23.感謝
二十五階層に入って、万友莉たちはようやく二組目のチームに遭遇した。厳密には、下の階層でもマップにそれらしき反応はあったのだが、最短距離を進む万友莉たちがそれと鉢合うことはなかった。しかしここに来て、その後も三組目、四組目と、万友莉たちは立て続けに探索者たちに出会うことになった。幸い、そのいずれも最初のような危機的状況ではない、平和なものだったが。
「この階層から……というか、上からこの階層までは『セキュア・エリア』があるからね」
急に探索者たちが増えた疑問を口にした万友莉に、サラがそう答える。
サラが『セーフ・セクタ』と呼称していたように、万友莉が『部屋』と呼んでいた単位は、この大陸では『セクタ』と呼ばれる。それを繋ぐ『通路』は『パッセイジ』あるいは単に『パス』と呼ばれ、それらが集まった一定範囲を『エリア』と呼ぶ。元より魔物の存在しない『セーフ・セクタ』と違い、『セキュア・セクタ』はエクスプローラたちや国軍によって安全を確保されたセクタで、その集合が『セキュア・エリア』、すなわち、魔物を排除し、安全に資源の獲得を行う領域になる。
「セキュア・エリアの中は常駐の兵士たちがいるから、そこでは魔物を警戒する必要が無い。それに、もう少し上ればトロッコのレールも敷設されているから、順調なら地上まで一週間はかからないよ」
そのサラの言葉通り、二十四階層へ続く階段へ近づいたあるセクタに、エクスプローラとは明らかに違う、同じ装備に身を包んだ者たちの姿を見ることになった。その鎧姿は、万友莉が召喚された場所で見た兵士たちと比べ、色味こそ鈍色めいているが、形状はほぼ変わらない。
それを認識して、万友莉は知らず自分が全身に力を込めているのに気付いた。
不安か、緊張か、恐怖か、――怒りか。
きっと、そのどれかといった単純な理由ではない、万友莉はそう感じる。
万友莉がこの世界で目覚めてから、おおよそ一月半。数字にすれば、万友莉にはまだそれしか経っていないことが信じられないくらい、濃密な時間だったと感じる。その時間をただただ必死に生きる中で、あの、アビスに落とされようという時に感じた未曾有の恐怖や怒りは、万友莉の意識の底に埋もれていった。だが、やはり無くなったわけではない、万友莉は無意識に強ばる自分の体に、そう実感する。
しかし万友莉は一方で、それら感情は今、あの、理性を塗りつぶそうとするほど熱烈な激情とはならないであろうことも感じていた。
アビスの底で、万友莉が自分を追い込み続けることができたのは、あの怒りと、そこから生まれた反骨心のおかげで、今はそれに感謝すらしている。これまでの道すがらサラに聞いた話によれば、ダンジョンの攻略が遅々として進まなくとも、この国の人々は貧困にあえいでいるわけではなく、王が懸念していた『フリー・ウィル』を名乗る集団も、よそ者のサラから見れば今は平和的なデモ活動が見られる程度で深刻とは思えないという。そんな状況に自分の存在や神器が大きな波風を立てかねないというのなら、万友莉は、そうさせないためなら自分が受けた理不尽なんて飲み込める、と思えた。
そう考えてはいても、いざとなれば感情はそれを許さないかも知れない、という思いも万友莉の中にはあったが、今、あの兵士を見た自分の反応から、少なくとも過去の理不尽を掘り返して激情を再燃させるようなことは無い、と信じられた。
「大丈夫? 万友莉」
万友莉の様子が変わったのを見て取ったのだろうサラが声を掛ける。その、なんてことないような声音は、おそらくは意図的に気遣わしげな雰囲気を排除したのだ、と万友莉には感じられた。
「うん、思っていたよりはずっと平気。ありがとう、サラ」
気を遣わせてしまった申し訳なさ、気遣ってもらった嬉しさ、他人の様子の変化にも聡く気付くサラへの敬意、万友莉のそんな思いが、自然と感謝の言葉を口にさせた。
そんな万友莉の感謝を、サラは笑顔一つで受け取ってみせる。
「それじゃあ、先を急ぎましょうか」
そして、全く普段通りの様子でそう口にするサラの、自分は全く大したことなんてしていない、というような様子に、万友莉は、自分を探しに来たのがサラで良かった、と、今までも漠然と感じていたその思いを、明確に感じた。
そして万友莉は、心に、温かさと、微かな痛みを覚える。
今、サラと言葉を交わすこの身は、本当の自分自身ではない。たとえそれが自身だとしても、身を守る鎧が全てを覆い、こちらが笑顔を伝えることはできない。そんな思いがもたらす痛みに、万友莉の脳裡にはただ、いつか、という思いが浮かぶ。
しかし、その“いつか”に、自分が何をしたいのか、どうなりたいのか、万友莉にはまだ、何も見えなかった。
直近のセーフ・セクタ同士を繋ぐようにして確保領域を広げていくやり方が基本のセキュア・エリアは、階層を移動する最短ルートを必ずしも取るとは限らない。とはいえ、このあたりの階層の魔物では、最短ルートを駆け抜ける万友莉たちの足をわずかに遅らせる程度だった。
階層が上がるほどセキュア・エリアは広がるし、エリアの一部に敷設されたトロッコのレールも当然比例して増えていく。トロッコの動力は手漕ぎだったが、それでも(二人の腕力であれば)走るよりもずっと速い。爆速でカッ飛んでいくトロッコが、それを見かけたエクスプローラたちを唖然とさせていたことなど知る由もなく、万友莉たちはダンジョンを突き進んでいった。
四日ほど経って階層が十を切ろうという頃には、上下の階層を繋ぐルートの大部分はセキュアードとなり、武装しない人の姿も見かけるようになった。このあたりまで来ると、万友莉たちは不自然に見えないよう、急ぎすぎないように気をつけていた。
「彼らはエクスプローラの中でも『トランスポータ』と呼ばれる人たちだね。グレードが『ノーヴィス』や『インタミディアト』の人たちが大半で、この国以外でも専門にしている人はそれなりにいるよ。比較的安全だし、ダンジョン資源の管理はエクスプローラズ・ユニオンが国から委託されて行ってて、安定した仕事ではあるし」
エクスプローラの役割による呼び分けは、あくまでも俗称であり、運搬に関しては、カート(リアカー)やスレッド(そり)のような道具を使って一度に多くの資源や素材を運ぶのが『トランスポータ』、我が身一つで運ぶのが『キャリア』と呼ばれる傾向がある。しかし、キャリアと呼ばれる人たちが必ずしも道具を使わないというわけでもない。
エクスプローラのグレードについても、基本は四つ。下から『ノーヴィス』、『インタミディアト』、『アドヴァンスト』、『エクスパート』で、その他に例外的なグレードがいくつか存在する――といったところは、万友莉が既にサラから聞いていたことだ。
「そういえば、サラのグレードはどれなの? エクスパート?」
「あー、言ってなかったっけ。私は『イクセプショナル』だよ」
「例外的、の方?」
「そう。他には、何らかの役割に特別優れていて、インストラクタも担う『スペシャリスト』とかも例外的なグレードとして存在するね。あと、特別なグレードの中でも特別な、最上位にあるのが『マスタ』だね。……特別だけに優遇もあるけど、義務とか責任もあるんだよね」
「あぁ……、それは……、『バレたくないね』」
「そう、『バレたくないの』」
お互い、小声で、日本語で言い合って、小さく笑い合う。
万友莉は不意に、サラに対して気安く接している自分を客観的に認識して、漠然とした不安がこみ上げ、楽しい気持ちに取って代わろうとするのを感じた。だがその不安はすぐに、目の前のサラの笑顔がもたらした、何か“温かいような感じ”に覆い隠される。
そんな自分の心の動きを、理由も分からないままにただ感じて、万友莉は心の中だけでもう一度、サラに、ありがとう、と感謝した。




