他を当たろう」

 と、言うだけだった。

 いざとなれば、野宿でもいいと思っているのだろうか。野宿は構わないが、宿場まで来て夜露に濡れたいとは思わない。

(まさか何も考えていないわけではないだろう)

 父は楽天家ではないが、子どもの自分ですら読めない所がある。

 四軒目の旅籠。宿場の目抜き通りから、一本奥まった所に入った少路にあった。清記が訪いを入れると、腰が折れた老婆が現れた。

「宿を探しているのだが」

「へぇ、空いておりますよ」

 老婆は歯の抜けた顔に、満面の笑みを浮かべて部屋に迎え入れた。

 鼠の棲家と呼ぶべき、襤褸の安宿だ。廊下を歩くと、床が軋む音がする。おまけに、裏手には雑木林があって陽当りが悪い。畳が湿っているのは、このせいだろう。これなら野宿の方がと思わくもないが、贅沢は言っていられない。

 宿場が茜色に染まる頃、夕餉を摂りに二人で旅籠を出た。宿場の南には、一膳飯屋や居酒屋など縄暖簾が数軒並んでいる。どの店も入り口は開け放たれ、酒を楽しむ声が漏れていた。

「此処にするか」

 小弥太は、そう言った清記の背中越しに中を覗いた。

 広そうな店だ。土間に机が十台は並び、酒樽を椅子代わりにしている。奥には座敷席と二階への階段。客は宿場の町人や近郷の百姓が多く、座敷席には武士の姿もあった。

「御免」

 店に入ると、騒がしい店内が一瞬にして静かになった。落とした針の音まで聞こえそうなほどである。

(そうか。やはり……)

 小弥太は確信した。土鮫の一味を殺した事が影響しているのだ。旅籠の件もそうに違いない。

「空いているか?」

 清記が、板場から顔を出した主人に訊いた。

「えっ」

 主人は明らかに狼狽した。そして助けを求めるかのように客に目を向けるが、誰も目を合わせようとしない。

「迷惑なら去るが」

 答えはない。客や仲居も無言を貫いている。

「帰ろう」

 清記の言葉に、小弥太は頷いた。一晩ぐらい飯抜きでも構わない。そうして踵を返した時、背後から呼び止める声が聞こえた。

「よう。俺だよ俺」

 階段に腰掛けた男。鏑木である。もう役目を終えたのか、気儘な着流し姿だった。

「ちょうど、一人で飲んでいるんだ。どうだい?」

 鏑木は、白い歯を見せ二階を指差した。その笑みに屈託は無い。

「気持ちはありがたいが、どうやら歓迎されていないようだ」

 そう言って、静かな店内を見回した。

「岩寂の奴らは土鮫の一味が怖い腰抜けなのさ。下手に関わると面倒な事になると思っていやがる」

 と、一笑する。それに対し客達は下を向くだけだ。

「遠慮なんかする必要はねぇってもんです。俺は役人だから何も言わせねぇですし」

「なら、御一緒させてもらおうか」

 清記がそう言ったので、小弥太はその後を追った。

 二階は個室だった。料理や酒が既に出ていている。四半刻ほど、一人で呑んでいたのだと言った。

「新しく用意させよう」

 鏑木が襖を開け、仲居を呼んだ。食べ散らかしたものは下げられ、新しい酒肴が手早く出された。

「まずは、一献」

 鏑木の酌を、清記は受けた。

「君は?」

 鏑木が、目を向けて訊いた。既に鏑木の相貌は酒気で満ちている。

「私は結構です」

「苦手なのかい?」

「いや」

 小弥太は首を横に振り、

「元服するまで呑みません」

 と、答えた。

「ほう。そりゃ、お父上の躾かねぇ?」

「当家の家法です」

 元服までは飲酒を許されていない。他にも、博打と女も禁止だった。

「不自由だなそりゃ」

「いえ。それが当たり前だと思っていますので、不自由とは感じません」

「当たり前ときたか」

 鏑木が口を尖らせた。気に入らない答えだったのだろうか。

「歳は?」

「十五です」

「俺が十五の時は、既に飲む・抱く・打つだったなぁ。もう十年前さ」

 そう言いながら、鏑木は猪口を煽り自笑気味に鼻を鳴らした。

(十年前か)

 すると、鏑木は二十五歳という計算になる。外見は年相応という所だ。

「だが、『斬る』はしなかったがなぁ」

 鏑木の顔に、冷笑が浮かんだ。拗ね者の、世を斜に構えて見ているような表情だ。

「二人、斬ったんだろう?」

「はい」

「凄い斬り口だったぜ。親父さんほどじゃないにしろ」

「……」

「それも『当たり前』かい?」

 小弥太は何も答えす、鏑木を見据えた。御手先役としては、人を斬る事は当たり前である。だが、御手先役は藩の機密。安易な発言は控えるべきだ。

「怖いな、その眼。その歳から人を斬りゃ、そうなるのも無理ねぇな」

 鏑木はニヤニヤとして酒を口に運び、

「末は人斬りかい? こりゃ恐ろしい」

 と、吐き捨てた。

(末は人斬りだと?)

 だから何だ。その言葉が、喉から出そうになった。

(不快な奴だ)

 人を斬った事には、触れられたくはない。斬らなければ、奪われるか殺されていた。他に術は無かったのだ。

「まっ、いっか」

 鏑木がその雰囲気を察してか、話を変えた。

「俺は江戸生まれでしてね。木っ端な御家人ですよ」

 そう言って、鏑木が清記に銚子を差し出した。

 元は町方与力。不品行が祟って珂府勤番士、それも岩寂という僻地の守備に組み替えされたらしい。不品行の理由は上役の妹に手を出したからだと述べ、大いに笑った。

(しかし、よく笑う男だ)

 箸を進めながら、小弥太は思った。一見して陽気な男だと言えるが、それが返って底が見えない不気味さも感じる。目の奥が鋭いのだ。笑った瞳の奥の所にあるものが、研ぎ澄まされている。

「剣は?」

 清記が訊いた。

疋田ひきた流。一応、免許持ちですよ」

「疋田。すると江戸の白石宗灼しらいし そうしゃく先生の門下で?」

「ええ、親父の代からの付き合いですよ。平山さん、ご存じなんで?」

「如何にも。江戸で世話になった事がありましてな。何度かご指南を受けました」

「へぇ」

 父は、暫く前に江戸藩邸へ派遣されていた。世話になったのはその時であろう。

「さて……平山さん」

 小弥太が些かの眠気を感じた頃、鏑木は膳を退けて、居住まいを正した。

「土鮫の一件ですがね、賊共が岩寂を出るのを見張っていると手下に聞きました」

「それが?」

「どうする腹積もりで?」

「どうするも何も、私達は宇美津へ向かうだけだが」

「襲われますよ」

「その時は」

 そこで言葉を切り、清記は猪口を口に流し込んだ。

「親子で斬る、と?」

「それより他に術がない」

「そう簡単に言いますがねぇ、相手はかなりの数。全員で襲うわけではないにしろ、次から次に来ますよ。鉄砲もあるでしょうし」

「仕方あるまい。それが人を殺した業というものだ」

「厳しい人だな」

 鏑木は、肩を竦めてみせた。

「平山さん。そこで提案なんですがね、どうせなら俺達三人、こっちから斬り込みませんかね?」

 鏑木の言葉に、清記は肴に伸ばす箸を止めた。

「正気か?」

「ええ。一計があります。天嶮の要害ですから、攻めても落ちません。ですが策略を用いれば容易い。しかし、これを成功させるには、最低でも俺並みの使い手が三人いないと厳しいのですよ」

「面白そうだが、私達が協力する理由がない」

「理由? そりゃ人助けですよ。武士が刀を持つ理由は、民を守る為じゃないですか」

「ほう。見かけによらず、青臭い事を言う」

 清記が意外そうな顔をした。

(人は見掛けによらぬ)

 どちらかと言うと、そうした理想を笑い飛ばす男だと思っていた。だが鏑木は、さも当然の事のように語ったのだ。だが、それを信用してよいものなのか。鏑木という男は、底が見えない怪しさがある。

「俺は拗ね者ですが、武士の義務からは逃げようとは思いませんよ」

「やはり、青い」

 鏑木は目を伏せ、はにかんだ笑みを浮かべていた。

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