16.地上へ駆ける
万友莉は快進撃を続けていた。
最初に“アレ”と出くわして以降、忘れた頃に再会して心が折れかける。“ソレ”を見なくなったと思ったら、小柄になった(それでも大人の腕ほどもある)“ザムザ氏”に出会って泣きたくなる。そんなことも階層を十も上がるまでは幾度か起こったが、それから逃げたい気持ちは、むしろ万友莉の進行速度を後押しした。
万友莉はそのうち、魔物はテリトリィとする部屋から通路を半ば以上まで越えて追いかけてくることはまず無い、という経験則を得た。
加えて、階層が上がるほど昆虫系の魔物との遭遇率が下がっていく実感があった。それは取りも直さず執拗に追いかけてくる魔物が減ったということでもある。その替わりに、深層では見かけなかった哺乳類系の魔物などが現れ始めた。それらは万友莉にも見覚えのある動物であることが多かったが、知るよりも明らかに筋肉質だったり大柄だったり、ツメやキバやツノなどが異常に発達していたりと、それが魔物と呼ぶに相応しい姿かはともかく、普通とは言えない姿はしていた。そんな姿でも万友莉は虫と比べ殺生に忌避感を覚えることも増えたが、幸いにも、それらは虫ほどには攻撃的ではなかった。
そうとなれば、万友莉は目に付く魔物全てを相手取ることをやめ、向かってくるものだけに対処して、とにかく先を急ぐ形に切り替えた。
マップを頼りに、万友莉はひたすら最短コースを進んだ。例外としては、途中、大きな動体反応のみが見られる部屋がいくつかあったが、そこは迂回した。万友莉にもそれがドラゴンのような魔物なら実際に見てみたい気持ちもあったのだが、『藪をつついてヘビを出す』、『好奇心猫を殺す』、そんな言葉が頭に浮かべば、万友莉の性格は『君子危うきに近寄らず』を選択した。
万友莉とて、エクスプローラとしての経験を積む、という目的を忘れたわけではない。が、万友莉としてはそれも精神的な安定あってこそだ。いずれ仕事としてダンジョンに潜るにしても、こんなイレギュラな状況に慣れる必要はないのではないか――万友莉は自分の中にあるそんな思いを、言い訳かも知れないとは思うし、弱気だとも思う。だが、自らの弱気に対して「がんばらなければならない」と言い聞かせ続けた結果は、わざわざ思い返すまでもない。そうやって自分の心の声を蔑ろにし続けて、また“あの頃”のような精神状態に陥ることだけは絶対に避けたかった。
ともあれ、その切り替えも功を奏し、文字通り駆け抜けるように進んできた万友莉は、スタートから二週間ほどで五十階層以上を上っている。マイによれば、これはこの世界に於いては破格とも言えるスピードだという。
それも神器あればこそだということは万友莉も自覚している。絶対的な防御力があればこそ魔物を捨て置くという選択も可能だったし、何よりその防御力のおかげで、“死”という極限的とも言える精神へのストレスを感じずに済んでいることが大きいことを万友莉は実感していた。それは、進むほどに魔物の脅威度が下がっていくことで、逆説的に浮き彫りとなった実感だった。
また、ダンジョンは上下を繋ぐ階段やスロープが一フロアあたり一つとは限らないおかげで、広大なフロアを隅々まで回る必要は無かったし、その進むべき道を示す『ツボ・マップ』や『ツボ・レーダ』といった、これもこの世界の探索者からすれば「ズルい」という他ないものが使えるのだから、万友莉の進行速度がこの世界の常識を遥かに超えるものとなるのは必然といえた。
だが、それだけの進行速度を以てしても、未だダンジョン脱出には至っていない。できる限りの最短距離を進むと、万友莉が落とされたあのダンジョンを貫く“穴”に近づくことはなかったために、地上までの具体的な残り階層は見通せない。ただ、魔素濃度からマイが予測するには、まだ、半分は越えただろうという辺りらしい。
そう聞かされれば、先の長さを考えてうんざりしそうなものだが、万友莉はそうは感じていなかった。それを万友莉は我が事ながら不思議に思い、自問した。
そして思ったことは、引きこもってから感じていた孤独というものは、真の孤独などではなかったのだ、ということだ。
人一人訪れることのない、どこまでも薄暗い閉塞空間。そんな場所でしばらくを過ごして万友莉が感じた“孤独”は、かつて自室で感じていた孤独とは全く質が違う。
魔物の存在はある。だがそこに、コミュニケーションは成立しない。草食と思しき魔物さえ、安易に近づけば万友莉に対して明確な攻撃性を露わにした。そして万友莉は“戦うことがコミュニケーションだ”なんて価値観は持ち合わせていない。だから、魔物との間にあったのは断絶のみだし、断絶の実感は万友莉に孤独を否応なく突きつけた。
もちろん、マイの存在もある。だから万友莉は寂しいという思いはあまり意識せずに済んでいた面はある。しかし、それが人ならざる存在であるがゆえに、万友莉にとっては“独り”を際立たせる存在でもあった。
思えば、外に出ずともテレビなどのメディアもインターネット環境も身近にある中で、孤独に怯えていたというのもおかしな話だ。いや、そういった外との“繋がり”が有ったからこそ、自分がそこに居ようと居まいと世の中は動き続けている、そんな事実を突きつけられていたのだし、そのせいで感じていたのは、きっと、自分一人だけが取り残される不安のようなものだった。そして、それだってまた孤独と呼ぶべきものではあるのだろう。
そんなことを考えて、万友莉はそれまでただ漠然と感じていた自分の心の内の混沌に、少しだけ輪郭が生まれた気がした。
だけど、と万友莉は思う。
――そう、この孤独に身を置いて、不思議と安らぎのようなものを感じてもいる。
それはもしかしたら、自分が怯えていたのは、人との関わりが無くなることよりも、人と関わることによって生まれる“何か”だったからではないか。そして、引きこもったのは、それからの逃避だったのではないか――そんな思いつきが万友莉の脳裡に湧き上がった。
それは万友莉にとって、今はまだ“何か”としかいえない漠然としたもので、それを追求しようと考えると訳もなく怖じ気づく気持ちが生まれた。しかしそれでも、今までは“何か”とすらいえなかったものだ。
自分を圧し潰そうとする、圧倒的に巨大でつかみ所がない、強く不安や恐怖を与える、心に巣くうもの。
だけど、それにも正体はあるのだ、という気付きは、それだけで、万友莉にとっては、小さいかも知れないけれど確かな前進に思えた。
いくら急ぐと言っても、万友莉は不眠不休で歩き続けているわけではない。アヴァタの操作をマイに預ければ近いことはできるだろうが、それでも万友莉自身は休まないわけにはいかない。そして、娯楽もない中でのそのような時間は、こういった、万友莉に自分と向き合うことを強制する時間でもあった。
そういうとき、万友莉は相変わらず悪い方向にばかり考えてウジウジしている、と自認している。それでも、ただ塞ぎ込んでばかりだった以前と違って、そんな、万友莉にとっては十分に前向きと言える考えや気付きもある。
だからこの時間は、ある意味では貴重とさえ言えるのだろうし、なればこそ地上までの遠さを思って気落ちすることもないのだろう、万友莉はとりあえずはそう結論した。
私の考えていることなんて、他人から見たら、馬鹿馬鹿しいようなことかも知れない、逃避でしかないのかも知れない――万友莉がそう自らを卑下してしまうような思考は、どうしたって消しようもなく、相変わらず万友莉の内に有り続けている。
だけど、たとえ自分でも馬鹿馬鹿しいと思うような理由だとしても、大嫌いな自分が少しでもマシだと思える方へ変わっていけるなら。それで良いんじゃないか、と今の万友莉には思うこともできた。
――だったら、この孤独の中で、少しずつで良い、前向きな思いをコツコツと心に積み重ねていこう。たとえそれが、簡単に崩れ落ちてしまうものだとしても、そこには、崩れた残骸が残る。それは、ゼロではないから。
それが楽観的な思い込みだとしても。そう思えば、足取りは少し軽くなるように万友莉には感じられた。
そして、進むことさらに三日。上った階層が六十にもなったその日、万友莉の『孤独』は唐突に終わりを告げた。




