表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツボの中から異世界 ~A step towards a new world~  作者: みたよーき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/60

53.夢

 そこは、高校の音楽室だった。

 ギターを弾くことになった。学期末テストの課題だ。グループを作り、皆で一つの曲を演奏する。人前に立つのは過度に緊張する。そのせいでソロで歌う前回のテストは散々だった。憂鬱だ。

 鮮やかな水色の空を、雲が流れていく。見上げても憂鬱は晴れない。視線を戻すと、フェンス越し対面に教室棟が見えた。左の下に見える渡り廊下を渡ってすぐ左が音楽室だ。テストの日が間近であることに気付く。ギターの練習をしなければならない。今更思い至る。ギターなんて、今まで弾いたこともなければ、持ったことすらない。でも、自ら言い出したことだったはずだ。あの時はできないとはまるで疑わなかった。どうしてだろう?

 どうしようもない焦りだけがある。走ったところで何も解決しない。だけど走らずにはいられない。教室が並ぶ廊下には人影一つ無い。今は授業中だっただろうか。一番奥の教室の前に到着した。ロッカーを開けると、ギターケースがあった。これを持って、行かなければならない。

 どこへ?

 音楽室だ。テストが始まってしまう。何の練習もしていないのに。なぜ何もしなかったのか。しなければならない、そう思ったはずだ。そう思っただけだ。何かをしているつもりだった。だけど何もできてはいない。

 一面に映る空色に、すうっと落ちていってしまいそうな感覚に襲われて、慌てて寝ていた上体を起こす。屋上のフェンスの緑が、眩んだ目に、黒と映る。渡り廊下の影に隠れて音楽室は見えない。もうテストは始まっているだろうか。どうして今の今までテストのことを何も考えずにいられたのか。いや、考えていた。毎日毎日、考えていた。しなければならない、その思いに焦燥感だけが募って、何に手を付ければ良いか分からなかった。分からず、何もできず、時間は、日々は、ただ無為に過ぎた。

 ギターを忘れたことにしようか。だが、借りれば良いと言われたらそれまでだ。弾けないという事実を全員の前で口にすることは、どうしてか酷く恐ろしい。できっこない。ならサボれば良い。一人で補習を受ければ良い。でも、それも、何故か、してはいけない、そんな気が強迫観念めいてする。

 心が決まらないまま、音楽室が近づく。もう少し進めば、あの扉の窓から中が見える。あの窓の向こうからこちらが見える。その目が、私をどう見るのか。それを思うと、今すぐに踵を返して駆け出したかった。だけど、足はガタガタと震えるばかりで、思うように動かすことができない。

 一度止まってしまった足を動かすことはひどく難しい。だから、もうそこから動くことができない。ずっと、ずっと。

 そんなことはない、それは言い訳だ! 訳も分からずただ泣きたいような気持ちで、そう叱責する――瞬間、世界が遠ざかる。あるいは、ひっくり返る。


 目の縁にある感触で、万友莉は、自分が泣いていると知った。

 目覚める瞬間、何かを叫んだような感覚がある。それが気のせいではないことは、先ほどまで見ていた夢が、未だ脳裡にその形を、断片的にではあるがくっきりと残していることから、分かる。

 不思議な感覚だった。今まで、夢を見たことを覚えてはいても、その内容はいつだって時を経ずして霧散した。覚えていたいと強く思ったはずの夢の断片すら、その形を上手く残せたことはない。だが、何故か先ほど見た夢の、いくつかの場面が、過去に見た光景を思い返すよりも鮮明なくらいに思い返せる。

 それだけ強い示唆のある夢だったのだろうか、そう万友莉は思うが、具体的に何を示しているかまでは分からない。

 いつか、読んでみようと思ったことのある『夢判断』という本を読んでいたら、何か解ることもあったのだろうか、万友莉はそう思ってもみるが、その前にと読んだ『精神分析入門』上下巻を、とても眠い思いをしながら二週間以上を掛けて何とか読了だけはしたことを思い出し、読んでいても大して記憶に残っていなかっただろう、などと思い直す。

 ただ、具体的に何を示唆しているかが解らなくとも、先ほど見た夢に付随した“感情”には心当たりがあった。あの、家に引きこもって日々をやり過ごしていた頃に、胸の中に渦巻いていた感情、少なくともその一部に関わるものだ、そういう感覚的な理解だけはあった。

 だが、それが分かったからといって、直ちに万友莉の中で何かが変わる、ということもなかった。

 こんな夢を見たのが“今”であることも、何らかの示唆を含むのかも知れない、万友莉はそんなことも思う。今までの積み重ねが見させたのか、あるいは今後への不安が見させたのか。だがそう考えてみたところで、やはり本当の理由や原因など知りようもない。

 直ちに何かが変わるわけではない、そう感じた一方で、万友莉の心には、これから先には何かが変わるかも知れない、変えられるかも知れない、そんな、期待とも予感ともいえる感情もあった。

 だがそれは、万友莉の感覚では、決して前向きなだけの感情とも言い切れなかった。

 変わる、のではなく、変わらざるを得ない。もしかしたら、これから先のいつか、自分の身に起こることはそういうものだ、そんな不安もまたあるのかも知れない。

 そんな考えに耽っていた万友莉を引き戻したのは、“外”から聞こえてきたノックの音だった。


 招集を受けて訪れたユニオン前広場には、既に大勢の人たちが集まっていた。

 百人は優に超えるだろう人々は、整然と並んでいるわけではないために、隣の資源や素材を扱う施設建物の前まで広がってしまっている。しかし、あまり乱雑な印象も受けない。それはこの場に隠しきれず漂うシリアスな空気がそう思わせるのだろうと万友莉には感じられた。

「……女性の比率が多いね」

 辺りをざっと見渡して、万友莉はそんな印象を受けた。それをわざわざ口に出したのは、この場の空気になんとも居たたまれない気持ちを、少しでも紛らわせたかったためだ。

「ん? ああ、半分近くはそうだね」

「ここにいる皆、エクスプローラなんだよね?」

「全員かまでは分からないけど、関係者であることは間違いないだろうね」

「エクスプローラって、もっと男性比率が高いと思ってた」

「まあ、ここが『聖女』が活躍した場所だっていうのも影響してるんだろうね。けど――」

「ヤァ! サラ、マユリ、おはよう」

 万友莉がサラと話していると、背後から”明るく作ったような”声を掛けられた。振り返れば、そこにはジェシカを先頭に、女性ばかり数十人が列をなして近づいて来ていた。

「……女性比率が上回ったかも」

「ん? サラ、何についての話だい?」

「女性のエクスプローラが多いのは何故か? について」

「ああ、それはもちろん、アンチエイジング・セオリィのせいだろう」

 ジェシカが言うには――かつて、いつまでも若々しい『聖女』には不老不死が疑われていた。しかし、別の国に現れたマスタによって、彼らが死ぬことも老いることも確認されると、聖女がいつまでも若いのは誰よりもダンジョンの深い階層で活動しているからだ、という“仮説”が誰からともなく広まった。エクスプローラを志す女性が増えたのはその頃からだ。それから五十年以上が経った今ではそれは確かな“説”として周知され、エクスプローラになることを選ぶ女性は決して絶えることがない――とのことだった。

「それは……、ジェシカも?」

「ハハハッ! 否定はできないね」

 思わず聞いてしまってから、万友莉は、今のは失礼ではないか、と不安に思ったが、ジェシカは全く気にしていないようだった。

「主な動機は別にあっても、女なら全く期待せずにはいられないんじゃないかい? あるいは女に限ったことじゃないだろうけれどね」

 魔素というものが人の意志、想い、願い、そういったものに反応するという性質はそんなところにも影響があるのか、などと万友莉が感心していると、俄に周囲のささやかなざわめきがピタリと静まった。見れば、ユニオン内からやや憔悴した様子のエディが姿を現していた。

 エディは周囲を見回した後、事実だけを伝える、と前置きして、それを伝えた。

「『マスタ・オブ・ハンマ』は一命を取り留めたが、もはや戦える状態にない。よってウェスターン・ユニオンはウェスターン防衛を諦め、撤退を決定した」

 エディの声は静寂の中によく通り、場に沈鬱なざわめきをもたらした。

「……残念ながら、まだ終わりじゃない。もっと悪い知らせを伝えなければならない」

 間を置かず、エディがどこか苦しげにその言葉を絞り出すと、場は再び沈黙で応える。

 そして。

「これは最後に届いた連絡の内容だ。……“ウェスターンを壊滅させた夥しい数の魔物たちは、サウスコンティの方角へ向かって死の行進を始めた。全ての魔物がだ”」

 エディの言葉が示す事態が皆に正しく理解されると、その場はひどく重苦しい雰囲気に包まれた。

 その、全身に圧力が幻触されるような緊迫感に、万友莉は思わず息をのみ、身じろぎひとつすら躊躇われた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ