21.この世界
「あ、そうだ。ねぇ万友莉。『ここから先は英語で話そう、オゥカイ?』」
上への階段を前にして、サラが英語で万友莉にそんな提案をした。
「えっ……、あー、ラジャ、ザット」
サラが急に英語に切り替えたので、万友莉は理解に若干の間を要したが、言わんとすることはちゃんと伝わった。そして万友莉は、最初のサラとの会話で感じた違和感の正体に気付く。あの時のサラの英語からはその意味を感覚的に理解できなかったのだ。それは万友莉の無意識の拒絶によるものではなく、サラが意図的に“日本語英語”とでもいうような言い方をしていたせいだ、ということも、なんとなく分かった。
「まだしばらくは問題無いはずだけど、上に行くほど現地の人に会う可能性が増えるから」
「うん、それは解る。けど、サラ、その、私は英語での会話はあまり上手くないの。このとおり」
「分かった、もし人と出会ったらできるだけ私が話すようにするよ。でも、たとえ万友莉の英語が少しくらい変でも、気持ちがこもっていればちゃんと伝わるよ、この世界では」
「……そうなんだね」
人の言葉にこもる感情らしきものを何となく理解できるのが魔素のせいであるなら、別にマスタでなくたってそうなんだ、と万友莉は思う。
「あぁ、だけど、マスタだとまた少し事情が違うかも。感情の伝わる力や感じる力が、普通の人より強いみたい。私の師匠が言ってたよ『英語は全くダメだったがなんとでもなった』って」
そんな補足をされて、万友莉が真っ先に感じたのは不安だった。
「じゃあ、私が喋ると、そのせいでマスタだってバレるんじゃ……?」
「あぁ……、大丈夫だとは思うけど用心した方が良いか。オゥカイ、やっぱりできるだけ私が話すよ」
「ありがとう、お願い。でも、ダンジョンでは私が先行するね。なんて言うか……『餅は餅屋』?」
何も食事を口にしない万友莉を心配したサラに、アヴァタのことは打ち明けてある。自分ばかり恵まれた環境で寝食を行っていることに心苦しさもある万友莉としては、本来は危険な、だが今の万友莉にとって危険とも言えない、前衛の役割くらいは率先して果たしたかった。
「なるほど、それは……『適材適所』だね」
お互いについ簡潔な日本語表現に頼ってしまったことを笑い合い、二人は上層へと踏み出した。
二人での進軍は、先行する万友莉がサラを気にしすぎて、しばらくはゆっくりの進行となったが、幾度かの魔物との戦い、そしてサラの積極的なコミュニケーションによって、お互いの力量の把握はスムースに進み、やがて順調となっていった。さすがに万友莉一人の時のように駆け抜けることは無かったが、それでも、サラによれば、十分早いと言っていいペースだという。
万友莉は急がず、かといって緩めるでもない速度で歩き、サラもそれに無理なく追従する。身体能力的には二人に大差は無いようだった。そしてそれは、サラによれば、エクスプローラとして上位に属するレベルだという。
「――『手前味噌』だけどね。ただ、そうなると、万友莉一人での活動は目立ちすぎるね。……ねえ、もし万友莉が嫌じゃなければ、私と組んで活動する? ここから出た後も」
「それは……助かる、すごく。だけど、サラこそ良いの?」
「もちろん。私が一人で活動してたのは、槍のマスタであることを隠すため。望んでそうしてたわけじゃないから」
「……分かった。じゃあ……『不束者ですが、よろしくお願いします』」
「ハハッ。了解。手本になれるようがんばるよ、エクスプローラの先輩として。……だけど、もし万友莉が嫌だと思った時はちゃんと私に伝えて?」
「あー、……分かった。サラが私にそうしてくれるなら」
「オゥカイ。お互いにフランクにね」
そう言われたからといっても、きっと私はどうしたって遠慮はしてしまうだろう、と万友莉は思う。だが、お互い英語で話すことにしたことで、日本語よりは本音を言いやすい気はする。
それはたぶん、慣れない英語で話すために余計なことを考える余裕がないことや、そもそもサラが話しやすい相手であることもあるけれど、一番は、敬語という感覚無しに話せるせいなのではないか、万友莉はなんとなくそんな気がした。
本格的にタッグを組むと決まり、万友莉は『ツボ・マップ』と『ツボ・レーダ』のこともサラに伝えた。
「アハハッ! なんかもう便利すぎて……笑うしかないね。でも、それなら頼りにさせてもらうね、マイ・ピア」
「……うん、任せて」
万友莉は『ピア』という言葉に含まれた“対等な仲間”というニュアンスに、何となくくすぐったいような感覚を覚えつつ、妬まれても不思議ではないこの、理不尽なほどの神器の力を、こうもすんなり受け容れるサラの為人を、とても好ましく感じた。
そうして二人はそれまで以上に順調に階層を上っていった。進むほど役割分担や連携も良くなっていき、階層を上るほど魔物の脅威度は下がる。元より一人でも並の魔物に後れを取ることは無い力量の二人、順調に進まない道理がない。
そうなると、二人とも決して油断はしないが、万友莉にも心の余裕も生まれる。万友莉はふと気になったことをサラに尋ねた。
「ねえ、サラ。あなたやこの世界の英語って、あれがあるよね? あー……、そう、アクセント」
「あっ! そうなの! 私のは父譲りのオージー訛りだけど、この世界の英語もそれに似てるんだよ。加えて、この大陸もオーストラリアと共通点があって、だから私はここがずっと未来のオーストラリアじゃないかって疑ってるの」
言われて、万友莉はいつかマイと、この世界が未来やパラレルワールドである可能性を話したことを思い出す。その時『大陸』と聞いて、おそらく既に英語を耳にしていたせいだろう、万友莉は自然と北アメリカ大陸を思い浮かべていたのだが、英語が第一言語の大陸ならオーストラリアも候補だと今更に思い至った。
「なるほど、オーストラリア……。サラがそう考える理由はあるの? パラレルワールドじゃなくて、未来だって」
「良い疑問ね。実は……ダンジョンからは『過去の文明の遺産』が発見されるの」
万友莉は、以前にマイとそんな話をしたことをぼんやり頭の片隅で思い出す。同時に、訛りを抜きにしても、本来の自分の語彙力では『シヴィライゼイション』くらいならともかく、『ヘリテイジ』なんて咄嗟に意味と結びつかなかっただろう、などと思って、マスタであること、あるいは魔素の存在が理解を助けてくれていることを実感するとともに、それに少し感謝したい気持ちになった。
「その遺産に記された知識によれば、この世界にはかつて『スペース・エレベータ』が存在したんだって。この世界の学者たちもそれが決してフィクションじゃないって考えているわ。なにせ、この大陸の南東部には、私たちの知ってるオーストラリアにはない巨大な“湾”があるんだけど、そこには軌道エレベータが崩壊した残骸らしきものがあるの。だからここはきっと、私たちの生まれた時代より未来の、更にずっと未来なのよ!」
サラは話しながら少しずつ興奮したようで、やや早口でそうまくし立てた。万友莉は、きっとサラはSFとかが好きなのだろう、などと思いつつ、未来や軌道エレベータよりもまず気になった点があった。
「……そもそも、私たちは同じ地球の、同じ時代から来たの?」
万友莉の疑問にサラは虚を突かれたようだったが、お互いの話を擦り合わせてみれば、やはり同じ世界に生きていたらしかった。だが、“向こう”でサラの生まれた年と万友莉の生まれた年には、五年の隔たりがある。しかし現在、八年前に十四歳でこちらへ来たというサラは二十二歳、万友莉はこちらへ来る前に二十一歳になっている。五歳年上のはずのサラと、一つしか違わないのだ。
「……ああ、そうだ、おかしいんだ。私より十五年前に召喚されたっていうシゲさんが、私が生まれた年のパンデミックを知ってるみたいだったのは。なんでその時に疑問に思わなかったんだろう! でも……やっぱりズレはあるんだ。ねえ、万友莉、だけどそれって、タイム・ワープ説の真実性だと思えない?」
「真実性? それは……、ブレ幅が有ることがリアルな……、『現象』の要因だ、っていうこと?」
「そう、フェノメノンかな。現実に起こることって、数学や物理学の公式どおりには、なかなかいかないものでしょう?」
サラの言いたいことは、なんとなく解る。それが学術的な証明になるのかまでは、万友莉には分からないが。
ただ、『パラレルワールド』という概念の実在性を証明する術はたぶん、無い。だが、『未来』は、時の流れがある以上、確実に、有る――そう考えれば、万友莉にもこの世界は『未来』である可能性の方がずっと高いと思える。
「だけど……」
「だけど?」
「この世界には魔法があるんでしょ? それならもう、何が本当でも不思議じゃないんじゃない?」
「オゥ……『身も蓋もない』」
その着地点に、二人、揃って笑い合った。
――そんな会話が弾むほど順調に進んで、五日目。万友莉はサラと共に、いよいよ現地のエクスプローラも踏み入る階層へと突入した。




