第31話 ママのママとママ 前編
その日は、台風が来ていた。
ゴロゴロと雷が鳴るたびに、徳美ちゃんは「きゃっ」と悲鳴を上げている。
ママが徳美ちゃんになってから、4か月が過ぎた。
「ごめん、お姉ちゃん、ナースさん呼んで」
オレがナースコールを押すと、すぐにナースさんが来て、徳美ちゃんに話しかける。
「今日は調子悪いの?」
「……うん」
ナースさんは車いすを持ってくると、徳美ちゃんを乗せてトイレへ向かった。
その数分後、少し恥ずかしそうにしながら戻ってきた。
これは、雷を怖がっていることとは関係がない。
徳美ちゃんは、長い距離を歩けなくなってしまったのだ。
体調のいい日はゆっくりながらも歩けるのだけど、体調が悪いと一人で歩くのは難しい。
本人もとっくに、病気のことは気付いているはずだ。
だけど、オレは未だに余命のことを話せないでいる。
彼女の今の中身は今4歳児なのに『あと2年も生きられない』という事実は酷すぎて、どうしても言い出せない。
(オレの意気地なし)
ブブブブブブ、と。
ポケットから、キッズケータイのバイブレーションを感じた。
院内だからマナーモードにしているのだ。
画面を見ると、九条からの着信だった。
着信ボタンを押す前に、徳美ちゃんに一言掛ける。
「ごめん。電話」
「翔太お兄ちゃんから?」
「違う。九条のおばさん」
「お仕事?」
「かもしれない。ちょっと待ってて」
「……早く戻ってきてね」
徳美ちゃんは上目遣いで言ってきた。。
雷が怖いけど、お仕事の邪魔をしたくないのだろう。
小動物みたいで、めちゃくちゃかわいらしい。
オレは抱きしめたい気分をグッと抑えて、廊下に出た。
「もしもし」
『徳美にかわって』
出だしからこれだ。
オレは眉をひそめながら、言葉を返す。
「今は無理。雷を怖がっているから」
『え、ナニソレかわいい。動画送って』
「やだよ。オレだけのものだ」
『そんなんじゃ嫌われるよ?』
「毎日ラブラブだから大丈夫ですぅー」
「クソが」
普段と変わらない軽口のたたき合い。
でも、九条の声に違和感を覚えた。
明らかに辛そうな息が混じっている。
最近、九条はずっと調子が悪そうにしていた。
ここ数日の仕事は、他の人に代わってもらっていたほどだ。
代役の人は「ちょっと熱が出ちゃったみたいだから」と言っていたけど、それだけなわけがない。
事情を知らない人にとっては、オレはただの小さい子供だから、色々と配慮されてしまっているのだろう。
「九条、本当に大丈夫か?」
『大丈夫……じゃないかも。徳美の自撮り写真を送ってもらわないと、死ぬ』
何をのたまっているんだ、こいつは。
「思ったよりは元気そうだな」
一拍の間があった。
「なんで、あなたは元気なの」
「元気でいないといけないだけだ。オレが倒れたら、徳美ちゃんの面倒は誰が見てくれる?」
「……確かに、そうだね」
また、一拍の間。
「ねえ、薄々気付いてるんでしょ」
「……命にかかわるのか?」
「それは今後次第。徳美の記憶喪失がショックすぎて仕事しまくって、さらにヤケ酒を飲みまくってたら肝臓がおかしくなってね。まあ、すぐに死ぬことはないけど。食事制限がとにかくつらい」
「……そうか」
はっきりと言われると、かなり心にくるものがある。
心のどこかで、九条みたいにメンタルが図太い人は病気にならない、と思っていたから。
『徳美には言わないでよ』
「言うわけない。でも、早く会いに来ないと忘れられるぞ」
『それは嫌だなぁ。天井に私の顔を貼り付けといてくれない?』
「イヤだ。教育に悪い」
九条はクスクスと笑い出した。
普段のイメージと違って、上品な笑い方だ。
「なんだよ」
「いやー。徳美と同じことを言うなー、って思って」
「今は娘だからな」
「……いいなぁ。私も娘になりたかったなぁ。病気になるタイミングを間違えたかも」
「なんか弱気になってないか?」
電話越しに、息を呑む声が聞こえた。
自覚がなかったのだろうか。
『そうかも』
「珍しいな」
『私も繊細な女なんですけど?』
言い返したかったけど、グッと押さえる。
軽口ばかり叩いても、話が進まない。
「まあ、これ以上は無理するなよ」
『……ありがとう』
九条の声は、いつもより潤っていた。
『あと本題。事故の慰謝料について』
「やっぱりあんまり高くない?」
『まあ、大体は予想通りの結果だけど――』
それから、九条は気怠そうにしながらも説明してくれた。
オレとママを轢いた暴走車の運転手。
彼はちゃんと保険に入っていてくれた。
だからもちろん、慰謝料も治療費ももらえる。だけど、それは事故によるものだけだ。
ママもオレも事故での外傷は、そこまで酷いものじゃなかったから、慰謝料はそこまで高くない。
記憶喪失や幼児退行は、事故の外傷との因果関係を証明できない。
病気が関係している可能性の方が高いかもしれない。
結局、今の入院費までは負担してもらえないとのことだ。
「ありがとう。今はゆっくり休んでくれ」
『あなたも少しは休んで。私みたいにならないように』
「わかってるよ」
通話を切って、一息つく。
すると突然、全身がずっしりと重く感じた。
「……はぁ」
おもわず、ため息が漏れてしまう。
徐々にだけど、状況が悪化してきている。
オレの体も疲れが蓄積されてきていて、限界を感じ始めている。
気絶するように寝て、気が付くように起きる。
そんな毎日だ。
(体が若いから何とかなっているけど)
一度体を壊したらどうなるか、前世で何回も見てきた。
壊れたら、一生元には戻らない。
一度折れた木材を接着剤でくっつけても、すぐに折れてしまったり、ガタガタになってしまうのと一緒だ。
(ほどよく、頑張っていかないとな)
オレは深呼吸をして、肩の力を抜いた。
すると少し気が楽になって、自然と上を向けた。
さて、徳美ちゃんが待っているはずだ。
笑顔を見て、元気をもらおう。
そう思って、振り向こうとした。
その瞬間――
「ねえ、そこのお嬢さん」
「うわ!?」
突然、声を掛けられた。
中老(50代ぐらい)の女性だった。
同じ年くらいの男性が、幽霊のように背後についている。
はじめて会ったはずなのに、何かが引っかかる。
「八箇徳美さんの病室って、ここかな?」
「え、あ、はい。そうですけど」
「ありがとう」
反射的に答えてしまった。
なんで徳美ちゃんのことを知っているのか、どういう関係なのか。
訊くよりも先に、女性はノックもせずに病室のドアを開けてしまった。
もちろん、徳美ちゃんは「なに!?」と驚きの声を上げた。
「……徳美。本物の、徳美」
やっと気づいた。
この女性はママ――徳美ちゃんと似ている。
おそらくは、母親。
ママを束縛して、蛇蝎のごとく嫌われていた母親だ。
「徳美。探したのよ」
『コツン コツン』というハイヒールの足音が、雷よりも大きく聞こえた。
近づけば近づくほど、徳美ちゃんの顔が青くなって、歪んでいく。
オレは走って止めようとしたけど、転んでしまった。
「アタシの娘。かわいいかわいい娘」
しわしわの手が、モチモチの頬へと向かって行き――
触れ合う寸前。
一瞬、世界が真っ白になった。
「いやあああああああああああ!!!!!」
悲痛な叫びがこだますると同時に、雷の轟音が鳴り響いた。
親子の再会にしては、不穏過ぎる。
読んで頂き、ありがとうございます
この親子3代の今後が気になった人は
ブクマ
☆評価
レビュー をよろしくお願いします!
皆さんの評価や応援で、もっと多くの人にこの作品を伝えてもらえると嬉しいです(≧▽≦)
また、誤字脱字があったら報告を頂けると助かりますm(__)m




