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オレの初恋の相手は、ガールズバーのバニーガールだった。
そう打ち明けると、いつも嗤われた。
友人。
育ての親。
一夜しか共にしなかった彼女未満。
みんな「この人はダメ人間だ」と言わんばかりの嘲笑を浮べていた。
わかっている。
ガールズバーはお金を対価に、サービスをしてもらう場所だ。
店員が発する言葉は全部、お客さんを喜ばせて、お金をもらうためのものだ。
理解していても、オレの心はあっさりと射抜かれてしまった。
だけど『この女、オレに気があるんじゃないか?』と勘違いしたわけじゃない。
オレが、彼女に本気で惚れこんでしまったんだ。
彼女は一見小動物のように見えて、強かな女性だった。
小柄で、愛嬌があって、胸も結構大きかった。
一見不相応なバニーガールスーツも堂々と着こなしていたしていたけど、あどけない笑顔が輝いて見えた。
それなのに「それは追加でお酒頼んでもらわないと」とか言ったり、ザルで強い酒をグビグビと飲み干したり――そんなギャップがたまらなかった。
恋心を自覚してからは、猛アタックを繰り返した。
お金はあまりなかったから、あらゆる方法を使って口説き落とそうとした。
花束を贈ったり、サプライズをしたり、歌を歌ったり……。
思いつく限りのアプローチをした。
そうしているうちに、彼女の『嘘を吐くときの癖』が分かるようになった。
彼女が嘘をつくとき必ず『左手で服を掴む』というものだ。
これを見つけたのは、異常な執念の賜物と言っていいだろう。
自分のことながら、本当にキモチワルイ。
それからは、ひたすらトライ&エラーだった。
彼女は何をしても喜んでくれたけど、嘘の反応が含まれていた。
その中でも嘘の反応を見抜いて、本当に喜んでいることを見つけていった。
そうして2年近く通い詰めて、ようやく告白をオーケーしてもらえた。
それからの生活はバラ色だった。
デートしたり、手を繋いだり、キスをしたり、一緒にホテルに泊まったり……。
思いつく限りのイチャイチャ行為をしていた。
それでも、最終的にフラれてしまった。
クリスマスの夜に。
(ああ、会いたいなぁ)
彼女の顔が次々とフラッシュバックしていく。
姿が通り過ぎるたび、切なくなっていく。
同時にふと、疑問に思う。
(なんで、こんなことを思い出しているんだろう)
ゆっくりと瞼を開ける。
すると、青空が広がっていた。
雲一つない、とても清々しい空だ。
つまりオレは今、外で寝ころんでいる。
背中から感じる硬さからして、草原や木材の上ではない。
もっと固くて冷たくて、ゴツゴツしている。
おそらくはアスファルトの上だ。
(ん? なんで?)
自分の周りに生暖かくてドロッとした液体が広がっている。
肌にへばりついてきて、すごく気持ちが悪い。
さっさと立ち上がって、家に帰って、シャワーを浴びたい。
(……あれ?)
上体を起こそうとしたけど、全く動かない。
それどころか、指の一本もピクリとしない。
しかも、耳までおかしくなっている。
まるでプールの中に入っているみたいに、音がくぐもって聞こえるのだ。
「キュウキュウシャ! キュウキュウシャ!」
かろうじて、声が聞き取れた。
とても慌てていて、周囲が騒然としている。
何か事件とか事故があったのだろう。
次に気付いたのは、お腹の違和感だった。
誰かに強く押さえつけられている。
それと同時に、ドクドク、とお腹から液体が流れ出ている。
「ごほっ」
無意識にせき込むと、口と鼻から変な液体が出た。
舌にもべったりと、ソースのようなものが纏わりついている。
この味も匂いも知っている。
血だ。
オレは血の海に浸かって、血を吐いている。
ようやく状況を把握できたことで、記憶が蘇ってくる。
(そうだ。刺されたんだった)
コンビニに行く途中で、突然刺された。
犯人の顔もわからない。
マスクとサングラスをしていたし、最早犯人のことなんてどうでもいい。
ようやく、バニーガールの彼女のことを思い出した理由がわかった。
走馬灯だ。
死ぬ間際になって、彼女のことを思い出したんだ。
そう考えると、彼女にフラれたことさえも良い思い出のように感じられた。
(あ、もうダメだな……)
意識が徐々に遠のいていく。
瞼を閉じていないのに、目の前が真っ暗に染まっていく。
とても寒い。
体がみるみる冷たくなっていくのが分かる。
冷めていく使い捨てカイロは、いつもこんな気持ちなのだろうか。
ふと、暗闇の中に明かりが見えた。
クリスマスツリーと、キレイなイルミネーションの数々。
ビンタの音。
噴水に転び落ちる、情けない自分。
何もかもが懐かしい。3年近く前の話なのに、もっと昔のことのように感じられる。
というか、3年間も元カノ引きずっているなんて、ヤベーな、オレ。
あの時は、本当に寒かった。
寒空の中、冷たい水をたっぷり吸ったアウターを着たまま帰るハメになった。
本当に寒くて、惨めな想いをした。
だけど、今はもっと寒い。
徐々に、失っていく。
命も。
思い出も。
何もかもが、血に混じって流れていく。
だけど、不思議と気分は穏やかだった。
怖くないわけじゃない。
恐怖以上に清々しいんだ。
きっと、死が怖い、なんて言える人は恵まれている。
それだけ『生』が希望に満ち溢れていたのだから。
ふと、目の前に天秤が現れた。
片方には、ブラック企業に疲弊し続ける生活が乗っている。
もう片方には、死後の世界で実の両親と笑顔で暮らす生活が乗っている。
天秤は徐々に傾いていく。
死後の世界へと。
ただただ辛いだけの『生』の世界よりも、好きな両親がいる死後の世界の方が、よっぽど魅力的だ。
(オレはもう、諦めちゃったよ)
執着するだけのものが何もない。
逆に、死んだ後の世界の方が魅力的に感じる。
生きている時は、それがとてもつらかった。
自分には何もない。
味気ない生活。
ただ飯を食べてクソを垂らしていた。
自分で自分を褒めることなんてできなくて、ほとんどがふさぎ込んでいるだけの人生だった。
でも死ぬ直前になって、それがとっても心地いい。
解放感が途轍もなくて、清々しい。
……嘘だ。
一つだけ、心残りがある。
(ああ、最期に一度だけ、彼女に会いたかったな……)
ガタン、と。音が響いた気がした。
何の音だろうか。
気になるけど、もう何も見えない。何も考えられない。
意識が、完全に沈んでいく。
(さようなら)
沈んでいるのか、浮いているのか。
溶けていくのか、砕けていくのか。
不思議な感覚に包まれながら。
オレの体は、空っぽになっていった。
「おー。よちよちよちよち」
声が聞こえた。
若い女性の、とても弾んだ声だ。
目を開けた瞬間、女性の顔が視界いっぱいに映り込んできた。
だけど、
(なんで、ウサミミ……?)
小首を傾げようとしたけど、妙に首がガクガクしている。
なぜだか、首がすわっていない。
咄嗟に手を持ち上げようとすると、プニプニした手が視界に入る。
まるで赤ちゃんみたいな指だ。
オレが指を動かそうとすると、その指も同じように動いている。
気が動転して、思わず声が出てしまう。
「んぁー」
とても甲高い声が出た。
確実に、自分の口から。
しかも舌がうまく動かなくて、うまく言葉を紡げない。
どうして。
何が起きた?
オレはどうなっているんだ?
疑問がグルグルと回っていき、不安で胸がいっぱいになっていく。
限界に達して、ほとんど無意識に涙があふれ出てしまう。
「おぎゃああああああああああ!!!」
「どうしたの!?」
泣きわめくと、女性が吹っ飛んできた。
そして、オレの体を抱き上げて、ヒョイッと持ち上げてしまった。
それでようやく、自分の小ささを自覚した。
やっと答えが見えてきた。
今、オレは何になっているのか。
だけど、その結論はあまりにも衝撃的で、信じがたいものだった。
(そういうのって、アリばぶ……?)
そう。
死んだはずの28歳ブラック企業勤めのオレは、珠のような赤ちゃんに生まれ変わっていたのだ。
読んで頂き、ありがとうございます!
第一話は5/31 20:10に公開予定です
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また、明日以降の更新は【毎週金曜日】に5話ぐらい投稿する予定です