不器用皇太子と恋愛嫌いな妃の物語
アンサクレ国国王正妃レイシアの唯一の娘であるメアルリナ王女は母親譲りの美貌のかんばせと聡明さ、父親譲りの翠の瞳と意思の強さを持ち、国民から絶大な支持を得ている。
一方隣国のピントゥナ帝国皇帝正妃の長男であるアルベルト皇太子は母親譲りの蒼い瞳と国を思う心そして、父親譲りの麗しいかんばせと人に好かれやすい何かを持ち、国民からも宮廷の貴族からも絶大な支持を得ている。
この二人は1年前に結婚した。こうしてメアルリナ王女はピントゥナ国皇太子妃となったのだ。
「あー。サラ。あれはどこだ。」
アルベルトは皇太子妃付きの侍女であるサラに声をかける。サラは眉間にシワを寄せる。サラはアルベルトの乳姉弟のせいか、気安い関係なのだ。
「はい?殿下。申し訳ありません。あれではわかりません。あれとは何でしょうか?」
サラは分かっていてもわからないふりをしてアルベルトに聞き返す。アルベルトはむっとする。しかし、まだあれを口に出せずに百面相をしている。普段の威厳ある皇太子の姿からは想像できない。
「まあまあ。サラ。分かってやってくれよ。アルは恥ずかしくて、自分の奥方であるメアルリナ妃殿下の名前を出せないんだ。」
そうやってくすくす笑って助け舟かそうではないのかよくわからないのことを言うのはアルベルトの従兄であり側近のカイルだ。
「カイルっ!」
「図星だろう。...感心しないな。自分の奥方しかも隣国の王女であらせられるメアルリナ妃殿下の事をあれだなんて。もし皇后陛下のお耳に入ったらなんて仰られるか。」
カイルはそう言ってアルベルトを注意する。カイルはアルベルトの兄のような存在であり、注意など諫言をするのも認められている。彼自身皇族であるのも一因だ。
「母上には言うな。面倒だ。」
アルベルトは気を取り直すと、そう言う。
「サラ。メアルリナ姫はどこだ?」
アルベルトが聞くと、サラはかしこまったように顔を下げる。
「はい。殿下。妃殿下は自室で手紙をしたためられております。」
「そうか。ならそこに行く。」
アルベルトはそう言ってメアルリナの自室に向かう。
「拝啓 親愛なるお兄様へ。
お兄様。そちらはいかがでしょうか。
うーん。どうしようかな、ああ、そうだわ。
こないだは装飾品やら服装やらありがとうございます。本当に嬉しかったです。お兄様の心遣いにはひたすら感謝いたします。」
メアルリナは考え込みながらひたすら母国の王太子である異母兄アレクシスに手紙を書いていた。メアルリナが嫁ぐ時にアレクシスは『一週間に一度いや一ヶ月に一度は必ず僕に手紙を書くんだよ。虐められたらすぐに言いなさい。お兄様がそんなやつこらしめてやるから。』と言ってきたからだ。
「皇太子妃殿下。皇太子殿下のお越しです。」
ノックしてから入ってきたサラがそう告げる。メアルリナは笑みを浮かべる。そして、ペンなどを片付け始めた。
「そのようなことは私がやります。妃殿下。」
サラが慌ててメアルリナに近寄る。メアルリナはサラに一つ封書を差し出す。アレクシスへの手紙である。
「これをアンサクレのアレクシスお兄様に出しておいてちょうだい。」
「かしこまりました。妃殿下。」
「おい。姫。いつまで俺を待たせる気だ?夫よりもアンサクレの兄上か?」
アルベルトが苛ついたように言う。サラは呆れたように内心ため息をつく。カイルは眉間にシワを寄せる。
「まあ。殿下。お久しゅうございますわ。お待たせして申し訳ありません。」
メアルリナはにっこりと微笑んで謝る。
「謝ることなんてありませんわっ!お義姉様。」
そう言う少女の声がする。アルベルトは嫌そうな表情を浮かべる。
「何のようだ。アメリ。」
アルベルトは声の持ち主である自分の同母妹のアメリアに声をなげかける。アメリアはとても美しい少女だ。その顔は厳しい。兄を睨みつけている。
「お義姉様に珍しいお茶を持ってきただけですわ。お兄様。今日という今日は言わせていただきますけれど、お兄様みたいな政治馬鹿にお義姉様みたいな出来た方が嫁いできてくださっただけで奇跡なんですから、もっと大切になさいませ。」
アメリアはそう言ってつんと顔をそむける。
「まあ。アメリア様。そのように仰られないでくださいませ。殿下は素晴らしい御夫君です。私は尊敬しておりますわ。」
メアルリナはそう言う。
「それは本心か?お前を蔑ろにして政治ばかりにかまける俺が素晴らしい?」
アルベルトが言うと、メアルリナはきらきらと目を輝かせる。
「はい。殿下。だって殿下は国を、民を大切にしてらっしゃいますもの。そのために私のことなど気にかけないのは当然のことです。...上に立つものが恋だの愛だのと言って些事に囚われることはあってはなりません。私、そんな方大っ嫌いですの。殿下はその点安心です。」
メアルリナがうっとりとそう言う。全員が黙る。メアルリナの父、アンサクレ国王は寵妃のことを人生で唯一の恋人などとのたまい、メアルリナの母である王妃を蔑ろにし続けた。王妃はそんなことも気にせず、寵妃の長男だけを養子にとり、立派に育て上げた。それがアレクシスだ。そんな王妃は民から絶大な人気がある。
「姫。俺は、いやなんでもない。話があったんだがそれは今度にしよう。カイル。執務室に戻るぞ。」
アルベルトは部屋から出てすたすたと歩き出す。カイルは一礼してからアルベルトを追う。
「全くお兄様には困ったものですわ。お義姉様。お兄様の事を見限ってあげないでくださいませね。素直になれないだけなんだから。」
アメリアはそうやって一応兄をフォローする。メアルリナは微笑むだけだ。
メアルリナは一人になって思い返す。婚礼の夜にアルベルトから言われた事を。
『俺は貴女一人を愛せない。俺にとっての唯一は国だ、民だ。どうか、それを許して欲しい。』
それを言われてメアルリナは微笑んだ。この人はきっと誠実な人だとわかった。彼は自分が敬愛できる人だ。きっと自分は恋愛はできない。あの両親をみていて恋愛に憧れる気持ちは皆無だったし、アルベルトに言われたことはとても嬉しかった。だからいつまでだってメアルリナはアルベルトに相応しい皆に愛される皇太子妃であろうとするだろう。それがメアルリナがアルベルトに正妃として、してあげられる唯一のことなのだから。
「アル。お前も少しは素直になったらどうなんだ?メアルリナ妃殿下に一目惚れだったくせに、婚礼の夜にあんなことを言うわ、今だってぶっきらぼうに扱うわ本当にひどい夫だぞ。あの姫でなければ一生結婚しないとまで言ったから俺だって、お膳立てを頑張ったっていうのに。」
アルベルトはカイルに絶賛説教され中であった。アルベルトはむすっとしている。
「ああ。そうだ。アンサクレの夜会に出ている彼女を見た時に俺の妻は彼女だと思った。だけど彼女をどんなに愛してても俺は国と民より愛してるかって言われたらわからない。しかも彼女は恋愛嫌いなんだ、きっと。婚礼の夜、あれを言ってからとても安心してたんだから。」
アルベルトはぼそぼそと言う。カイルはため息をつく。
「だからってお前。」
「彼女のことは幸せにする。とりあえずは馬鹿な貴族どもを片付けてからだ。今の状態で俺が彼女のことを寵愛したら馬鹿な貴族どもはきっと彼女に危害を加えるだろう。そんなのは許せない。あと少しだから。」
アルベルトは意思の強い瞳で言う。その顔はいつもの毅然なピントゥナの皇太子としてのそれだ。カイルは何も言えなかった。
素直になれない皇太子が恋愛嫌いな妃と相思相愛になる日はいつ来ることやら。それはきっと神のみぞ知るのかもしれない。だが、そんなに遠くない未来歴代稀に見るほどのおしどり夫婦として彼らは歴史に名を刻むだろう。