25.空の下
階段を上りきった先は――洞窟だった。
万友莉は若干肩すかしを食らったような気持ちになって、知らず青空を期待していたことに気付いたが、それよりも、何となく感じた違和感が気になって周囲を見回す。そして、万友莉はすぐに違和感の正体に気付いた。
百メートル四方、あるいはもっと広いかも知れないフロアの、所々に柱が立っている。壁際にも木材だろうか、補強されているのが見えて、壁には灯りが提げられている。いずれも『ダンジョン』では見なかったものだ。そう思って見れば、天上も十分な高さがあるとはいえ、ダンジョン内よりは低い。となれば、ここは人工的に作られた場所なのだろう、と万友莉は判断した。
「ここは……ダンジョンのエントランスだね、シンプルに言えば。……んんー、やっと帰ってきたぁー!」
そう言って伸びをするサラの表情は明るい。そこにあるのは喜びだろうか、安堵だろうか。万友莉はそんなことを考えながらも、自分がだんだんと緊張してくるのを感じた。
ダンジョンの底に落とされてから、二ヶ月近く。当然、全てが初めてと言える経験で、とにかく必死で、無我夢中で、それしか経っていないことが不思議に思えるくらい、長い時間だった。
大きな勾配こそ無いが広大なフロアを、百近くも上ってきたと思えば、二ヶ月という時間はやはり不思議に思えるくらい、あっという間でもあった。
日の光の射さないダンジョンという環境も、時間感覚を狂わせている理由の一つだろう。マイの存在があったし、サラと出会ってからの時間は充実していたように感じるからか、それまでよりもずっと長いように感じるけれど、ダンジョンで過ごした時間の半分以上は独りきりで過ごしていたのだ。出会ったエクスプローラたちと対話が必要な時はほとんどサラが請け負ってくれたし、対話があってもいわば事務的な、コンビニの店員と必要最小限の会話を交わすようなものだった。
……だけど、ここから先は、同じようにはいかないかも知れない。そう、きっとこの緊張はそのせいだ――万友莉は自分の緊張にそうやって理由付けすることで、それを客観的な、自分と切り離されたものにしようとした、が、その試みは緊張感をわずかすら和らげてはくれず、むしろ自覚することで高まったようにすら感じられた。
まだ起きていないことをあれこれと考えすぎるのは、私の悪い癖だ――万友莉はそう自分に言い聞かせて、ドツボにはまりそうな思考を打ち切ろうとする。それでもつい、言い聞かせて変われるならとっくに変わっている、と自虐的な考えが浮かんでしまって、だけどこうして何度でも意識して少しずつでも変わろうとしなければ本当に嫌な自分のままじゃないか、と自分に言い聞かせる。
「……万友莉、大丈夫?」
そのサラの声に、万友莉はすんなりと意識を外へ引き戻される。
――考えに没頭すると周りが見えなくなる、それも私の悪い癖だ。万友莉はそんなことを思いながら、「大丈夫」と答える。
「これから会いに行くこの国のユニオンのチーフは、私の家族みたいなものだから、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
前にもこんなことがあった、と万友莉は思う。ダンジョンの中で兵士を見かけた時だったか、緊張する私に、今と同じように声を掛けてくれた。そう思い出して、万友莉は不思議に思う。サラは万友莉を外から見ただけで、万友莉の様子の変化に気づけるのだ。声から感情を何となく感じた経験は万友莉にもあるが、サラは、万友莉の声はおろか、表情さえ見えていないのに。
自分は他人に関心の薄い冷たい人間なのだろうか、だからサラのようにはできないのだろうか、ついそう考えて、万友莉は深く落ち込みそうになる予感に、そこで思考を努めて変えた。そうじゃない、下手くそなだけだ。だったら、少しずつでも学べばいい、変わればいい、サラのようにとはいかずとも、今より上手くなれば良い。そう自分に言い聞かせて。
「……うん、行こう、サラ」
「オゥカイ、私に付いてきてね」
万友莉は強い意志を持とうと、意識して背筋を伸ばし、顔を上げた。
そんな万友莉の様子に、サラは笑顔で応え、歩き出す。
地上へ続くスロープの先に、今度こそ青空が万友莉たちを迎えていた。
ダンジョン入り口前には、円形の広場が広がっていた。
アスファルトか、コンクリートか、あるいは未知の素材か、地面は一面灰色に舗装されている。そして広場の中央には何らかのモニュメントだろうか、万友莉の感性では『人のようにも見える何か』としか表現できない巨大なオブジェが屹立している。ダンジョン入り口から見て約九十度間隔で三方へ道が延びていて、道と道の間には一棟ずつの建物が広場を囲う。ぱっと見は駅前のロータリィのようだ、と万友莉は思う。ただし、周囲の建物は入り口から見て手前の建物が共に二階建てで、正面に見えるのは平屋。その向こうにも高い建築物は見当たらず、万友莉が思い浮かべたのは、ビル群に圧迫された都会のロータリィではなく、幼い頃に父方の故郷で見た風景だった。
とはいえ、直径で百メートルを優に越えるだろう円形広場を囲うように鎮座する建物は、どれも決して小さいものではない。ちらほらと見かける、出入りする人のサイズ感から、万友莉は大型スーパを連想して、それも“駅前”という印象を受けた原因の一つかも知れない、などと思う。
「万友莉、右の建物がこの国のユニオンの中核施設。反対側がメディカルで、向こう側がそれぞれ素材や生鮮品とかを扱う店と、加工品とかを扱う店。どれもユニオンの施設だよ」
周囲を見回す万友莉に、サラが簡単に説明する。その言い方に、万友莉は一つ疑問を抱いた。
「メディカル? それは、病院とは違うの?」
「うーん、もっと緊急的な対応に寄った、『エマージェンシィ・ウォード』みたいな施設かな。主な対象者はダンジョンでの負傷者だから」
「なるほど……」
「それに、魔法での治療とか、“向こうの”病院とはちょっと違うから」
「あぁ、魔法……」
「フィクションみたいに、蘇生とか、傷口がすぐさま塞がるとかは無いけどね。それでも、魔法を使うとずっと治りが良いんだって。私はお世話になったことはないけどね、幸いにも」
「それは……そうだね、良かった」
「ありがと。じゃあ、行こうか、ユニオン・ビルへ」
そう言って歩き出したサラの後ろを、万友莉は追いかけた。地面を踏みしめる感覚に慣れないものを感じるのは、地面の素材のせいか、それとも鎧越しのせいか――余計なことを考えないように、ただそんなことをぼんやりと思いながら。




