雪葬 〜 幼さゆえの純粋さ 〜
※動物虐待の描写がありまくります。
特に『柴犬さん』は読まないでくださいm(_ _;)m
冬の寒空にあかるい柴犬の声が響いた。
「フフフ! わきったらはしゃぎすぎー」
朝のまだ足跡の少ない雪の上を、幼女が犬を追いかけて歩いていく。
夏には観光客で賑わう高原も、冬は雪に閉ざされる。
スキー場にはたくさん人も来ているだろう。表通りには大人たちが出て雪掻きをしている。
村の奥まった道路は真っ白な平原のようになっており、あたりは無音だった。雪の積もるままに放置され、元気な子供たちだけがそこを遊び場にしていた。
「おうい! 兎萌!」
遠くから男の子が手を振る。
「あーっ! たっくんだ!」
女の子が駆け寄ると、柴犬もあとを嬉しそうについていった。
兎萌は五歳。辰已は同じ幼稚園のお友達である。
雪の積もっていない木の根本を辰已は小さなスコップで掘り返していた。
「何してんの、たっくん?」
「見ろよ、これ」
兎萌と柴犬が並んで覗き込む。そこにはたくさんのダンゴムシが掘り当てられていた。
「やー! ムシさん、汚いよー」
声をあげた兎萌に同意するように柴犬が吠える。
「冬眠してたんだぜ、これ」
辰已はてのひらの上に丸まったそれを乗せ、得意そうに見せた。
「どう? きもちわるい?」
兎萌は目をそらしたらそれが襲いかかってくるのを怖がるように、眉間にしわを寄せながら何度もうなずいた。
一応聞いてみる。
「どうするの、それぇ?」
「知ってるか? いきものってカコクな環境に置かれると、進化するんだぜ?」
「シンカー?」
「シンカーじゃないよ、進化。見てろ?」
辰已はスコップで雪に穴を掘ると、その中にダンゴムシを放り込んだ。
その上から雪をまたかけて埋めてしまう。
「あ……。ムシさんが埋められちゃったよ」
「いいんだ、これで。こうやって雪に閉じ込められると、いきものって永遠に生きられるんだぜ」
「えいえん?」
「アラスカってとこにはさ、氷漬けのマンモスがいるんだ。マンモスって知ってるか?」
「ぞうさん! マンガで見たよ?」
「あれは大昔のいきものだろ? でも、氷の中に入るとさ、ずっと生きてるんだ。お湯をかけたら数万年の時を越えて復活するんだぜ」
「シンカもするの?」
「そう、氷の中で進化してる。羽根が背中に生えて、空を飛べるようになる」
「すごーい! ダンボみたい」
「だからさ。今埋めたダンゴムシも、きっと雪の中で進化する。明日またここに来いよ。どんなダンゴムシに進化してるか楽しみだ」
柴犬が小馬鹿にするように笑いながら吠えた。
「びっくりした! ところでお前んちの犬、なんで『わき』って名前なの?」
聞かれて兎萌は面白そうに笑う。
「わきはね、わきが臭いんだよ。だから、わき!」
「意味わかんねえぇー!」
笑いながら辰已がダンゴムシを一匹拾い、わきに差し出した。
「食うか?」
「食べないよー、そんなもん!」
兎萌が守るようにわきを後ろに隠す。
「きもちわるい! やめて!」
「きもちわるい? ダンゴムシって、人間なんだぞ?」
「ダンゴムシって人間なの?」
「だってほら、毛が生えてないだろ? 今、おれがダンゴムシを捕まえてるこれって、巨大な宇宙人が人間を捕まえてるようなもんなんだぜ」
「じゃあ、宇宙人に捕まっても、人間はかわいがってもらえないね」
「きもちわるいからな。かわいがられてペットにされるなら熊やゴリラだな。あいつらもふもふしてるから」
「宇宙人に捕まりたくない!」
「進化すればいいんだ。人間も進化すればきっとかっこよく……いや、かわいくなれる!」
「かわいくなるの? じゃ、シンカしたい!」
「おれも進化したいよ」
「一緒にしようよ!」
兎萌は家に帰ると、パパと、ママと、お兄ちゃんと、おじいちゃんと、おばあちゃんと、ひいばあちゃんにシンカの話をした。
「進化ってのは何万年もかけてするものなんだぞ〜」
パパが夕食の湯豆腐を掬いながら、笑った。
「一晩で進化する生き物なんていないんだぞぉ〜」
「するもん!」
お椀にとった湯豆腐をママに冷ましてもらいながら、兎萌はパパに手をあげる。
「ともえは進化して、かわいいうさぎさん人間になるんだもん! パパのバカ!」
「子供の夢を壊しちゃいけないよう」
ひいばあちゃんが兎萌の味方をした。
「そうだねぇ、ともちゃん。ともちゃんは進化して、うさぎさん人間になるんだねぇ」
「たっくんはシンカしたら何になるの?」
「そうだねぇ。名前が辰已だから、ドラゴンになるのかねぇ」
「うわ! かっこい!」
「ママ……」
隣のリビングから、兄がそれを手に抱いて、持ってきた。
「……死んでた」
次の日、兎萌は約束の木の根本に走っていった。
柴犬が喜んで吠えながら追いかける。
「たっくん!」
手を振って、大声で辰已の名を呼んだ。
「シンカしてた?」
「遅いよ。何してた?」
辰已は少し不機嫌そうだった。
「ずっと待ってたんだぞ、寒い中。一緒に見ようと思って」
早速、目印に木の枝を立てておいたところの雪を、辰已がスコップで掘り始める。
しかし小さなダンゴムシはどこに行ったかわからなくなってしまっていた。
「きっともう進化して、空を飛んで逃げてっちゃったんだよ」
残念そうにしながら、辰已は自分に言い聞かせるように、言った。
「ところでなんで遅かったの?」
「うちの文鳥が死んじゃったの。お庭にお墓を作って土の中に埋めたんだけど、土の中でシンカする?」
「しない。言ったろ? マンモスは氷の中だから永遠に生きるんだ。土に埋めたら腐っちゃうよ」
「雪に埋めたら、する?」
「するよ。進化する」
「だろうと思って……。よかった」
兎萌はそう言うと、ジャパーの中からティッシュに包んだものを取り出した。
「ぶんちゃん、連れて来たの。お墓から出して。それで遅くなっちゃった。ごめんね」
わきが兎萌の持つそれの匂いを嗅ぎ、少し不安そうな表情をした。
「おお、埋めよう」
辰已が張り切る。
「明日になったらきっと生き返って、進化してるぞ」
「ほんと!?」
「ああ。任せろ」
辰已が雪に穴を掘ると、兎萌がその中にそっとそれを埋め、場所がわかるように二人でその上に小さな雪だるまを作った。
雪だるまには木の皮でくちばしをつけ、枝で羽根をつけ、小さな松ぼっくりで目を入れた。
「うふふ! ぶんちゃん、また明日ね」
次の日、文鳥を埋めた場所へ行くと、二人は信じられないものを見た。
上に作っておいた雪だるまが倒れ、雪に穴が空き、中の文鳥がいなくなっていた。
周囲にうっすらと猫の足跡があったが、降り積もった雪が大方を隠していたので、二人は気づかなかった。
「シンカしたんだ……!」
「飛んで行ったんだよ……!」
顔を見合わせ、二人はぱあっと笑った。
「じゃんじゃん色んなものを進化させようぜ!」
「うん! あたしたち神様になったみたい!」
わきは二人が何を嬉しがっているのかわからないような表情で、首を傾げている。
雪が冷たいのか、左前脚を上にあげていた。
「寒いの? わき」
「進化したら寒くなくなるよ」
「シンカさせる? わきを?」
「やってみようぜ。コイツ、きっとすごいのに進化する」
お散歩用のリードの紐を、辰已がわきの首に巻きつけた。
犬が不安そうに目をきょろきょろとさせる。
「そっち持って」
辰已が兎萌に紐の片方を渡す。
「一緒に『せーの』で引っ張るぞ?」
「わき、死んじゃうよ?」
「大丈夫。進化するんだから」
「でも……、かわいそう」
「進化したら雪でも寒くないかわいそうじゃない生き物になるんだ。ほらっ」
「そっか……! かわいそうじゃないんだね?」
「いいことしてあげるんだよ、わきに、さ」
「うん。じゃ、やろう!」
「よーし、体重全部乗せて引っ張れよ? せー……のっ!」
紐が強く、固く、両側から引っ張られた。
巨大な魚が暴れるような手応えがあったが、兎萌は手を離さなかった。
「わきーっ」
無邪気な幼女の声が空に響いた。
「わ、わきーっ! わきーっ!」
地上には獣の断末魔が響いていた。
「あれ……? わきは?」
犬小屋にいないのを見つけ、朝、兄が庭で声をあげた。
「昨日の夕方、兎萌が散歩に連れてってたわよね?」
ママが首を傾げる。
「おーい、兎萌。わきをどこなった?」
パパが姿を探す。
兎萌はこっそりと家を飛び出していった。
「たっくん!」
辰已の姿を雪原に見つけると、駆け寄った。
「わきは!?」
辰已は立ち尽くしたようにそこにいた。
やって来た兎萌を見ると、なぜだかすまなさそうに俯いた。
雪に突き立った目印の木の枝と、それに括りつけられた首輪とリードが、寒風に音もなく揺れていた。
「わき、シンカした?」
息を切らして兎萌は聞いた。
「羽根、はえた? スーパーきゅうじょけんのセントバーナーみたいなった?」
「おれ……さ」
辰已は俯いたまま、言った。
「色んな動物、進化させようと思って……ここらに埋めてるんだよね」
「パパもママもわきを探してるよ! 早くシンカさせたの連れて帰らないと……!」
「ねえちゃんがさ……言ったんだ」
辰已はさらに俯いた。
「文鳥は猫が掘り返したんだろうって……。それで、さ」
「そんなのいいから! わきは?」
「あれ……間違ってたんだよ」
辰已は顔を上げると、すぐにまた深くその頭を下げた。
「ねえちゃんとネットで調べたら、そんなことはないんだって。ダンゴムシも、ゴキブリも、文鳥も、ねこも、犬も、うちで飼ってたフェレットも、生き返らなかった。みんな進化しなかったんだよ! おれ、ただ殺してただけだった! ごめん! わきは進化しない! ごめん!」
「そんなわけないよ〜」
兎萌は、笑った。
「シンカするんでしょ? すごい犬になって、生き返るんでしょ?」
「ごめん!」
頭を下げる辰已の、そのつむじを見ながら、憎らしくなった。
急にシンカを信じなくなった辰已のことが許せないほどに、憎らしくなった。
辰已の横で雪に刺さっているスコップの先はプラスチック製ではなく、金属製だった。
兎萌はそれを抜くと、振り上げた。
「わあっ!? ごめんて!」
普段なら、それを振り上げるだけで終わっていた。
わきの首を締めた時の、紐を伝わる脈動と、それが止まる瞬間の手応えを、手が覚えていた。
思い切り、幼女の精一杯の力で、それを振り下ろした。
目は閉じていた。防寒の耳あてをしていたが、耳は屠殺される犬のような声を聞いた。
「わきはシンカするもん!」
泣き叫ぶような声をあげながら、何度も、何度もスコップを振り上げては、振り下ろした。
「たっくんもシンカするもん! 立派なドラゴンにしてあげるもん!」
夏祭りの夜店で掬った水ヨーヨーの感触を思い出していた。
水ではなく、血と内蔵がパンパンに詰まったヨーヨーを叩いているような感触が、幼いその両手に伝わっていた。
「あたしもシンカして、かわいいかわいいうさぎさん人間になるんだもん」
わきを埋めたすぐ近くに、兎萌はおおきな肉ヨーヨーを埋めた。
その隣に自分も寝転び、布団をかぶるように雪をかけると、うっとりと微笑んだ。
「うさぎさん人間のお姫様になるんだもん」