黒龍の棲む左腕
この世に創造主たる者がいたとして、その創造主もまた誰がつくりだしたのだろうか。宮路飛鳥は俗にいう『霊感』なるものをたずさえた時から、ふとこう考えることが多かった。
あれは五歳の頃だっただろうか。
友達の佳代子ちゃんと公園で遊ぶ約束をしていて、玄関の扉を開けた。
確かあの時はどんよりとした雲が広がっていた。今にも雨が降りそうな天気にも関わらず傘を持つこともなく門に手を掛けると、
「ドコニ……イクノ」
か細く、それでいて重暗い声だった。
「え?」反射的に振り向くとそこには、玄関の前に立つ一人の女の人がいた。
白いワンピースで、病を患っているような蒼白い両腕は骨が浮き出ており、腰まで掛かった黒髪は顔までもを隠していた。
「ドコニ、イクノ」
今度は少し先ほどよりも早く寂しそうな声だった。
「こうえんだよ……」
子供ながらに今目の前にいる人物が異常なことはすぐに理解できた。
答えなければ良いものを、当時の自分には正しい判断などできなかった。
「コロ、サレタイ……ノ?」
全身にまとわりつくような悪寒が疾りまわり、飛鳥は門を開けると全力で逃げた。足がちぎれそうになほど持てる力全てを出した。
それが霊だと言うことを知り教えてくれたのは、佳代子ちゃんの家まで迎えにきてくれた母からだった。
それを機に飛鳥は他の人が認識できないものを認識できるようになった。いやなってしまったのか。
時には、人ではない黒い塊の小さなものまでいた。動く鉱石とでも言えば良いのか、自分の肩に乗ってじっとしていたり、急にどこかに向かって進み出したり、よくわからないものだった。
母にそのことを伝えると「飛鳥、あんたあれも視えるの?」、と口と目を大きく開けて驚いていたのをよく覚えている。
今こうして当時のことを思い出すのは、目の前に広がる光景がそうさせるのだろう。
「全然覚めないな。この夢は」
よく透き通る声で飛鳥は小さくつぶやいた。
それにしてもなんて綺麗で神秘的なのだろうか。
小さな深緑の葉を無数に茂らせた、あまりにも巨大な樹。
地面は光が浮きでるように輝いており、その巨樹に力を与え続けているかのようだ。
「どうやったらいけるんだろう」
飛鳥は立ちあがり周囲を見渡した。今自分がいるところは崖の丘にも似たところで、一歩でも足を踏み外せば即座に底の見えない谷底いきだ。
巨樹とその光る大地の周りは削ぎ落とされたように何もなく、まるで宙に浮いているかのようだ。故にあそこに辿り着く方法が見る限りはない。
変な夢だと思いながら頬にあたる心地の良い風を感じていると、
「ワォオオオオオオン」
逞しい狼のような遠吠えがあたりに鳴り響く。
それは雲のように白く霞んで見えない下へと続く道から聞こえているようだった。気づけば乾いた土の道を素足のまま歩きはじめていた。
白く霞んだ視界で足を踏み外さぬよう飛鳥は慎重に歩を進めた。
夢とは言え落ちるのはごめんだ。
でも落ちたらこの夢から覚めるのだろうか。
霞の先を抜けるると飛鳥は「やっぱり狼だったか」
自分の少し先、大きな岩の上に白い狼が綺麗な佇まいで座っている。
飛鳥はその狼としばらくのあいだ目を合わせていると、急に岩から飛び降りてこちらに向かって歩いてきた。
煌びやかな毛並みを纏った狼が手の届く位置までやってくると飛鳥は言った。
「君はどこからきたの?」
言葉が分かるのか狼は左の方向へと顔を向け、その先には巨樹があった。
「あの大きな樹のところに住んでるの?」
優しい声で問うと「ワフッ」と犬にも似たような声でひと鳴きする。
「そうなんだ」
飛鳥が微笑むと、狼は反転してスタスタと歩き始める。
その後ろ姿を見ていると彼は立ちどまり顔だけをこちらへ向けてくる。
着いてこい、雰囲気で伝わるものがあり飛鳥は狼の後ろを着いていく。
なぜだか初めて会った気がしない。
昔飼っていた柴犬のリアを思い出すから? いや違う。よくわからないが懐かしい感覚を覚えてしまう。
しばらく歩くと長い尻尾を大きく一振りしてから狼は巨樹の方を向いて座った。飛鳥はその目線に合わせるようしゃがみ込み透き通る声で、
「なるほど。ここから行くんだね」
透明に連なる道が遠く巨樹にまで延びており、おそらく霊感を持つものだからこそ視えるのだろう。そこにあるはずもないし見えないのだが、確かにそこに存在していて視える。現実でもこういったものをみたことがある。
大人が二人並んで歩いていけれるほどの幅、その左端から狼は前足を踏み入れようとした瞬間、奇異な音が辺りに響いた。
「ア……マ、マ…ニ」
狼もそれに気付いたのだろう、踏み入れ掛けた足を戻し顔を四方へと向けていく。
「ニ、ニ……ト……」
何かを喋っている、だが言葉というよりも不快な音と表現する方がいいのか。
狼が牙を剥き出し毛を逆立たせ唸りだす。
どこからともなく聞こえてくる音と唸り声に、飛鳥の心臓が高鳴っていく。
嫌な予感がする。額の中心が痛い、またこれか。
「ヒ、ダ……」
背面全体、内臓をも凍らせるような冷気が体を駆け巡る。
後ろ、後ろにいる。それは刹那の出来事で、飛鳥は瞬時に振り返り身を構えた。




