第2話 トリニティの庭
「さらに減速。デブリ回避モードへ移行します」
「わかった。任せる」
船首のスラスターから青白い炎が断続的に噴き出す。
白竜は航路を微調整しながらケレス特異点へと向かっていく。
左舷に大きなデブリが表示された。
大きな、というよりは大型の貨物船が原型をとどめて彷徨っていた。
「あれ、生存者はいないのよね」
「救難信号は出ていない。アルテミス。記録は照合できるか?」
「船籍は木星連合。船名はラ・フラガです。12年前に機能喪失し、乗員は脱出艇にて離脱したとあります」
「丸ごとそのまんまじゃねえか。積み荷もだろ?」
「記録では……積み荷は雑貨とありますね。鉱石を運搬した帰りだったのでしょう」
「キョウ。余計な詮索はしない。アレを回収してもたいして儲からない」
「回収費用の方が高いってか」
「そうね」
白竜が貨物船ラ・フラガの横を通り過ぎていく。
船体に破損個所は見られず、すぐにでも使用できそうな状態であった。
「でも、何があったのかな?」
「記録では全機能喪失となっております。すべての機能が突然ブラックアウトしたのでしょうか。考えられませんが」
AIのアルテミスが模範的な回答をする。
宇宙船は不慮の事故や故障に対して何重もの安全機能が備えてある。
つまり、メイン機能を喪失してもサブシステムが立ち上がるようになっているからだ。
その時突然メインモニターがブラックアウトした。そしてスピーカーからは景気の良い軍艦マーチが流れ始めた。
そしてありえない映像が映し出される。
そこには顔面を派手な色で塗りたくっているピエロと、もふもふの毛皮をまとった獣人が手を振っていた。ピエロは男性、獣人は女性だった。獣人の毛色はピンクでどうやらキツネ型のようであった。
「はあーい。トリニティの庭へようこそ!」
ピエロが笑顔で叫ぶ。
そしてピンク色のもふもふも笑顔で挨拶をした。
「こんにちは、落ち目の大企業のお嬢様と落ち目のF1ポッドレーサーさん。いらっしゃいませでございます」
キョウは操縦桿やパネルを操作する。しかし、白竜は何の反応も示さない。
「だめだ。乗っ取られた」
「本当か。スタンドアローンにしていなかったのか」
「していたさ。しかし、当然だが最低限の索敵機能は残してある。そこから侵入されたとしか考えられない」
「そんな事が可能なのか」
「それしか考えられないよ。くそう。手動のコントロールすら奪われている。どうなってるんだ」
ピエロとピンク色のもふもふは笑顔でダンスを踊り、そして立ち止まって一礼した。
「貴方の船のコントロールは全て掌握しています」
派手なパントマイムを披露しながらピエロが宣言する。
「逃げようなんて無駄だからね」
セクシーな胸と腰を揺らしながらもふもふが念を押す。
「では自己紹介いたしましょう。私はトリニティ。この宙域の主でございます」
「私はビアンカ。バストは84のCカップよ。人間の恋人募集中で~す♡」
何かのショーのオープニングのようだった。笑顔を絶やさないピエロが両手を振りながら花びらをまき散らす。
するとそこに大きなチェス盤と大きな駒が現れた。駒の一つ一つが人と同じくらいの大きさであり、それぞれの駒を象徴する兵士の彫刻だった。
ポーンは帯剣し大型の盾を構える重装兵。
ルークは長槍歩兵。
ビショップは弓兵。
ナイトは騎兵。
王冠を被り二本の剣を携えるキング。そして足がないクイーンは宙に漂い、その両掌に雷をまとっていた。
白は大理石。黒は青銅。
見た目はそのような素材であろうと推測されるのだが、その彫刻は生きているかの如く体を揺らし、剣を振っているではないか。
今から彼らの遊びに付き合わされる。これがケレス特異点の正体、あいつらの言っているトリニティの庭の正体なのだろう。
林檎は躊躇せず救助信号を発信した。並列になっている操縦席の間に設置されている赤い大きなボタン。それをガツンと叩いたのだ。
トリニティのコントロール下にあった白竜だが、その救助信号は発せられた。船内の赤いランプが点滅をはじめ、アラーム信号が鳴り響いた。
しかしその瞬間、林檎とキョウはポッドレーサー白竜から別の場所へと転送されていた。そこはピエロともふもふのいる空間であり、今まさにチェスの試合が始まろうとしているその現場であった。
「さあさあそちらのお二人。お名前は存じておりますよ。林檎さんとキョウさんですね。本日はこの余興に参加していただき大変感謝しております」
恭しく礼をするピエロ。そしてピンク色のもふもふも礼をしてから話始めた。
「今日のお題はチェスです! ルールは知ってる?」
「私たちと勝負していただきます。賭ける物は貴方の船。もしくはあなた方の命」
ピエロが続ける。
奴らの遊びに強制的に付き合わされるのだ。
「私が勝てばどうするんだ。お前の命をもらうぞ」
恫喝するように林檎が答えた。
「それも一興。私も一度は死んでみたいのです」
「こいつ殺しても死なないんだよな。そんな無駄なことするよりはここの資産をお持ち帰りする方が得だよ」
「そうですね。ここには貴金属や宝石類、希少な放射性物質など総額100億ドル相当の資産がありますから、その中からお好きなだけお持ち帰りしていただくのはどうでしょうか」
ピエロともふもふが笑いながら条件を提示してきた。怪しさ満点であるが、この話に乗らない事には何も進展しない。
そう考えた林檎は彼らの条件に乗ることにした。
「私たちが負けた時はポッドレーサー白竜をやる。そうすれば私たちは帰ることができなくなるのだが、その場合生活は保障してくれるんだろうな」
「ご心配なく。一生、皿洗いと便所掃除をしていただきますけれども衣食住は保証しますよ」
「分かった。では私たちが勝った場合は」
「財ほ……ムグ」
「貴様の命をもらう」
キョウの口を塞ぎつつピエロの方を指さして宣言する林檎だった。