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第一章 主よみもとに

 アメリカ合衆国、カリフォルニア州ロスアルトス。

 教会の高い天井に、静かな足音がかすかに響いていた。 ステンドグラスを通した柔らかな冬の光が、磨かれた説教壇を照らしている。その壇上に立ったのは、故人ロバート・P・オブライエン教授のもとで学んだ、今や白髪の混じり始めた教え子だった。


「オブライエン先生は、私たちにとって北極星のような人でした」

 男は震える手で原稿を握りしめながら、かすれた声で語り始めた。

「研究室のドアは常に開かれ、そこは煮詰まったコーヒーの香りと、コンピューターのファンの音で満ちていました。私は今でも昨日のことのように思い出すことができます。彼は厳格でした。妥協を許さず、私たちの未熟な論文を容赦なく修正履歴の取り消し線で真っ赤にした。しかし、その赤いコメント欄にはいつも『だが、君のこの視点は素晴らしい』という、金色の言葉も添えられていました」

 参列席に座る同僚の教授たちが、深く頷いた。ある者は目を閉じ、ある者はハンカチで目頭を押さえている。

「先生はかつてこう言いました。『学問とは、神が創造したこの世界の複雑な美しさに、一歩でも近づこうとする祈りなのだ』と。先生、あなたの生涯こそが、最も美しく、最も真摯な祈りでした。いま私たちはあなたという星を見失い、深い森に迷い込んだようです。しかし、あなたが残してくれた知の光が、私たちを導いてくれると信じています」

 男は一礼し、温かい沈黙に見守られながら席に戻った。


 静寂が支配する中、年老いた牧師が説教壇に立った。

「――主よ。あなたに仕えたロバートは、地上での旅路を終え、いま御許みもとへ、先に召された妻と娘のもとへ向かいます。彼は知を愛し、真理を求め、そして何よりも、あなたを愛しました。彼の生涯の探求と苦悩、その喜びと功績のすべてを受け入れ、彼の魂に永遠の安息をお与えください」

 牧師の声は低く、厳かでありながら、集まった者たちの心を包み込むような温かさに満ちていた。


「残された私たちに、慰めと、この別れを乗り越える力を。そして、いつの日か天の国で 再び会えるという希望をお与えください。父と子と聖霊の御名において。アーメン」


教会全体から、深い「アーメン(Amen)」の声が重なり合い、溶けていった。


教会の後方に据えられたパイプオルガンが、荘厳な旋律を奏で始めた。

『主よ、みもとに近づかん』――


 参列者達が静かに立ち上がった。六人の教え子が白い手袋をはめた手で、教授の眠る重厚なオークの棺を担ぎ上げた。


(Nearer, My God, to Thee...)


 讃美歌の調べが、まるで天への階段を一段ずつ上るように、音を重ねていく。 棺はゆっくりと中央の通路を進んでいった。それはまるで、教授が最後の講義を終え、教壇を去る姿のようでもあった。


(Nearer to Thee...)


 教会の重い扉が外に向かって開け放たれた。 冬の光が一筋のスポットライトのように差し込み、棺を白く照らし出した。

 オルガンの音が静かに奏でられ、棺は光の中へと吸い込まれるように消えていった。残された参列者の耳には、神の御許へと近づいていく魂を祝福する、力強い讃美歌の残響だけが響いていた。


◇◇


「教授の使用されていたインスタンスは契約に記載されている通り、これから削除する予定です。ログを確認中ですが—— 気になることが」

 列の最後尾にいた参列者のエーテル・ダイナミクス社員が、同じく参列していたCTOに囁くような声で話しかけた。エーテル・ダイナミクスはオブライエン教授のリバースクエリー理論を実装した商用LLM「エーテリクス」をリリースし、先行する生成AI各社を猛烈な勢いで追いかけていた。

「例の巨大インスタンス、”Sarah”か。何だ?」

「最後のバックアップの直前に外部へデータ転送の痕跡があります。巧妙に隠されていましたが、エーテリクスが発見しました」

「どこへ?」

「……クラウド上のオブジェクトストレージですが、詳細は不明です。すでにアクセス不能になっていました」

「調べろ。念のためだ」


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