手をつないで
T埠頭での貨物船沈没事故の第一報と同時に、その早朝、神奈川県K市の高台にある豪邸が全焼したというニュースが大々的に報じられた。
最初に流れたニュースでは、いまだに煙を上げ続ける張 家輝邸の様子が生々しく映し出されており、複数の遺体が見つかったらしいという緊張したアナウンサーの口調が、事件が通常のものではないという予感を匂わせていた。
澪子はパソコンを閉じて、デスクの上のテレビに見入った。
傍らのUSBメモリには、貨物船におけるミッションの証拠となる画像を集めた一種の報告書が収めてある。
権田組、言い換えれば権田眞一郎のための最後の仕事だった。
たとえ命令を出した上の連中が、船から少女たちの遺体が発見されたという報道を得られなくとも、そのかわり「上層部によって握りつぶされた、貨物船の中の焼死体の画像」と称せられたそれらしい写真が某所からネットに流れる手はずになっていた。
陰謀論の大好きな世間は怪情報ほど簡単に飲みこむ。その噂と怪しい画像は、おそらく当局を満足させることだろう。だがそれはまず、本当に船底から少女たちの遺体が「発見されなかった」ことが、報道によって確かめられてからのことだ。
デスクの上の携帯が鳴った。表示は、公衆電話。自らの勘に従って、澪子は手に取り、短く答えた。
「はい」
『俺です』
澪子は思わず前髪に手を入れ、ため息をついた。
「……生きていると思ったわ。沈みもしなければ、焼けもしなかったのね」
『そうみたいだ。澪子さん、今一人?』
「ホテルの部屋に一人よ。SYOU、あなたは?」
少し間をおいて、静かな声は答えた。
『今、手を繋いでます。リンと』
それを聞いた途端、澪子は自覚しないまま目頭を押さえていた。
一人きりの頭の中で増え続けていた、蒼白な顔の死者の列。その中から、確実に二人は抜け出たのだ。誰に何を祈ったこともない自分が、初めて祈り続けた夜。
『澪子さん。いちばん先にあなたに話さなきゃならないことがある。……ヤン・チョウのことだけど』
「あの中にいるのね」
澪子は煙を上げ続けるテューダー朝の豪邸を見やりながら言った。
「いつかはああなると思っていたの。彼も、長年の望みだった月の姫君を、短い間とはいえ手中にできたのだから、本望でしょう」
しばらく沈黙が続いた。
「十七人は?」
『予定通りに』
「そう」
短い答えに、澪子は万感の思いを乗せた。SYOUは続けた。
『……いま、何してたんですか』
「可愛い昔の男に追悼の意をささげてロゼワインを飲んでたのよ」
澪子は手の中の冷えたグラスを掲げて言った。SYOUは少しの戸惑いを飛び越えて、口を開いた。
『今だから言うけど、俺、あなたを本物の魔女か魔法使いだと思ってたことがあるんです』
澪子は声を立てて笑った。
「本当に?」
『……いつか言ってたでしょう。ワインとスペアリブの店で。
ばら色のワインを通すと、何もかもが舞台芝居のよう。始まりもなければ終わりもない、酔い心地の迷宮。そこでは何もかもが可能で、誰も何の責任も取る必要がない。偶然と必然はすべて繋がり、どんな奇跡も思いのまま。出会うべき人々はみな出逢い、愛しあうべきものは愛しあい、死ぬべきものは死ぬ。
……酔迷宮。あなたが住むには似合いの場所よ。あたしが神様なら、あなたを主人公にしてこの世界に閉じ込めるわ……』
「よく覚えてるわね、言った本人が忘れてるのに」澪子は呆れたように言った。
『あなたが本物の魔女だということに賭けて電話したんだ。しばらくリンと静かに過ごす場所がほしいんです。
迷宮の鍵があるなら、閉じ込めてもらって構わない』
澪子はロゼワインをひと口飲むと、あっさりと言った。
「いいわよ」
『……本当に?』
SYOUの声には明らかな驚きが含まれていた。
「お望みなら迷宮にご招待しましょう。そう、彼から依頼を受けてたことだし」
『彼?』
「極悪非道なヤン・チョウ。あいつはいずれリンのそばで息絶えることは十分予期していたのよ、勘のいい男だしね」
『……』
「人間としては最低の野郎だけど、彼がどれだけリンを愛していたか、それはあなたにもわかるでしょ」
『ええ』
「自分に何かあったらそのときは財を譲るから、二人の保護を頼むと言われてたの。あなたやリンに譲ると言っても受け取らないだろうからと。その通りでしょう?」
『……たぶん』
「いつ来る? 扉はあけておくわよ」
『これからリンと二人で行くところがあるんです。まずそのためにできればリンの服を借りられれば』
「どこへいくの」
『詩織が手術中なんです。船で怪我をしました。眞一郎氏は今沖縄で、到着は夕方になるそうです』
「怪我は酷いの?」
『ひどく頭を打っていて、緊急手術が必要な状態です』
「リンと一緒に行くの、病院へ」
『ええ』
少し間をおいて、澪子は言った。
「……わたしの祈りも、できれば一緒に届けてちょうだい」
『祈ります。心から』
「できればリンと話したいわ」
『会話は無理だと思う』
「無理?」
『なんていうか、子猫みたいになっちゃってるから』
電話の向こうで、にゃあお、にゃあおという声がした。
「今のはリン?」
『最初のはリンが抱いてる子猫の恬恬。二度目はリン』
澪子は微笑するとワインをひと口飲んだ。
「話ができなくてもいいわ。リンにかわって」
電話の向こうで、ほら、というような声がして、ごそごそという音と、みー、という細い子猫の声が続いた。
『リン。……わたしよ』澪子は中国語で言った。
かすかな息遣いが聞こえてくる。
『よかったわね。いま、幸せ?』
顔は見えなくとも、リンの微笑みが、影絵のように澪子のまぶたに映った。
『その幸せはね、永久に続くのよ。あなたに会ったら綺麗な黒のチャイナドレスをあげるわ、姉が若いころ着ていたものよ。
お返事はしなくてもいいから、少し話を聞いてね』
『是』
細い声がはっきりと答えた。澪子はため息とともに額を押さえると、また続けた。
『あなたのお父様、大千大師の教えは覚えてる?
この世が宇宙の真理と同じ美しい波動で満たされれば、人は永遠に幸せになれる。美しいものは世界に遍在している、空、空気、水、光、波長と律動、しかし人には集められない。だが時としてそれを内包した尊い存在がこの世に生まれる。その存在を通して、その存在を愛することを通してひとは、神に万遍なく愛されていると知る。そう言っていたのよね。
その教義、ひとは真理に目覚めることによって幸せになれるという教義を信じた一人の若い女が彼に嫁いだ。それがあなたの妈妈、……継母の静華。
彼女は本当に真剣に養女のあなたを愛そうとしたと思うのよ、だって大師にとっての宝は妻にとっても宝だから。天からの授かりものと大師はあなたを何よりも尊んでいたから。
でもたった一つの単純な感情、エゴと嫉妬という感情によって彼女は焼きつくされて敗北したの。自分の子を愛さず、その死を悼まず、拾い子に愛をささげる夫への憎しみ、美しい娘への嫉妬に。あなたは優しかったマーマを愛し、失った悲しみに打ちのめされた。わたしはそれを知ってる。でもそれは、あなたのせいじゃない」
電話の向こうの沈黙が心なしか深くなった。
「静華には妹がいたの。
彼女は、幸せは力によって勝ち取るものだと信じていた。夢に嫁いだ姉は軽蔑の対象だった。腐敗した中国が文化大革命で新しい夢に向かって暴走し始めたとき、まだ少女だった彼女は、力と正義を持つものが国を動かせる時代が来たと思ったの。でも結局、夢は夢でしかない。表が駄目なら裏からでも国を動かせる力を得たいと思った馬鹿な娘は、やがて中央政府の諜報員になり、国のために、パワーゲームの好きな男たちのために踊った。下衆な男どもに従っているうち、どんな不道徳も悪趣味も許容し楽しめるようになったのが唯一の収穫。
どちらが馬鹿だったかはいい勝負よ。
夢の価値は探れない。でも夢の罪は、その残骸は、いつでも弱いものが被る。けれどこの世に神がいるなら、報いはあるべきよ」
沈黙に向かって、澪子は小さく微笑んだ。
「ものがたりはこれでおしまい。
SYOUはいい男よ。誰に遠慮することもなく、幸せにおなりなさい。
愛しているわ、リン」
しばらく間があって、電話口にSYOUが出た。
『終わった?』
「ええ。リンはどんな風だった?」澪子は日本語に戻して言った。
『にっこり笑って、受話器にキスしてた』
澪子は黙って天井を見上げた。
「わたしからも十万回のキスを送るわ。そう伝えておいて」
『わかった』
SYOUは少し間を置くと、静かに言った。
『澪子さん。……あなたとは長い付き合いだけど、いまだに素顔が見えない。こんなこと言うと怒るかもしれないけど、たまに思うんだ。あなたでも泣くことはあるのかな、どんな涙を流すのかなって……』
「ありがとうハニーボーイ。今泣いてるのよ」
『……』
SYOUは言葉を詰まらせたあと、誤魔化すように言った。
『見たいな』
「駄目、見たら惚れちゃうから」
そして二人、さざ波のように笑いあう。
「お見舞いが済んだらまた電話して。場所を用意しておくわ」
空のグラスを置いて、澪子は電話を切った。
あまりに雑多な情報を、わかりやすくまとめるのはなかなか難しい。
八月十五日のT病院での目撃談を最後に、この世から姿を消した二人、SYOU―柚木晶太と、リン―黄月鈴の足取りを推測する手がかりとなる周囲の証言を集めてみた。
重要なものを選んで、時系列順に並べてみることにする。
まず起きたことの確認。メディアの報道ソースで。
八月十五日、東京都のT埠頭に停泊中の韓国籍の貨物船が深夜火災を起こし、そののち爆発・沈没。
船内からは、警視庁外事課に勤務する菊池高志の遺体が発見された。死因は転倒あるいは積荷による頭部の外傷とみられるが、損傷が激しくはっきりしない。何らかの捜査で入り込んでいた可能性も考えられるが詳細は不明。アジア系密航者の捜索の線も。火災の原因は、ヘビースモーカーである彼の煙草の火の不始末から積荷である肥料・小麦粉に引火した末の粉じん爆発の線が考えられている。
同夜未明、神奈川県K市の中国人実業家、張家輝氏の別邸から出火。焼け跡から少なくとも七人の遺体が発見された。身元が分かったのは張氏と、中国人留学生の男性、薬剤師の中国人女性。あとは家族と連絡が取れず身元不明。おそらくこの家に複数出入りしていたボディガードとみられる。
三日後、放火犯として、助かった中国人のボディガード、林 明杰が逮捕される。
彼の証言によれば、賊の侵入により現場が混乱、銃撃戦となり、自分は地下室のドライエリアに面した窓を破って脱出。当主の張氏から、この家で複数の死人が出たときは火を放てとボディガード全員が命令されていたと証言。
なおこの家のボディガードと見られている男性のほとんどが、中国マフィアに属するかその系列の人間と見られている。付近住民は徹底してかかわりを避けていた様子。
ここからは自分、若宮宗司が単独で得た情報となる。
十五日未明、都内T病院に、女優の伊藤詩織が意識不明の状態で運び込まれた。
後頭部の外傷によるくも膜下出血。そのまま緊急手術となる。
手術同意書が必要となるも、唯一の身内の父親の眞一郎氏は仕事で沖縄に滞在中のため、医師が電話で確認をとった上での手術となる。かわってサインしたのは、彼女を運び込んだ「青年」だった。
彼の正体について、当時の状況について、病院側は堅く口を閉ざしてきた。
以下は手術後の詩織嬢の担当看護婦であったY嬢から得た、当時の貴重な証言だ。
(以下Y嬢談)
詩織さんが運び込まれたときのことはよく知りません、わたしは夜勤じゃありませんでしたから。
緊急手術は十五日の午後から行われ、わたしは病室に戻った彼女の担当となりました。一応成功はしたものの、酷く危ない状態でした。発症によるストレス反応で血圧が上昇し、心負荷による心筋症を起こしていたんです。
運び込んだ「青年」は、同意書に代理でサインしたあと、くれぐれもよろしくと頭を下げて、姿を消したということでした。わたしはそれがだれかは知りませんでした、誰も語りませんでしたから。
彼女の心臓が止まったのは手術終了の三時間後、午後六時ごろでした。
その直後、お父様が到着なさいました。夏休み中、しかもお盆近もおわりのころで、なかなか飛行機がとれなかったということです。
なにしろあの権田眞一郎氏です。どうお伝えしていいのか、担当医はもう真っ青でしたね。
お父様はひどく憔悴なさっていました。そしてただ、病院に娘を運び込んだ男はどういう人相風体だったか、その後来たか、と何度も聞かれました。
担当医も看護婦長も、ただわかりません、とお答えしていました。
その日は休診日で、病棟は閑散としていました。葬儀社に車の手配をして、お父さまはいったんご自宅に帰ると言って出て行かれました。霊安室を嫌われ、暫く娘の身体は個室に置いてほしいとおっしゃったので、お迎えの車が来るまでは個室に安置しておきました。
お二人が現れたのはその後でした。
わたしは今でも思いだします、あの二人が夜の廊下をやってくる姿。
ひと気のない病棟の長い廊下を、しっかりと手を繋いで、まるで双子みたいに歩調をそろえて、背筋を伸ばして歩いてきたんです。
男性のほうは黒のタンクトップに黒のパンツ、黒のベスト……ジレっていうのかな、を着て、とにかくモデルのようなすらりとした長身。女性は長い髪を背中に流して、黒に金糸で見事な龍の刺繍がしてあるチャイナドレスを着ていました。妖精のような浮世離れした美しさで、……それはもう、一幅の絵のように綺麗なお二人でした。
わたしはそのとき、ああ、詩織さんを運んできたのはこのひと、SYOUさんなんだと悟りました。昔噂になっていたお二人ですからね。
急死なさったことをお伝えすると、SYOUさんは緊張した表情で、受付で聞きました、とおっしゃいました。そして、とにかくお顔が見たいと。
わたしは担当看護婦として同席させていただきました。
おふたりは詩織さんの顔の布を外すと、じっとその顔を見ていました。お連れの女性は、一言もしゃべりませんでした。
そのあと屈んで、かわるがわる、詩織さんの頬にキスされました。SYOUさんは頬を両手で包んで、詩織さんの額に額を付けたまま、しばらく動きませんでした。
そのあとお二人はそれぞれベッドの両側に回り、SYOUさんは詩織さんの右手を、女性は左手を握って、そのまま目を閉じられたんです。
室内は無音になりました。
不思議な時間でした。……本当に不思議な。
何時間もたったような、ほんの一分ぐらいなような。部屋中が催眠術にかけられたようで、時間の経過がなくなり、音も気配も消えて、わたしは何か別世界に引き込まれたような陶然とした気分になったんです。
いまだにあの時の感覚を思い出すだけで、全身が痺れるような心地になるんです。
ふと我に返ると、お二人はお部屋にいませんでした。どれぐらいの時間がたったのか、わたしはあたりを見廻して、今までのすべてが夢かと思いました。
詩織さんの心臓が動き始めたのは、その直後でした。ええ、蘇生したんです。
奇跡とはこのことです。それでわたしは、自分の見た光景が夢でなかったことを逆に知りました。
けれどその知らせがお父様に伝わることは、ついになかったのです。
以下、権田眞一郎その後について記する。
病院を出た後、眞一郎氏は日本刀を持って警視総監宅にそのまま突入し、応対に出た秘書に大怪我を負わせ、続いて出てきた後藤警視総監に切りつけて殺害した。
そしてその後、被害者宅の玄関前で切腹して果てた。
享年六十三歳。
権田眞一郎は、死を覚悟したうえでその日、新聞各社にファックスを送っていた。
タイトルは、「一死 大罪を謝す」
終戦の日八月十五日、最後の陸軍大臣・阿南惟幾が自刃した際に残した遺書の最初の言葉を模したものだ。
ファックスの内容は驚くべきものだった。
陽善功の信者の娘たちが日本に流れ、保護の名のもとに霊燦会と現政権と暴力団が作り上げていた接待所の実態。そこに閉じ込められ、そこに権力者が群がっていたという構図。中国の腐敗からこぼれ出た甘い汁を吸う日本上層部、そして顧客の顔ぶれ。その場と客とのつなぎ目となり汚れ仕事を請け負うのを条件に暴力団規制法からのお目こぼしをいただいていたことへの自責の念。最後に、いよいよ政権自体が危うくなった結果、地雷となりかねない接待所を閉鎖し、秘密を知る少女たちを粛清しようとした当局と、それを権田組に押し付けてきた事実。ミッションの結果としての貨物船火災。巻き込まれて命を落としたまな娘への謝罪の言葉。
『わが娘は不詳の父の名誉と立場を守りつつ、犠牲者を出さないために奔走した。惚れて悔いのない相手に惚れたことを誇りに思うと、娘は言った。それほどの覚悟をもった生き方を、どれだけ父親の私はしたであろうか。娘と思い人の覚悟に匹敵する覚悟を、この身は持ちえただろうか。
無言と保身を貫くことが組織の命脈につながるとしても、人間としての誇りなくしては地獄にすら落ちることは出来ぬ、先に落ちた者たちに合わせる顔がない。遅きに失したとしても、わたしはここに自らの罪のすべてを明かし、罪びとの一端に自ら鉄槌を加え、そして大元に対する世の裁きを待つものである。
なお、葬儀は望まない。娘の葬儀は粛々と丁寧に、そしてこの身は近親者により散骨してもらうことのみを望む』
そして知るもののみが読み取れるひと言が、最後に添えられていた。
『娘を死に至らしめた犯人を地獄に送ったと伝えてくれた男に、私は心からの賛辞と感謝を送る。願わくば遥かな地平に、彼の永遠の幸があらんことを』
彼の遺書に、ひとことも愛人の澪子の名は出て来なかった。これは自分の死後のいざこざを思い、あえて縁を絶とうとした意志、つまり愛情の表れか。
その澪子が、共産党のスパイ、王静蕾だという事実は、SYOUから告げられた俺ぐらいしか知る者はいないかもしれない。眞一郎氏は知っていたのかいないのか。どちらにしろ、重い事実だ。だがこのすべてを背負って生きるからには、知ったことを別の次元に昇華し、新たな作品として後世に咲かせるしかこの身にはすることがないのだ。
そして俺は追うだろう、姿を消したSYOUとリンを、これからも。
同時に姿を消した王静蕾の行方も、はたしてこの世の果てのどこかに流れ着いたか、あるいはこの世とあの世のはざまにともに落ちたか、どこまでもその真実を求め続けるだろう。
思えばそうした記憶の残骸を追い、意味を問い続けることが、俺のライフワークだったのだ。
詩織ちゃん。これが今俺、若宮宗司が渡せる記録だ。今はまだ体が本当じゃないだろうが、頭がすっきりして元のきみに少しでも近づけたら、また会って続きを話そう。
今のきみがどれぐらい悲しいかその傷がどれほどのものか、無骨な俺には見当がつかない。お父上は最後に男を見せた、だがきみの心痛はお察しする。
そして、肝心な話だ。
SYOUは生きている。そしてリンもどこかで生きている。
それを信じる限り、俺もきみもそれほど不幸じゃない。そうじゃないか?
どこかで幸せでいるという彼らの存在は、光源のない灯りのように、昏いこの世界を永遠に照らし続ける恵みの灯りだ。
俺たちは生きようじゃないか、貴重で尊いこのいのちを。
なにしろ手に触れたものすべてを黄泉に送るあの美しい死の女神が、黄泉から連れ戻したふたつの得難い命なんだから。
この意味と価値を、俺は生涯追い続けるだろう。
どうかきみもともに運命の迷子となって、俺とおなじ喜びと悲しみを重ねてくれることを願う。
九月三十日 若宮宗司
(次で最終回です)