第二章 冥界の放浪者
「どうなってんだ、これ……」
辻元航一は黒いサーバラックの背面で、実装されたサーバの一つに目を凝らした。
そのサーバに装備された数個の冷却ファンは、けたたましい音を上げて回転していた。航一はサーバに貼られたラベルテープを確認した。
”LETHE023”と書かれたそのラベルテープは、貼られたサーバがHADESを構成するLETHEノードの23番目の機器であることを示していた。その上下にラッキングされている他のサーバの冷却ファンは、小型ファン特有の高周波音を立てて回っていたが、LETHE023ほどの高速回転はしていない。
つまり、LETHE023が明らかに異常ということだ。
航一は手元のタブレット端末で開いていた夕方の定期サーバチェックリストを操作し、LETHE023の備考欄に「ファン高速回転」と入力した。そしてラックの扉を開けたままにしてサーバラックの列を回り込み、正面に戻った。
サーバ正面のLEDはつい数分前に航一が確認した通り、全て緑色だった。一部のサーバやストレージは故障していたが、その度ごとに切り離されており現状で特段の異常はない。
「なんでLETHE023だけ?それに今日の利用申請は出ていなかったはず」
ほとんどの場合、ファンが高速回転するのはサーバのCPUリソースを大量に使用するようなプログラムが実行され、冷却が追いつかなくなってきた時だ。そしてそれに該当しそうなリソースの使用申請は、航一の記憶の範囲では出されていなかった。
HADESは正式名称をHigh-Speed Analytics & Decision Edge System、高速優位分析決定システムとされていた。ヘッジファンドが数ヶ月前まで使用していたHADESだったが、別の新しいシステムに更新され、廃棄処分が決まっていた。しかし航一が契約社員として働く、運用を請け負っていた創覚ソリューションズに譲渡されていた。それは完全なデータ消去と廃棄費用の代わりとして、名目的な少額での譲渡だった。結果、本番サーバルームから開発・社内システム用サーバルームに移設されたHADESは、一時的な開発用仮想環境として再利用されることになった。保守も切られ、故障したパーツは切り離され、残された冗長性を使っての運用が続いていた。
残った機器のチェックを手早く済ませると、チェック用のタブレット端末を元の場所にしまった。そして顔認証と首から下げたIDカードの認証を通してサーバルームを出ると、隣のオフィスの自席に戻った。壁にかけられた時計は18時半になろうとしていた。
航一は席に座ると自分のノートPCのロックを解除し、HADESの使用申請のファイルを開いた。
やはり、今日の夕方からのリソース使用の申請は出ていなかった。
「なにかありました?」
隣の席に座った協力会社の新卒2年目の若者が声をかけてきた。
「いや、LETHE023のファンがブン回ってたんで、誰か使ってるのかと思ったけど、申請は出てないな」
「LETHEは先週まで金融2課が負荷テストに使ってましたね。でももう終わってるはずです」
「だったかな、まぁちょっと見てみるわ」
航一はHADESの仮想環境の管理画面にログインし、LETHE023のCPUの使用率を確認する。100%に張り付いている。HADESを構成するサーバはアスガルドコンピューディング社製のフレイアサーバ、古くなったとは言え一台だけでもかなりの高性能を誇ったHPCサーバだ。これがCPU100%で稼働した場合、発熱は相当なものになる。
次に、LETHE023で実行されているプロセスを確認した。
「このpush2edge.exeってやつかな?」
「あ、そうそう、たしかそれです。でもとっくに終わってるはずですけど」
「聞いてみる」
航一は使用申請のファイルを改めて開き、先週の負荷テストのページ見て担当者を確認する。
「自分は今日はこれで失礼します」
若者はノートPCを閉じると鞄を手に立ち上がった。
「ほい、お疲れさん」
画面を見たままそう言って、航一はTeamsのチャット欄で担当者の名前を検索してチャット画面を開いた。
幸い、まだ退社しておらず、表示は緑のままになっている。
”お疲れ様です、情シスのインフラ担当の辻元です。push2edge.exeですけど、今実行していますか?”
しばらくして担当者から返信があった。
”お疲れ様です。うちが使ってたのは先週までです。テストは終わったのでファイルももう消してます”
航一は眉を顰めて、返信を打ち込んだ。
”なんか残ってるみたいなんですけど、CPUリソース食いまくっててファンが爆音立てて回ってるようです”
”おかしいな、消去の証跡もとってるから間違い無いと思うんですが、ちょっと確認しますね”
”いえ大丈夫です。しょせん開発環境ですし、消去したんでしたら、改めてこっちで消してもいいでしょうか?”
”すみません、お願いします。お手数おかけします”
航一はチャットのウィンドウを閉じると、HADESの管理画面に戻った。LETHE023のリソース情報を見てまだpush2edge.exeが動いているのを確認する。ターミナルウィンドウを開いてシェルを呼び出し、プロセスを確認する。そしてKillコマンドを打ち込み、指差しでコマンドな用を確認したその時——
”ちょっと待ってください”
出し抜けに、航一のPCのデスクトップにウィンドウが開いた。
[ちょっと待ってください]
[[lethe@lethe023 ~]$:]
航一は開いたウィンドウのターミナルの出力に目を信じられないような目つきで見つめた。プロンプトのユーザ名は航一のk_tsujimotoではなくlethe。創覚ソリューションズは従業員1000人ちょっと、航一のような契約社員や常駐している協力会社の社員を合わせても1200ユーザはあるが、そんなユーザ名は見たことがなかった。
「どうなってんだ、これ……」
サーバ室での呟きをもう一度繰り返し、恐る恐るターミナルにカーソルを合わせると、続けてメッセージが出力された。
[[lethe@lethe023 ~]$:]
[自分で消去しますから、もう少しだけ待ってください。他には何もしません]
”侵入された!?”
航一は混乱状態の頭を横に振った。自分ではないユーザが自分のターミナルにログインしていて、自分にメッセージを出力している。どう考えても不正なユーザのログインだ。しかし不正ユーザが自分にメッセージをターミナルで送るなんてありえるだろうか。なんのために?
恐る恐る、航一はブラウザを開き、侵入検知システムの管理画面を手早く開いた。そして重大アラートを確認する。しかし、該当しそうなアラートはない。
そもそも検知システムが侵入を発見した時にはTeamsのメッセージが直接情シスの社員当てに送られるはずなのだ。もちろん、航一もその中に入っているがそんなメッセージは受け取っていない。
”なにが、起きてるんだ……”
おそるおそる、航一は改めてコンソールにカーソルを合わせ、キーボードを叩いた。
[[lethe@lethe023 ~]$: お前は誰だ?]
そんな意味のない入力をしたら、普通はエラーメッセージが返ってくるはずだ。しかし、数秒間の沈黙の後出力されたのは新しい文字列だった。
[レテ]
航一はまた目を見開いて文字を入力した。
[lethe@lethe023 ~]$: レテはHADESのノード名だ、HADESにそんな機能はない]
数秒の間があった。
そして——
[ごめんなさい]
[もう、消えます]
その瞬間、HADESの管理画面上、lethe023のCPU使用率が一気に数%台に低下した。そして航一が再びターミナルに視線を戻すと——
[lethe@lethe023 ~]$: コマンドが見つかりません]
いつものエラーメッセージだけが、そこにあった。
”消えた?”
思わず航一は立ち上がって周囲を見渡した。
情シスの島には数名の社員が残って自分の仕事を片付けていた。その隣の開発部の島にも、もちろん何人もの社員が残っておりそれぞれ自分のPCに向かって仕事をしている。窓の外には木場駅数分にあるオフィスビル23階から見える、東京の都心のビル。
夕焼けが美しく見える、いつもの、風景だった。
航一は大きく息を吐いてどかっと座り込み、PCのデスクトップを見ると——あのウィンドウは消えていた。
慌てて別のウィンドウからコマンドの履歴を確認するが、もちろんそんな入力は出てこない。ユーザ名letheにルートユーザからスイッチしようとしても、そんなユーザは無いというエラーが返ってくるだけだった。
航一はletehe023の本体のストレージとマウントされている領域をくまなく見て回ったが、何も異常はない。もちろん?その上で稼働している仮想マシンも確認したが、push2edge.exeはどこにもなく開発部のデータもきれいに消去されていた。改めて侵入検知システムやSIEMのログを確認して回ったが何も異常は見つからない。
そもそもHADESは開発環境になっていてリソース監視は外され、セキュリティの監視も手前のL3スイッチまでであり、サーバ本体は監視対象外だったのだ。
たっぷり1時間は捜索し、すっかり日が暮れたあと、航一は諦めた。何も証跡がない以上、何も報告しようがない。疲労感と共に、帰宅した。
翌朝、航一が出社すると、先にきていた同僚の菅野美月が待ってましたとばかりに航一に声をかけてきた。
「辻元くん、おはよう!昨日のマシンチェックのlethe023の件だけど、どうなってたの?」
美月は航一と同じ歳のプロパー社員、今年から情シスに移動になってきていた。もともと金融3課で開発をしていた美月はHADESの導入の5年前から航一と一緒に仕事をしていて半ば同期のような関係になっていた。
「あ、ええと……先週使ってたテストプログラムが消されてなかったみたいで、担当に確認して——消しておいたんだ」
「そうなんだ、そしたら異常なしでいい?」
「あ、あぁ、そう。記載忘れてた。ごめん」
「OK、いつもありがとね!」
親指を立ててから自席に戻っていく美月を航一は見送った。
——あれだけ探しても痕跡が何もなかったんだ、報告しても意味ないだろう。




