似ています、よね
* 長い話なので今までのあらすじをまとめてみました。不要なかたは飛ばしてください。初めてここから入られる方もどうぞお読みくださると嬉しいです。
凶悪犯の血を引く人気スター、SYOU。
虐待されていた母を守るために父を死に至らしめた過去がトラウマとなっている彼は、
孤独な時期に心を通わせた猫の遺骨をダイヤのピアスにして、自らの気性を封印していた。
だが別れた恋人の女優・詩織にそのピアスを奪われたことで本能が暴発し、暴力をふるって怪我をさせてしまう。
指定暴力団、権田組組長である詩織の父は、絶大な権力を誇る宗教団体の汚れ仕事を請け負っていた。
SYOUはペナルティとして、まず組長の愛人である城島澪子に玩具として与えられ、次に、宗教団体と日本の裏権力者をつなぐ少女売春クラブの客となることを強要される。そこには目と耳を封じられた中国人の少女が幽閉されており、去勢された男、ヤオ・シャンがボディガードと監視をつとめていた。少女は以前からSYOUを知っており、危険を覚悟で彼女の目と耳を開放したSYOUに、彼に会うためだけに生きてきたと告白する。SYOUは少女と交わることなくその場を離れるが、その場所、ハニー・ガーデンの客となったことで事務所ごと二つの権力の傘下に入ることとなる。ハニー・ガーデンは法に触れる年齢の少女たちで政財界の権力者をもてなす場であり、顧客リストに載ったメンバーは裏世界のために便宜を図り、裏世界のほうは弱みを握った形で表の面々を利用していた。
一方、澪子宅でのSYOUへのひどい暴行の映像を見たSYOUのマネージャー、哲夫は、事務所と暴力団、そして背後の宗教団体の取引きにSYOUが利用されていることを知り、社長を責めるが、力関係の均衡を保つためにはSYOUが今の立場のままで芸能人として愛され続けるしかないという結論に失望する。
自己責任として自分の汚れた立場を受け入れようとするSYOUは、その鬱屈した精神状態から、リンに対してのめりこんでゆく。自らの生い立ちを語り、心の闇や父親の血に対する恐れ、ピアスとなった猫への思いと、ひとを愛することができない苦しみを打ち明けるSYOUをリンは優しく受け止め、望むならばピアスはきっと戻ると予言する。
一方SYOUへの思いを断ち切れない詩織は、ピアスを一方的に奪い紛失した自分を責め、なんとか複製をつくってでも彼に返したいという思いから、ペアの片割れを持っているというSYOUの叔母に会いに行く。叔母はフェイクを作っても意味はないと諭し、逆にこれからもSYOUのそばにいてやってほしいと頼む。彼の生い立ちや心の傷、ピアスの大切さを改めて知った詩織は、複製は作らず自分の手で探し出す決心をする。
ある日、詩織は偶然、SYOUのピアスを持っている少女と遭遇する。入手先を訪ねる詩織に、その少女は人からもらったものだと言い、他人が知らない詩織のプライベートについて言及して立ち去る。詩織は少女の正体を突き止めると決めて動き出すが、SYOUは大恩のある自分の叔母にまでコンタクトを取った詩織に怒り、自分にかかわるなと釘を刺す。
やがて突然、リンからの別れの手紙とともにピアスがSYOUの手元に戻る。SYOUはリンの真意を測りかねて苦悩すると同時に、ピアスとなった猫とリンが様々な意味で符合することに気づき、リンが愛猫の生まれ変わりではという疑いを持つ。そして、私立探偵の楠にリンの身辺調査を依頼する。
楠の調査の結果、リンが、激しい弾圧を受けて世界中の注目を浴びている中国の巨大宗教組織、陽善功の教祖の、行方不明の娘ではという疑惑が持ち上がる。
「次の休みっていつかな」
寄せられているいくつかの映画の企画書に目を通しながら、SYOUは事務所の喫煙ブースの向かいに座る哲夫に尋ねた。
「今日の昼以降から明日いっぱいだろ。これだって珍しいぐらいだ」
「それはわかってる。そのあとは」
「なんだ、そんなに休みたいのか。それよりな、若宮さんの話、聞いたか」
「ああ、うん。聞いたよ」気のない様子でSYOUは答えた。
「そう、感動のない声で言われるとありがたみが減るな。お前ぐらいの年代の人間が興味ないのも仕方ないが、ある意味カリスマ的な人気と実力を持つ伝説の名監督だぞ。ピンク映画から実録モノまで、公安に目をつけられるようなルポルタージュ映画をゲリラ撮影で……」
「だから聞いたよ。俺を使いたいとか言ったんだってね」
「誰から聞いた」
「乃木プロデューサー」
「あの人が言ったなら確実だな」哲夫は満足そうに笑った。
「ここに集まってる人気漫画原作映画なんてのより、集客は限られてても俺は是非あの人の映画にお前を使ってほしいな。何せ元犯罪者でも前科者でも平気で主役に据えて名作撮る人だからな、土性骨が座ってる」
「話題変えていい?」若干声のトーンを落とすと、SYOUは呟くように言った。
「……愛想のない奴だな。なんだよ」
SYOUは目を上げ、ガラス張りの喫煙ブースの向こうのひと気のない廊下を見やった。
「あのさ。哲ちゃんの家に俺が行った時、哲ちゃん、いったよね。ここでは口にできないヤバい部分まで社長からほとんど聞きだしたんだって。どんな目にあっても後悔しないという約束付きで、恩を着せるようだけど俺のためにって」
「……その話か」哲夫も視線を上げて周りを見回した。
「で?」
いったん唇を引き結ぶと、SYOUはまっすぐ哲夫の目を見て口を開いた。
「霊燦会の名には自分でたどりついた。逆に聞くけど、陽善功……についてはなにか聞いてる?」
「陽善功?」
聞き返された途端、SYOUはしまったと心の中で舌打ちした。が、もう遅い。
「名前は知ってはいるけど、今度の件と何の関係があるんだ」
「……もういいよって言っても、無駄か」
「ああ。どこで聞いてきたかも加えて、説明してくれ」
言ったが最後だ。哲夫は手元の書類を膝に落として、真剣な目でにこちらを見ている。この目の前で嘘はつけない。SYOUは言葉を選んで、訥々と語った。
「権田組が汚れ仕事を引き受けてるついでに結託してると言う、その霊燦会の代表の土光巌の遠い親戚がそこの教祖だって話。だから、弾圧されて散っている信徒をある程度引き受けてるって……」
「……」
哲夫は複雑な表情をして、SYOUの顔を見つめた。
「で。そうだとして、……そのことが今のお前と、何の関係があるんだ。またお呼びでもかかったのか」
「いや。でもおばはんに呼ばれれば断れない立場なのは変わらないけど」
「今の話、どこで聞いてきた」
「調べた。かの国と違って日本は制約なしの検索天国だから、なんでも引き出せる」
「未練があるのか、まだ、あの子に。何を探ろうとしてるんだ」
「ただ知りたかったんだ。俺はそういう人間だから」
SYOUはこちらを見たまま、身じろぎしない。その目の奥に潜む昏い光に、何か鉛のように重い決心が見て取れて、哲夫は自分でも意外なことに次の言葉を呑みこんで沈黙した。そしてSYOUの手元のシナリオに手を伸ばすと、自分のファイルに突っ込んだ。
「そんなことを考えながら読める脚本でもないだろう。ほんとうか嘘か知らないが、好奇心からそうやって裏世界ばかり覗きまわってると足元をすくわれるぞ。いい加減にしろよ」
「好奇心から裏世界覗きまわった挙句出世したのがあの監督だろ」
軽口をたたきながらも、SYOUは感じていた。
そろそろ、この世界にいられるのも限度かもしれない。悪夢の中心へ足を踏み入れる日が近づいているのかもしれない。その時申し訳なく思う最初の相手は、たぶん北原哲夫。彼は呆れるだろう、だが、失望だけはしないだろう。なんの根拠もなく、そんな思いに揺られている自分がいた。
楠氏から陽善功の話を聞いてからずっと、SYOUは空いた時間のほとんどを、その活動と弾圧の情報集めに充てていた。
カルト教団と指定され、悪魔の教えで人心を混乱させようとしている、と国に指定された巨大気功集団。
だが陽善功という宗教は、日本の某教団の殺人ガスや無差別テロと違い、これといった破壊活動をしてきたわけではない。気と精神を統一して宇宙と人との間に横たわる真実と交流することが、魂のゆがみを正す。簡単に言えばそういう教えを中心に置いた、基本的には平和な宗教だ。
ただその影響力の大きさ、信者の規模そのものが、中央政府にとって脅威となるぐらいに肥大したことが弾圧の原因。調べてみた結果では、そういうことだった。
弾圧を告発する画像は、刺激的なものから順に嫌になるぐらい出てきた。
欧米の国々の支援サイトが、ことさら残酷なものを選んで画像を表示しているのだ。およそひとがひとにできることの範疇を越えたような拷問の跡、縛られ変色した遺体、あるいは証言の数々。
変形した体や火傷や痣の画像と同じぐらい、生々しい文字の情報にも、精神に焼き鏝を押すような効果はあった。なによりも、女性に加えられた拷問のほとんどが性的なものであることが、この弾圧の本質を表していた。
当局により投獄され拷問され、棄教を迫られ、最終的に死に追いやられた信者数、千を下らず。おそらくはその二倍とも言われている。
愛する国を侵略しようとしている敵国でもない、愛する者を殺した仇でもない。
それでもこれほどのことが、人は人に対して、できる。むしろ大義名分を与えられたことで、喜悦とともに人の命を奪い尊厳を踏みにじる、人間のむきだしのすがたがそこにあった。
だが、理性とモラルの皮をはげばあらわになる人の本質的な残酷さに、いまさら驚愕する自分でもないはずだった。むしろそちら側に属する要素を、自分は父親からそうとう受け継いでいるはずだ。だが、吐き気を覚えるのは、その「大儀」を背負うものの正義面だった。
ただ欲望のままに女を襲うなら、それはオスの本能と言えなくもない。だが、「本人たちの為に棄教させる」という口実のもとに、性的な拷問を加えて楽しむありさまは、まさに佞悪醜穢の一言だ。SYOUの嫌悪感は、ただその一点に向かった。
そしてリンが該当の人物であるとするなら、自分が抱える思いの背景はあまりに巨大すぎる。彼女の見たもの聞いたもの、経験してきたことは、軽々にわかるなどと決していえるものではないのだ。
「悪魔の教え」の中心にいる、教祖のもと気功師、黄大千。現在行方不明。
そして彼が後継者として指名したという、娘の黄月鈴。父親とともに、当局が消息を探し続けている存在。
月鈴……
鈴、という言葉一つの符合にも心が震えわななき、そして止めようと思っても、かつてシャラの首についていた鈴の記憶が同時に引き出される。自分の思いは結局、こうして個人的な体験と記憶に集約されてゆく。
勝手気ままに出歩くうち、シャラがどこかで落としてきた鈴。その、ささやかな音色。リンという存在は、いまでもSYOUにとって、その美しい響きから立ち上がるはかない思い出と重なる、幻の花のような存在だった。
携帯に送られてきた画像の、白いチャイナ服の少女の後ろに、半分切れた形で背の高い若い男が写りこんでいた。
確か、養子。楠氏はそう言った。その姿は、あまりに容易に、ヤオ・シャンの痩躯と無表情に変換された。かくて、架空の一家の写真が、SYOUの脳裏に再現される。
彼女を憐れと思いますか。抑えた口調が、沈痛なイメージで耳に蘇る。
自分は超高級少女売春クラブの客として彼女に出会い、そして一方的に別れを告げてきた彼女は、国と国との、宗教と宗教の思惑のはざまにいる。
自分に何ができるのか、その前にどうしたいのか。約束の日を前に、SYOUは自分の置かれた状況と自分の感情を何度も頭の中で図式化しようとしたが、リン自身があの日の夢のような滔滔とした川の流れの船に乗せられているようで、イメージを捉えようとするたびに、異国の音楽ばかりを耳に残してそのすがたは視界から消えてしまうのだった。
『柚木さん。申し訳ない、明日の待ち合わせの場所を変えます』
その夜、自宅に向かうタクシーの中で、SYOUはふたたび楠氏からの電話を受けた。
「いいですよ、それより大丈夫ですか、何か起きてるんですか」
『いやいろいろとね、情報が洩れてる気配があるので、用心のためです。調査の内容が内容ですし。六本木の個室レストラン、J。場所は……』
「わかりました、明日そちらへ向かいます」
『お手間かけます。で、あの、今移動中ですか?』
「タクシーの中です」
『ああ、ご自分で運転なさっていないなら、今少しお話ししてもいいですかね』
「ええ、かまいません」
そう答えながらも、SYOUは声のトーンを落とした。
『先日、ぼくあのマンションの近くのビルの屋上に上がってみたんですよ。そしたら、よく見えましたね、あの大学のテニスコートが』
「テニスコート……」
『詩織さんが不審に思ったという例の言葉、ニープダワンギュリマ。そして、讃美歌の話ですけどね。
マンションの最上階のぺントハウスからなら、詩織さんがテニスをしている姿も見降ろせたでしょう。チャペルへの出入りも、まあ、肉眼では無理でも双眼鏡があれば識別できます。つまり、そういうことではないかと』
SYOUの脳裏に、一気にあの屋上の庭園の花々が咲き乱れた。
リンが一人で世話したという、あのサンクチュアリ。小魚の泳ぐ水路。あそこからなら彼女が双眼鏡を手に見下ろすのは可能だ。詩織の通う大学院は別キャンパスだが、テニスコートとチャペルのある大学のキャンパスのすぐ横にリンの蟄居するマンションが存在していたのは、偶然だろうか。もともと自分のファンならば、自分と噂のある詩織の通う大学の名前ぐらいは知っているだろう。彼女の趣味がテニスであることも、彼女のオフィシャルブログを見ればわかることだ。それどころか、ブログを見ていたなら、たまに日常の断片を書いていた日記の部分から、彼女の行動パターンをある程度知ることもできる。
『聞いてますか、柚木さん』
「え、はい」SYOUは夢想から慌てて自分を引き戻した。
『もうひとつ。例の、教祖の娘さんのことです。黄月鈴。画像、ご覧になりましたか』
「……はい」
『似ています、よね』
「はい……」
携帯を当てた耳から全身に緊張がみなぎった。
『実の娘と言われていますが、実は捨て子だったという話があります。ぼく、香港のジャーナリストにつてがありましてね。たずねてみたら、彼女はおそらく六歳のころに、大千氏に拾われているというんですよ。その前に、大千氏は一度実の娘さんをなくしていて。たまたま山の中に捨てられていたみなしごをわが子にしたらしいと、そういう噂があるそうです。彼女こそは神からの贈り物だと周りに言ったという話で』
「……実の子ではない……んですか。いま、奥さんは?」
『実の娘を病気で失った後、別れていますね。彼の気功で救えなかったことで恨みに思ったという話で』
「じゃあ、養子というのは……」
神からの贈り物。
その表現が、何かのキーワードのように心の一部に引っかかった。
『いえ、養子として受け入れたのは貧農の青年のほうです。優れた頭脳の持ち主で、西洋東洋、両方の医学の本を読みふけり、幼いころから気功師を目指していたといいます。大千氏が村を回って人々を癒していたとき、福建省で彼に目をつけて費用を出して、大学まで出したということで。彼は大学に合格することによって、農村戸籍でありながら都市に出ることができた。中国の戸籍制度についてはご存知ですね』
「ええ、農民が都市部に流れ込まないように生まれつき都市部と農村部では戸籍を分けていると」
『その通り、少し前まで農村戸籍のものは都市に移住すること自体が許されませんでした。大学に合格し、企業に就職することができなければ。
青年は大千氏に目をかけられたことでそれを可能にした。彼は一生の忠誠を大千氏に捧げると決め、そして大千氏は彼を養子に迎えた。そういうことのようです』
「彼の名前は」
『確か、下の名が、秀云。大千氏が行方を晦ましたのち当局に捉えられて酷い拷問を受けたらしいですが、そのあとの消息はつかめていません』
「……」
『おしゃべりもここまでにしましょう。あとは書面も交えてお伝えします。何しろお会いできる時間も限られていますし、全部お伝えできるかどうかこころもとないのでここで要点だけでもお伝えさせていただきました。では、詳しいことはまたあした。お気を付けておいでください』
通話を切る。ビルの間から、オレンジ色に輝く東京タワーが見えた。そして、珍しく澄んだ夜空には、ビルの陰から現れてはまた消える満月が青く輝いている。
東京タワーも青白い月も、あの屋上庭園からよく見えただろう。彼女はそうして花と空と、そしてテニスコートに通う詩織を上から眺め、讃美歌も聞いていたのだろう。
どれだけの間だろう。何を思っていたのだろう。わたしはここでいいの。あのときつぶやいた言葉の裏には、どれだけの地獄が隠されていたことか。
それでも彼女には、ヤオがいた。
彼女を憐れに思うなら、どうぞまたお出でください。何の慰めもない人生に、あなたの存在だけが光になるでしょう。
ほんとうはあなたは、危なかったの。
あそこでわたし相手になにかしていたら、今無事でいられなかったかもしれない。
でも、あなたは助かった。それは、あなたが、あなただったから。
リンを黄月鈴と、ヤオを秀云と仮定して、謎のような言葉を記憶のパズルに当てはめる。
あそこは蟻地獄なのだ。たぶん、夢と快楽に揺られているうち、穴に堕ちたやつらもいるのだろう。 彼女の、そしてヤオのしようとしていることとその目的は、これから楠氏が明らかにしてくれるだろうか。自分はこの圧倒的な現実と、対峙できるのだろうか。彼女の運命と自分のささやかな正義感と、それでも傍にいたいというどこまでも個人的な思いの帳尻を合わせることが自分にできるのか?
それは、……残りの事実を確認した後で自分の中の化学反応に任せればいい。かたちをなさない不安と圧迫感から逃れるように、SYOUは目を閉じた。その一方で、今度こそ真の意味で自分の本能を「解放」できるかもしれないという未知のわななきがあった。