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ここはどこにでもある街の小さなクリニック。ただしある一定の条件を満たす後現れる科があるんだそうです。時の流れは早いですね。そんなクリニックに紆余曲折あって晶湖が勤め始めてもう随分たちました。
「うわっ!すごっ!見てよ、佐藤さん!凄いよこれ」
顕微鏡を覗きこんだ晃輔は思わず興奮して声をあげた。
「先生…そんなに喜ばないでくれよ⋯」
佐藤と呼ばれた患者は情けない声で訴えた。
「あ。いやぁすみません⋯こんなに沢山水虫が集まってるの見たの久しぶりで⋯」
晃輔は思わず頭を掻いて謝る。
「ったく、こういうときは子供みたいだな。先生はだからいつまでも若センセイって言われちゃうんだよ」
「あははっ。爺さんはもう引退したんで、僕しかいないんですけどね。」
佐藤は年齢は60代で先代からの常連の患者である。このクリニックには子供の頃から通っていたそうだ。
「さて、佐藤さん、水虫を見つけちゃったからには治療した方がいいと思います。塗り薬と飲み薬がありますが、オススメは飲み薬かなぁ。爪にもここまでできてると、やっぱり治りにくいですからねぇ。ただ、飲み薬は肝臓の数値が悪くなることがあるので、定期的に採血をしないといけないですが、どうします?」
晃輔は尋ねる。
「塗り薬は毎日塗るんでしょ。めんどくさいから飲み薬にして」
「わかりました。そしたらですね──」
晃輔はカレンダーを見せながら飲む日数と採血する日を説明していく。
「そしたら一応今日採血して、何もなかったら始めるようにしましょうか。櫻川さん」
「はい、ではお隣で採血しますので、お荷物をお持ちになってお隣のお部屋に移動してください」
晃輔が晶湖に声をかけると、流れるように佐藤に声をかけて隣の処置室へ案内した。
その間に晶湖は患者の名前と性別、年齢、診察券番号を採血用紙に記入すると晃輔に渡す。
晃輔が必要項目にチェックをつけると、それを見ながらスピッツを用意し、患者の採血をする、というのがここの最近のクリニックの流れになっていた。
「はい、では今日は二本取らせていただきますね。針を刺してご気分が悪くなったりすることはありませんか?」
「ないです」
「血液がサラサラになる薬も飲んでいませんか?」
「飲んでないです」
採血前のほぼルーティンと言える会話。
「はい、では手は親指をぎゅっと握っていてください。では針刺しますね。ちょおっと痛いですよ」
晶湖は手際よく採血を行っていく。
「はい、ではここを指一本で抑えていてください」
そう言って、小さなシール状の絆創膏を貼ると一分計の砂時計をひっくり返し、取った血液をラックに挿し、針やアルコール綿などを片付けていく。
砂時計の砂が全て落ちきると晶湖は
「あと5分、押さえててくださいね」
と言って、待合室で待つよう患者に伝えた。
処置が終わればまた診察室に戻り介助である。
次の患者はいつもの血圧の薬と高脂血症の薬をもらいにきている中年の女性だった。
「特に変わりはないようですね。そうしたら、またいつもと同じお薬を出しておきますね」
「はい、お願いします」
晶湖は晃輔の後ろに立つと患者と目があった。晶湖は患者にニッコリと笑みを浮かべながら会釈すると、患者も笑顔で返した。こちらの女性も常連である。
晶湖がここのクリニックに勤め始めて、まる三年経った三月のある日の日常だった。
今でも何となく続いている帰りのみ車で送る日々、本日は珍しく晃輔は一人で帰ることになった。
理由は晶湖が友人と夕食を約束をしているとの事だった。
そんなわけで晃輔は二人の片付けが終わるのを待つこともなく、先に帰る。
白衣をハンガーにかけると晃輔は二人に声をかけた。
「じゃ、今日はお先に失礼するよ」
「はーい、お疲れ様でした」
自動ドアを抜け、エレベーターで一階に降りる。
エレベーターホールを通り抜けてガラスのドアを開けると駐車場へ向かって歩いていった。
駐車場までの距離は歩いて一、二分。
いつもと変わらない道だった。
一箇所を除いて。
晃輔が通る道に少女が一人しゃがんでいた。
誰かを待っているようでもなく、足元に何か気になるものが有るのだろうか。
近くに親らしき人影はない。
時間も時間だし、こんな時間に小学生に上がるか上がらないかくらいの年齢の少女が一人で居ていい時間ではない。
晃輔は何気なく声をかけた。
「こんばんは。こんな時間に一人で何しているの?」
──あれ?よく考えたら今の俺不審者?大丈夫?通報されない?
そんな事を声をかけてから考えてしまったが、そんなことを全く気にする様子もなく少女は晃輔を見上げると立ち上がった。
「お友達を探しているの」
少女はそういう。
「お友達?どんな子かな?」
そのとき晃輔は人形かぬいぐるみか何かかと思っていた。
すると少女は晃輔をじーっと見つめていたかと思うと
「これから探すの。だから邪魔しないでね」
そう言ってにぃっと笑った。
「え」
突如全身の皮膚が粟立つ、さっきまで全く感じなかった体内の警報が鳴り響き、背中に冷たい汗が流れる。
「君は誰だ?」
晃輔は少女に問うた。
「とりあえず今は敵じゃないよ。おじちゃん」
少女は愛らしい笑顔でにっこりと微笑んだ。
「でも、もし邪魔したら、おじちゃんは敵になっちゃうから、出来れば邪魔しないでほしいな。おじちゃんいい人そうだから」
そういうと少女はくすくすと笑いながら
「じゃあね、おじちゃん、出来ればもう会いたくないな」
そう言って走って行ってしまった。
どこをどう走っていったのかはわからない。
気がつくとその少女はいなかった。
この全身の疲労感と冷や汗が無ければ白昼夢でもみたのかと勘違いするくらい。
「あれ?晃輔先生、まだ帰ってなかったんですか?」
後ろから晶湖の声がする。
時間にして一、二分程度のことだとおもっていたが、もっと長かったようだった。
「あれ?なんだか顔色わるくありません?」
晶湖が顔を覗き込む。
「い、いや、大丈夫。キツネにつままれかな?」
晃輔はあえて明るく答えると、
「櫻川さんこそ、遅くまで飲んで羽目外さないようにね」
と話を変えた。
晶湖は気になりつつも心配な気持ちをおさえ、それ以上は何も言わず、
「はーい、明日に響かない程度で抑えてきます」
と、あえて軽く答えた。
「それじゃ、朔さん、先生、お先に失礼します」
晶湖はぺこりと大きくお辞儀をすると駅の方へ歩いていった、相変わらず他の人には見えないが、左腕には巴が巻き付いている。
「はーい、気をつけてね」
晃輔は後ろ姿に声をかけた。
「坊ちゃま、何に会いましたか」
晃輔はこめかみを指先でかきかき。
「⋯女の子に…。友達をさがしているんだそうだ。僕はまだ敵じゃないから邪魔しないでね、と釘をさされたよ」
「さて、それは…」
朔も考え込む。
「全くわからない。」
晃輔はお手上げである。
『友達』とはなんであるか、人なのか、ものなのか、はたまた別のなにかであるのか。
朔はため息をついて
「様子をみるしかありませんね」
「僕には出来ればもう会いたくないってさ」
「そうですか。よほど悪人顔にみえたのでしょうね」
「朔さん?それはひどいのではないでしょうか?」
朔はわざとおどけて返したが、二人にはまた会うであろう予感があった。
晃輔が謎の少女と出会った日以降、ある意味やはりというか、関係ないとは思えない事件が相次いでいた。少年・少女失踪事件である。
年齢はだいたい小学校一年生から四年生、夕方塾へ行って帰ってこない、友達と遊びに行ったまま帰ってこない等々、たまに失踪後戻ってくる子供もいたが、服装は出ていった時のまま。自分がどこで何をしていたかは全く覚えていないそうであった。
「これは、関係ないとは言えないよなぁ…」
タブレットでニュース記事を読みながら、珈琲をすすりつつ晃輔はつぶやく。
開院前のひとときである。
「何がですか?」
晶湖が開院前の準備をしながら晃輔のつぶやきに反応した。
「いや⋯最近小学生のそれも小さい子の失踪事件が多いなと思ってね」
とりあえず、先日あった少女のことは言わないでおく。
「ああ、ネットのニュースで読みました。たまに戻ってくる子がいても何も覚えていないとか」
「らしいね。どこに捕まっていたんだろうね」
「いつも夕方だいたい同じ時間なんですよね。塾とか駅使ってたり商店街に行ってても防犯カメラにも映っていないとか。不思議ですよねぇ」
話をしながらも晶湖は手を止めず、晃輔の机をアルコールで拭いていく。
「まさに逢魔時の神隠し、か⋯」
「え、なんですか?」
キャスター付きの椅子でコロコロと滑りながら、邪魔をしないように避けながらつぶやいた晃輔の言葉は、晶湖には聞こえなかったようだ。
「いや、何でもないよ」
晃輔は拭き終わった机にまたキャスターで戻ると珈琲をすすった。
晃輔は実はことなかれ主義である。
博愛精神の持ち主でも、全世界の子どもたちを救いたいなどという高尚な精神も持っていない。
できることなら変異などにはなるべく近づきたくないし、こんな職業をしていても、実際は身の回りのことだけで精一杯である。
そうはいってもそううまくいかないのが世の常というもの。
その日は日曜日で晃輔は夕方、足りない日用品を買いに出かけた。
近くの大型のホームセンターへ、トイレットペーパーやらちょっとした日用品を買いに出かけたのである。
いつものように買い込んで、車の後部座席に荷物を詰め込み、さて帰ろうかというときであった。
後ろから買い物を終えて車に向かっている家族を見かけた。
夫婦の年齢は二十代〜三十代子どもの年齢はまさに小学性低中学年。夫婦が後から荷物を持って追いかけて行き、子供は欲しかったモノが買ってもらえたのか大きな荷物を持って先に車に向かっていた。
──お父さんが行かないと開かないぞ。
──お父さん早く早く
──ちょっと待って、おサイフどうしたっけ
そんなよくある会話、夫婦が子供から目を離したのはほんの一瞬。
その一瞬で忽然と子供は消えた。持っていた荷物を置いて。
──ショウマ?どこ行ったの?
──トイレか?
夫婦は勿論子供が消えたなど気づかない。
置かれた荷物。周囲にいない子供。
周りを探す、勿論晃輔にも尋ねてきた。
「うちの子、見ませんでしたか?小学校三年生くらいの男の子なのですが」
しかし、晃輔も本当のことなど言えない。まさか突然消えただなんて。
「…今、車のところにいませんでした?」
「そうなんです、その後どっちの方に行ったかなんてみてませんでしたか?」
ご主人の方が焦ったように聞いてくる。
「申し訳ありません、そこまでは…。」
「そうですよね。申し訳ありません、ありがとうございます」
夫婦は揃って頭を下げる。
「いえ、お役に立てずこちらこそ申し訳ありません」
晃輔にはそういうのが精一杯だった。
夫婦はホームセンター内に戻り迷子の放送をかけてもらうようだった。
『朔!』
晃輔は心のなかで朔を呼んだ。
その瞬間
「おじちゃんはやっぱり敵にまわるの?」
「坊ちゃまお下がりください!」
背筋が凍るようなゾッとする声と、朔の危険を知らせる鋭い声が同時に聞こえた。
気がつくと、さっきまで晃輔がいたところに、いつか見た少女が、この間と同じような笑顔で立っていた。
朔は美しい白銀の体毛に覆われ四肢には鋭い爪を宿し、三本の尾を立たせ金眼を縁取る美しい金色の毛並みは今は警戒に歪んでいる。
完全に臨戦態勢である。
「わあ!綺麗!犬?きつね?おじちゃんのペット?」
朔を目にしても動じないその少女は、寧ろ無邪気に朔を触りたいとばかりに近づいていった。
「私をただのペットだと思うのならば触ってみるがいい。私が何であるかを身を持って知るであろう」
「言葉を話すのね。ますます素敵。でも一応飼い主さんに触ってもいいか聞いたほうがいいんだよね」
少女はあくまで無邪気に話す。
「そうだね。ただ朔さんは僕のペットではないから、触っていいよとは言えないかな」
なるべく穏やかに話そうとするが、晃輔の背中は冷や汗が流れっぱなしである。
「そうなんだあ、じゃあさ、ペットじゃないってことは私がもらってもいい?」
「私は代々こちらの坊ちゃまの家に仕える身。お前ごときに扱える身ではないわ!」
「こわぁい、折角お友達たちも喜ぶと思ったんだけどな。残念」
少女はいうほど残念がっていないようだった。
「!友達!今いた子を何処かに連れて行ったのは君かい?」
すると、今さっきまで朔のことを無邪気に話していたのとは一変し、急に強い圧力感じる。
「今の子はもう私の友達だよ。おじさん、奪うの?」
晃輔の額に汗が流れる。
「おじさんもね、できればあんまり関わりたくないんだけど、君強そうだし⋯でも見ちゃった以上見なかった事にはできないかなぁ⋯」
少女は考え事をするふりだけをした。
「ふぅん…じゃあさ、おじさんかくれんぼしよう。おじさんがあたしの友達を見つけれたら、おじさんの勝ち。おじさんが見つけられなかったら⋯どうしようか、命もらっても楽しくないし、白い犬はいう事きかなそうだし⋯おじさんも私のお友だちにしてあげてもいいいかな」
「それは僕には拒否権はないんだよね」
「そうだよ。これでもとっても譲歩してあげてるんだから。本来なら邪魔する人は殺しちゃうけど、おじさんいい人そうだから。でも拒否するなら⋯そうだね、おじさんの知り合いで中の良さそうな人殺そうかな。その方がおじさん本気で遊んでくれそう」
晃輔の中で何故か晶湖の名前が浮かんだ。
「はい!ではけってーい。今から期間は一ヶ月間、おじさんは私のお友達を見つけてね。たまーに一人で逃げちゃう子もいるんだけど、それはノーカンで。それにこれからは仕方ない、逃さないようにしよう。折角のお友達だしもったいないけどね」
「流石に何かハンデはないのかい?場所も特定出来ないし、一ヶ月は難しいなぁ」
晃輔は何とかヒントを引き出そうとする。
「うーん⋯じゃあね。東京?だけにしてあげる。いまいち街の区切りはわかんないけど、東京、とそのちょこっとはみ出したくらいでどう?場所も絞れたし、結構なヒントだよ」
「分かった、それで飲もう」
「そうこなくっちゃ。でも、逃げたら分かってるね?おじさんの大事な人を殺すからね」
少女は本当に楽しそうにそういった。
「それじゃ、今からね。頑張って探してねー」
そう言うと少女は忽然と眼の前から消えた。
「朔!」
「申し訳ありません。追えませんでした」
「いや、ごめん朔さんのせいじゃないよ」
「あれは空間を飛ぶようです。匂いを覚えましたので、いくつかの場所で張っては見ますが、まずは事件の整理から始めましょうか」
「そうだね、そうしよう。それにしても話しただけだったのに随分つかれたよ。家に戻ったら珈琲を入れてもらえるかい?」
「かしこまりました」
突然始まった晃輔の身をかけた壮大な鬼ごっこ?かくれんぼ?の始まりであった。




