Prologue
それは、幼い子供が抱くごく普通の夢だった。
ヒーローになりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか、
その延長線上にあるただの“冒険譚への憧れ”だったはずだった。
だが、その夢は、ある日突然現実味を帯びることになる。
今からちょうど11年前――2025年7月24日。
世界に”ダンジョン”は現れた。
最初に“それ”が発見されたのは、日本・京都の地下深くで起きた、あまりにも不自然な地震がきっかけだった。
震源は市街地から少し外れた、古い寺の裏山だったという。
奇妙だったのは、その地震が周辺数百メートル以外にはほとんど揺れを伝えなかったこと。
まるで“誰かが意図的に、その場だけを揺らした”ような局地的な震動だったのだ。
地元の住民は不安に駆られ、震源地へと足を運んだ。
その場にあったのは空間の歪み――
“そこだけが水面のように揺らめく”黒い楕円形の裂け目だったという。
最初に発見した大学生が、その映像をSNSに投稿した。
動画は瞬く間に拡散され、ニュース番組でも取り上げられ、
数日と経たずして「京都の空間の歪み」は世界中で知られることとなった。
最初は誰もがその歪みを眺めるだけだった。
写真を撮り、動画を撮り、好奇心を満たして帰っていくだけ。
だが、人とは好奇心に忠実な生き物だ。
触れてはいけないとわかっていても、
「試しに触れてみよう」という衝動を抑えきれない者は必ず出てくる。
最初にその”歪み”に触れたのは、とあるインディー系のゲーム実況配信者だった。
彼はスマートフォンのカメラを自撮り棒で構えながら、震える声で言った。
「……触るぞ、触っちまうぞ!」
その瞬間、配信画面の彼はその場から消えた。
突然の出来事にコメント欄は大荒れになった。
だが、その数分後――
「お、おい、これ映ってるのか? ここ、どこだ……?」
再び配信が始まった。
画面の向こうには、見たこともない赤黒い空が広がり、
ゴロゴロと雷鳴のような音が響く荒野が広がっていた。
その中央に、震える声で配信者が立っていたのだ。
「え? なんだここ……おい、マジでどこだよこれ……」
視聴者は興奮し、彼にあれこれと指示を飛ばし、応援し、
笑いながらスクリーンショットを撮り続けた。
だが、その配信はわずか数分で終わった。
画面の奥からナニカがやってきたのだ。
黒い霧のようなものが地面から這い上がり、
無数の赤い目玉のようなものが蠢き、
次の瞬間、彼の身体は黒い棘のようなもので貫かれた。
配信者の絶叫と、血の噴き出す音がマイクに乗った。
そして配信は途切れた。
それが、世界で最初にダンジョンの内部映像が配信された瞬間だった。
各国の政府はすぐさま”歪み”周辺の立入を禁止した。
軍が警備し、科学者が調査を始め、歪みの封鎖が試みられた。
だが、その程度で人類の好奇心は止まらない。
「死ぬかもしれない」が「攻略できるかもしれない」に変わるのに、時間はかからなかった。
誰かが「ダンジョン完全攻略配信」を宣言し、
勇気ある者――いや、蛮勇と履き違えた馬鹿者たちが、
次々と配信を繋ぎながら”歪み”へ特攻した。
ある者は数秒で命を落とし、
ある者は数日間生き延びて戻れぬまま配信を続け、
ある者はダンジョン内で新しい仲間と出会い、
またある者は“ナニカ”と取引をして自分の姿を失った。
それでも、視聴者は減らなかった。
生き延びる者ほどスーパースターとなり、
死ぬ者はエンターテインメントとなった。
そして、その中の一人――
「ダンジョン完全攻略するまでやめれまTEN☆」
そんなふざけたタイトルで配信を続けている、世界最長のダンジョン配信者がいる。
彼はまだダンジョンの奥へと進み続けている。
外の世界は彼を“勇者”と呼ぶが、
ダンジョンの中では、その呼び名に意味はない。
なぜなら、ダンジョンは今日も彼を殺そうとしてくるからだ。
だが、彼は今日も配信を切らずに、ただ言うのだ。
「僕、このダンジョンを踏破するんだ!」
それはもはや、幼い子供の夢などではなかった。
世界でただ一人、配信が切れない呪いを抱えた男の――
血と涙と笑いに満ちた、終わらない冒険の始まりだった。
――――――――――
――《抜刀 神速》
その技を使った瞬間、目の前のボス――ダンジョン1000層のボスの首が、ずるりと落ちた。
「やっと...1000層攻略達成かぁ」
:まじかよ
:やりとげたな
:これで配信終了?
:たしかダンジョン完全攻略で配信終了できるんだよな
流れるコメントを流し見ながら、僕は思考する。
――いつになったら僕は、この配信を終えることができるのか。
僕が「ダンジョン完全攻略するまでやめれまTEN☆」といったふざけたタイトルの配信を始めて早10年。
かれこれ365日×10...つまり3650日も休まずにダンジョン攻略を続けているものの、いまだにこのダンジョンの先には終わりが見えない。
最初は、僕もこの1000層でダンジョン完全攻略なのではないかという淡い希望を抱いていた。
だけど――
「――これ、まだ先があるよねぇ」
僕の前に広がるのは、階層ボスを倒した後に出てくる次の層への転送陣。
地上へ続くのでは?という微かな希望をもとに自身の魔術で行き先を解析してもただただ次の層へとつながりますという悲しき現実をつきつけてくる転送陣が、そこにはあった。
:いやはや、いつこの配信は終わるんだろうね?
:ニュースにもなってるぞ、にゃんこ放送協会がテレビでやってる
:記念すべき1000層攻略なのか、嘆くべき深層の発見なのか
:少なくとも世紀の偉業なのは間違いない
高速で流れるコメント欄。
最初の頃は流れの速さに僕の動体視力じゃ追いつかなかったけれど、今ではダンジョンでふんだんにレベルアップし片目をつぶってでも全て読めるようになっていた。
――だからこその、驚き。
「え、なに?僕テレビにでてるの?ニュースになってるの??」
僕が地上にいた時代ではありえなかったこの状況。
一介の配信者がテレビに出るなど、あの無駄にプライドの高い放映陣が許すとは思えない。
僕のいたときのテレビといえば、いつもはげたおっさんが政治についてどや顔で語るかネットでの有名人叩きばっかしていたのだから。
:でてるぞ
:ふっつうにでてる。なんなら毎朝のニュースでお前の攻略状況解説してる
:いまじゃお前のこと知らない国民なんていないんじゃない?
:昔のマスコミでは考えられない状況だよね
「えぇ...革命でも起きたの?」
視聴者と雑談をかわしつつも、階層ボスの死体を分解を始める。
まるで触手がいっぱいついた化け物みたいな見た目でも、今では僕の立派な食糧だ。
「うっわ、ねばねばしてる。気持ちわるっ」
:うわぁ...でも味はいいんだよな
:見た目にそぐわぬ美味さなんだっけ?嘘だろ、絶対そんなのまずいって
:それをうまいと呼べるお前の精神が僕は不思議でならないよ
:でもマジでうまいって証明されてたよなぁ...
:ま?
「うん、これが割とおいしいんだよね。見た目も触感も最悪だけど、慣れれば癖になる味をしてるんだ。ほら、僕一回外にボスの死体届けたことあったでしょ?」
:あぁ、あったな
:お前のゲテモノ食ってる奴がテレビ出てたやつねww
:いやはや、クセになる味だった
:てかそのゲテモノ地上に転移させた魔術使えば出てこれるんじゃないの?ダンジョンから
「いやぁ、それが無理なんだよね…」
基本、ダンジョンに入った人間、物質というのは外に出ることができない。
まれにダンジョンに入ったときに【帰還】という”スキル”――異能力を取得する人がいる。
出たいならば、その人に付き従うしかないのだ。
――だけど、例外もある。
僕の持つ唯一のスキル、【魔導】は術式を組むことで限りなく”スキル”に近いこと――魔術を無限に使うことができる。
スキルの使い方というものは、スキルを取得したときに自然と理解するものであり、そんなスキルを理解したての僕が最初に作った魔術は誰もが一度は憧れるであろう魔術――【虚空記録層】だった。
効果は簡単。【虚空記録層】の名前示す通り、自身のレベルで閲覧できる限りの知りたいはすべて知ることができるというもの。
さて、それじゃあ問題だ。
この【虚空記録層】と【魔導】を合わせると、何が出来ると思う?
答えは簡単。無限にレベルアップ、そして無限に魔術を創ることができるのだ。
だから僕はそれを使用して外に出ようと思ったわけなのだけど――まぁ、端的に言えば失敗した。
どうやらダンジョンというのはこの世界を管理する『神』よりもさらに上に位置する存在が作ったようで。
さらに【虚空記録層】で確認すると、その上位存在サマは『人は帰還スキル以外ではダンジョンから出ることはできない』といった理まで創っていた。
僕の魔術は世界に干渉することはできても、残念ながらもっと上位の存在の創った理を操作することは流石にできないわけで、まぁ外に出ることはできないのである。
――じゃあ、どうやって僕のご飯を外に出したのか?
答えは簡単。
上位存在が作った理の対象は『人』なので、普通にそれ以外を転送する魔術くらいは作れたわけだ。若干ズルい気はする。
「…はぁ。取り敢えず、次の層に進もうかな」
僕のスキルでも、残念ながらあと何層でダンジョン踏破なのかはわからない。
若干飽きてきたとは言え、まだまだ前人未到の踏破というロマンへの憧れはある。
――故に僕は、次の層へと足を踏み入れるのだった。




