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酔 迷 宮  作者: pinkmint
27/91

SHOW MUST GO ON

 SYOUはびしょ濡れの体を中に差し入れてベルトを外した。ゆらりと男の体が揺れて自分のほうに寄り掛かる。

「こいつをどうする」

「目立たないとこに捨てときゃいいわ、携帯をポケットから出して耳元に置いてやって。大した役立たずだわ」

 吐き出すように言うと、澪子は横を向いた。

 気絶して砂袋のように重みを増したからだを引きずり出すと、SYOUは内ポケットをさぐった。出てきた唐辛子スプレーに苦笑してそれを自分のポケットに入れ、門柱の脇の植え込みの陰に男を放置し、顔の上に携帯を置いてふたたび澪子の隣に乗り込んだ。


「……とりあえず京浜運河沿いの東扇島の東公園の駐車場付近までいってちょうだい。道はわかる?」

「たぶん」


 静かに走り出した車内で、澪子は携帯のメールを打ちはじめた。SYOUは前を見たまま口を開いた。

「追手の手配をする前に、あんたと話す時間がほしいんだけどな。ほんの三十分でいい」

「余計な心配しなくていいわ。あの役立たずに、昔の男と話がしたいから大人しく家で待ってて、すべては他言無用と打っといただけだから」

昔の男。

 SYOUは声を立てずに笑い、片手でサングラスを外した。



 雨が叩く幹線道路には車もまばらで、通り過ぎる街灯がばらまく光が水の膜ににじんで見える。

「思っていたより向こう見ずなのね。ボディガードがもうひとりかふたり隠れていたらどうする気だったの」

 窓の外を見ながら、澪子が言う。

「大した人数が今日出入りしてないのは一応確認してあったから」

「そう言えるぐらいは張っていたってこと?」

「まあ、ね」

 澪子は呆れたように肩をすくめた。

「用意周到ね。大した腕でもないのに単身でこれだけのことをやってのけたのは一応賞賛に値するわ」

「戦闘力がないから、一応シートベルトというハンデに手伝ってもらった」

 雨脚はいよいよ激しさを増していた。ワイパーの速度を上限いっぱいに上げても、フロントガラスの水の膜は滝のように視界を遮り続ける。頭上を叩く雨音を陰鬱な呪文のようだとSYOUは思った。


「……あんたが探偵を殺したのか」


 澪子はパープルカラーの蝶がデザインされたパッケージから細い煙草を一本抜いて、真っ赤な唇に咥えた。ライターの灯りがふっくらとした顎を映しだし、そしてメンソールーの香りが車内に漂った。

「わたしは命令の中継地点よ。大元を辿って答えるなら答えは否」

「大元を辿れば陽善功か、あるいはその難民収容所にたどり着く。そういうことならあんたは大した善人だな」

 澪子は一直線に煙を吐き出すと、煙草を持った手で軽く頭を掻いた。

「わたしがただであの探偵さんの代わりになって回答してあげればご満足なのかしら。そうしなけりゃならない義理はないんだけど」

「僕はあんたが執心するなと忠告して寄越した中国人少女の正体が知りたいだけだ。国と国、宗教と宗教の間の正義だの陰謀だの救済だのに興味はない。彼女の立場と、あるなら使命。それとこれからの役目、そこに絡むなら、陽善功についても興味はある。まずはあんたの立場と役目をはっきりさせてくれるとありがたいんだがな」

「調子のいい子ね。何のメリットがあってわたしがそんなことをぺらぺら答えなくちゃいけないの」澪子は眉間に皺を寄せて、顔をそむけて紫煙を吐いた。

「あんた、退屈なんだろ」

 まっすぐ前を見ながらSYOUは言った。

「面白いか面白くないか、退屈か退屈じゃないか、その次元で道を選んでる、そういう人生なら僕と組まないか。そう言いに来たんだ。僕の特技は昔から、まわりにいる人間を退屈させないことなんだ。渋紙色の爺どもと遊ぶよりはじゅうぶん刺激的だと思うけどね」

 澪子は指の間に煙草を挿んだままじっとこちらを見ている。頬にその視線を感じながら、SYOUは続けた。

「人生はエンタテイメント、ひと幕のSHOW。あんたがそう捕えていることに賭けてここに来た。もし見当違いなら僕は賭けに負けたことになる。どうにでも好きにしてくれ」

 川崎航路トンネルを抜けると、車窓にはぼうとした巨大な倉庫と工場ばかりが連なり始める。この人工島には、住人や住居はないと言ってよかった。連なる無機質な工場やパイプの群れ、工場用線路、マニアを喜ばせる工場夜景のグリーンの照明が濡れた窓ガラスににじんでいる。

 SYOU。SHOW……

 自分に似合いの名前だ。もし脚本を書き間違っているなら、ここで盛り上がりもなく二十二年の芝居に幕が下りるだけのことなんだろう。その先にあるのは、自分が唯一まともに書けたあの文字の世界、永遠、か……。

 自分は果たしてこの現実を現実として受け止めているのか否か、それさえ定かでない自分がいた。

「止めて」

 眼前に広がる広々とした緑地公園の手前で、ゆっくりとブレーキをかける。街灯の少ない駐車場も広い道も、無言で雨に叩かれているだけで、まったく人影はない。闇に静まる駐車場の向こうにはただ漆黒の東京湾が広がっており、左手を見れば遠く運河の対岸、浮島のコンビナートの高い煙突が吹き上げるフレアスタックの炎が雨雲を(こき)(あけ)に染めている。

 澪子は窓をするすると開けると、煙草を投げ捨てて言った。

「どういう手土産を用意しての話かと思ったら、面白いからぼくと遊べ? 大した坊やだわ、これだけのことをしておいて」

「僕は自分自身以外に財産を持たないんでね」

「もしわたしがここであなたの質問にあっさり答えたら、そのあとの自分の身が危ないとは思わないの」

「構わない。あとのことはあとのことだ」

激しい雨の音と外気がじかに流れ込んできた。澪子は手を伸ばして雨を受けて密かに笑い、手を引くと、濡れた掌をSYOUの頬に寄せ、顔を近づけて囁いた。

「……それもいいかもしれないわね。今さえ愉しければ」

 SYOUは闇の中の澪子の白くぼうとした顔を見た。腹のあたりに鈍い戸惑いが落ちてきた。

 レース地の黒いカーディガンを脱ぎ捨てると、澪子はあたかも二匹の蛇のように、十分に湿気を吸ったひんやりとした腕をSYOUの濡れた首の周りに絡めてきた。

 白くしっとりときめの細かい肌は、それ自体が夜から生まれた生き物のように、首から胸を這ってなめらかにSYOUのナイロンジャケットのチャックを開け、Tシャツをたくし上げて内側に滑り込んでくる。

「……若い男はダメなんじゃなかったのか」

「いままではね」

 引き締まった細い腹と背中、そして乳首をひと通り撫でまわすと、澪子は片手で藍色のワンピースの胸元のボタンを外し、のしかかるようにして胸を押し付けてきた。SYOUの耳元に粉臭い頬を押し付け、こめかみにゆっくりとキスをする。

「あなたの知らないところで、わたしは何度もあなたにイかせてもらったわ。あの素敵なひと時を再現することで、他人の体も指も必要なく。

 あなたは健気で愛しくて、その傷と痛みを想像しながら自分をたかめるのは何より楽しかった。

 命の限られた男を手に入れて、その覚悟ごと抱けるなんて、最高のシチュエイションよ。いい夢を見せてくれたらあなたの聞きたいことに、なんでも答えてあげる。あとのことがどうでもいいと言うのならね」

 まるでオペラの台詞のようによどみのない澪子の口調を聞きながら、SYOUは思った。

 ……もしさっきのメールが運転手相手でないなら、行為ののち、ひと気のない湾岸の公園で自分は手下に囲まれ、重し付きで海に叩きこまれて終わるのだろう。どうでもいいのなら、とはつまりそういうことだ。そのリアルな予感にふいに全身の血脈が逆流し、奔流は下半身をいきなり充血させた。

 なるほど、命の瀬戸際に立たされると雄は反射的に勃起するというのはこういうことか。雨を吸ったズボンのチャックを下げられながらSYOUは他人事のように考えていた。

 いや、それならそれで、最後の予感が見えた瞬間にこの女も道連れだ。

 そう決心した刹那、肌という肌が(さざなみ)立ち、恐怖を道連れにした高揚が下半身を突き上げた。

 澪子はボタンを腹のあたりまで外した服から汗ばんだ白い乳をこぼれさせ、右手にSYOUの屹立した一物を握りながら、まるで肉食動物のような接吻で、荒くなって行く若い男の息を塞いだ。一瞬浮かんだリンの白い横顔を、SYOUは雨音とともに濁った闇に力ずくで沈めた。

 お互いがまるで止めを刺す前の小動物をいたぶるような荒々しい気分で、それぞれの暗部を探り合う。唇から唇に糸を引く唾液、女の体液、自分の汗、濡れた髪、外の雨、すべてが同じぐらいの湿度に沈み、二人は夜という海の底で絡み合った。そうして次第にオスとメスの香りが狭い車内に立ち込め、窓ガラスが内側から曇ってゆく。

 やがて見えない真正面からやってくるなにかがSYOUの中心に矢をつがえ、あ、とひとこと叫んでSYOUはまっくらな快楽に全身を貫かれた。


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