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酔 迷 宮  作者: pinkmint
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女神と魔女

 久しぶりの軽い食事をとったのち、疲れたと言って若宮は死んだような眠りについた。


 色とりどりの痣に彩られた顔を見ていると、自分が喋ってしまう前にと毒をあおった彼の決意が無言の寝顔から伝わってきて、言葉にできなかった思いが改めて胸を突き上げるのをSYOUは感じていた。

 それにしても。

 心臓も停止し呼吸もしていないのに硬直も始まらず、死斑も死冷も見られない不思議な状態の彼を見続けた、あの二日間。

 後悔と困惑、悲しみと恐怖がないまぜになった自分の不透明な感情と比べて、彼はもっと透明な何か、聖性を伴った何かに抱かれていたのだという思いが、まるで一種の羨望のようにSYOUの内に生まれていた。

 どうやってリンは彼を見つけ、どんな心境であの画像を撮ったのか。携帯のカメラに向けられた視線にこもるものは、絶望ではなく、怒りだ。その怒りが向けられた先がヤン・チョウで、その画像を配信したのが当のチョウならば、彼女は今どんな心境でチョウの元にいることか。

 あの誇り高いユェリンの心境を思うと、傍に近寄ることもできない自分の身が、まるで破れた土嚢よりも役に立たないただの場所ふさぎに思われて、今すぐにでも走り出して彼女の居場所のドアをけ破りたい思いに発作のように捕らわれないではいられなかった。


「そろそろこっちにこないか。もう多分奴は死なないよ」

 若宮の顔を覗き込み続けるSYOUの背後から、楊が声をかけた。研ぎ終わったナイフをダイニングテーブルに並べ、今度は布で丁寧に拭いている。SYOUは振り向くと立ち上がり、楊の向かいの椅子に座った。

「いまどきは手術用ナイフもレーザーメスか使い捨てが普通なんじゃないのか」

 SYOUの言葉に、楊はナイフを鍵つきの道具入れにしまいながら言った。

「今はね。これは祖父の代に使われていた、名工の手になる鋼刃の削り出しナイフだ。使う機会があるわけじゃないけど、大事に受け継がれてきたものだから」

「代々医者の家系なのか」

「俺の代でそれも終わりかな」

 楊は自分の足元の黒い鞄に道具入れをしまうと、改めて話しかけてきた。

「具体的なことについて話す気になったか、SYOUさん。何をしていても視線がすぐ彼のほうに行く。眠ってる今ぐらい話を進めないと」

「楊さんのほうからそう言われるとはね」

 SYOUは苦笑交じりにそういうと、真顔に戻って言った。

「ある場所からここに大事なものを移したい。迷惑になるかもしれないが」

「なにを」

「武器だ」

「どんな」

「ガンと、柘榴。フランス語が語源という、火薬の詰まった実だ。とにかく、所持しているだけでもちろん有罪なわけで、遺体の次は武器と、あんたには迷惑をかけることになる」

「手榴弾か」呟くように言うと、楊は少し楽しそうに笑った。

「本格的だな。けど、日本を代表する暴力団が日本政府の後ろ盾を受けて守ってるなら、素手で正面からってわけにも行かないし」

「最初から戦争しにいくわけじゃない。できれば相手方に、手引きしてくれる味方を何人か潜り込ませたいが、映画じゃあるまいし無理な話だ。警備のすきを突くにしても、例の爆破事件からさらに警備を強化してるらしくてとても無理だ。さらに、続く爆破を恐れて移動しようとしているガーデンもあると聞く。俺が、かつてあそこにいた少女から聞きだした配置と幽閉されている少女たちの数と、もう一致はしないかもしれない」

 そしてふと顔を上げると、まじまじと楊の顔を見た。

「で、武器の話だけど」

「ああ、それか。いいよ」あっさりと、楊青年は言った。

「ありがとう。これからは敬意をこめてあんたではなくきみと呼ぼう。いつも言葉遣いが乱暴で申し訳ない」

「こちらこそ」楊は笑った。

 一度開いた口を閉じ、言葉を探すようにすると、SYOUは続けた。

「楊さん。改めて聞くよ。

 ……きみはどう思ってる、自分がかかわろうとしていることについて。

 俺は自分自身がどうしてもしなくちゃならないこととして、腹を据えてる。だけどこの段階からかかわったら、半端じゃない罪状を背負い込むことになる」

「親ももういないことだし、失うものはそう多くない」

「だけど……」

「きみは、ファン・ユェリンが唯一望んだことだと言った。そうなんだろ」

「ああ」

「だったら忘れてないか。俺は両親ほどじゃないとはいえ、これでも楊善功の信者の端くれなんだ」

 SYOUは虚を突かれたように、はっと目を見張った。楊は初めて見る、宙を浮遊するような表情を浮かべ、どこか陶然と話し始めた。

「きみの後ろのその男は確かに死んでいて、そして確かに蘇生した。あのかたに抱きしめられたその結果だ。

 俺はリン様……あの、聖なるかたの奇跡を目の当たりにした。死んでいた男の胸が動き、呼吸が戻り、頬に赤みが差していくその過程。同時に配信され始めたあのかたの貴い写真。抱きしめていたのはきみが連れてきた男だった。あのかたの願いをこの身で叶える、これほどの光栄はない。

 俺の両親はおそらくもう死んでる。

 仕事もない、未来もない、なじみのない異国の地で絶望に沈んでいたこの俺に与えられた身に余る仕事だ。たとえ死のうとも悔いはない。もしかしたらきみよりも俺の方が、ずっとこの任務に対するモチベーションは熱いかもしれない」

 聞きながらSYOUの胸に、ひどく危機感を伴った感情が広がっていった。

 死をも恐れない。……あのかたのためならば。

 確かに、自分が今まで助力を頼んでいたどの相手とも違い、彼は自らこのミッションの成功を熱望している。

 だがそれは「信者として」なのだ。

 おそらくリンが一番望まない立場。陽善功信者にとっての女神、救い主としての立場。奇跡の人としての立場。そこに彼女が立つことを夢見ている一人だ。

 その手が教祖の代わりに自分の、自分たちの頭上に置かれることを期待している信者と手を組んで、ガーデンを開放する。犠牲となった信者の娘たちを救出する。それはかなり、相当に危ういことではないだろうか。

 もしも彼が、彼女の居場所が今天敵の元にあると、信者に伝えてしまったら。奇跡は今この場にあると、世界中に配信してしまったら……


 リンは今度は信者たちの手によってさらわれ、救い主として存在することを強要され、それこそ神殿に幽閉されないとも限らない。


 呆れた話だが、それならばむしろチョウのもとにいたほうがまだましだとすらSYOUには思えた。少なくともチョウは、彼女自身を求めている。何かの象徴として崇拝しているわけではない。


「楊さん。きみがともにいてくれるのはほんとに心強い。だけど最初言ったように、このこともこれからのことも、俺ときみだけの話にしておいてくれないか。事情も分からず血気にはやった連中の戦いの場にしたくはないんだ。

 俺は奇跡には興味がない。リンを救世主だとも思ってない。ただ彼女を個人として愛し、大事に思い、助けたいと思っている、そして彼女の願いをかなえようと思っている。今はただ、その基本線にだけ沿って動いてほしい」

「だからそれはわかったといったろう。まだ誰にもきみのこともここでのことも話してない。きみとの関係にひびを入れるつもりもないから、ちゃんと約束は守るよ」

 それからにっと笑うと、楊は続けた。

「ジェイ・チャンから聞いた、リン様は、あのかたはきみだけを待っていると。あのかたはこの上なく美しい、お心も姿も。そしてきみも、目の前で見ている分には十分美しい。いろんな意味で、俺には計り知れない運命を背負った貴い存在なのかもしれないからな」


 SYOUは楊の細い目をただ黙って見返しながら、こんな妙な手触りの恐怖は初めてだと思った。




「父は」

 迎えに出た家政婦に、詩織は短く尋ねた。

「居間で、お電話中です」

 そのまま足早に玄関を上がり、七月とは思えないひんやりした空気の中、長い廊下を進んで居間のドアの前に立つ。どうせ顔を合わせても、父と子の何気ない会話などできない身だ。だが父の名のもとに安全なホテルに身を隠していた娘として、帰宅のあいさつは当然の義務だというぐらいの認識はあった。尋ねられたことの大半には答えられないとしても。

 お茶を運んできた家政婦を振り向き、短く尋ねた。

「来客中?」

「いえ、お一人です。しばらく居間には入らないようにとお人払いなさって。お茶は自室にお運びしますか」

「そうね、置いといて。あとでいただくわ」

 廊下を去っていく家政婦の背中を見送ると、詩織は居間の隣の書斎のドアを開け、そっと薄暗い室内に入り込んだ。

 足音を忍ばせて、書架の隙間の壁に身を寄せる。

 この時期にひと払いをしての長い話。何かいやな胸騒ぎがした。

 壁に当てた耳から、父がひどく不機嫌な時に出す、低い声が響いてきた。

「……女子どもを手にかけるような下衆な仕事は、少なくとも日本の極道がすることじゃない。たとえ上からの命令でも」

 詩織ははっと壁から耳を離し、また寄り添った。

「……それはわかっている。だが任侠道に生きるものとして、呑める話と呑めない話があるといってるんだ。外国のマフィアにでも頼め、金さえ降って来るなら受ける連中がいくらでもいるだろう」

 続く沈黙の中で、とんとんと指先で机をたたく音がせわしなく聞こえた。

「ああ、あそこには最初からかかわってる、それは間違いない。報酬もそれなりにあった。だが警護と粛清は意味合いが違う。守るのと潰すのとでは。そのすべてをおっかぶせる報酬がまた金か、それとも脅しか。長年網の目みたいに絡み合ってきた仲とはいえ、あんたからそんな言葉を聞くとはな。

 文字通りのけものみちに堕ちるのか、警視総監さん」


 粛清……。

 視線を膝に落としながら、指先が氷のように冷えてゆくのを、詩織は感じていた。




 ノックに返事がないのを不安に思い、ドアを開けて室内を除くと、象嵌入りの大きめのティーテーブルの上に食事のトレイを乗せたまま、リンは壁際のソファに座って窓の外を見ていた。

 室内に踏み込みながら、ジェイは静かに声をかけた。

「まだ召し上がっていないんですか。ユンに温め直させましょうか」

 ユンは、この家に来て一年になる若い女中だった。色白で髪が長く料理の上手いなかなかの美人で、遠目にはリンに似ていないこともない。もちろん、近寄っては比ぶべくもないが。

「あまりほしくないの」

「そんなことを言わずに少しでも召し上がってください。スープだけでも温め直させましょう」

「自分でしたい」

「自分で?」

「なにかしたいの。自分でお料理がしたいし、温めたい」

「残念ですが部屋から出られるのは禁じられています。ここにコンロと鍋を運ばせましょう、それならいいでしょう」

 ジェイは廊下に向かって声をかけた。ユンが扉から顔を出した。

「コンロと鍋をここへ」

「いいんですか、調理道具その他は運び入れないようにと旦那様が」

「ナイフやフォークの類だろう。わたしが責任を持つ」

 冷えた瞳でちらりとリンの顔を見ると、ユンは黙って廊下に消えた。

 リンは目を見開いて、室内に運び込まれる小さなコンロとホウロウの鍋を見ていた。そしてセンターテーブルの上に置かれたコンロの火を嬉しそうに点けた。

「暖かいわ」

 そうつぶやくと、ホウロウの鍋にスープを移し、嬉しそうにスプーンでかき混ぜた。

 湯気の中で、白い頬が桃色に染まってゆく。

 ただそれだけのことに嬉しそうに口元を緩める美しい少女を見て、ジェイは一瞬、何もかもを捨てて狂ったような行動に出たシェンロンの狂恋の残像を踏んだ気がした。

 リンは傍らの小さなカップボードからスープ皿をもう一枚出してきて、クリームスープを二枚の皿につけ分けた。そして椅子を壁際から引きずってくると自分の向かいに置き、ランチョンマットの上にスプーンをおいて、自分のパンを千切るとパン皿に置いた。

「どうぞ」

 睫毛の長い漆黒の目に見上げられて、ジェイは心底困惑した。

「これは、いったい……」

「一人で食べるのは寂しいの。お願い」

「……それでしたら、ユンが」

「悪いけど、あの人がわたしを見る目が少し怖くて」

 それだったらわからないこともない。リンのそばに仕えながらいつも正視するのを避けているような、決してリンにまっすぐ向けられることのない冷たい視線。ジェイは黙って向かいの席に座り、それでも落ち着かない様子であたりを見廻した。

「食べて」

 子どものような目でこちらを見上げるリンに、おずおずと銀のスプーンを持ち上げる。長い睫を伏せ、パンを千切るリンの白い手元を見ながら、ジェイは胸が妙に高鳴るのを抑えるのに苦労していた。

 相変らずと言えば相変わらずで、でもまるで腫れ物に触るようにリンの周りで距離をとっている自分の主人。あれほど他人に対して傍若無人にふるまっていた彼が、なにかを恐れるようにリンの近くに寄らない。同時にほかの誰も、必要以上にリンのそばに寄ることを許さない。その結果、この少女は馴染みのない空間で毎日一人ぼっちで寝起きし、食事し、目に見える悲劇はないものの、音のない静かな世界で過ごしていた。

「お料理がお好きなんですか」

 不器用な口調でジェイが聞くと、リンはバターを塗ったパンを口に運びながら答えた。

「最後に何かの皮をむいたのは、……あれはアボカド、ピータン、それから、長いお葱も切って、水にさらして……」

「白髪葱ですね」

「きれいだったわ」

 リンはスプーンにスープを掬うと口元に近づけ、夢見るようにつぶやいた。


「おいしくて。……幸せだった。夢みたいに」


 その手元に目をやった途端、ジェイはさっと立ち上がるといきなりリンのスプーンを弾き飛ばした。銀のスプーンは弧を描いて宙を飛び、スープ皿は床に落ちて割れた。

 リンは茫然とジェイの硬直した顔を見上げ、戸惑いながら言った。

「……どうしたの。わたし、なにか」

「これは食べてはいけない」

「え?」

「ユン。誰かユンを連れてこい!」

 外に向かって叫ぶと、ジェイは屈んでスプーンを拾い上げた。

しばらくして、ボディガードに両腕を抑えられたユンが戸口に姿を現した。振り向いて顔を見たジェイは、手元でスプーンを振りながら言った。

「銀のスプーンを黒く変色させるヒ素系の毒。この家のカトラリーを知っているプロならこんなへまはしない。素人の思い付きかな」

 リンはテーブルの上のジェイのスプーンを見た、ただ浸すだけでぐるぐるかき回していたその先端も、錆びたようにうっすら黒ずんでいる。

「犯人に心当たりがあるなら言うか?」

 ユンは唇の端を曲げると、覚悟したように言い放った。

「好きに報告すればいい。わたしが処刑されたなら、シェンロンに続いて二人目。その女が来て一週間とたたずに二人目。ひとの死を誘う、それはそういう女」

 ユンの言葉に、リンは反射的に問い返していた。

「シェンロン? 処刑?」

 ユンは凍てついたような瞳をリンに向けた。

「おとぼけになって。熟睡なさっていて何もかも知らなかったと、そういうことにしたいのね、リンお嬢様。

 あなたがたぶらかした憐れな男は、あなたにお誘いされるがままにベッドに上り、思惑通りチョウ様によって処刑された。あんな騒動の中で寝ていられるわけがある? 狸寝入りしながら内心ほくそえんでいたくせに」

「ユン、黙れ!」

 ジェイの制止をものともせず、両腕を抑えられたままユンは声を張り上げた。

「誰も知らないとでも思っているの。わたしは知ってる、あんたはシェンロンともそうして一緒に食事をしてたわ。部屋に誘い込んで、クッキーの一枚でもいいから一緒に食べてほしいと。女のわたしに声をかけることはなかった。リン様が気の毒だと、シェンロンはあのあと涙を零していたのよ。そうやってあっさり男心を手に入れて、部屋に誘い込んで今度は寝たふり。そうやって何人たぶらかしてきたのさ」

 ジェイはつかつかと歩み寄ると、ユンの頬を力一杯張り飛ばした。ユンは床にどっと転がり、頬を抑えながら、床に肩肘を置いて涙声で叫んだ。

「何が救世主よ。嘘つき、お前は魔女だ。あのひとを、あたしのシェンロンを返して!」

「今度は何の騒ぎだ」

 ドアが開いて、スーツ姿のチョウが姿を現した。ボディガードたちはさっと道を開け、ユンは口元の血を拭きながら血走った眼で主人を見上げた。

「外出から帰るたびにこの部屋で騒動が起きてるのはどういうわけだ。ジェイ、お前に任せたはずだったが」

 自分に向かって頭を下げているジェイを帽子を脱ぎながら一瞥し、青い顔をして突っ立っているリンを見、少しほっとしたような表情で今度はユンを睨み据える。

「恩知らずの雌犬。きさまが騒動の原因か」

「あの、わたし、……」

「お前はいい。だいたい聞こえていた」

 口を挿んだリンを制止すると、チョウはユンのそばにしゃがみ込んだ。

「続きを言え。リンがどうしたって?」

 ユンは震えながら主人の顔を見た。

「彼女はここを出たがっていました。すべて予定の上で仕組んだことなんです。寝たふりをして襲わせておいて、彼が眠り込んだところで銃を奪う気でいたんです。間違いありません」

「残念だったな、あの日は特に情緒不安定なんで医者がわたしに内緒で鎮静剤を打ってたんだ、あとで確認した。そのことではペナルティーを科しておいた」

 そして指を伸ばし、ユンの長い髪をかきあげながら続けた。

「きさまとシェンロンが恋仲だったのは知ってる。リンに情をかけられて恋心を募らせた挙句が強姦未遂。逆恨みでリンを殺そうとしたか。屑同士でいいコンビだ、あの世で一緒になれ」

「じゃあどうして、あの女はまた同じことをしてるの。今度はジェイ。部屋に引き入れて何をするつもりだったの」震え声でユンは気丈に続けた。

 チョウは振り向かずにリンに言った。

「だそうだ。何か言いたいことがあるか?」

「ご主人様、わたしは自分から」

「黙れジェイ。お前には聞いていない」

 リンは涙声で言った。

「……寂しかったの。ほんとうに、寂しかったの。ひとりで起きてひとりで食べてひとりで寝て、何をしているのかわからなくなるぐらい寂しくて、だから」

「わかった」

 あっさりというと、チョウは立ち上がった。

「これ以上この部屋を血で穢すわけにはいかない。女を地下へ連れて行け」

 しゃべり終わると同時に、リンは叫ぶように言った。

「やめて、なにをするの。シェンロンはどうしたの? 処刑って、まさか本当に」

「いい子ぶるんじゃないわ。あたしは満足よ、好きな人と一緒になれるんだから。あんたなんかに情をかけられたくない。あんたは一生ここでお飾り人形でもやってなさい。いい? あんたがお上品すぎて近寄りがたいもんで、チョウ様はあたしで身近な用を済ませてたのよ。あたしが食らった鞭の分、あんたは幸せな安眠をむさぼっていたのよね」

 女を引きずり起こすと同時に振り上げた手を、少し躊躇したのちチョウはおろした。

「この世の置き土産だ、喚くぐらいはさせてやる」

 そして体ごと鬱陶しそうに傍らのボディガードに向かって突き飛ばすと、振り向いてリンに言った。

「きみが寂しいならいつでも食事ぐらい一緒にしてやるのに」

「……」

「耐えられなくなったらいつでも言ってくれ。お休み」


 全員の足音が外に出る、やがてドアに外からカギがかかる。

 また長い夜がやってくる。


 リンは細い腕で、ぎゅっと自分の身体を抱きしめた。


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