樹海のヒュアキントス
若宮宗司は、灯りの少ない自室でひとり、ほの白いパソコンの画面に見入っていた。
陽善功。
その名で検索しても、中国当局が出している情報しか引っかからない。
危険なカルト宗教。善良な市民を洗脳し死に至らせる恐ろしい洗脳の手口。犠牲者は世界中に。
だが、そこに証拠写真とか犠牲者、などの単語を付け加えると、支援団体が提出したと思しきおぞましい画像が出てくる。おそらく、このデータを提出した最初の中国人も、本国にいる限り無事ではすんでいないだろう。
……どういう危険があるかわかってて言ってる?
若宮の胸にあの日のSYOUの言葉が改めて胸に蘇り、それと同時に、あの霧に包まれた樹海の中で見たもの聞いたことのすべてが、ラッシュフィルムのように脳の中で再生されていった。
その夜、いつもの切子細工のグラスを丁寧に拭くと、若宮は手作りのボトルラックからお気に入りのコニャックを取出した。
傍らのテレビでは、日付が変わる直前のニュースが、マンションの爆発事故を伝えている。
今夜午後九時過ぎ、S区のマンションの最上階で大規模な爆発事故がありました。屋上のペントハウスの持ち主は九十歳の男性で、部屋を親族に貸したまま田舎に越したという話もあり、身元不明の三人の遺体は損傷が激しく性別も……
ところどころ革の破れた安楽椅子に背を預けたとたん、手元の携帯が鳴った。
公衆電話?
無視しようかと思ったが、この時間帯と公衆電話という取り合わせに好奇心を覚え、若宮は電話を受けていた。
「もしもし。どちらさん?」
『……』
「もしもーし」
『若宮さん。……わかる?』
その声のトーン。個人が持つ波長。聞いた声だ、確かに知っている声だ。まさかという思いとともに胸が躍るように高鳴り始めた。
『せっかく事務所からあんたの連絡先教えてもらったのに放置しっぱなしで悪かったね。まだ陽善功と、そして俺に興味があるかな』
若宮は立ちあがると、無意識にうろうろとそこらを歩き回った。
「お前、……おい。まさか、晶…… 」
『まだ気が変わっていなくて、例の仕事がやりたいと思っているなら、俺と組まないかな、と思ってさ』
あっさりしたもの言いに、若宮は突っ立ったまま絶句した。
「……あの世からの電話じゃないだろうな」
『霊界にも公衆電話はあるんだよ。値段はただ』
「お前、……大した奴だな。世間の騒ぎは知ってるのか」
『どっかのスカした芸能人が四日前に東京湾に車で突っ込んで死んだことになってるんだろ。ニュースで見た。その方が都合がいい』
「今どこだ」
『あんたを男と見込んでの頼みがあるんだ。過去のことを持ち出して悪いけど、あんた俺に借りがあるよね』
「……」
『ちょっとはいい目をみさせてやったんだ、返してもらっても罰は当たらないだろう』
「何を頼みたい? 死んでたと思ってたヒュアキントスからの電話だ、何でも聞いてやろうじゃないか」 膝の震えを抑えながら、若宮は答えた。
『それは心強いな。じゃあ今から言う場所に来てくれ。Y県の国道71号線沿いのKホテルの近くの路上。その周辺にいる』
「おい、またなんで今時分樹海の真ん中に」若宮は時計を見上げながら言った。
『気まぐれでドライブに出たら人里離れた場所で車がエンストしてね。色は黒。迎えに来てもらえそうな相手が、あんたぐらいしか思いつかなくてさ』
「……?」
『とにかく、待ってるから来てくれ。夜明け前に会えるとありがたい。ああ、きれいな水と清潔なタオルやガーゼ、あと消毒薬とかがあればもっとありがたいな、できればだけど。あとあんたの商売道具も』
「商売道具?」
『カメラだよ』
「おい、ちょ……」
唐突に電話は切れた。
若宮は頭を掻きながらそこら辺をぐるぐるしたあと、冷蔵庫から軟水のボトルを何本か取出し、棚から適当にタオルを引っ張り出すと、救急箱をひとつ、そして愛用の一眼レフをボストンに突っ込んで外に飛び出した。
中空には朧月がぼんやりとかかり、夜の枝えだが群青の空に揺れている。エンジンをかけると、アクセルをいっぱいに踏んで夜の道に走り出した。
十年前、突然自分の前から姿を消した少年が、この上なく美しかった彼が、いきなり等身大で自分の前に現れようとしている。世間中が行方を捜しているその最中にだ。鼻血の出そうな昂揚感に耐えながら、こいつは面白いことに巻き込まれそうだぞという予感に、若宮は口元の緩みを抑えきれなかった。
深夜のこととて高速はがら空きで、二時間も走ればもう富士の裾野だった。
あたり一面に霧が降りて、遠くに見える道の駅がにじんだ灯りをばらまいている。そこを過ぎて樹海の中の国道に入ると、霧は一層濃いミルク色の渦となって、異界へのトンネルのように車の周囲を取り巻いた。通り過ぎる車もすれ違う車もなく、ただヘッドライトには暗い原生林と渦巻く霧が続くばかりだ。やがて視界が開けてホテルの灯りが右手に見え、さらに百メートルほど過ぎたあたり、樹海に半ば突っ込むように黒い車が止まっているのが見えた。
ゆっくりとブレーキを踏む。車外に出ると森の香りの蒸気が体を包んだ。頭上で夜の空よりも黒い木の影がざわざわと交差して揺れている。
懐中電灯を手に、停車中の車にそっと近寄る。運転席を覗くと、あの懐かしい横顔が、若宮の車のヘッドライトの灯りの中、大人びた風情で目を閉じていた。
窓を叩くと、SYOUは目を開けた。あのときのままの、切れ長の涼しげな、そしてどこか寂しげな目だ。これは現実か。若宮は禍々しい夜の気配を背景に自分に問いかけた。
SYOUはするすると窓を開けると、運転席に身を預けたまま、静かな声で言った。
「久しぶりだね、監督さん」
「ああ、……お前も」
元気そう、と言いかけて若宮は蒼白な顔色に気が付いた。顎と頬に、痣のようなものが見える。それは、といいかけたところを、SYOUが遮った。
「遠くから来てもらって悪いけど、さっそく用件に入ろう。俺以外にそちらに同乗させてもらいたい人間が二人いるんだ」
「……どこに?」
SYOUは黙って車を降りると後部座席のスライドドアを開け、濃紺の毛布をめくり、懐中電灯で照らすように手で合図した。
光の輪の中、折り重なるようにして眠りこける二人の少女が浮かび上がった。
若宮は思わず息をのんだ。
長い髪が互いの頬に広がり、小柄な癖っ毛の少女が漆黒の髪の年長の少女の胸にしがみつくようにしている。その薄桃色のキャミソールのような服の豊かな胸元にはまだらに血のりが飛び散り、頬にも髪の毛にもべったりと変色した血がこびりついていた。汚れた頬は蒼白で、顔立ちには妖艶な美しさが漂っている。幼さの残る少女のほうは、閉じた睫毛が人形のように長く、まだ十二か十三ぐらいに見えた。
「……怪我か、返り血か?」呆然とした若宮の質問に
「だいたいは返り血。小さな怪我も多少はあるけど。タオルと水は」
事務的なSYOUの口調に、若宮は自分の車に取って返して水のボトルとタオルを持ち出すと、SYOUに渡した。SYOUはタオルに水を沁みこませると、丁寧にふたりの顔と髪を拭いた。
二人とも何をされてもぴくりともしない。白いタオルが見る見るうちに、変色した血に染まってゆく。細かい切り傷擦り傷を消毒し、ガーゼを当てて紙テープで止める。その作業を見ながら、若宮はとりあえず返り血の出所については彼が語りだすまで聞かないのが得策と判断した。
「……全然動かないな。薬でも飲まされてるのか」
「一人は誰かに飲まされたらしい、小柄な子の方はこちらの都合で眠ってもらった」
「この子らが誰なんだって質問はタブーなのか」
「あんたがどう手を尽くしても通常は会えないレベルの相手だ。めったに言えない名前の宗教の、その渦中にいる。どうしても、守らなきゃならない。悪いけど、見たからにはとことん付き合ってもらう」
「……」
「これ以上言葉にするのはやめよう。話したくなったら話す。若宮さん、力を貸してくれる?」
毛布を掛け直すと、SYOUは澄んだ瞳でまっすぐに若宮を見た。
若宮は黙って頷いた。
空の高みで夜の鳥がギャーッと叫び声を上げた。
世界が寝返りを打って、いきなり酔い心地の顔をこちらに向けたような戦慄と歓喜を若宮は感じていた。
追っていた相手にいきなり捕えられて、そのままねじ伏せるように謎解きに付き合わされる自分。求めていたことの核心が、花と血の香りとともにこの手に飛び込んでくるとは。
できすぎている。だが、上等だ。
上等すぎるほど、上等だ。
そのとき、新たに立ち上る血の匂いの濃さに、若宮はようやくSYOUが背中にひどいけがをしているのに気付いた。闇の中でよくわからなかったが、ジャケットは破れ、下のTシャツもぼろぼろだ。そして袖から出る手に、服を通した背中に、血がにじんでいる。
「おい。とりあえず病院に行ったほうがいいんじゃないか」
SYOUは振り向いて、不機嫌な笑顔を浮かべた。そして、今は行けない、ときっぱりと言った。
「仕事が先だ。この車は、適当な場所に捨てる。積み荷は自然に帰す。まずは彼女たちを移したい。手伝ってくれ」
「積み荷ってどこにあるんだ?」
それきりSYOUは口をつぐんだ。若宮も聞かなかった。というより、聞けなかった。
二人で少女たちをかかえて、若宮の車の後部座席に移す。目を閉じた漆黒の髪の少女は、間近で見ても冷気を感じるほど美しかった。
……陽善功の教祖の養女、後継者と指名された娘は現在、行方不明。見たものは少ないが絶世の美少女との噂。そんな情報が頭の中を駆け巡り、めったなことでは乱れることのなくなった若宮の心臓を揺さぶった。
「ここから先はひとりでやる。ちょっとそこで待ってて」
少女たちを運び終えると、SYOUは自分が乗ってきたほうの車に乗りかえた。エンジンをかけると、黒い車は白い乳のような蒸気の流れの向こうに溶けて見えなくなった。
わずかな待ち時間が、真夜中の樹海の只中では永遠にも思われる。立ち尽くしていると、彼に会ったこと自体が幻のようにも思われてきた。
三十分ほどして、少し足を引きずるようにした彼が霧の向こうから歩いて戻ってきた。そのシルエットに、若宮は思わずほうっと安堵のため息をついた。と同時に、思った。この野郎、何がエンストだ。
「これでよしと」そう言って若宮の隣に乗り込んでふうっとため息をつくと、つ、と小声を漏らしてSYOUは顔をしかめた。
「ちょっと見せろ」
「あとでいいって」
「病院に行けとは言わない。見るだけだ。化膿すれば命にかかわるぞ」
ルームライトをつけた車の中で無理やりめくった服の内側は、特に背中の状態がひどかった。ガラスやコンクリートのかけらのようなものが食い込んだ傷、痣、火傷。タオルに消毒薬を沁みこませて血を拭いながら、若宮は言った。
「……いったいなにがあったんだ。爆発現場にでも居合わせたのか。いくつか破片が食い込んでるぞ」
「そんなにひどい?」
「ああ、けっこうな」
「いい機会だから、カメラ出したら」
「あ? ……ああ」
SYOUの真意を測りかねたまま、若宮はカメラを取出し、そして、傷だらけの背中に向けて連続してシャッターを切った。モデルに言うように声をかける。十年前と同じように、ちょっと斜め向いて、首を傾けて。……俺は今何をしてるんだ?
後部座席の撮影はSYOUに止められた。とりあえず毛布の端だけ撮る。
「よし、治療続行だ」
若宮はカメラを置くとピンセットと毛抜きを取り出した。同時に、爆発現場という自分の言葉に家で見たニュースが重なり、暗い予感と確信に捉えられていた。
「ちょっと我慢しろよ」
取り敢えず目に見える破片を次から次へと無造作に抜き取る。そのたびにSYOUは体を震わせたが、声はあげなかった。
「病院には行かないんだな」
「行かない」
「じゃあ、できるのはここまでだ」
若宮は小瓶一杯分ほどの消毒薬を使い終えると、火傷に軟膏を塗り、SYOUの身体を包帯でぐるぐる巻きにした。
「ありがとう。ここまでしてもらえるとは思わなかった」SYOUはそういうと柔らかな笑みを見せた。その笑顔に、若宮は抑えていた質問をあえて投げかけた。
「……お前、海の底からどうやって生還したんだ。それともあれ自体が仕掛けだったのか」
SYOUは下を向くと、数秒考えてから言った。
「海に落ちたのは事実だ。というか、落とされたっていうか」
「……誰に」
「さて、どうしようかな」
他人事のように言うと、SYOUは首を傾げ、自分の記憶を覗き込むようにした。そして、個人名を伏せたまま、流れを話し始めた。
――あの夜、女とSYOUはH公園隣りの埠頭の倉庫に徒歩で移動し、裏に止めてある車を一台選んだ。
「これだけ聞いたからには、代償は払ってもらうわ。とりあえずこの中古車をいただきましょうか。石か何かでガラスを割って乗り込みなさい。コードを直結してエンジンをかけるやり方は知ってる?」
「ああ」
そこから先はお手のものだった。
ボンネットを開け、デストリビュースターを探し、 バッテリーのプラスからブースターコードを繋いで直結させる。キーはなくとも、 エンジンは容易にかかった。そして思う。まるで自分は、処刑用の十字架を背負ってゴルゴダの丘に登るキリストのようだ。
「器用なのね」
「昔から何かと分解が趣味だったんでね」
アクセルを踏めば一直線で海、おあつらえ向きの天国への滑走路が目の前にあった。
「たかが東京湾だ、生き延びたらどうする」銃口を背中に向けられながら、SYOUは女に語りかけた。
「ならばあなたの運が強かったということ。わたしは運の強い男は好きよ。生きるも死ぬも五分五分ってとこね。脱出できたならここから左に泳げば人工渚があるからそこから上がりなさい。明け方までにD倉庫の裏に車を一台用意しておくわ。どうせなら一番困難な方法に挑戦してみるのもいいわよ。ドアを閉めたまま水が満ちるのを待って、内圧と外圧が均等になったところでドアを開けて脱出するの。映画みたいじゃない?」
SYOUは肩をすくめて見せた。
「ああ、チャレンジしてみるよ」
「じゃ、あなたが帰ってくるのを楽しみにしてるわ。いい? まっすぐにわたしのところへ帰るのよ。どっちみち死んだことにしておけば、あなたはしばらくは平穏に過ごせるわ」
「じゃああの糞甘いロゼワインでも冷やして待っててくれ。失敗したら海に花束の一つも投げ込んでくれ」
女はにっと笑うと銃口で投げキッスをよこした。そして真っ暗な海に向かい、SYOUはアクセルを踏み込んだ。
車が海に浮かんでいる間、そして沈み込むまで、SYOUは言われたとおり、水がわずかな隙間から侵入し車内を満たすまで動かなかった。やがて車が水没し、水がどんどん体の上まで這い登ってくる。胸、そして首。あたりは真っ暗だ。リン、と胸の中で小さな声で呼びかけてから、上を向いて車の上部のわずかな空間で深呼吸し、息を止め一気に体ごと潜った。そのままドアを開けようとして、スライドドアが何かの障害物にぶつかって開かないことに気づく。息の限界が来る前に反対側のドアを開け、上を目指さねばならない。肺が空気を求めてひきつったように痙攣する、口を開ければ死が待っている。生き延びなければ、いや、あの女にこのまま殺されるわけにはいかない、そんな脚本は許さない。
泳いでもがいて、どうにかこうにかH公園の人工渚にたどり着いたとき、あのピアスが犠牲になっていたのに気付いた。ああ、また身代わりか、とため息とともにSYOUは思い、砂浜に突っ伏して、そのまま半分意識を失った。
……何度失えば終わるんだ。多分、もう、戻らない。
こんなに何度も失うなら、作らなければよかったんだ。
風に乗って遠くから、泣き声のような絶叫のような声がかすかに届いた。幻聴か、現実か。猫の悲鳴のようだと、SYOUは思った。
話を聞き終えると、若宮は信じられないという風に首を振りながら言った。
「……その、お前を飛び込ませた女の名前と正体は、言えないんだな」
「今はね。いろいろと義理のある相手だから」
「何を聞いた代償に命を失いかけたかも」
「もちろん、駄目だ」
「自分を殺しかけた女に義理立てか、大したもんだな」
「ただの女じゃない。あんたならもう二度ほど殺されてるよ」
「わからないな、お前の意図が。なぜ中途半端に俺に話す」
「ある程度知ったうえで協力してくれる人間がどうしても必要だから」
「あの子たちを助けるために?」
「……それが第一なのは確かだ」
「ほかにやりたいこと、やらなきゃならんことがあるのか」
「それは、……彼女の目が覚めたら、決める」
たち、が、単数になった。若宮はそこをあえて通過し、ふむ、と言って言葉を切った。
「見たもの聞いたことをパズルのピースにして適当にストーリーを組み立ててくれ。あとでたぶん答え合わせするときも来る、あんたが秘密を守り続けたなら。結構楽しいゲームじゃないか?」
若宮はしげしげと隣のSYOUの顔を見た。暗闇の中で、ゆったりと薄い笑みを自分に向けている、見慣れた筈の顔。自分の記憶の中のSYOU、そしてテレビ画面の中のSYOUのどこにも見えなかったこの静けさと覚悟、刃物の切っ先のような鋭さ。それはもしかしたら、東京湾の海の底で生死をかいくぐって身につけたものかもしれないと、ふと思った。
SYOUは急に話の向きを変えてきた。
「妙なこと聞くけど、意外な人物から今日、メールはあった?」
「メール? 意外な人物って、……そういやあ、うん、伊藤詩織とかいう女優からヘンチクリンなのがあったな。仕事ありませんかって。よほど干されてるのか、今。お前のもとカノだろ?」
「それだ。受けといて」
「今度はなんだよ」
「これから俺は身を隠さなきゃならない、そして彼女とは絶対に会えない。そのための連絡役と折衝役が必要なんだ」
「つまり俺に仲介になれと?」
「そう。まずは彼女に言付けてほしいんだ。彼女と俺だけが知ってる場所がある。そこに〝例のもの″を置いてほしい。あの日の自動販売機と言ってくれればいい、釣銭狙いの浮浪者に邪魔されないよう横から下に差し込んで、と」
「ちょっと待て、一気に言われてもだな。自動販売機?」
若宮は慌てて自分にしか読めない悪筆で手帳にメモした。
「置けたら連絡がほしい。伝えてほしいのはそこまでだ。そしたら都内に帰ってそれを回収する、それで身を隠す場所が手に入る。悪いが、あんたには二人をその空間に運び込む手伝いをしてほしいんだ。台車とか段ボールが必要になるけど、なんとか揃うまでこの子たちを車の中に隠しておきたい。手を貸してもらえるかな」
「……そりゃあ、ここまで来たら貸すしかないだろ。しかしまあ、いきなり人を顎でこき使いやがって。お前初めから俺を巻き込むつもりで計画立ててたな」
「見返りはあると言ったろう。あんた本気であれの……陽善功のドキュメンタリーを撮りたいんだな」
「ああ、マジだ。今資料を集めてるところだ」
「どういう危険があるかわかってて言ってる?」
「望むところだ、アポなしで皇居に車で突入して逮捕された俺だぞ」
「で、そいつに俺に出てほしいと」
「いや、そこはいろいろあれだから、お前が出る映画としてはまた別のを考えてる」
「じゃ、その両方に協力しよう。これで取引成立だな。常にカメラを持って俺の周りをうろうろしてれば、陽善功関係については結構いい絵が撮れるのは保証するよ」
「おまえ、……一体、あそことどういう……」
「あんたが完全に信用できると思った時に残りを話す」
SYOUは後部座席の毛布をちらりと見やると、言った。
「今の時点でもし裏切られれば、俺だけでなくこの子たちの命もなくなる。ここまで見せているのも、賭けなんだ。今まで、そしてこれからのすべてをだれにも話さないと、得たもののすべてをどこにも出さないと、命を懸けて約束できるか」
若宮はじっとSYOUの顔を見ると、ごつごつした右手を差し出した。
「秘密は守る。それだけは真剣に、命に代えても約束する」
「ありがとう」
二人はぐっと、固い握手を交わした。SYOUの細い指、しなやかでいて固い手触りは昔のままだった。
「SYOU」
「なに」
「ともかくも、お前に会えて、俺はいま、心から嬉しい」
若宮は下を向いて両手で顔をごしごしこするようにすると、ぱんと頬を叩き、顔を上げた。そして、携帯を取り上げると、言った。
「こいつを彼女にかける前に、お前さんを正面から一枚撮りたい」
「いいよ」
若宮はカメラを取り上げた。
SYOUは座席にゆったりと寄りかかり、何のポーズも取らず、ただこちらをまっすぐに見た。
若宮は今までのどの時より、その姿を美しいと思った。