57.迫る
万友莉たちが索敵に出てから六日目の早朝のことだった。
外の喧噪が耳に届いて、万友莉はトレーシング・システムの中で目を覚ました。朝に強いわけではなかった万友莉だが、意識は急速に明瞭になる。いざというときに備えて以前から任務中はこの状態で就寝しているが、防具を着けたままの寝起きもだいぶ慣れたものだ、と万友莉は実感する。
万友莉の覚醒を察知したマイが、外の音量を大きくして届けた。
すぐには要領を得ないが、何かが暴れているらしい。だがひとまず、魔物ではないようだ。ただ、詳しい状況を知るなら直接見た方が早い。そう判断した万友莉はアヴァタに同化して立ち上がった。テントの中では、サラが万友莉の提供した寝袋から上半身だけを起こして、寝ぼけまなこを見せていた。
外に出ると、状況はすぐに把握できた。暴れているのは木に繋がれた荷運びのラクダだった。数人がかりでそれを宥めようとしていて、万友莉はその手前にジェシカの姿を認めた。
「……おはようジェシカ。何が起こったの?」
「ああマユリ、こいつらが朝早くからわめきだしてね」
「理由は分かったの?」
「はっきりしたわけじゃない。だが、おそらく原因は魔物だろうね」
「もう近くまで来ているの?」
「それを確認するために、ステファニたちが今、西の砂丘に上っている。……ああ、あっちも状況は同じようだね」
万友莉がジェシカの目線の先を追うと、男性陣がキャンプを張っている方から、マークたちが近づいてくるのが見えた。
「やはりこちらもか……」
ラクダたちの様子を見て、マークがそう溢す。
「アレクスの意見では、これは動物的直感反応だ。私もそれに同意する」
「私もそう思うよ」
「フム……、非戦闘員に後方への報告を任せ、同時にラクダを連れて戻らせよう。ラクダに逃げられるよりは良い。残す人員と荷物をすぐに選択しなければならないな。……こちらは君に任せて良いか?」
「ああ、承るよ」
この数日、万友莉から見て、他のチームを合わせた現状でも、この二チームがリーダシップを発揮していた。よって、これはほぼ決定事項だろうと思われた。
「もちろん私たちは残ります」
マークたちが戻っていくのを見送って、万友莉はジェシカにそう宣言した。
「ありがとう、マユリ。それは私から頼みたかったことだよ。ヒヨクレンリを頼りにしてる」
「もちろん最善は尽くすつもり。では、サラにも伝えて、準備してきます」
「急がないでいい。荷物を仕分ける機会はおそらくこれが最後だ、準備は十分にね。最優先の基準は、生き残ることだよ」
「分かった」
そして、ジェシカが同じような指示を他のチームにも始めるのを背中に、万友莉は急ぎ自分たちのテントへ戻った。
「……西の空が少し埃っぽいね」
シンプルな単眼望遠鏡を覗きながら、西方を監視しているジェシカがそう口にした。立ち位置がやや離れている万友莉にもそれはしっかり聞こえた。
現在、六チームを三パーティに分けて、それぞれをオアシスの南西、西、北西に配置、西方を監視している。それぞれはお互い目視できないほどには距離を取っていて、無線連絡機器のようなものは(少なくとも携行可能なサイズのものは)無いため、魔物発見の報や後退の合図は狼煙によるものになる。その点では幸いなことに、万友莉たちが砂漠に足を踏み入れてから天気は快晴続きだ。一番人数の少ないヒヨクレンリは、一番人数の多いネヴァ・ウィザと組んで南西の砂丘に配置されている。
魔物の侵攻ルートが確定していない以上、見逃しの無いように全チームを分けてできるだけ南北を広くカヴァする案もあったようだが、安全を優先して三パーティでの監視となった。ウェスターン・ユニオンが伝えた「ア・ヒュージ・ナンバ」という魔物の数が誇張でないならそうそう見逃すことはないだろうし、見逃しが起きるほどに数を減らしてくれているなら後方の部隊でも対応できるだろうという判断だ。
「砂嵐?」
「いや、今、風はほとんど吹いていない。あるいは遠くでは吹いているのかも知れないが、魔物が巻き上げたものと想定して準備をしておくべきだ」
「……そうね」
そんなネヴァ・ウィザのメンバが交わす会話を耳で捉えつつ、万友莉は西方を見回すように振る舞いながらレーダを注視していた。およそ十キロ先の索敵限界にはまだ何の反応も無い。扇形のレーダは中心角がわずか五度ほどしかないため、左右に振ることで索敵範囲を広げている。動かすことで、魔的領域を静的に維持するよりも消費ツボポイントは嵩むが、今はそれをすべき時だと万友莉は判断した。
ただ、レーダに反応がないということは、異変が無いということではない。レーダには黄色の点で示される人でも魔物でもない生物の反応、ここに来るまでは散見されたそれもまた、今は皆無ということだからだ。
鳥が逃げたように、ラクダが怯えたように、砂漠の生物たちもその野生の直感で既に逃げ出したものと思われて、万友莉は高まる緊張感の中で、魔物を示す赤い点が現れるのをただじっと待ち続けた。
――どれだけの時が経っただろうか。
そう思って万友莉が太陽の位置を見れば、まだ頂点には届いていない。
「西の空はますます埃っぽくなってきたが……」
しかし望遠鏡には魔物の姿は捉えられないようで、そのジェシカの声には苛立ちや焦り、不安といった感情たちがうっすらと混ざって感じられた。
どうやら焦れているのは自分だけではない、万友莉がそう思ったときだった。
『捉えました』
万友莉自身の耳にマイの声が届き、レーダは前方真っ直ぐに固定された。
「……え?」
だが、レーダに焦点を合わせた万友莉の目に映ったのは、赤い“点”などではなかった。
赤い“壁”が迫ってくる――万友莉の脳裡に浮かんだのはそんな思いだった。
マイが気を利かせたのだろう、拡大されたレーダの先端から、ゆっくり、じわじわと、ほぼ隙間無く赤に塗りつぶされていく。魔物は綺麗に横並びになっているわけではない。だから迫る“壁”は、波打って見える。
万友莉の目に、それはまるで、垂れ流れる血と見えた。
そのイメージは、万友莉に強烈な“死の予感”を感じさせた。
そして、その死の予感が、万友莉に、それを思い出させた。
あの、アビスへ投入されようとしていたときの、恐怖や怒りといった感情たちを。
そして、そういった感情を、それ以前に味わった時のことを。




