喫煙所のひととき
喫煙室は、食堂の隅にひっそりとあった。
喫煙者の減少か、あるいは嫌煙者による陰謀か、そこは五人ほどが入ればひどく手狭になるほどの空間だった。タバコは好きだが、本当に嫌になる狭さだった。
「……はぁ」
煙を吐き出しながら俺は話題を出した。
「なんでリーダー、ここに居るんスか?」
「休憩中だからだよ」
「じゃあなんで、水タバコなんですか?」
「好きだからだよ」
話にならいようだった。吸う度にぶくぶくと音を立てて沸騰するような水を眺めながら、リーダーが煙を吐く。吐くついでに頬を指先で叩いて、小さな煙の輪を無数に作り出した。
ちら、と見る。
得意げな顔に、なんだか損をした気分になった。
今度は吐いた煙を、鼻で吸った。
ちら、と見る。
激しくむせこむリーダーが見え、俺は静かにその背中を撫でた。
「ま、マイルドなんだ。紙巻きなんぞより、十分にうまい」
「わかりましたから。わかりましたから」
そんな中で、空気清浄機に寄りかかっていた一人の男、俺の先輩が神妙な顔で言った。
「つーかリーダー、なんでヤマザキのヤツ、クビになんねえんすか?」
「あ? ヤマザキ? 仕事人のか?」
「努じゃなくて」
「アーティストの?」
「まさよしじゃなくて――リーダーのつまんねえボケなんかいいんすよ!」
「ヤマザキ、なあ」
ふう、と煙を吐いてリーダーは言った。
ヤマザキは同期の同僚だが、どうにも仕事の出来ない男だった。
何事にも手を抜く。初めての仕事にも手を抜くという徹底ぶりで、それを悪いことだと認識していない。
また、何に対しても態度が軽い。チャラいと言い換えてもいい。脳みそを母体に忘れたまま生まれてしまったのかもしれない。
親の顔が見てみたいと言うよりは、親に同情したい。そんなプリン頭の青年だった。
「確かに、この前の腕だって、チェックまともにしてないからですよ」
俺はすかさず前回のミスについて弁解した。
「ダブルチェックだっつーのに、あんな不良があるなんてありえないっすよ」
「まあ、まあ」
「底抜けに明るいったって、ありゃただのバカですよ。あんな同僚ノーセンキューだ、のしつけて実家にクーリングオフしたいくらいっすよ。まったくどういう生活すりゃあんなバカになれるんだか、根底から人として構造が違ってるんじゃあないんすか? だっておかしいでしょうマジで、何食ってどう遊んで何を勉強すりゃあ、ああバカになれるんだか……逆に見習いたいくらいですよ。ありえないなんて言葉じゃ説明できないバカさ加減だ。ハイパーありえない、いやハイパーマックススーパーありえない。超バカだ。超バカツーとか、スリーとか、そんなレベルじゃないでしょう! 人として生まれたことを悔やむべきだ。あいつはせめて犬か猫にさえ生まれりゃユーチューブの人気ものだったろうに! 遺伝子レベルでバカなんすよ、人類の突然変異に違いない。さっさと研究所行きにすりゃ、もっと立派なグールができるかもしれない。いや、ああ、もっとバカになっちまいますね、ははっ」
先輩は末恐ろしいほどの早口で、一息にそんなことを言っていた。俺には半分以上聞き取ることが出来なかった。
リーダーはいささか困ったように額に汗を浮かべる。
「そういう悪口は、あまり良くないぞ諸君」
「ヤツがおれらと同じ給料なんてありえねえっす!」
言いながら、先輩は二本目のタバコに火をつける。ならうように、俺も新しいタバコを吸い始めた。
「ここは唯一仕事を忘れられる楽園だ。仕事の話は持ち込むな」
「四帖半の楽園じゃ、愚痴の一つもこぼれますよ」
「だからってなあ……オレに言われても困るんだよ。人事権はないし、正当な評価はしているはずだが」
「正当って?」
「チェックミスだったり、グールの破損だったり、業務怠慢だったり」
「だから、なんで」
先輩が参ったような顔をする。確かにその評価で、特にお咎め無しというのは疑問しかない。
「ここはオレたちみたいなんでも働ける、最後の職場だ。お偉い生産性のある立派な仕事じゃない」
まるで子供に諭す親のような、穏やかな顔をしていた。
俺は妙に説得されたように、心が安らぐ感覚を覚える。それでも、先輩はまだ納得がいっていないように食って掛かる。
「だから、許すってんですか? 無条件で?」
「ヤマザキだって、あれでも一生懸命働いてるんだ。あれでも、な。ただ能力が低いだけで――」
バタン! と勢い良く喫煙室のドアが開いた。
息を切らした、まだエプロンすら外していない一人の工場員が口を開く。
「リーダー! ヤマザキがグールにブレーンバスター決めてます!」
プツン、と何かが切れるような音がした。
「ヤマザキィィィィィッ!」
今日も、怒声に工場が揺れる。