18.正対
『万友莉、私の声はあなただけに聞こえています。あの槍は、神器です。すなわち、彼女は神器『槍』のマスタです』
不意に聞こえてきたマイの声に、万友莉は思わず体をびくりと震わせた。
「あれ? 驚かせちゃった? 大丈夫?」
サラと名乗った女性に心配されて、万友莉の脳内は「何か答えなくちゃ」という焦りで占められ、よく考える間もなく口を開く。
「あっ、えっと、大丈夫です……。その……、まさか日本語を聞くとは思っていなかったので……」
「ああ、そうだよね。……でもじゃあ、やっぱりもう現地の人とは対面したことがあるんだね」
「あっ、いえ、その、私は一方的に外の様子を見ていただけで、でも、英語で喋ってるのは、分かりましたから……」
喋りながら、自分の態度がおどおどして挙動不審に思われないかと心配になる万友莉だったが、サラは、少なくとも外見では、万友莉の態度をさほど気にしていないように見える。
「ふーん。まあ、細かいことはいずれ。まずは……いきなり攻撃してゴメンね? 全く予想してなかった姿だったし、この階層に人がいるわけないって先入観もあって、つい」
つい、というにはずいぶん殺意が高くはなかったか、と万友莉は思ったが、見た感じ彼女の防具は軽装だし、命がけのダンジョンであれば当然か、と思い直す。
「えっと、はい、この見た目ですから、突然出くわせばびっくりしますよね」
「うん、今まで見たことないけど、リビング・アーマみたいな魔物か? ってね。一応踏み込みながら、人かも知れない、って思って急所は避けたんだけど」
「ええ、大丈夫です。この鎧、すごい硬いんで」
「そうだよね……。というか、うーん……、それ、神器だよね?」
「えっ……」
それまで流れで深い考えなく話していた万友莉だったが、神器であることを問われてようやく、ちゃんと考えなければ、という思考に至る。
だが、エクスプローラとして活動するにしても、マスタであることは伏せておくつもりだった万友莉としては、いきなりバレたことに動揺があって、上手く頭が回らない。
『万友莉、嘘をつく必要はありません。神器の攻撃を防いだ以上、こちらも神器であることは明白です。それに、万友莉は嘘が得意ではないようなので。ただし、馬鹿正直に全てを話す必要もありません。相手を信頼できると万友莉が判断するまでは詳細までは伏せておくべきかと』
「えっ……と、最初にそう話しているのは、聞きました……」
マイのアドヴァイスが聞こえ、万友莉は多少落ち着きを取り戻した。この世界で目覚めてから最初に『神器』という単語を聞いた時のことを思い出し、端的な事実のみを口にした。
「ああ、そうか……。うん、とりあえず、あっちがセーフ・セクタだから、そこで話そうか?」
サラは今自分がやって来た方向を指さしてそう言った。
「あなたのことだけ聞くのはアンフェアだから、私のことから話すね」
曲がり角を曲がってすぐ先のセーフ・セクタ(マイが万友莉の呼称に合わせて『セーフルーム』と呼んでいた場所)で腰を落ち着けると、サラがそう切り出した。
「まず、私の持ってるこの『槍』も、実は神器なんだ。だけど、それは秘密にしてるから、あなたも……って、そういえば、あなたの名前聞いてなかったね。下の名前だけで良いから教えてくれる?」
「え、あ、はい。まゆり、です。数の単位の万に、友達の友、くさかんむりに便利の利で、万友莉です」
「オゥカイ、万友莉、ね。これからそう呼ぶわ。ちなみに私の『サラ』は、一応は沙羅双樹の『沙羅』なんだけど、こっちじゃ漢字なんて意識する機会なんてまず無いし、気にしないで良いよ。まあ、万友莉も気軽に『サラ』って呼んでね」
「わ、分かった。よろしく、……サラ」
「こちらこそ。で、神器のことだけど、私も万友莉のことバラさないから、万友莉も私がマスタだってことは秘密ね?」
「う、うん、それはもちろんだけど……」
「っていうか、今更だけど、万友莉は日本人なんだよね? 咄嗟に出たのが日本語だったし」
「あっ、はい、親は青森と山梨で、私は東京育ちです……」
「アハハッ、何か緊張してる? ちなみに私は父がオーストラリアのニューサウスウェールズ出身で、母が東京出身ね」
万友莉自身、緊張は痛いほど自覚している。自分でもなぜわざわざ両親の出身地を口にしたのか分からない。おそらくはサラの見た目が外人的だったために、無意識に純日本人であることを主張してしまったのだろうけど、下手をすれば相手に失礼になったのではないか、万友莉はそう考えて、サラが気さくに対応してくれたことに感謝した。
「……ハーフなんですね。日本語が自然ですけど、国籍も日本なんですか?」
「あー、それは……。私は……もう八年前か、こっちに召喚された時は十四歳で、まだ国籍は選択してなかったんだよね。住んでたのは日本の方だし、たぶんそっちを選んだと思うけど」
「……八年……」
「そう、もう八年も前、私はこの世界に何も持たずに召喚されて、そのせいで『持たざる使い手』なんて言われて肩身の狭い思いをしてたんだけど、その噂を聞いた『十文字槍の使い手』が私の身元を引き受けてくれたの。私は彼から槍の使い方とかを学んで、一緒にダンジョンの探索者、この世界では『エクスプローラ』っていうんだけど、それをやってて。でも三年前にシゲさん……その私の師匠が、ダンジョンから帰らなくてね。この槍が留守番してた私の所に急に現れて、持ってみたらなんか、ああ、私がこれのマスタなんだ、って理屈抜きに解っちゃって……」
そのサラの声音からは、シゲさんという人をとても大切に思っていたのだろうことが、万友莉にも強く感じられた。
「ああ、まあとにかく、それからは一人で探索者やってたんだけど、今回、指名依頼をもらってね。ユニオンが掴んだ極秘情報、捨てられた神器。その真偽の確認と、真であるなら神器の回収。……とはいえ、アビスの底までの到達はユニオンも期待してないから、実際はまだ到達してない階層の資源の確認が本命なんじゃないかな? ついででいいから見てきて、って感じのことを言われたし。……で、一応聞くけど、あなたがその『捨てられた神器』のマスタなのかな?」
「たぶん……、そうなんだと思います」
「そっか。その情報では、大の大人が数人がかりで抱えたクロック……私はそれをおっきなツボみたいなものって解釈したんだけど、それがアビスに捨てられたらしい、ってことと、その中に神器とそのマスタが隠されていた、ってことだったんだけど……。その時のこと、言える範囲で良いから教えてくれる?」
「ええっと……」
「あ、ゆっくり考えをまとめてからで良いよ? 言いたくなければ言わなくても良いし」
「あ、はい……」
言われて、何をどう話そうか、と自然に考え始め、万友莉はそこで立ち止まる。
――そもそも、彼女の話を全面的に信じて良いのだろうか?
迂闊に他人を信じるべきではない――ついそう考えてしまうのは、この世界に召喚されてすぐに受けた扱いも影響しているのだろうけれど、自分自身の“性質”にも因るのだろう、と万友莉は思う。
こういう、人への疑いの気持ちを持った時、万友莉には、思い出される幼い日の記憶がある。小学生低学年の頃、女子の間で流行していた、カードを使うゲームがあった。衣装やアクセサリのカードを集め、キャラをカスタマイズして遊ぶものだ。万友莉の家は、未就学児の頃から万友莉を英会話教室に通わせるくらいだから、経済的には平均よりはやや裕福で、万友莉はそのカードを多く持っている方だった。そういうゲームの常で、カードにはレアリティがあり、レア度が高いほど性能は高く、入手確率は低い。当然、万友莉が持っていた高レアの数は、カード所持枚数に比例した。ある日、万友莉は初めて会った女の子とそのゲームを遊んでいた(自称『コミュ障』が、必ずしも幼い頃から『コミュ障』であったわけではないのだ)。細かい経緯までは万友莉も覚えていないが、トイレにでも行きたかったのだろう、その時、「私が持っていてあげる」そう言ったその子に、万友莉は何の疑問もなくカードの束を預けた。そしてその後、家に帰った万友莉は、カードの束から、高レアのカードばかり何枚かが失われていることに気付いた。一枚だけなら、レアリティの区別なく紛失したのなら、万友莉も自分の過失と思ったかも知れない。だが、そうでない以上、万友莉は幼心に、盗まれたのだ、そう思った。
このことを思い出すと、万友莉の胸には今でも――それはきっと当時よりはずっと希釈されたものだろうけれど――小さな悔しさと、決して小さくはない悲しみが去来する。
だから、万友莉は、自身の“性質”は後天的なものであり、元来の気質は、いわゆる“お人好し”なのだろうと認識している。事実、サラのことを疑おうとしながらも、信じたい気持ちがあるのを確かに感じている。そもそも、本気で他人を端から信じる気が無いなら、信じるべきではない、などと自分に言い聞かせる必要はないのだから。
そして、万友莉は、そんな風に自己防衛のために他人を疑おうとする自分が、嫌いだ。
だけど――人を信じるべきではないと思うのは、きっと、自分自身を信じられないせいだ。万友莉は自身の自己肯定感の低さを自覚してから、そうも考えるようになった。
自分が自分を信じられない。そんな自分を他人が信じてくれるはずがない。誰にも信じられない自分が、誰かを信じることなんて、できない。
それはまだ、万友莉の中では確信には遠い、漠然とした想いでしかない。だが、一年の引きこもり生活の中、なんとか自らと向き合って、ようやく朧気にでも形を成してきた想いだった。
そうやって万友莉が自らの自己肯定感の低さをわずかなりとも知覚し始めたことは、万友莉にとっては、ようやく前へ進むとっかかりとなる、そんな期待感もあった。だが、まだ何も前進しないうちに、突然こんな訳の分からない状況に放り込まれてしまった。こんな場所で生きることに必死な中でも、万友莉は自分自身と対峙してはきたつもりだ。しかしそれは、心の余裕がない中でのものだという思いも万友莉の中にはあって、自分が少しは前向きに思えるようになった部分も、本当に根っこから変われているのだろうか、環境に流されているだけではないか、そんな不安は万友莉の中にまだ根強い。
今、そんな中途半端な気持ちの中で、これまで避けてきた他人との関わりを、こんな突然の形で持たざるを得なくなって、万友莉は上手く言葉にできない戸惑いや葛藤がぐちゃぐちゃと胸中にあるのを感じる。
だけど。
ここで逃げるわけにはいかない――万友莉が、今、一番強く思ったのは、それだった。それは、もう逃げたくない、という気持ちだとも言えた。
だから万友莉は、サラとちゃんと向き合おう、と決めた。
いきなり信用するわけではない、だけどいきなり否定してかかるわけでもない。ちゃんと向き合う、とはそういうことではないか、万友莉の脳裡にそんな思いが浮かぶ。
そして、ふと、その“ちゃんと向き合う”というのは、今までずっと自分が蔑ろにしてきたことなのかも知れない、そんな思いが浮かんで、万友莉は胸に微かな痛みを覚えた。




