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「隠し神」という伝承は日本の民俗学において非常に興味深く、かつ少し背筋が寒くなるような側面を持っています。地域によってその正体や役割は異なりますが、大き分けると「子供をさらって隠す神(神隠し)」としての側面と、「特定の集団や屋敷のみ祀られる神」としての側面が二つあります。
1.子供をさらう「神隠し」の主催者
最も一般的な伝承は子供をどこかへ連れ去ってしまう恐ろしい存在としての「隠し神」です。
天狗や狐などとの関連:昔夕暮れ時に子供が居なくなると「神隠しに遭った」と言われました。その犯人が隠し神です。岡山県などでは「隠し神が来るから早く帰りなさい」と子供を戒める教育的な役割を持っていました。
夕方の「逢魔が時」:昼と夜の境界線である夕暮れ時に現れるとされ、この時間に外で遊んでいる子供は隠し神の標的になると信じられてきました。
戻ってきた後の状態:隠し神に連れ去られた子供が数日後に発見されると、「正気をうしなっている」「鶏の餌」を食べていた「高い木の上に座っていた」といった奇妙な伝承が多く残っています。
2.屋敷神・隠し仏としての側面 一方で、特定の家系や村落でひっそりと祀られる「隠し神」も存在します。
屋敷神:その家の繁栄を守る代わりに、他人に見せてはいけない、あるいは特定の作法を守らなければならないとされる神様です。もし他人が見てしまうと、神が去って家が没落するといったタブーが伴うことが多いです。
隠れキリシタンとの関連:歴史的な背景として、禁教令下で仏像の裏等にキリスト教の聖像を隠して祀った「隠し仏」が、長い年月を経て土着の「隠し神」的な伝承と混ざりあったケースもあります。
3.各地の特殊な「隠し神」日本各地には少し変わった隠し神の呼び名や伝承があります。
隠し座頭:東北など 姿は見えないが、足音や気配だけがする。座頭の姿をしているとされる。
隠し婆:近畿・中国 子供を袋に入れて連れ去る老婆の妖怪。山姥に近い存在
隠し神:鹿児島県(奄美) 祭礼の際、特定の者しか見ることが許されない仮面の神や精霊を指すことがる。
民族的な解釈
柳田國男などの民俗学者は、隠し神を「かつての村の境界を守る神や、山の神の零落した姿」と例えることがあります。人々が自然や夜の闇に対して抱いていた恐怖心が、「神」という形を取って現代に伝わっているのです。※1
「…⋯と、いうのがAIさんの見識だそうだ」
とりあえず、隠し神とは何か、というところから調べてみようという話になって、晃輔と朔は一旦晃輔の自宅に戻ることにした。
精神的に疲れていたし、珈琲が飲みたかった、というのが本音である。
そして、珈琲を飲みながら取り敢えず、AIの見識を聴いてみようということになった。
「なるほど、こうやって人へ伝わっていくのですね。人の伝承は面白い。ですが、コレに関してはこれといって新しい情報はなさそうでございますね」
朔はAIが話す内容を聞きながら、面白そうに聴いていたが、それは内容ではなく、人知に対する興味のほうだったようだ。
「では、消えた子供たちと逃げ出してきた子供たちの場所はどこでしたでしょうか」
朔は東京都の地図を持ってきてひろげると、どこから集めてきたのか色とりどりの消しゴムを持ってきた。
「まったーぁ!!しまっといたのにどうして場所しってるの!僕のガン消し!」
「丁度色とりどりでわかりやすいと思ったまでです。別に汚すわけでも、無くすわけでもないのだからよいでしょう」
朔は構わず晃輔秘蔵のガン消しをテーブルにぶちまけた。
「汚れる!何かが!そして心のどこかで何かが削れてしまう!」
「まず、消えた場所ですね。ハッキリとはわかりませんが、府中、立川、八王子、三鷹、昭島、国立、町田この内府中と八王子では二件、立川では三件ですか」
晃輔の訴えを無視し朔が色とりどりのガン消しを置いていく。
「そして発見されたのが三件、八王子、あきる野、奥多摩…ですか」
「失踪するのは比較的人の多いところ。そして発見されるのは比較的人のすくないところ…か。東京と言いながらも23区外⋯多摩地区ばっかりだね」
晃輔は余ったガン消しを指で弾いて転がす。そして慌てて手で抑えた。
抑え込んだガン消しを見ながら少し考えた後、晃輔は朔に頼み事をした。
「朔さん、悪いけれど、高尾山の天狗のところと、雲取山の狼、それと飛竜のところへ行って、最近怪しい子供を近隣でみていないか聞いてきてくれないか」
朔はちょうど珈琲のおかわりを晃輔のカップについでいたところで
「承知いたしました。早速行ってまいります」
と答えた。
「済まないね」
「いいえ、これこそが朔のお役目でございますから」
そう言うと朔はその場でいなくなった。
晃輔は入れてもらった珈琲を口に運びながら、近々自分も山に入るようかもしれないなと、地図を見ながら思った。
その夜遅くに戻ってきた朔の話によると、高尾の天狗は少し前に子供の声を聞いたが、うるさかったため見回りを強化したらここ何日かは聞かなくなったという。飛竜山では特に変わりはなく、雲取山でもこれと言って収穫はなかったそうだが、どちらも近隣を探ってくれるという話をつけてくれてきた。
「最初は高尾山に拠点を作ったけど、天狗に追い出されたか…」
「そのようでございますね。複数の子供の泣き声を聞いたと話されておりました。勝手に縄張りに入ったことで、大層お怒りになられて怒鳴り込んだところ、そのうちの一人が不貞腐れたように『でていけばいいんでしょ』と言い返してきたと、その態度にも大層お怒りのご様子でした」
「ははは、天狗は縄張りに入られるのを嫌うというのは本当だったか」
晃輔は多摩地区の地図を広げながら使われていない、倉庫や、工場などに赤ペンで印をつけていたが、あまりにも多い。その上、土地勘もないため周囲がどうなっているのもわからない。多摩地区自体広すぎて、やみくもに探しても見つかるとは思えない。
「ふぅ、やっぱり山だと思うんだけどな」
細かい地図を見て目が疲れたのか、地図から目を話すと目頭をもみながら晃輔は考えを口にする。
「結界か何かを張っているんだろうけれど、子供が頻繁に出入りするとなると流石にどこかで目につくだろうし、泣き声も聞こえたとなるとな⋯」
「そうですね。私もそう思います。」
朔は戻るなり早速キッチンに入り珈琲を入れる。時間が時間なのでデカフェ珈琲である。
「そうなると、雲取山と飛竜山が頼りなんだけど⋯」
「彼らであればそう時間もかからないと思いますので少し待ってみましょう。その間、私も回れるだけ見回って参りますので」
「頼りっぱなしですまないね」
晃輔は珈琲を受け取りながら朔に謝る。
「何をおっしゃいます。それが朔の役目でございますから」
朔は穏やかな声で答えた。
次の週は特に何の動きもなかった。
本日の診察も特に問題なくが終わり、明日の土曜日で今週が終わる。
まだ雲取山からも飛龍山からも何の連絡もない。
いつものように晃輔は晶湖を自宅まで送り、帰路につく途中であった。
突然恐ろしいほどの強烈な違和感を感じてバックミラーを覗き込む。
そこにはあの時の少女が後部座席に座って写り込んでいた。
「ふーん、さっきの女の人サクラガワっていうんだ」
少女は後部座席で足をぷらぷらさせながら独りごちる。
「きーめたっ!今の女の人にしよう。しあいほうきでころすひと!」
「なっ!」
晃輔は動揺してハンドルを滑らせ危うく中央車線を飛び出しそうになり、対向車にクラクションを鳴らされた。
「おどかさないでくれないかな?おじさん怖がりなんだ。それと何故彼女なんだい?彼女はただの従業員だけど」
晃輔は努めて落ち着いて話す。
「だって、仲良さそうだったし」
「それに試合放棄だなんて、まだ諦めてもないし、やめたとも言ってもないよ」
「だって、おじさん全然探してくれないんだもん」
少女は不貞腐れたように頬を膨らませた。
一見すれば可愛らしい少女だ。レトロなワンピースがとても似合っている。
けれど、背中に感じる威圧感に体中から警報が鳴り響いている。
「おじさん、こう見えてお仕事してるからね、平日は無理だよ、でも週末は一生懸命探しているよ。それに期限は一ヶ月じゃなかったかな?」
「だーって、お友達はすぐ泣くし、逃げたがるしでちっとも遊んでくれないし、新しいお友達探しも最近なんか難しくなって、あんまり増やせないしでつまんないんだもん」
少女は身体の横に両手をついて足をパタパタと前後に振りながら本当につまらなそうにそう言った。
「明日は週末って言って、時間が出来るからそしたら君のアジトを探しに行くよ」
「ほんと?」
少女は目を輝かせた。
「ほんとさ」
「頑張って探してね。手を抜いたらゆるさないからねっ」
「もちろん頑張って探すよ」
「ふふん、大変だけどね。最初のアジトからは引っ越したから。今の方がずっと広くて快適かな?ちょっと犬臭い時があるけど」
「そうなのかい?」
「新参者だから大変なの。縄張り争いもあるしね。ちょこっと遊び場作るくらいいいじゃんね」
少女は今度はぷんぷん怒っている。コロコロと表情がよく変わる、見た目は普通の可愛らしい女の子。
「とにかく明日から頑張って探してね。やる気ないと判断したらあのおんなの人ころしちゃうから」
少女は喋りすぎたと思ったのか急に早口になって会話を打ち切った。
「早計に判断しないでくれよ。おじさんと遊んでる最中だろ?」
少女は帰ろうとしたのを一瞬止まって考え直すと
「そうだったね、だからしっかり探してね」
そう言ってパッと消えた。
背中の重圧も同時に消える。
晃輔はすぐ近くに見えるコンビニの駐車場へ入って車を停めると、まるで今まで息を止めていたかのように深く息を吐いた。
全身がびっしょりで気持ちが悪い。だが、あのまま家まで運転する気持ちにはなれなかった。
「朔さんいる?」
「はい、ここに。」
先程まで少女が座っていた場所に音ものなく朔が腰掛けていた。
「申し訳ありません、私が入ると戦闘になる危険性があると判断いたしました」
「はは、いや、正解だったかも。ありがとう」
車を運転中に戦闘になった場合を想像して、晃輔は余計に力が抜けていくのを感じた。
「いえ、とんでもございません。」
「申し訳ないんだけどさ、お願い聞いてもらってもいい?」
もう、声を出すのもしんどい程の疲労感を感じている。
「はい、何でしょう。」
「そこのコンビニでタオルとTシャツとペットボトルの水を買ってきてもらえない?今、歩きたくないんだ。汗びっしょりだし。」
「承知いたしました。…坊ちゃま下着はよろしいのですか?」
朔が至極真面目に聞いてきた。
「あー⋯はい、パンツは結構です…」
「では買ってまいります。少々お待ちくださいませ」
晃輔は朔が後部座席から出るのと同時にハンドルにつっぷした。
晃輔は運転席で上半身を全部脱ぐと朔が買ってきたタオルで身体を拭く。学生時代ラグビーをしていた身体はまだどこにも無駄な肉はついていないようだった。
「申し訳ありません。XLはおいてませんでしたので」
そう言って買ってきたLLは晃輔にはぴっちりだった。
「大丈夫ストレッチが効いてるから着れるよ」
晃輔は何とかTシャツを着込むと流石に濡れたワイシャツは着る気になれずそのまま上着を羽織った。
そしてミネラルウォーターを一気に半分くらい飲むと、やっと落ち着いたとばかりに車のエンジンをかけた。
「取り敢えず帰ろうか」
「承知いたしました。今日は帰ったら坊ちゃまの好きな油淋鶏にいたしましょう」
「ははは、ありがたいな。」
少し余裕の出てきた晃輔は先程までの少女とのやり取りを思い出しながら、思ったことを言った。
「あの子、もしかして本当に幼いんじゃないかな?」
「坊ちゃま、モノノ怪の年齢なぞ、見た目でわかるものでは無いことくらいおわかりでしょう」
「そうなんだけどさ、流石に見た目と同じってことはないだろうけど、もしかして本当にこの世に生を受けてまだそんなに経ってないんじゃないかなって」
晃輔はちらっと横目で朔を見ながら
「さっき、朔が後部座席に乗ってきたときに思ったんだけど、朔は消そうと思えば完全に気配をけせるでだろう?」
「そうですね」
朔は少し考え込むようにしながらそう答えた。
「あの子はそうじゃなかった。まぁわざとの可能性もあるけれど、妖力だだもれで乗り込んできてそのまま帰っていったよ」
「まだ妖力をコントロールできないと?」
「その可能性はあるかなって思ってさ」
なるほど、と朔は小さくつぶやいた。
「それから大ヒントを残してくれたよ。最初のアジトからは引っ越したんだけど、今のアジトは時々犬臭いんだってさ。少し迂闊じゃないかい?」
「確かに、思ったことを口にしてしまうところなども、本物の子供のようでございますね」
それから朔はふっと口角を上げて前を睨むように微笑んでみせた。
「素晴らしいタイミングでございます。たった今雲取山の狼より、それらしい子供の声の聞こえる場所を発見したと連絡がはいりました」
「え?ほんと?」
「ほんとにございます」
朔が頷く。
「では、驚かされた仕返しに、反撃開始と行こう!⋯あ、その前に櫻川さんを安全なところに隠さなきゃ」
「何故櫻川さんを?」
「送るところを見られたようだ。」
朔がキッと晃輔を睨む。
「どこから見られてたのかはわからない。気配を消して近くから見てたなら、さっきの仮説は成り立たないな。」
そしたら仮説はぱぁだ、とばかりに晃輔は片手をあげた。もう片手はハンドルをにぎっている。
「まだ時間的に大丈夫だよね、朔さん、櫻川さんに業務連絡で明日出勤時一泊できる準備してきてって。着替えといつもの洗面用具ぐらいがあれば大丈夫って送ってくれる?」
「よろしいですが、どこに避難させるのですか?巴では流石にまだ無理です。自宅で私が結界を張ったほうがよろしいのでは?」
「うーん。考えたくないけど、もし朔さんにちょっと本気だしてもらわないと行けない場合、僕も護って子供たちも護ってってなると櫻川さんの結界までは大変かと。僕の霊力的にも」
朔はハッとなった。
「ですが、どちらへ櫻川さんを匿われるのですか?」
しかし朔としても晶湖の身の安全は朔も安心できるところでなくては信用できない。
「僕の知ってる限り一番安全なところ」
「ですからそれは⋯あ、もしや」
晃輔は朔にニヤッと笑ってみせた。
「はい、多分正解。兄貴のところ。正確には義姉さんのところ」
「た、確かにそこでしたら⋯」
安全だろう。朔は言葉を飲み込んだ。
人には色々な種類の人間がいる。殆どの人間は、生涯モノノ怪や妖の類などとは縁など無く生涯を過ごす。
たまにそういったモノが見えたり、晃輔のように霊力が強く、多少なりとも渡り合えたりするものも存在する。さらにはモノノ怪や妖に全く力を振るわせない人間も存在する。その人間の前では弱い妖なら消滅するし、強いものでも力を封じられ赤子同然になってしまう、そんな人間が稀にいるのである。それが晃輔の義理の姉、壮亮の妻の碧子である。
子供の頃から晃輔と同じようにモノノ怪や妖の類が見えていた壮亮は、とても怖がりだった。人にはなるべくバレないようにしていたが。なるべく見ないようにし、どうしようもないときは晃輔に頼って生きてきた、大学生までは。しかし、大学で碧子に出会い、碧子がそういう特殊な人間であることを知った壮亮は、口説きに口説きに口説き落としてやっとの思いで付き合い始め、結婚にまでこぎつけ、今では二児のパパである。見た目はかなり格好良く、モテていた壮亮がブサイクなわけではないが、どちらかと言うと地味で普通の碧子に熱烈にアタックしまくっていた話は、今でも大学では伝説として残っているとかいないとか。
最初の理由はどうあれ、今ではすっかり普通の夫婦として壮亮は碧子を愛している。そしてその子供たちも愛しているので問題は無かろうと、晃輔は思っている。
そして、そこならば、例え急に気が変わって晶湖を襲おうとしても問題ないだろうと。
姿を現すことすら難しいのではないかと思っている。
問題は、どうやって壮亮のところで預かってもらうことを、晶湖に納得してもらうか。
──事情は話さないと納得してもらえないだろうなぁ
とりあえず今はさっさと家に帰ってシャワーを浴びたい晃輔であった。
※1Gemini調べ




