11.昨日から繋がる朝に
目が覚めると、昨晩マイが暗くしたはずの部屋は、明るくなっていた。
いや、明るくなったから目が覚めたのか、ぼんやりそう思いながら、万友莉はベッドの上で上体を起こして周囲を見回す。そこは確かに昨日、神器の力で作った部屋で、やっぱり夢ではなかったのだ、と思う。そして万友莉は、心の内に失望感と安堵感がない交ぜになっているのを自覚した。
万友莉が目覚めたのはダイニングキッチンの奥に二畳分ほど拡張したスペースに設置したベッドの上で、間取り図でいえば、トイレの左側と、ダイニングキッチンの左上側、そこにあった丈一幅二の二畳ほどの空白部分を、ダイニングキッチン内を拡張して埋めた場所。そこにベッドは設置されている。ついでとばかりにダイニングキッチンは下にも丈二幅一分拡張して広くなっていて、結果、ディスプレイ上の間取り図では、ハブを中心にした丈七幅六の長方形が表示されている。別にスペースに制限があるわけでもないのだから綺麗に収める必要は無いと解っていても、無駄な凹凸は埋めたいと考える程度には神経質な万友莉だった。
そんな、前日寝る前に自分のしたことを思い返し、昨日をちゃんと昨日だと感じている、それが、こんな状況でも安堵感を覚えた理由のひとつだろう、と万友莉は当たりをつける。まだ少しぼんやりと、そんなことを考えつつ、万友莉はキッチンの蛇口からマグカップへ水を注いで喉を潤した。マグカップは陶器のような質感だが、実際の所は判らない。ただ、魔法的な何かによって生み出されているものの正体なんて考えるだけ無駄だろう、と万友莉は改めて達観的に思い、思考をより現実的な方向へ向けた。
「マイ、何か食べられそうなものはあった?」
「新たに何点かを発見し、それらも含め追加して収穫してあります。万友莉に言われたとおり、野菜類の一部は乾燥させておきました。その他、果実の一部はフレッシュジュースに、穀物の一部は絞って油と、挽いて粉状に、適性を鑑みて加工済みです」
いくら飽きない美味しさとはいえ、四食続けて同じ献立には抵抗感のあった万友莉にとって、それは上々といえる報告だった。
食卓に並ぶのは、砕いたナッツ類を練り込んで焼いた無発酵パン、豆類のスープ、そして三種ほどの葉物しかないグリーンサラダ。そこにフレッシュジュースが加わって全てだ。量としては多くないが、使われている食材は昨日より増えているし、そもそも朝からがっつり食べるタイプではない万友莉には充分な朝食と言えた。
パンは意外ともっちりした食感で、万友莉は第一印象で芋餅を想起した。噛むうちに味にも似たところが感じられ、万友莉は、粉の手触りは小麦粉に近いと感じたのにな、などと不思議に思う。一方で、何に使えるかな、と既に次を考え始めている自分に気付き、苦笑して目の前に意識を戻した。混ぜ入れたナッツの味は敢えて比較するならアーモンドに少し似ていて、生地に加えた油もそれから絞ったものだという。油は元から少し甘い香りを漂わせていたが、焼き上がりの際にはより強い芳香を立ち上げ万友莉の食欲を刺激した。パンとしては砂糖を使わずとも十分な甘みもあり、もっちりの中にボリッと現れるナッツは食感も楽しい。
スープは、乾燥させておいてもらった五種類ほどの野菜をミキサにかけて粉末状にした簡易コンソメの素をダシに、豆を煮て塩で味を調えただけのもの。それでも、やはり野菜自体の質が良いのだろう、かつてブイヨンから全て自作したコンソメスープに勝るとも劣らないそれに、万友莉は少し理不尽を覚えつつも、舌鼓を打った。ふと、ドラゴンの食材でしっかりダシを取ったらどうなってしまうのだろう、という興味が湧き上がったが、それを口にしてしまったらもう後戻りできないところへ辿り着いてしまう気がして、万友莉は頭を振ってその考えを追い払った。
そして案の定、サラダも美味しい。万友莉のイメージする野菜よりも味が濃く、苦みや青臭さもあるのだが、それはむしろ甘味や旨味を引き立てる強調効果を発揮している。ほんのりゴマっぽい香りのする油に塩と香辛料を加え、すぐには用意できないという酢の代わりに柑橘系の果汁を少し足して作ったドレッシングを使ったが、それも必要なかったかも、と万友莉が思うほどだった。
ジュースも濃厚な甘みが感じられるのに、ほのかに柑橘系の風味が余韻に現れる後味はスッキリしていて、飲み飽きない。
総じて、万友莉にとって満足いく朝食となった。
「この区画に存在した『エルダ・ドラゴン』は、このフロアの主とも言える強大な存在だったのでしょう、他の生体反応をここから接続する周囲六区画以内に発見することはありませんでした」
そのマイの言葉は、万友莉の眼前のディスプレイに流れる映像を解説している。
食事を終えた後、万友莉は、洗面台で歯と顔を洗い、髪を整えた。そのために万友莉は、わざわざタオルや歯ブラシをツボポイントで変換した。洗浄自体を魔法に頼ることもできたのだが、万友莉は、何となく“いつもどおり”に近い方が落ち着く気がして、簡便さよりも精神の安定を優先したのだった。
同じくツボポイントで変換したTシャツとショートパンツに着替え、気持ちを切り替えてダイニングに戻った万友莉は、マイから万友莉が就寝中のことを報告されているところだ。
ディスプレイに流れる映像は、昨晩、自律行動したアヴァタの視点で見た光景だ。実際は、アヴァタはマイによる操作で動いていたが、マイがAI的な存在であると考えると、アヴァタの自律行動と何が違うのか、万友莉にはハッキリした判断基準が分からなかった。
映像を見る限り、落着したこのほぼ直方体の空間の、側面四方のうち三方へ“通路”が伸びていた。通路といっても、人の目線で見れば大きなトンネルのようで、マイ曰く、ここにいたドラゴンでも這えば移動できたサイズだという。その通路も、壁や地面の見た目こそ土の中をそのままくり抜いただけのようだが、高さや幅がほぼ一定のそれは天然に生成されたとは思えない。しかもその先もまた造られたような空間に繋がり、その空間からも通路が伸びている。
ゲームみたいだ、というのが万友莉の第一印象だった。
通路は直線ばかりの組み合わせで構成され、空間も大まかには直方体か立方体で構成されている。兄の影響でコンシューマゲームもそれなりに遊んでいた万友莉には、この構成は、兄が『ローグライク』だと教えてくれたゲームを彷彿とさせた。それはダンジョンなどへの出入りの度にその内部マップがランダムに自動生成されるジャンルの名称だが、その生成されたマップは主にいくつかの部屋とそれを繋ぐ通路の組み合わせで構成されていることが多い。
映像は、落着した空間から隣の空間まで移動した後、そのまま直線的にさらに次の空間へ向かい、そこから元まで引き返してくる、という動きをそれぞれの通路で行った。三つではサンプルとしては少ないだろうが、今のところ例外はない。万友莉にはやはり、このダンジョンというものが何らかの意思が介在して造られたものとしか思えなかった。
「ただし、『ツボ・レーダ』にはもう一区画進んだところから先には魔物のものと思われる動体反応を確認しています。このフロアは、現時点で『ツボ・マップ』に反映できる範囲だけで四百を越える区画が、それぞれ一つから四つの隧道によって接続しており、フロア全体では侵入可能領域の延べ面積は百平方キロメートルを優に越えると推測されます」
マイの言う『ツボ・レーダ』も『ツボ・マップ』も、ダンジョン探索に必要なものだと言われ、昨日の内にツボポイントで変換したものだ。マイによれば、生物、特に意思を持つ存在は、何かしら魔素に影響を及ぼしていて、そこには個体差がある。そういった反応から人や魔物の判別を行うレーダは、魔素濃度の濃いダンジョン深層ほど高い性能を発揮する。同様に、魔素自体をセンサのように利用しているマップも魔素濃度が範囲や精度に影響する。その場の魔素を利用するから、ツボポイントのランニングコストも微々たるものだ、万友莉はそんな説明を受けたが、十分に理解できた自信はない。
「えっと……、区画っていうのは今いるこの広い部屋……というか空間で、それが、ずいどう?……要は通路で繋がってるんだよね?」
「その通りです。なお、理解の迅速化のため、今後はダンジョン内構造について、万友莉が口にした『部屋』、『通路』という名称で呼称します」
「あ、うん。えっと……それで、百平方キロメートルって、どれくらい? まだこの階の全域をサーチできないくらい広いってこと?」
「万友莉に理解できるであろう例を挙げるなら……東京都青梅市の面積が百平方キロメール強です」
「ふぅん……。……は?」
青梅市は、東京では市としては八王子の次くらいに広かったはずだ。物心ついた頃から東京西部在住だった万友莉は、覚えのある名称を聞いて反射的にそう思う。しかし次の瞬間には、万友莉の胸の内で急速に疑問が膨れ上がった。
――どうしてマイは、そんなことを知っているのか。
「えっ、どういうこと? 日本を知ってるの? ここってやっぱり地球なの? じゃあここってどこなの? 何で魔法なんてものがあるの? ねえ! マイって、神器って、何なの!?」
自らの身に起こった、不可解で、不条理で、不思議な出来事に、ここが全くの異世界であることを受け容れ始めていた万友莉は、不意にもたらされた“常識的”な情報に、心を乱した。感情ばかり千々に乱れ、万友莉はただ、溢れるままに疑問の言葉を吐き出すことしかできなかった。
どう考えれば良いのか、どう感じれば良いのか。無性に泣きたいようでもあるし、無性に腹が立つようでもある。もっと癇癪を起こしてしまいたい衝動を覚えるが、そんなことをしても意味が無いと考える冷静さも、まだあった。中のことも外のことも、自分のことなのに何もわからなくて、わからないということが、乱れた感情たちをさらに昂ぶらせる。万友莉はそんな自らの心中を認識しながらも、ただ持て余した。
「……落ち着いてください、万友莉。先ほどの情報は、マスタである万友莉に係る知識として、この世界の常識などと同様に、プリインプットされていたものです。それが、どこから、あるいは誰からもたらされたものかは、私にも分からないのです」
そうだ。そもそも日本語で対話しているのだから特別不思議がることじゃない。それに、昨日も神器とは何か、聞いたはずだ。結局、何も分からないし、常識で考えても仕方ないと思ったじゃないか。取り乱して、こんな八つ当たりみたいなことをマイに言ったって、何も解決しはしないんだ――万友莉は自分にそう言い聞かせることで、何とか気持ちを落ち着けた。
それでも、理不尽と感じる気持ちは消えない。だけど、今、目の前の現実が理不尽だからこそ、その現実に即した冷静な思考を心がけないといけない。いちいち狼狽していては、いつか手痛いミスに繋がりかねないのではないか。なら、慣れるのを待つ受け身でなく、適応するために能動的な意志を持たなければいけない。生き延びてやる、そう決めたのだから。
――万友莉は、そう強く戒めるように、自らに言い聞かせた。




