9.ツボの中から異世界に立つ
「それでは万友莉、円の中央に立ってください」
「……いいんだけど、先に、これがなんなのか説明してくれる?」
話が早いのは、回りくどいよりもずっと良いけれど、自分の身に何が起こるか分からないようなものは先に説明が欲しい。万友莉は切実にそう思う。
「失礼しました。この『ツボ・トレーシングシステム』は、この中に立つ万友莉の脳波や実際の動作を読み取り、『ツボ・アヴァタ』にそれをなぞらせるシステムです」
「うん、ごめん、先に……、ずっと気になってたんだけど、いちいち頭に『ツボ』って付いてるのは、どうしても必要なの?」
「必要です。これによって、世界に対して『これは神器の権能である』という宣言を行うことで、通常の魔素による魔法現象とは異なる理による魔法的現象を発現可能としていますので」
「……よく分かんないけど、それって、頭に『ツボ』をつけるだけで、誰でも使えちゃうの?」
「あくまでもそこにマスタの意志、あるいは合意を以て宣言することによってのみ行えることなので、マスタである万友莉以外にはまず扱えるものではありません」
「そうなんだ……」
とりあえず、自分が様々な恩恵を受けているこの不思議な力はやはり特別なものなのだ、ということに万友莉は何となく安心感を覚える。だが、マイの言葉は同時に、特別ではない『普通の魔法』というものもこの世界には存在するということを示してもいて、それがどれだけのことを為せるのかが判らない現状、ペシミストな傾向に自覚のある万友莉は、やはり少なからぬ不安も覚えずにはいられない。が、これも今考えても仕方ない、と万友莉は気持ちを切り替えるよう努めた。
「……それで、話を戻すと、つまりは私がこの円の中に立って動けば、外のアヴァタがその通りに動く、ってこと?」
「その通りです」
「でも、これ、結構大きいけど、歩いたりするにはさすがに狭くない?」
「それは……、いえ、説明するより、実際にやってみる方が理解が早いと思われます」
「…………分かった」
それはそうだろうけど、と、実践するのに不安があるから説明を求めた万友莉としては不満もある。だが、マイの言い様からすれば自分の懸念は問題無いということなのだろうし、それを可能にしてしまうほどの何かなら、説明されたところできっと理解できはしないだろう、と考え、万友莉は不満を飲み込み、とにかくやってみることにした。
(ええい、女は度胸だ!)
小心者を自認する割に、変なところでは思い切りが良い、そんな自分を認識して、万友莉は、それをもっと社交的な方面に活かせなかったのか、とつい思う。だがすぐに、そんなことはきっとできない、という確信とすら言える思いが強く湧き上がる。
何故、そう思ってしまうのか? 何が違うのか? ――万友莉はそう自問して、すぐに気付いた。
自分一人で完結することならば、多少の不安は簡単に割り切ることができるのだ、と。
それは、言い換えるなら、他者が関わることには臆病ということだ――その発想に、万友莉はただ漠然とした納得感を得た。ただ、その感覚的な理解が明確に言語化される前に、万友莉の耳にマイの声が届き、万友莉は自分の身にこれから起こることに意識を集中することになった。
「それでは、起動します」
そのマイの言葉とは裏腹に、万友莉はすぐには変化を認識できなかった。しかし、周囲を窺っていた万友莉の目がふと、空気の“揺らぎ”のようなものを捉えた。それは、水の中に透明なシロップを垂らしたような歪みにも似ていて、意識しなければ認識しにくい変化だった。そしてよく見れば“揺らぎ”は足下からも立ち上っていて、間もなくそれは万友莉の周囲全てを覆い、空気との区別が付かなくなった。そして――
「ちょっ! ……えっ!?」
突然、目線が、すっ、と高くなり、地面がせり上がったのだと感じた万友莉が反射的に足下を見ると、そこには“何も無かった”。その事実に、万友莉は、自分が文字通り『浮いている』のだと気付くのに少しの間を要した。
だが、万友莉の足の裏には、地に足が付いているような感触はある。なので、肉眼では見えないほど透明度の高いガラスか何かかとも思い、つま先で足下を叩いてみたが、物理的な感触こそ返ってくるものの、音は全くしない。そこにはやはり何も無いように見えて、万友莉は、立っていながら浮いている、そんな状況に、なんとも落ち着かない感覚を感じていた。
「これってどういう……いや、魔法なんだろうけど……」
「システム領域内を特殊な魔素で満たすことによって、万友莉の動きをアヴァタに反映させる一方、外のアヴァタの状況を万友莉に反映しています。そのため、システム起動には一万ほどのツボポイントを必要としますが、停止時にはほぼ還元されるため、消費は微々たるものになります」
「魔素って、何なの……?」
それは、本当に何でもありなんだな、と感じた万友莉が、呆れ混じりに思わず呟いた言葉だった。
「この大陸では一般に『マギ』あるいは『マギカ』と呼ばれる『魔素』は、仮説の一つによれば、それが人の精神活動に反応を示すことから、物質界と精神界、言い換えれば、日本で言う現世と隠世のように解釈される概念ですが、その物質界から精神界へ、若しくはその逆方向への……二次元に対する三次元の『奥行き』のようなものをとった、四次元、あるいはさらに高次元の世界、そこに本来存在する……三次元で言う所の『物質』である、と定義されています」
独り言に、マイが律儀にもよこした返事、そこに万友莉は一つの理解を得る。
「なるほど、全く解らないということがよく解ったよ……」
「あくまでも比較的支持されているというだけで、何の証明もされていない仮説であるので、その理解は概ね正しいと言えます」
きっと、頭の良い人たちがその知性を集めて捏ねくり回して、よく分からないものに対してようやくそれだけの仮説を立てたのだろう。そんなものを、自分が考えたところで理解に繋がるものでもないのだろう、と、そこに卑屈も謙遜もなく万友莉は思う。
「ただし、神器はその権能で魔素を『都合の良いように再定義』することで、本来の理を超越することを可能としていますので、現状万友莉を包む魔素は本来の魔素とは異なるものです」
「……そうですか……」
何やら解らないものを、さらに解らない原理で利用している。そんな話に、もうここはそういう世界なのだ、と万友莉はざっくりそう結論して、ややこしげな細かいことは棚上げにすることにした。
気を取り直してディスプレイに焦点を戻すと、再び万友莉の目に外のアヴァタの様子が映る。その少し離れた背後に、アヴァタの首元ほどまでの高さがある“ツボ”が見え、あんな大きいのは“カメ”と呼ぶんじゃないのか、でも口がすぼんでいるから“ツボ”でいいのか、そんな考えが頭を過ぎったが、今考えることじゃないと思い、その思考も先ほどの棚に持ち上げた。
気を取り直してアヴァタに集中した万友莉が先ほどのようにつま先で地面を叩く動作をすると、ディスプレイ内のアヴァタは同じ動作をした。アヴァタの動き、そしてつま先に返ってくる感触、少なくとも万友莉には、そこにわずかなディレイもあるようには感じない。トレースというよりも、完全にシンクロしているようだと思う。
そして、本当に自分の動きがアヴァタと同調しているのを確認した万友莉は、先ほどの疑問を思い出し、今度は歩いてみることにした。すると――
「……うわ。何か、変な感じ……」
実際にやってみれば分かる、そのマイの言葉の意味はすぐに分かった。アヴァタは万友莉の動作に合わせて前進しているが、万友莉自身はその場から動いていない。万友莉の体感は、ルームランナのように足が後ろに流れるような感じも無く、普通に歩いているようにしか感じない。なのに、意識をディスプレイから肉眼に戻すと、周りの光景は全く動かない。これがなんとも奇妙な感覚だった。
肉眼とディスプレイへ意識を半々にやりながら、万友莉は走ってみたり、曲がってみたり、色々と動いてみる。頬に風が当たるような感覚まであるのに、自分がその場から動かない、そんな変な感覚は、少しすると気持ち悪さに変わってきた。ディスプレイがアヴァタを客観的に映しているため、万友莉の感覚とアヴァタの実際の動きの見た目に感覚的なズレを感じ始めたためだ。それは、ゲームで言うところの、いわゆる『ラジコン操作』を万友莉に思い起こさせた。キャラクタがどちらを向いていても、上を入力すると向いている方向へ歩くその入力システムは、見た目と操作感に違和感を感じて、万友莉は苦手にしていた。
「とりあえず広さが問題じゃないことは分かったけど……、この操作感覚は苦手かも」
「万友莉、それはまだ『ツボ・トレーシングシステム』の本領ではありません」
「……どういうこと?」
「それでは、万友莉の意識をアヴァタに完全同調させます」
そのマイの言葉が聞こえた次の瞬間、万友莉は、先ほどまでディスプレイの向こうに見ていたダンジョンに、自身の足で立っていた。




