工場員の朝は早い
――グール・ファクトリーの朝は早い。
午前四時に起床。寝ぼけた頭をかきながら、彼は大きく嘆息する。まだ薄暗い外を窓越しに眺めて、また今日が始まってしまうことを恨むような目つきをした。
「こんな早い時間から、作業が始まるのですか?」
密着取材の雑誌記者――私は、そう訊いた。男は眠そうな目をこすりながら、着慣れたらしいよれよれのシャツに着替える。
「ええ、まあ。早番は六時からなんですが……今日は全機材の点検をしなきゃなので」
自転車通勤、自宅から十分ほどの距離にある。
その外観は巨大な廃屋そのもので、工業地帯にあるからこそその異様さが際立つ。衛生管理の面で、隣に食品工場があるのはいささか問題だと思う。
思いながら一年が経過した、今も思ってる。彼はそう語った。
――午前 四時四五分。
「ここが、グール・ファクトリー?」
「はい。俺の職場です」
駐輪場に自転車をとめて、玄関口から入る。階段を上った先に、事務所がある。
「事務所でタイムカードを切るんです。日勤の時間帯なら、フロントに受付の子がいるんですが」
彼は少し残念そうな顔をした。
「彼女さんですか?」
「や、そういうわけじゃ。まあ、紅一点みたいなもんですかね」
照れたような笑みを浮かべながら、彼は壁に備えられているタイムカードの内一枚を引き抜いた。カードには何らかのマスコットキャラクターのような柄が描かれていた。
壁に埋め込まれているタイムレコーダーにスキャンさせた後、『おはようございます』という女性の機械音声が鳴った。
「そのマスコットはなんですか?」
私の問いに、彼は初めてその存在に気付いたかのような顔をして、ああ、と唸った。
「グール、っすかねえ」
「さすがはファクトリー」
私は妙な納得をする。
事務所を後にして、彼は廊下の奥にあるという更衣室へ向かった。私は事務所で白衣を借りて、作業場の入口で彼を待った。
五分ほどして、彼は薄汚れた白い作業服姿でやってきた。
「それでは、行きましょうか」
手を洗い、長靴を洗浄した後、エアシャワーを浴びる。衛生管理は、食品工場のそれと同じように感じられた。
「グールの製造なのに、衛生管理が厳しいくらいでは?」
「まあ、世知辛い世の中ですからね。隣に食品工場もありますし」
少し疲れたような彼の横顔に、いささか同情心が沸いた。
広い通路、壁には両開きの扉が等間隔で設置されている。その向こうには、ライン別で分けられた広大な作業場が存在する。
がしゃん! がしゃん! と断続的なプレス音が響く。足元に、その振動すら感じる。
「この音は?」
「グールの冷凍保存時のプレスです」
「え? 肉塊を型どおりにプレスしているんじゃないんですか?」
巷を賑わせている噂を口にする。
「粘土じゃあるまいし」
彼は快活に笑う。
「五体をパーツ別で作った後に、アームロボで接続するんですよ」
それも、どこかで聞いたような話だった。彼も冗談を口にするのだ、と笑う。
「粘土じゃあるまいし」
「いやマジですよ。しっかりと見ていてください」
「はは」
私はまるで信用していなかった。だからこの後の衝撃など、到底予測は不可能だったのだ。
――午前 六時○○分。
点検中は、すべてのレーンが停止する。夜勤者が既に清掃を開始している最中に、それが行なわれた。
彼が所属するのは製造四レーン。まさに五体のパーツを接続する為のラインだが、今日はまだその場には赴かない。
初めは成形一レーン。それぞれのパーツの成形が主だ。
「ここでは、どのような機械があるんです?」
機械を開きながら、内部を点検する彼は大きな声で叫ぶように言った。
「ここでは! グールの頭を作ります!」
「頭を?」
「特に重要な部分です」
「どういう風に?」
「材料を補填して! ひりだします!」
「そ、そうですか……」
成形二レーン。
「腕を、ひりだします!」
成形三レーン。
「脚を、ひりだします!」
成形四レーン。
「胴体を、ひりだします!」
――午前十一時。
私は大きくため息をついた。これでようやく工程半ばだというのに、ひりだすだけでプレスとさほど代わりはない。まるで狐につままれたような気分だった。
「あれで、まともに動くんですか?」
「え? 動くにきまってるじゃないですか」
謎の自信だった。
説得力の消えた言葉はこんなものか、と思った。
「後半の製造レーンで骨と関節を入れ、合体させます。ほら、動くじゃないですか」
「……」
「午前、お疲れ様です」
工場の食堂は、事務所の隣にある。広いスペースと並ぶ長机の数だけざっと見ても、二百人ほどは収容できそうな広さだった。
定食は日替わりで、A、Bのみになっている。
今日はA定食は骨付き肉とライス、サラダ。B定食はハンバーグ。なぜか込み上げてくる胃液を飲みくだした。
「よ、よく食欲が出ますね」
「おいしいですからね」
「本能ですか」
「ま、食欲なんざ後から沸きます」
何を言っているか理解できない。
食欲以前の話なのだろうか。私は深く考えないことにした。
――午後 十一時三○分。
「チィッス! ウィッッス!」
「ど、どうも」
喫煙所で同僚とたばこを吸っている彼に、私は席を外す旨を伝えた。
「少しトイレに行ってきます」
「ああ、気ぃ使わないで、ゆっくりひりだしてください」
「は、はい」
苦笑しながら、私はそそくさと工場内に戻った。
白衣を纏い、手を洗い、長靴を洗浄し――そうして、稼働している作業場に足を踏み入れた。
何かをはぐらかされている。そんな疑惑だけが胸の内で肥大していた。
何かがある。ただ肉塊を成形し、骨を入れるだけで完成するのはただの木偶だ。ありえない。
そもそもグールってなんだ。化け物か? ファンタジーの世界じゃあるまい。
例の製造四レーンまで向かう。
どこかで何かの咆哮が響く、そんな気配がした。
現場は近い。隠し持ってきたカメラを片手に、私は先を急ぐ。その瞬間だった。
「ちょっと君」
目の前に割り込む人の影。作業服に身を包んだ背の高い男だった。オールバックの、堀の深い男だ。まるで仏のような笑顔があるが、この場でその存在はあまりにも異質すぎた。
「カメラの持ち込み、厳禁だよ。君は確か――」
目があう。視線が交錯する。暖かさえ感じる満面の笑みなのに、瞳はまるで笑っていない。背筋に、冷気が差した。全身が震えだす。
「派遣の彼担当だった、記者か何かじゃなかったかい?」
「あ、ええ……」
「一人では危険だから、彼にはよく言っておいたはずだが」
「きょ、許可を、頂いておりまして」
「許可? ふむ、不思議な話だな」
「え?」
「少し、話をしようか。詳しい話は、もっと静かな場所でしよう――」
――午後三時。
私は工場の前に立っていた。時間は午後三時。
私は確か、ここには朝の六時前にはいたはずだった。だが、それから今までの記憶はさっぱりなかった。
何を言っているかわからないだろうが、私にもさっぱりわからない。超スピードや超能力のようなちゃちなものでは断じてない。もっと恐ろしい……何かに、何かを、された、ような。
「……何も、ない。なかった」
私は無意識に、言い聞かせるようにそうつぶやいた。
そういえば、取材は確かにしたのだ。時間が過ぎているということは、そういうことなのだ。
ここは何の変哲もないただのグール・ファクトリー。不思議なところや、違法なことはなにもない。
ここはただの、グール・ファクトリー。
私はひとり、つぶやきながら帰路についた。