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ツボの中から異世界 ~A step towards a new world~  作者: みたよーき


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2.奈落へ落ちて

 空は暗い紫で、万友莉から見て右手の空が少し白んでいる。万友莉にはそれが、早朝の空のように見えたが、方角が分からないために確信は持てない。

 だけど、そもそも、自分の常識で判断していいものなのだろうか、と万友莉は思う。

 これが夢であるならいい。現実であったとしても、地球であるなら多少の判断は付く。だが、これが現実離れした現実であったなら――きっと、太陽が東から昇るという保証もない。

 万友莉の内にあったのは、そんな不安だった。実際、万友莉は自身の身に起こった今の、現実とは思えないような事態を現実と認識している。それが、そんな突拍子もない考えでも、ありえないと笑い飛ばすことを許してはくれなかった。

 万友莉がそんな思考に沈んでいる間も、ツボを抱えた甲冑姿の兵士たちは、緩やかな坂道をゆっくりと、だがしっかりと着実に進んでいた。

 進行方向に対して、万友莉は横向きで運ばれている。相変わらずツボの中で膝を抱えた態勢のままだ。背後を明確に認識するには少し障りがあるが、ツボを抱えるのが兵士四人、その他に、進む方前方には兵士二人が先行し、後方にも兵士が二人とネイサンと呼ばれた男が付いてきているのが判る。

 王は見届ける気は無いのだろう、神殿から出てくる姿は見ていない。隊長らしき兵士は神殿の外で控えていた兵士たちと共に王に付いて残ったようだ。

 だから万友莉は、ここから出て彼らの前に姿を現す、という可能性を、切り捨てた。

 生きることを諦めたわけではない。ネイサンは思慮深い人物だと思えたし、話が通じないわけではないだろう。だが、あの、万友莉を必ずしも必要としていない王と呼ばれた男に対して、自分が生き延びるためとはいえ、おもねるような行動は、万友莉にはどうしてか我慢がならなかった。

 今向かう先には『奈落』と呼ばれる穴があるようだ。それはダンジョンの深くまで通じていて、そのダンジョンは、彼らが攻略したのが“たった”三十階層、と言っていたからには、全体ではそれをはるかに超える深さがあるのだろう。そして、ダンジョンというものが想像するとおりのものであるなら、一階層あたりの高さが一メートルやそこらということもないだろう。そんなところへ落とされれば、神器と呼ばれるツボがどれだけ頑丈だとしても、中の自分が無事で済むとは万友莉には思えない。

 それでも、だ。そう理解した上でも、万友莉には、あの王と呼ばれた男に自らの命を預けるというのは理屈抜きに耐えがたいと感じている。

 今、そう感じさせている原因のうち、一番の原動力はたぶん、怒りだ、と万友莉は気付いた。こうして運ばれているうちにふつふつと湧き上がってきた、重いと言われて感じた腹立たしさとは全く質の違う、腹の底で、粘り、煮えたぎるような、怒り。

 ここはどこなのか。どうしてこんなことになっているのか。何で私の前にいたのがこいつらで、こんな扱いを受けなければならないのか。万友莉にとって理不尽でしかないあれこれが、そして、その理不尽に対して何もできない自分自身が、きっとこの、悔しさを混ぜ込んだドロドロした怒りを生んでいる。

 だが、それに気付いたところで、その感情が収まるわけでもないし、コントロールできるものでもない。だから万友莉にできたのは、強情を張ることくらいだった。

 万友莉はふいに、目頭に熱いものを感じて、歯を食いしばった。嗚咽一つ漏らさぬ為に。

 意地だった。自分に理不尽を強いる者たちに、欠片たりとも弱みを見せたくなかった。

 自分があいつらの言葉をクリアに聞き取れていた以上、こちらの声だって、それが微かな音だって、届いてしまうのではないか――それは、明確にそう考えたわけではないが、万友莉の中では当然の帰結として既に前提のように存在した思いだった。だから、ただ耐えた。膝に顔をうずめ、歯を食いしばって、身じろぎひとつせず、こみ上げようとする嗚咽も、弱音も、泣きわめいてしまいたい気持ちも、全て飲み込んで。


 やがて、兵士の動きが止まった。

 それに気付いた万友莉が顔を上げて進んでいた方を見ると、そこは大きな石造りの壁の、大きな扉の前だった。

 その扉の前で、先行していた兵士が別の兵士と会話をしている。遅れてそれに気付いた万友莉がその内容に耳を傾けようとするとほぼ同時に彼らは会話を終えたため、何を話したのかは知れなかった。

 扉の前に立っていた兵士たちによって扉が開かれた。扉の先は特別整備されているわけではなく、地面は剥き出しの土だ。壁に囲まれてはいるが、天井はない。いつの間にか先ほどよりも明るくなっていた空が、そんな光景を万友莉に見せた。

 地面に垂直に打たれた杭がほぼ等間隔に並び、それらがロープを渡しているのが見える。扉を潜った先で、そのロープの向こうが巨大な穴になっているのだと知れた。直径で三十メートル以上はあるだろうか。万友莉は高校時代の二十五メートルプールの記憶と比較してそう判断し、あれが『奈落』なのだろう、と推察した。

 兵士たちがロープ際まで辿り着く。ロープの高さは彼らの腰ほどの高さしかなく、侵入や落下を防ぐセーフティとしての役割を果たすとは思えない。だから周囲を壁で囲っているのか、と万友莉は考える。そうやって関係ないことを考えようと努めなければ、恐怖に屈してしまいそうだった。

 ツボを投げ入れるためだろう、兵士たちがフォーメーションを変えた。万友莉の前後左右を囲っていた彼らは、向きを変え、左右をふたりで抱えるような形になり、図らずも万友莉は視界の正面に“穴”を捉えることになった。

 穴の向こうは遠く、兵士たちの胸元辺りに抱えられている万友莉の目からも、側面に、土か岩か知れない分厚い層のずっと下に、綺麗にくり抜いたような空洞があるのがかろうじて見えた。あれがダンジョンの階層なのだろうか? 距離があるために目算ではその高さを断定するのは難しいが、人一人が歩くのに窮屈ということはないだろうという程度には広い空間があるように万友莉には思われた。

 当然、底は見えない。見える範囲だけでもかなりの高さがある、その認識だけで背筋がぞっとする。穴はこの何倍もずっと深くへ続いているのだろう。そう思ってしまうと、そしてそこに落ちることが想像されてしまうともう、万友莉は冷静なフリを続けることはできなかった。

 顎を伝って零れた涙が、膝の上に置かれた腕に落ちて、万友莉はようやく自分が既に泣いていることに気付いた。とっさに歯を食いしばろうとするが、口元が震えて歯が噛み合わない。しかし、歯を食いしばるまでもなく、万友莉の喉からはほんの微かな、それが呼吸音であるかも判らない音が漏れるのみだった。

 そして、万友莉の耳に、幕の向こうから聞こえるように兵士たちの声が届く。それは呼吸を合わせるための合図だったのだろう、すぐに万友莉の身体が前に、そして後に、振れ始めた。振り子のように勢いをつけてあの穴へ放り込むのだろう、と万友莉は頭の片隅で認識した。

 どうしてこんな目に遭うのだろう? その思いに、悲しみが過ぎり、恐怖が襲い来る。そして、悔しさが湧き上がり、怒りが沸騰した。

 怒りは、静かに泣くだけだった万友莉に、深く息を吐かせた。吐いてようやく、しっかり吸うことができた。取り込んだ酸素が、怒りをさらに燃焼させ、深闇の恐怖の内にわずかな光を点したように万友莉には感じられた。

(この、私を閉じ込めるものが……神器だなんて呼ばれる大層な代物だというのなら……)

 万友莉の全身が感じる、宙に放り投げられた浮遊感、そして、落下を始める加速度。

「……私を! 助けてよ!!」

 万友莉の絶叫が、狭いツボの中で反響する。だがそれは、ほんのわずかな間だった。

 万友莉が、跳ね返った自分の声が耳に強く届いたことを認識した次の瞬間、その声がフッと遠くなる。そして同時に、別の“声”が届く。

「命令を受諾、実行します。神器『ツボ』の内部を空間的に外部と隔離しました」

 それが聞こえるのと、万友莉が全身で感じていた落下感が消えたのは、ほとんど同時だった。

 平坦で事務的な女性の声だった――そんな考えがちらと万友莉の脳裡を掠めるが、突然の状況の変化に理解が追いつかない。そんな中でも、万友莉の目は自然と周囲を窺った。だが、その目に映ったのは、明かりだろうか、ぼんやりと白っぽいものが次々と下から上へ一瞬で流れていく光景だけだった。

 万友莉は、それを即座には理解できなかった。しかし、不意に、車や電車で見たトンネル内の明かりが次々と流れていくイメージが浮かび、目の前の光景と重なった。

「……まだ落ちてる……?」

 万友莉の身体感覚では落下が止まったように思ったが、今見えている光景はもうそうとしか思えず、無意識にそう声に出した。

「その通りです、マスタ。現状――」

 万友莉の耳が独り言に返事があったことを認識するかどうか、それとほぼ同時、万友莉の目は眼前の光景が一瞬でそれまでと異質なものに変わるのを見た。それは、それまでの外の暗さとは全く違う、赤黒い闇に包まれたような光景で、万友莉はそれに、理屈ではない生理的な嫌悪感を覚える。

「訂正します。自由落下は終了しました。着地地点に存在した大型の魔物の討伐を確認。死骸の情報からドラゴンと呼ぶべき個体と認定、暫定的に『エルダ・ドラゴン』と呼称します。対象の含有魔素を、四十二億九千四百九十六万七千二百九十五のツボポイントとして収納しました」

 聞こえてきたその音声を、呆然としたまま、言葉だ、と頭の片隅で認識しつつ、ただぼんやりと、それも日本語だ、と万友莉は思うともなく思った。そこに驚きはない、というよりも、混乱のただ中にある万友莉には驚くような余裕が無かった。

 今まで生きてきた中で初めて感じるような激しい怒りの感情、それすらをあっさりと飲み込もうとする圧倒的な恐怖、絶望。その中で、耳は居るはずのない誰かの声を聞き、身体は重力加速度とその消失を感じ、目は落ち続ける景色とその不吉な終点を見た。わずかな間に身に降りかかったそれらの体験が脳の中を無秩序に暴れ回り、万友莉は安堵もなく、しばらくはただただ混乱の中にあった。

(…………日本語?)

 しばらく呆然としたままだった万友莉の中で、突然その事実が改めてはっきりと認識されて、そこからたぐり寄せるように、先ほどの出来事一つ一つが順番を持って区別され、輪郭を帯びた。その認識を辿り、そしてようやく今の自分へ意識が向いて、万友莉は喩えようのない感情に包まれた。

 それは、安堵や歓喜や幸福、きっと言葉にするならそういった種類の感情たちなのだろう。

 だが万友莉には、もっと崇高な、それこそ神にでも救われたら誰しもがこう感じるのではないか、そんなことを考えてしまうような、心の底から湧き上がり全身に溢れんばかりに広がって、事実万友莉の身体をぶるりと震わせたほどの、一言でそれと言い表すことなどとても叶わないだろう強烈な感情だった。

 そして、その感情の余韻が引くと、万友莉は自分が生き残ったことをこれほどまでに嬉しく感じたことを意外に思った。

 就職活動に失敗した。何が悪かったのかは分からない。次々と不採用の通知を受けて、自分には価値など無いと突きつけられたように感じた。彼らの“お祈り”は、呪詛だった。社会に、世界に、拒絶されていると感じた。それでも、心が辛いと訴えるのを無視して、がんばった。死ぬことを考えて、まだ恐いから大丈夫だと自分に言い聞かせた。ある日、何でもない瞬間に突然吐き気がこみ上げ、吐いた。来るはずの時期にブルーデイは訪れず、身体のあちこちに吹き出物やミミズ腫れのような腫れが現れた。朝起きて、最初に感じるのは絶望感とでもいうべき感情だった。ふと、もう無理だ、と思った。それを認めてしまえば、もうがんばることはできなかった。自宅に引きこもるようになった。自治体も、医者も、親も、誰も信じられないと思った。引きこもるようになってからしばらくの記憶はほとんど無い。そのうち、ただ漠然と、このままではダメだ、と思い、家の中だけでも“日常”を生きようとした。朝に起きて、夜に寝た。簡素でも三食を摂るようにした。動かなくなったぶんは筋トレで補おうとした。死ぬことを考えて、まだ大丈夫だと言い聞かせた。そんな生活を半年ほども続ける頃には、身体の不調はだいぶ治まってきていた。外に出ることを考えようとするだけで全身が酷く強ばったけれど、それでも、少しはマシになってきていると思えた。そう思えるように、やっと、なってきていた。

 万友莉は思う。そんな少し前までの自分を思い出す余裕がなかったとはいえ、突然に訳の分からない状況に放り込まれたさっきまでの自分は、死ぬことを理屈抜きに心から恐怖したし、今、生きていることを素直に喜ぶことができている。それは、意外だと思ったけれど、どこか嬉しくもある――と。

 おかしな話だ、とも思う。今は、こんな窮屈なところに押し込められて、現状だって全く把握できているとは思えないし、先のことだって何の見通しも立たない。それこそ絶望的な状況なのに、あの、自分の部屋で感じていた閉塞感、絶望感のほうがずっと恐ろしかった、万友莉にはそう感じられる。

 この、訳も分からず、現実味のない状況が、そう思わせているだけかも知れない――万友莉の脳裡にはそんな考えも浮かぶ。だけど、それでも良かった。たとえ今の自分の精神状態が正常じゃなかったとしても、その前だって正常とは言えなかったじゃないか。万友莉はそう考えて、なんだか笑い出したいような心境になった。

 そして、心に一つの思いが湧き上がった。


 ――だったら、なにがなんでも、絶対に生き抜いてやる。


 それは万友莉にとって、自身への決意表明であると同時に、今、この訳の分からない理不尽を強いる、この国、この世界への、宣戦布告でもあった。


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