3.非常識な現実
「マスタのメンタル・サイン、許容範囲内までの安定を確認。バイタルにも大きな問題は無し」
そんな声が聞こえて、万友莉は意識を外へ向けた。
「……誰なの?」
自然な抑揚で機械音声という印象ではない、先ほども聞こえた女性の声だ。だから、咄嗟に口を衝いて出たのはそんな誰何だった。だけど、こんな所に自分以外の誰かがいるはずもない。まさか、神のような存在だろうか、まずそう考えて、しかし、その事務的な語り口から、もしかしたら何かAIのようなものなのかも知れない、と万友莉は思い直す。
「私は、神器『ツボ』の、マスタ・アゥグズィリアリィ・インテリジェンス。つまり、マスタであるあなたが当神器を利用、活用するための補佐、延いてはマスタのこの世界における活動、生存を手助けする知能です」
「あなたは……えっと……実体のない、AIみたいな存在なの?」
「アーティフィシャル、という表現は不的確だと思われますが、マスタのおっしゃる『みたいな』が示す範疇を考慮すれば、おおよそはその認識で支障は無いと思われます。また、私のことは効率的に『M.A.I.』とお呼びください」
「……う、うん、分かった……マイ。それと、私のこともその、マスタ、じゃなくて、万友莉、でお願い」
言いながら、万友莉は緊張している自分を自覚した。家族や店員以外と話すのは久しぶりだったからだ。相手が人間ではないらしいのに、と思い、万友莉は苦笑したい気持ちになった。ただ、それくらいこの『マイ』は、言葉遣いこそ硬いが、自然に話している感じがして、万友莉はそれが造られた知性だからと、直ちに気楽に接することができるものでもなかった。
「了解しました。万友莉」
そう言われて、万友莉は少しホッとする。『マスタ』なんて呼ばれ方はなんだか大仰に過ぎると感じたので名前で呼ぶように頼んだが、ホッとしてから、引け目を感じるような気持ちになって落ち着かなかったのだと気付いた。それが何に対する引け目なのかまでは理解が及ばなかったが。
「では万友莉、早速ですが提案です。まずは、現状当神器を拘束する『エルダ・ドラゴン』の死骸を格納し、その整理をしようと思いますが、承諾をいただけますか?」
「え……エルダードラゴン? っていうか、今はどういう状況なの?」
そういえばさっき、ドラゴンを討伐した、というようなアナウンスがあった、とは思い出したが、何がどうなってそんなことになっているのか万友莉に分かるはずもない。
「当神器は『アビス』と呼ばれる穴を自由落下、その直下に存在した『エルダ・ドラゴン』の頭部に直撃し、その頭蓋や脳髄を著しく破壊し、死に至らしめました」
「うぇ……」
ということは、今周囲に見える光景は、そのドラゴンの潰れた脳みその中ということだ。そう思って、万友莉は思わずそんな声が出てしまう。同時に、どうりで気持ち悪さを感じたわけだ、という納得もあった。
「それならお願い、キレイにして」
自分に直接触れるものではないとはいえ、そういったものに埋もれている、という想像だけで、万友莉は背筋がぞわぞわするのを感じて、反射的にそう答えた。
「了解しました」
そして、マイがそう答えた次の瞬間、万友莉の周囲の光景は一変した。周囲を覆っていた“何か”が、一瞬で消え失せたのだ。
万友莉自身は相変わらず、落ちる、という感覚の無いまま、景色は数メートル下へ自然落下するように流れ、そして地面に接触したせいだろう、安定状態でない起き上がり小法師の中から外を見たらこうなるのではないか、と思うような動きで、見える世界が暴れた。そのせいで万友莉は、自身は揺れを感じていないにもかかわらず、少し吐き気に似た気持ち悪さを覚えた。
動きが落ち着いてから、万友莉が改めて周囲を見渡すと、そこが地中の広い空間だと分かった。頭上の“穴”以外の壁や天井がぼんやりと光を放っていて、薄暗い感じなのだが、周囲を見通せないほどではない。少なくとも、地面や壁は土のようだと万友莉が判断する程度の明るさはある。土が光るものかは別にして。
万友莉から見て、空間は、サッカーグラウンドなら軽く五、六面は収まりそうな広さの地面が広がる。平均的なビルなら四階建てかそれ以上はありそうな高さに天井があって、直上には巨大な穴が遥か頭上へ続いている。壁や天井はほとんど垂直や水平で構成されているように見え、その幾何学的な印象が、この空間が人工的、あるいはそれに類する“造られたもの”ではないか、という感想を万友莉にもたらした。それは同時に、非現実的だ、という印象も万友莉にもたらしたが、しかし、壁際には種々様々な植物が自生しているのが見え、それらが万友莉には不思議と、非現実を否定し、生々しく現実を突きつけてくる存在と感じられた。
万友莉は、その“現実”から目を背けるように上を見上げた。地層に穿たれた穴、その断面から、地面や天井を成す岩盤層と今居るようなフロア層がほぼ同じ厚さで交互に積み重なっているのが判る。そのフロア部が微発光しているために、手前からいくつかは階数を数えることはできたが、上に上がるほど、そのぼんやりとした光は混ざり合ってしまい、ここが上から何階層なのかを数えることは不可能だった。そして、真上を見上げても外に通じているはずの、穴の出口らしきものは見えない。外がまだ明るくなりきっていないためなのか、遠すぎるためなのか、万友莉に判断はつかなかった。
「万友莉、続いての提案です。まずはこちらをご覧ください」
頭頂部を背後の壁に預けるようにして上を見上げていた万友莉に声が掛かる。同時に、万友莉の眼前中空にパネルディスプレイのようなものが現れた。驚いて反射的に顔を前方に向け直したが、ディスプレイは視線に追従してくる。
「えっと……これは?」
これはホログラムではなく網膜に直接投影されているのだろうか、などと万友莉はぼんやり思いつつ、マイに問うた。ディスプレイには『ツボカタログ』とカタカナで書かれているのを認識してはいるのだが、それを今この状況で見せられている意図が分からなかった。
「このカタログに表示されるのは、先ほど入手したツボポイントを変換することのできる対象の一覧です」
「……いや、ツボポイントって何なの?」
言いながら、万友莉は直感的にディスプレイ表面をフリックするように指先で操作した。指先に何かに触れた感触はなかったが、ページがめくられるような演出を挟んでディスプレイの表示は変化した。
所持ツボポイント(TP):42億9496万+
○ツボ・ルーム
[プレーン]
・スタンダード :10万TP
・リッチ :20万TP
・カスタマイズ :3.4万TP/1坪
[リビングセット]
・スタンダード(洋):18万TP
・スタンダード(和):16万TP
――といった表記に続いて、以下、ダイニング、キッチン、ベッドルーム、W.C.などの標準的な住宅にあるような部屋が続く他、トレーニングルームやオーディオルームといった専門的な部屋名も並んでいるのを、万友莉はざっと見て認識した。
「ツボポイントとは、魔物が体内に包含していた魔素を当神器が取り込み、神器の権能で扱えるように変質させたもの、その数量を、万友莉に理解しやすいだろう表現にしたものです」
マイの説明が耳に入り、万友莉はカタログを流し見ていた視線を上げた。
「どうしてこれ……日本語なの? この国の人は英語を話しているようだったけど……?」
文字がそうなのはもちろんだが、ウォータ・クローゼットというのも和製英語だったはず。万友莉はそんなことを思い、表記が自分に都合のいいことに不信感とまではいかずとも、ちょっとした気持ち悪さのようなものを感じていた。
「万友莉の脳波パターンおよび実際に口にした言葉を解析した結果、万友莉とのコミュニケーションにはこの言語が最適と判断しましたが……不都合がありますか?」
「あぁ……ううん、問題無いけど……」
だが、脳波パターンの解析、とまで言われてしまえば、万友莉も納得はともかく理解せざるを得なかった。そもそも神器などと呼ばれているものを常識で量ろうとすることが間違いなのだろう、と万友莉は思い直す。そして、そんなものが存在するこの世界そのものもまた、自分の常識を当てはめて判断する前に慎重になるべきだろう、と自らに戒めた。
「では万友莉、私はまず、この『ツボ・ルーム』を設置して万友莉の居住空間を確保することを推奨します」
「ちょっと待って、私はこんな穴の底で暮らすつもりはないんだけど?」
「失礼、説明不足がありました。『ツボ・ルーム』とは、当神器内の隔離空間を拡張し生成するものであり、現状身動きのとれない万友莉が神器の内側で活動することを可能にするもので、外界に設置するものではありません」
なんじゃそりゃ、と思いつつも、指摘されて改めて窮屈さが気になった万友莉は、つい先ほど自分の常識ばかりで考えまいと決めたばかりであるし、楽になるならこの際何でもいいか、と開き直った。
「なるほど……。じゃあ、どれにしようか……」
「設置した部屋の変更はほぼ差額分のツボポイントの消費のみで行えますし、設置済みの部屋の繋がりや配置などの変更はツボポイント無消費で自由に行えますので、まずはプレーン・スタンダードの設置を推奨します」
「なら、まずはそれで」
思わず呟きながら、ディスプレイの該当部をタップするように操作する。すると、新しいウィンドウが立ち上がり、そこに説明文が表示された。
[プレーン・スタンダード]
付属品の無い、まっさらな部屋。床面積はおおよそ3.3坪(≒6畳)、高さは3メートルで構成される直方体の空間。
ツボポイントを消費して設置しますか?
[ 決定 / 取消 ]
万友莉は、いちいち広さの単位が『坪』メインの表記なのはツボと掛けているのだろうか……? などと益体のないことを思う。そして、再三『ツボ』と聞かされているが、実際に自分が閉じ込められているこれが壺であることを確認したわけではないな、と気付いた。更に、人がすっぽり入ってしまうほど大きいのなら、壺というよりは甕というのではないだろうか、とも思う。そんなことを思って、ちらと万友莉の脳裡に“外に出て自分の目で確かめてみたい”という欲求が浮かんだが、途端に漠然とした恐怖を感じた。そして、ここが魔物と呼ばれるものがいるダンジョンで、しかも誰も到達したことのないような深層であるらしいことを思い出し、万友莉は外に出るという可能性を頭の中から振り払った。
どうやらこの中にいる限りでは安全らしいのだし――そんなことを考えながら、万友莉は『決定』をタップした。
次の瞬間、背中を預けていた壁が消え去りバランスを崩した万友莉は、慌てて地面に手をついて倒れそうになった身体を支えた。
万友莉が無意識に見回した周囲は、その一瞬で真っ白な空間になっていた。相変わらず万友莉の視線の前にはディスプレイが追従していたが、その向こう側にピントを合わせようとするとクリアにその先を見通すことができたし、焦点を手前に戻せばカタログはまたハッキリと見えた。
「マイ、部屋の色をちょっとだけ落ち着いた色にできる?」
万友莉は、眩しい、と感じたわけではなかったが、純白の空間に何となく落ち着かなさを覚えて、そう尋ねた。
「こうでしょうか?」
次の瞬間、周囲の空間が少しだけ暖色味を帯びた。いうならば純白からアイヴォリィやライトベージュといった色彩へのごくわずかな変化ではあったが、万友莉にとってはそれだけでここが“空間”から“部屋”に変わった気がした。
その“部屋”は、カタログに六畳と記載のあったとおり、 万友莉のいる中心部からちょっと歩けば壁に触れられる程度の広さだったが、天井が高めなこともあってか、ずっと窮屈な態勢だった万友莉には、充分すぎるほどの開放感を感じられた。同時に万友莉は、部屋の適度な明るさに、ホッとするような気持ちを感じてもいた。
そして、その開放感や安心感は、万友莉に、切実な、あることを気付かせた。
「……えっと……これだ……」
万友莉は何となく呟きつつ、カタログから一つの部屋を選択し、説明もろくに読まずに、すかさず[決定]を選択した。すると、間もなく長辺側の壁に大理石調の扉が現れる。
万友莉は躊躇うことなくその扉を開け放つ。扉から見て右手側はすぐ壁で、正面には簡素な洗面化粧台が設置されている。そして、左手側に伸びる部屋の奥に、万友莉の目的のものは鎮座していた。
見た目は、万友莉が慣れ親しんだものと大差ない。近づけば自動で蓋が開いたあたり、むしろ普段使っていたものより高性能なものだと言えた。
やっぱり、これは夢などではないんだ――万友莉は、今自らに迫る生理現象に、改めてそう強く認識しつつ、目的を果たすべく行動した。




