13.おぞましきもの
「……フッ! ……フッ! フゥッ……!!」
万友莉の息遣いに合わせて、純白の剣が空を裂く。
「その剣の切れ味なら大振りする必要はありません。コンパクトに、素早く振って、戻す、今はそれを繰り返し継続してください」
(わかってるっての!)
体感ではもう十分間ほども剣を振り続けているように感じている万友莉には、その思いを口に出す余裕はない。眼前に現れては消えるホログラムへ、最短最速で刃先を滑らせ、構えを戻す、その繰り返しに集中する。
万友莉の右手に握られるのは竜の骨から削り出したという両刃の剣。最初こそ片手で振り回すには重く感じたが、今はほどよい重量感に感じられる。左前腕には竜の革や鱗を加工した盾が括り付けられ、全身には主に急所を覆う形で竜の革などを加工した防具が装着されている。防具はそれほどパーツが多いわけではないが、マイによれば、アヴァタの装着する全身鎧と重量やそのバランスが近くなるように調整されているという。全身鎧という割には軽量で、これも今では、思うように動くのに大きな支障は無い。とはいえ、長く動き続けて疲れがたまれば、やはり無視できない重さになるが。
それらは全て万友莉がツボポイントでの変換を決定したが、実際はそのツボポイントを消費してマイが加工したのだという。だが、それを聞かされても万友莉は、その加工はどこでどうやったのか、なんて追求をする気持ちは微塵も生まれなかった。万友莉としてはそんな自分を、この世界に来てわずか十日ほどで不思議や理不尽に対してもだいぶ慣れたものだな、なんて考えていたりもする。
そう、あれからもうすぐ十日が経つ。だが、万友莉は未だ前進することなく、地の底でこの訓練に明け暮れていた。
そしてこれは、マイからの提案ではなく、万友莉から望んだことだった。
ここはゲームの中ではなく、現実だ。だが、ダンジョンの深部ほど魔素が濃く、それに比例して魔物が凶悪化するというのも現実であるなら、この深層からダンジョンの脱出を目指すことは、ゲームで言えば最初にいきなりラストダンジョンからスタートさせられるようなものだろう。幸い、防御面だけはこの上ないから、そうそう死ぬということはないのだろうけど、魔物を排除できなければ、次から次へと集られて全く先へ進めない、なんて事態だって考えられる。それに、今後もずっと今の安全な状態でいられるという保証だって無いのだ。もし今後、自らの力だけで魔物と対峙しなければならないことがあったら。そんな可能性を考えれば、万友莉は、その不安をわずかでも和らげるためにも、戦うため、そして生きるための技術を身につけなければ、そう切実に思う。だからこそ、万友莉は先を急ぐよりもまず生身の自分自身でも最低限は戦える力や技術の獲得を優先して、この十日近く、マイの厳しい指導にも食らいついてきた。
その成果は覿面だ。と、悲観的に考えがちな万友莉が珍しく自信を持つほどには、万友莉の動きや体つきには確かな変化があった。
基本的な動作、立ち回り。それが固まれば、不測の事態を不測にしないための、様々なシチュエーションを想定しての訓練。それらをある程度ものにした今は、疲労状態でも動きの精度を落とさないための訓練を重ねている。それだけのことをわずか十日ほどで熟しているとなれば、いくら万友莉が自己否定的といえども、多少は自惚れもする。
だが、マイによれば、それは、この深い階層の高濃度の魔素の影響があると推測される、という。つまり、人の意思に感応する魔素が、万友莉の強くなろうとする意志に反応して、それを補強している、ということが起きているらしい。事実、万友莉の技術、肉体の両面で、標準よりも遥かに高いトレーニング効果が見られているという。
そんなマイの説明に、万友莉は、神器の中は外と隔離された空間ではないのか、という疑問を持った。外の魔素濃度は内側に関係ないのではないか、と。
それに対するマイの返答は、だからこそ以前説明した魔素が高次元的性質を持つものだという説に一定の妥当性を認めるのだ、というものだった。どうやらマイが意図せずとも、隔離されているはずの外と内の魔素濃度はほぼ均一に保たれているらしい。
万友莉としては、訳の分からない力に自分が書き換えられている、そんな不安や怖さもないではない。だが、既に魔素に関する理解については棚の上にぐっすりと寝かせている万友莉は、深く考えずにそれを、ただそういうものとして認めた。それに、魔素のある環境そのものは努力で変えられるような性質のものでないことは自明だ、そんな開き直りもあった。
だから万友莉は、むしろ好都合だ、と自らに言い聞かせた。今なら努力の結果が最大化される環境があって、結果も目に見えて付いてくる。なら、今のうちにもっともっとがんばってやる! と。
「この通路までは生体反応および動体反応はありません。また、罠やそれに類する存在は認められませんが、地面には不規則な凹凸があるので、この先の部屋の動体がこちらを察知して襲ってくる可能性も考慮して、慎重に歩を進めてください」
訓練を切り上げた万友莉は、一日を完全休養に充てた後、いよいよダンジョン脱出への第一歩を踏み出した。
アヴァタでの動作にアジャストするのに時間は掛からなかった。マイが調整してくれていたおかげで、全身鎧でも違和感はほとんど無く動ける。ツボ・マップとツボ・レーダのおかげで、進むべき最短の道は見えている。唯一の懸念は魔物の存在だ。いよいよその懸念と対峙する可能性に、万友莉は緊張を自覚する。
「万友莉、あなたの今の心身の緊張状態は十分許容範囲内です。命の安全は絶対に保証します。障害は一つ一つ、確実に取り除いていきましょう」
おそらくマイは、心拍数や発汗、あるいは脳波状態などもモニタして、こちらの緊張状態を把握しているのだろう。そう考えて、万友莉は自分の全てが見透かされているような気がして、苦笑した。ただ、それが苦笑であっても、笑えばちょっとは肩の力が抜けた気がするし、マイの言葉も気休めには十分だった。
「うん、行こう……」
自分にも言い聞かせるように呟いて、万友莉は通路へと歩き出した。
マイの言うとおり、通路の地面は完全な平坦ではないが、最初の部屋からここまでも似たようなものだった。足下ばかり気にせず、腰が引けないように、前のめりにならないように、足の裏全体でしっかり地面を捉え、視線は前方に広く保つ。そういった一つ一つを改めて確認して、万友莉は訓練の成果が緊張状態でもちゃんと発揮できていることを実感する。その自信は万友莉の集中力を高め、ほぼ直角の曲がり角を曲がった先に次の部屋の様子が見えた頃には、緊張は意識の外に追いやられていた。
通路の終わりが近づくと、万友莉は改めて盾を胸の前で構え直しつつ、剣を持つ手は緊張に強ばらないよう、適度な脱力を意識する。視界の端で捉えるマップに示される反応は、これまでと特段変わった動きは見せていない。万友莉が念じてマップを拡大すると、入り口近くに動くものは二つだけ。それを確認して焦点を前方へ戻すと、万友莉はいよいよ魔物の存在する部屋へ踏み入った。
部屋の向こう正面、三百メートルもあるかどうかの先に、次の通路への入り口が見えた。それだけで判断すれば、ここは最初の部屋よりは小さいと思われるが、その正面以外への視界は生い茂る樹木によって見通しが悪く、断定もできない。樹木にはまだ見たことのない果実がなっているのが見え、万友莉はその味が少し気になったが、食用可能ならこれまで通りマイが勝手に収穫してくれるだろう、とその邪念を捨てた。
万友莉の目に見える範囲に動く影はない。ただ、マップの反応は近くにある。
――どこにいる? 万友莉がそう思った次の瞬間だった。
「上から来ます」
マイの言葉と同時、ブブブブブゥッ! というような音が頭上から聞こえ、反射的に見上げた先に、万友莉はそれを見た。――見てしまった。
後から思えば、それは中型犬ほどもある大きさだったと思える。だが、それを目にした瞬間の万友莉に、そのような判断はできなかった。その瞬間に認識できたのは、“ソレ”が、それとしてはとてつもなく巨大な、万友莉にとって心理的にその名を呼ぶことすら強く憚られる、一般にも『黒い悪魔』あるいは『G』とだけ表現されることもあるような“ソレ”だ、ということだけだった。
認識した次の瞬間、万友莉の耳は耳障りな音を捉えた。だがその時の万友莉は、その金を切るような音が自らの口から発せられていることに自覚が無かった。
訓練の成果か、ただのパニックか、万友莉は敵から目線を切ることなく反射的に、盾ではなく、剣を眼前にかざした。縦に突き上げられた剣はその刃を、向かってくる“ソレ”に正対させ、そのまま直進してきた“ソレ”を真ん中から両断した。
まるでスローモーションの映像を見るように、万友莉の目は、透明な液体が飛び散る中、“ソレ”の断面に管のようなものが詰まっているのを認識した。生きているのなら内臓くらいあるよね、そんな現実逃避的な思考が万友莉の頭の片隅を掠めた。
「万友莉の声に反応して逃げる動体、そして、それ以上の数の、向かってくる動体を確認! 万友莉、対応してください!」
すうっ……、と遠くなりかけた万友莉の意識は、そのマイの耳元で怒鳴るような声に引き戻された。
そして、万友莉の目は、飛んで向かってくる“ソレ”の群れを見た。
ブレーカが落ちるように、世界がブラックアウトする。
そこから、しばらく先までの記憶は、万友莉の中には存在しなかった。




