54.皆で臨むミッション
発端は、ウェスターン王が不穏な野望を企んでいる、という、その時はまだ信憑性も低い『噂』と言うべき程度の情報がユニオンに持ち込まれたことだった。
それは、約八年前に起こったある出来事がきっかけとなり、今ではそれが質の悪い噂だと言い切れない空気が、徐々に、徐々に、ウェスターン国内に醸成されてきた。
――その“ある出来事”とは、ウェスターンに出現したマスタが『マスタ・オブ・ナッシング』であったことだ。
ウェスターンは大陸の中で、単純な国土面積は最も広い国だ。それゆえ、地域によって特色に違いはあるが、他国と比較して農耕や畜産に向いた土地にも恵まれている。そんな環境のためか、ダンジョンが誕生した約三百年前から、つまりはその管理のためにこの大陸内が『国』という行政区分に分かたれて以来、ウェスターンは王を始めとした政に関わる者たちを中心に『大国たるべし』という理念の下に運営されてきたのだという。
だが、ウェスターンの実際は、決して恵まれているわけではなかった。
まず、ウェスターンに限らず、国の人口はダンジョンを中心とした首都圏に集中し、それはダンジョン資源の有用性が理解されるにつれてより顕著となっていった。ゆえに国土の広さは必ずしも利点とはならず、比較的恵まれた土壌条件も十全に活かされていない。
また、その恵まれた土壌条件が関係するのか、ウェスターンのダンジョン資源は他国と比べると食物関連が弱い。決して自給できないわけではないが、食に多様性を求めると輸入に頼る必要もある。しかし、広大な大陸で各国の首都は全て海岸寄りに位置するために、ウェスターンはとりわけ別都市との距離が遠く、貿易にはより多大な苦労がある。しかも大陸中央に広がる砂漠はウェスターン北東部にまでおよび、国土の大半が砂漠に覆われるサウスコンティはもちろん、北東部で国境を接するノーゼリアとの交流をも阻んでいる。やがてダンジョンから手に入った鉱物資源と知識を元にして首都間に鉄道が敷設されても、前述の地理条件ゆえにノーゼリアとのルートしか持てなかったウェスターンは、他国と比べると人や物の移動は緩慢だった。
一方で、ダンジョンがもたらした知識と資源は、大陸に新聞やラジオ、やがては電話などといった情報伝達手段も普及させた。拡散手段を得た『情報』は、その移動に人や物ほどの労力を要しない。畢竟、ウェスターンの人々も、他国との違いを、自国の実情を、より正しく知ることとなった。
そこまでなら、まだ劣等感を抱くほどの“格差”とまではいえなかっただろう。ところが、やがて各国に、突如として『神殿』が現れた。『神器』そしてその『マスタ』の降臨が始まったのだ。
だが、マスタは全ての国に等しく現れたわけではない。まずは砂漠に覆われたサウスコンティ、次いで単純に国土面積の狭いリズトリア、つまりは“恵まれない”国から順にマスタは現れた。そしてウェスターンは、“恵まれた”国だった。
マスタが現れたのが遅かったという点では、クェズラントも同様だ。クェズラントは面積でいえば二番手だが、国境周辺を砂漠に侵食されているウェスターンよりも土地に恵まれているといえる。事実、マスタが降臨したのは六国の中で最も遅い。だが、ウェスターンよりもずっと他国との交流に易い地理条件だったクェズラントは、より早くから自国の状況を理解し、ダンジョンのみに頼らない運営に取り組んでいた。現在、教育方面などに顕著なその“成果”もまた、ウェスターンに“野心”を育ませた一因だったのやも知れない。
加えて、ウェスターンは降臨した『神器』にも恵まれなかった――少なくとも、歴代の為政者たちはそう考えた。
例えば、最初に現れた神器は『弓矢』だった。それは当然、人智を越えた力を持っていた。『弓』は、決して尽きることの無い『矢』を、音よりも速く放つ。そのマスタも決して的を過たぬほどの技倆を持っていたが、それは正しい“所作”あってのことであり、残念ながらそこに殲滅速度は伴わなかった。しかし攻略の速度を何よりも求めていたウェスターンは、マスタに“圧力”を掛け続け、結果、マスタは早世することとなった。その後の『鎌』(『サイス』ではなく『シックル』だった)や『棒』(一般には『スティック』と呼ばれたが、正確には旧文明に行われていたスポーツの『バット』と呼ばれた道具だと記録されている)も似たような顛末を辿り、しかも、マスタが早くに亡くなる度にその出現間隔は明らかに開いていった。
そんな、百年の多くをマスタ不在で過ごしたウェスターンに、久しぶりに現れた待望のマスタは、徒手空拳だった。
最初こそ、彼女自身の身体能力や、道具に頼らない――例えば魔法などの――方面での特別な能力を期待されたが、それは遠からず否定された。
その失望はいかほどだったか。それは為政者のみならず、広く国民にまで、その心の内に、悲観と、憤りを、燻らせた――そう考えられても不思議ではない。
元より、マスタに頼ることのできなかったウェスターンは、ダンジョンの攻略をエクスプローラ任せにせず、国軍の強化によって進める国策を執ってきた。その強化してきた“力”を、彼らが『誇り』と信じる欲望のままに外へ向ける、その可能性をあり得ないと切り捨てることは、もはやできなかった――。
万友莉は、ユニオンで受けた説明に、マイや、サラ自身による補足を加え、以上のような“背景”を理解した。
重傷を負った『マスタ・オブ・ハンマ』は、表向きは「不遇なウェスターンの力になるため」として五年以上前からウェスターン・ダンジョンのみで活動していたが、実際はユニオンからの依頼を受けてウェスターンの内偵を行っていたのだという。だが、ウェスターンが『侵略』を企てているという疑惑は、確信に至る前に、今回の事態は起こってしまった。
「ウェスターンの野心はサウスコンティへ向いていた。その執念に汚染された魔素の影響で魔物たちは狂った。ゆえに魔物はサウスコンティの首都を目指している。……それが各国のユニ・プロフェッサが最も可能性の高いとした推論だ」
エディは会議室に集まった面々に、そう語る。
会議室には名指しされた主要なチームだけが集まっていた。万友莉とサラもその一員だった。
それぞれのチームは代表者二、三名ずつの参加だが、上級ともなれば体格の良いエクスプローラも多く、決して狭くはない会議室も、万友莉には手狭なように感じられた。
「残念ながら魔物たちの心変わりには期待できないらしい。ウェスターンという国は魔物たちにとってよほど居心地が悪いようだ。……ヤツらは必ずここを目指す、そう念頭に置いてくれ」
エディの軽口には多少の笑いも起こったが、それもどこか無理に笑おうとしているようだった。皆、それほど切迫した事態だと認識しているのだろう。万友莉はそんな印象を受ける。
「“氾濫”が起こったのは“禁忌”を犯したからであり、かつてリズトリアが犯した禁忌は、当時のマスタの神器を真似た武器を造るために、火薬とそれを利用した武器の開発を行ったことだろうと考えられている。ウェスターンも同じ禁忌を犯した可能性はあるが、それだけなら前回のリズトリアと同じく国内のみで氾濫は完結するはずで、今回は“侵略”そのものが禁忌である可能性が高い。……これが現時点での教授たちの見解だ。それが事実だとしても、サウスコンティが巻き込まれることに納得はできないが……、我々が向き合うのは“現実”だけだ。とにかく、リズトリアの前例は参考にならない、それだけ解っていればいい」
エディの話を聞いて、万友莉はかつてマイに、火薬が禁忌であると教えられたことを思い出した。あれは地上へ向けて進み出してすぐの頃だったか。思い返して、それはもうずっと昔のことのように万友莉には感じられた。
「普通に考えれば、二国間に横たわる砂漠が魔物の行軍を阻んでくれる。だが、ダンジョンから出てきた魔物が地上でどのように活動するのかはまるで解っていないから、期待はしない方が良いだろう。加えて、砂漠にはかつて『聖女』がウェスターンへのルートを作るべく生み出したオアシスが点在している。『聖杯』が生んだものだから『聖流』のように魔物を遠ざけることを期待したいが、逆に過酷な砂漠に於いて魔物にとっても命を救う水源になってしまう可能性も考えられる。……つまりは解らないことだらけだ。だから、我々は最悪の事態を想定して準備しなければならない――」
ウェスターンでは、それまで観測されたことのない魔物の姿も報告されている。つまりは、未踏階層からも魔物が上がってきた可能性が高い。少なくとも五十階層以降の魔物だ。それが、マスタでさえ抑えきれない数の暴力を伴ってサウスコンティにやってくる。昼夜の気温差の大きい砂漠の中で外温性の魔物はいくらか力尽きるかも知れないが、逆に言えば、サウスコンティまで到達するのはそれを乗り越えるだけの強さを持った個体ばかりだ。聖杯が生んだ湖にも怯まない格の魔物が、むしろそこから水分を補給して万全であるかも知れない。そして対するこちらは、魔素の薄い地上での戦いでは魔法による効果的な攻撃や牽制はまず行えない。トレンチなどを築こうにも魔物の規模や分布範囲、侵攻ルートが明確にならなければ効果的な足止めは期待できず、明確になってから準備したのでは遅すぎる――。
想定される“最悪”が次々と言葉にされるにつれて、万友莉にも絶望感が重みを持って全身にのしかかってくるように感じられた。
「各国のユニオンにエクスプローラの派遣要請は出している。しかし、ここカーレイディからウィント・ハブ・ステーションまで列車の路線は二本だけだ。そして現在、特例で手続き無しの他国への避難が認められたためにノースバウンド・ラインを切り替えることもできない。つまりこちらへはサウスバウンド一路線のみでの人員輸送だ。だからリミットまでにどれだけの数が集まるか判らないし、そのリミットもまだ判明していない。最悪、今カーレイディにいる者たちだけで真っ向から魔物の大群と戦うことになる」
エディはそこまでで一度言葉を区切り、周囲を見回してから、努めて明るい表情を浮かべ、改めて口を開く。
「状況は絶望的だ。……だが、ユニオンは諸君に死ぬ覚悟をしろなどとは決して言わない。さっきはリズトリアの前例は参考にならないと言ったが、あれは間違っていた。一つだけ、心に刻むべき事実がある。……それは、人が生きてさえいれば復興は叶う、ということだ!」
力強いエディの言葉は、場の空気を少し、変えた。
「我々がこれから臨むミッションは、まずは、この街の人々を一人でも多く逃がす、そのために時間稼ぎをすることだ! ……今回の氾濫はこの街が魔物に蹂躙されて終わるかも知れないし、その後にも魔物どもは他の街も目指すかも知れない。……必ず生き残れ! そして我々はその顛末を他国の皆に伝える! それが次のミッションだ! ……その後のことは……、まあ、何とかなるだろう」
最後にエディはおどけて見せて、場には控えめながら笑い声が起こった。それは先ほどのものよりはずっと自然な笑い声だと万友莉には感じられた。




