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酔 迷 宮  作者: pinkmint
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きっと二人で

挿絵(By みてみん)


(SHIORI ITO イメージ)

「心当たりはあるか?」

 早口で尋ねてくる楊に向かい、SYOUはきっぱりと答えた。

「たとえ誰が何をしに来ているのであろうと躊躇している暇はない。火はついているんだ、今動きを止めれば十七人がここで死ぬ。

 誰かが妨害をしに来ているのなら手持ちの武器で片付ければいい、とにかくやることはやろう」

「だな。了解」

「詩織!」上に向けてSYOUは怒鳴った。

「なに」

「どこのどういうやつが来るかわからない。銃はいつでも使えるようにしといてくれ」

「わかった。でSYOU、この子たちをどうするの」

 腰のホルスタ―の銃を手に取って確かめる詩織の足元には、すでに四人の少女たちがうずくまりあるいは転がっていた。

「反応はある?」

「三人はどうにか、支えれば足が立つところまで醒めてる」

「急いで外に運ぼう、けっこう煙が流れてきてる」宋が詩織の隣で、おさげ髪の少女の背を抱えながら言った。

 楊はSYOUの顔を見て聞いた。

「正臣氏の船は今、どこに」

「少し離れた場所に待機してる」

「じゃあできるだけ接近してもらおう。埠頭の外まではとてもひとりひとり運び出せない。海路を使うしかない」

 頷いて上を向くと、SYOUは怒鳴った。

「それぞれ女の子をひとりずつ連れて船尾の上甲板までいってくれ、船外の階段からバルジ部分(*)に降りればそのまま迎えの船に乗り移れる。船には連絡して置く。詩織は侵入している誰かから銃で護衛して…… いやまて、俺が行く」SYOUは抱えていた少女を手放した。

「詩織は降りてきて、俺と代わってくれ」

「いいえ。そこから女の子たちを持ち上げるのは男でないと無理。あなたはそこにいて彼女たちを上に上げて、銃の扱いはわたしのほうが慣れてるから」

「そのほうがいい」楊はSYOUの顔を見て囁いた。SYOUは頷くと、梯子の上に向かって言った。

「くれぐれも気を付けて、そしてできるだけ早く戻ってくれ」

「OK」

 三人はそれぞれ少女たちを引きずるようにして暗い通路に姿を消した。SYOUは携帯を取出し、正臣の番号を押した。


 非常灯のみが灯る船内を、銃を構える詩織を先頭に六人はそろそろと進んだ。進むにつれて、倉庫室から漂う煙が濃くなる。非常用階段を上がるとハッチを開けていったん船外の通路に出た。

 外気に顔をさらしてほっとしたのもつかの間、上甲板からこちらへ通じる通路の正面に、黒い人影が立っているのが目に入った。

 詩織はハッチから出てきた背後の四人を手で押しとどめ、船橋楼の後ろに回るように手で合図した。

「なんだ?」

「どこからでもいい、バルジに降りて、はやく。それと、この子もお願い。歩けるわね?」押し潰したような声で言うと、詩織が抱えていた少女は、薄く目を開けてふらふらと頷いた。

 宋と清は詩織の視線の先を見て状況を察し、無言で手渡された少女を抱えると、ウィンチの陰に身をひそめ、そろそろと詩織から離れていった。


 正面から人影を見る。

明らかにこちらを見ているその誰かの手には、自分と同じものが握られている。


 詩織はどくどくと高鳴る胸を押さえ、銃口を上にしてわかりやすく顔の横に持ってくると、次に銃口を船内側に向けて振り、さっとハッチから船内に入った。

 非常灯のみの船内通路の向こうに、やがて同じように移動した人間の影が現れた。

 さっき目視で分かったこと。あの銃は消音機を付けている。

 ……本気だ。

 誰なの? 目的は何?

 船外から、近づいてくる船のエンジン音が聞こえる。……正臣の船だ。

 そう思った途端、相手が銃口をこちらに向け、照準を合わせるのがわかった。

 詩織は撃鉄を起こし、グリップを両手で握ると体の正面で構えた。


「今何か聞えなかったか? 銃声みたいな」SYOUは目を上げて言った。

「気にしすぎだろ。俺には聞こえなかった」楊がそう答えた途端、アイヤァ、という声をあげて郭が少女を抱えたまま梯子を転げ落ちてきた。これで二度目だ。

(ビエ)(ジャオ)(ジー)(あわてるな)」と声をかけたあと、楊はSYOUに小声で言った。

「言いにくいが、これだと間に合わないぞ。意識のない子を抱えて梯子を上るのはほとんど芸当だ」

「わかってる」SYOUは苦々しい思いで答えた。

 ……梯子の上には受け手の周がいる。今ここには三人、少女たちの数を考えるととても間に合わない。

「なんとか別の脱出路はないものかな。ここが船尾の低層階とすると、壁の向こうは何だ」SYOUは狭い隠し部屋の壁を拳で叩いた。ごんごんと低音が響く。

「図面だと船尾倉庫があったはずだ」楊が言う。

 壁をなぞる指に、なにか継ぎ目のようなものが触れた。SYOUはハンディライトを拾い上げると継ぎ目を照らした。

 ぐるりと壁面を一周するそれは、赤さびに覆われて目立たなくはあるが、大人一人が通れるほどの面積をかこっていた。

「ドアじゃないのか? 違うか?」

「ハンドルらしきものもないし、継ぎ目としか。一度開けてから溶接したような」SYOUは拳でどんどんと力を入れてまた継ぎ目の内側を叩いた。わんわんと大きな振動が手に伝わる。

「力を入れれば外れるかもしれない。道具はないかな」一人ごちたのち、ここまで来る途中の壁面に、なにかホースのようなものとともに赤い斧が収まっていた光景をSYOUは思い出していた。

「緊急用の斧があったはずだ、取ってくる」

 楊の返事も待たず、勢い込んで梯子を上がる。と、顔を出した階上の通路に、清と宋が突っ立って、周と中国語で会話しているのが目に入った。

「うまくいったのか。あの子たちは」SYOUは構わず会話に割り込んだ。

「三人とも船の男に手渡した」宋が無表情で答える。

「よかった。で、……詩織は」SYOUはあたりを見廻した。三人は気まずそうに沈黙した。最初に清が口を開いた。

「銃を持っている男と右舷の通路で出会ったの。彼女はわたしたちを逃がして、そのあと……」

「そのあとなんだ?」怒声のような大声で聞き返す。

「銃声が二発聞えたの。そのあとのことはわからない。どちらにも会わずにここまで戻った」

 足の下から楊の怒鳴り声がした。

「なんかしらんが立ち話してる場合じゃないだろ! SYOU、斧だ!」

 SYOUはガンガンする頭をそのままに、黙って通路を走り、記憶をたどって壁面の消火設備ボックスを発見し、足でガラスを割って斧を取り出した。

 斧を抱えて走りながら、詩織の姿を目の端で探す。だが、これは階下に、あの部屋に持って降りなくてはならない。あの空間に……

 梯子の上から斧を持って降りると、もうあの壁面はだいぶへこんでいた。

 楊はひとこと、「話は聞いたよ」といって無表情のSYOUの手から斧を受け取った。

 渾身の力で壁面を叩く。二度、三度。

 四度目に継ぎ目から壁が脱落し、その向こうにがらんとした空間が現れた。宋がヒューと口笛を吹いた。

「ゴミ置き場ってところかな」楊が空間を覗き込む。穴から出てみると、八畳ぐらいの空間に、なにか金属のスクラップのようなものや空箱、空タンクが積み上げてあった。

 肩ぐらいの高さの部分にハッチのようなものがあり、そこまで壁伝いに階段が沿っている。懐中電灯で照らしながら、SYOUは階段を上った。

 ハッチの窓から外を見ると、眼下に海に向けてせり出した船外スペース、すなわちバルジが見えた。

「ここから直接出られるぞ」SYOUは振り向いて言った。全員が歓声を上げた。

「これで間に合うわ」清が明るい声で言う。「上甲板に運び上げるよりどれだけ早いか」

「詩織のことだけど」SYOUはいきなり切り出した。賑わっていた全員が瞬時に沈黙した。

「戻らないということは何かあって戻れない状況になってるということだ。相手は銃を持ってる、そして船内にいる。彼女の安否もわからない」

「俺達は最初に確認した、目的遂行のために犠牲はいとわないと」突然、宋が声を上げた。

「そして誰かをかばって計画倒れになることは許されないと。そうじゃないか?」楊を除く全員が頷いた。

「彼女は我々を助けてくれた、その意志を無駄にしないためにも、この場を離れず守るべきだ」周が続ける。拍手が起きる。

 奥歯を噛みしめながらその音がやむのを待って、SYOUは続けた。

「……最後まで話を聞いてくれ。ここは偽装パイプで外からカモフラージュできる。その状態に戻して外から誰も入ってこられないようにできれば、邪魔も入らず脱出は間に合う」

「カモフラージュした人間はどうやってここに入るんだ」郭が聞く。

「俺がやる」SYOUはあっさりと答えた。

「ついでにネズミも退治してくる。ネズミさえ駆逐できればカモフラも必要ないだろ。武器を持ってる相手が外からどういう攻撃してくるかもわからない、誰かがしなけりゃならないことだ」

「人手が減るのは痛いな」郭が淡々と言った。「あと十四人もいるんだ」

「行ってくれ」

 楊はきっぱりといって、SYOUの瞳を見た。

「行ってドブネズミを退治してくれ。あの勇ましい彼女を連れて帰れたなら、なおいい」

 SYOUは無言で頷いた。

 蒼白な顔に向かい、楊は続けた。

「あんたならできる、俺は信じてる。ひとつ持っていくか」

 楊はベストを広げると、手榴弾を見せた。

「ひとつ持ってる。荷物は少ない方がいい」

「そうか。きっと二人で帰ってこいよ」

 SYOUはくっと唇の両端を上げると、「彼女たちを頼む」とだけ言った。

 二人掌をぱんと合わせるとそのままお互いの拳を握り込んだ。SYOUは手を離すとくるりと背を向け、いびつな穴から暗い隠し部屋に戻った。

 酩酊状態の少女たちが力なく足元に転がっている。楊の家で見た顔写真と名前を、無意識に頭の中で確認する。国と国のはざまに落ちた悲劇がかたちとなって閉じられた空間に沈む、なんと昏い光景だ。

 SYOUはすっと座って、薄目を開けているくせ毛の少女に、片言の中国語で語り掛けた。

「ニ―シャオシェンマミンズ?」(名前は?)

「……シャオラン」

「シャーシー、シャオラン。二―イーディエンメイシーディー」(がんばれシャオラン。きみは大丈夫だよ」

 そう言って頬に添えた手に、少女はそっと指で触れて目を閉じた。


 錆びた手すりを掴んで梯子を上る。誰一人として詩織の身を案じなかった事実が、わかってはいてももやもやとした澱となって心の底に降り積もっていた。その堆積を見つめながら、自分の感性は何と甘いのだろうと思う。

 義理も情も繋がっていない異国の相手と組むというのはこういうことだ、仕方がない。

 いや、楊は違った。……少しだけ。

 元通りに鉄の蓋を閉め、偽装パイプをつなげてゆく。ネジを締めて立ち上がると、もう下に何かあるようには全く見えなかった。


「晶太君か」

 正臣はクルーザーの操舵室から真正面の船を見ながら、突然かかってきた携帯に答えた。

「……ああ、女の子たちは三人ともここにいる。それよりさっき銃声が二回聞こえたんだが、大丈夫か」

『ありがとうございます。どうやら招かれざる客がいるようなので、用心のために少し船から離れていただけますか』

「離れていいのか」

『すみませんが貨物船の右舷の後部に回って、目視でバルジ部分……船の外に突き出した通路のような部分に少女たちの姿が見えたら、接近して拾ってやってください。今彼女たちがいる内部とは電波が繋がりにくい状態です』

「きみはどこにいるんだ」

『ちょっとネズミ退治に回るので、受け渡しの手伝いはできません』

「退治って、……相手は銃を持ってるんだろう」

『こちらもそれなりの装備はあります。僕のことは一切気にせず、とにかく彼女たちを拾ってやってください。そちらの身の安全が確認できる限りは、ですが』

「安全って、僕が逃げたら誰も拾えないだろ」

『若宮氏の車が待機しているはずです』

「奇跡の監督か。彼は残念ながらここにいるよ」

『え!?』

 正臣は横で聞き耳を立てる若宮を見やると言った。

「海路に決めた、とそっちから連絡を受けてから、密かに陸地の彼ともやりとりしてたんだ。そしたら、どうせなら船のほうで待機すると。いったん接岸して拾い上げた。いま横でカメラを回してる」

 また勝手なことを……。SYOUは絶句した。そりゃ船からのほうがいい絵は撮りやすいだろう。飛んで行って髭面をぶん殴りたいが手が届かない。

「あまり怒るなよ、僕も一人ではいろいろと手が足りなかったんだ。彼女たちも監督が相手してやってだいぶ落ち着いてる。片言の中国語も話せるし。代わろうか?」

『……』SYOUは携帯に口をつけたまま下唇をかんだ。やがて、やあ、という呑気な声が聞こえてきた。

「だいぶ景気よく煙が出てるのがこちらからも見えるよ。上層部からの通達済みだろうから緊急車両はなかなか来てくれないぞ。あの中でネズミ退治をするって?」

『そこにいられては陸側の埠頭の様子がわかりません』SYOUは抑えた声で言った。

「そういうな。車に乗ってたら今頃命はなかったかもしれないんだから」

『え?』

「詩織ちゃんにメールしてから外に出て小用を足したんだ。で戻ろうとしたら、俺の車を誰かが覗きこんでるのが見えた。咄嗟に姿を隠したら、そいつが埠頭に入り込んでいったんだ。銃を持って船にはいったのは多分そいつだろう」

『……どんな奴ですか』

「中肉中背、特に特徴はない。見たところひとりだったな、感じとしては中年男だ」

『……』

「詩織ちゃんは無事か」

『わかりません』

「わからない?」

『だからいくんです。祈っててください』

 唐突に携帯は切れた。

 正臣と若宮は顔を見合わせた。

「祈るしかなさそうですね」

 若宮は神妙な顔で言うと、携帯を正臣に渡した。



 煙の漂う中、片手に銃を握り、口元を覆いながら暗い通路を慎重に進む。

 やがて、目の前十メートルほどの床の上に、うすぼんやりと転がる小さななにかが目に留まった。

 なにか。たとえば、靴のような……

 近寄るにつれ、不安は確信に変わった。ブロンズ色のタウンシューズだ。女性ものの、……


 ……詩織の靴だ。


 失望と驚愕が痛みとなって全身を巡る。伸ばした指先で靴を掴み、暗闇に目を凝らしながらその形を視線でたどり、なすすべもなくそのまま床に置く。

 小型のライトを点けて床を照らす。

 点々と散る血痕が静かに映し出される。

 ライトを握る手が細かく震えはじめるのを感じながら、SYOUはひたすら光の輪で血痕を辿った。

 血痕は、地階に延びる細い階段に吸い込まれている。そして、階段下のスペースにはぼんやりと灯りがともっている。

 SYOUはライトを消し、階段の上からおそるおそる下を覗いた。

 何かの破片が散らばる地下の空間に、白い手が、掌をこちらに向けて伸びているのがわかった。


 暗黒の中、階段の下のぼんやりとした灯りのもと、無言で横たわる女性の腕。


 一段階段を下りたとき、いきなり激しい衝撃が後頭部を襲った。

 視界が真っ白になったと思うと同時に、SYOUの耳にはただ自分の身体が鉄の階段を転がり落ちるがんがんという音だけが響いた。

(*)バルジ……船の舷側の喫水線付近に設けられたふくらみ



☆お詫び。当初前書き部分に沿えていたイラスト画像がどうしても満足のいくものでなかったので描き変えてしまいました。恥ずかしいことです、どうも申し訳ございません。

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