さらされるぽんぽこ
「神樹の種の回収、ご苦労様だった」
この建物は、妙な匂いで満ちています。
奇妙に一定性を感じるそれは、ナワバリの主張でしょうか。
私たちで言う葉っぱを乗せる場所に、やたらと長い布の筒を乗せた人間っぽいのが、ちくヒゲたちに向かって話しかけています。
今まで私の世話をしていた人間たちよりも耳がとんがっていますが、そういう個性なのでしょうか?
たまに森で見た野猫なんかは、いろいろ柄がありましたものね。
全足の肉球よりも多い数の人間を見たのに、耳が長いやつは初めて見ました。
猫でいえば、三毛猫くらいの珍しさなのかもしれません。
「貴方がたの献身に、天聖もお喜びになるだろう」
「神官長さん、別に俺たちは神様のためにやったんじゃない。このままだと世界が滅びるっておたくらがいきなり騒いだから、古き盟約に従ってこうして力を貸しているだけだ」
「近代種には、まだ神の気配は遠いようだ。種を見つけたことは事実だ、感謝を」
耳長が前足を合わせて、軽くおでこの前にあげました。
なんでしょう、ニョキる木を表現しているのでしょうか。
ちくヒゲに抱えられた状態で暇だったので、私も前足で真似をしてみました。
おぉ、あごの下までしか届かない。
耳長は、足も長いのですね。
「……気になっていたのだが、その生き物は一体?」
「は、森での調査中に見つけたのですが、天聖の眼を通しても分からないのです」
ちくヒゲの隣に立っていたヒョロ人間が、緊張した面持ちで話し始めます。
ううむ、わかってきましたよ。
ヒョロ人間は、耳長の子供か何かなんでしょう。
そんな上下関係を感じます。
「啓示が降らなかっただと……、失礼」
真剣な面持ちで、耳長が目を瞑ります。
その瞬間、覚えのある気持ち悪い視線が全身を巡りました。
今度はもっと深く、尻子玉の奥の奥まで見通さんばかり。
もー!
「うぉっ、暴れ出した」
「ちゃーちゃん、嫌いっぽいもんねこれ」
赤毛!わかってるなら止めて!
ちくヒゲに抱えられたままじたばたとやっておりましたが、結局逃げることは叶いませんでした。
どうしてこの人間は、ぼーっとしてるくせに力強いのでしょうか。
まったくもって気に入りません。
胴に巻きつく不愉快な紐が外れたら、こいつの枕元にうんこしてから逃げるといたしましょう。
「……これは」
「神官長、なにか分かりましたか」
「災厄の獣……え、これが……?」
耳の悪い人間どもにははっきりと聞こえない声量でしたが、私はばっちり聞きました。
耳長がなにやら失礼なことを言いながら、非常に動揺しているのを。
「神官長?」
ちくヒゲが、様子のおかしい耳長に声をかけます。
耳長はしばらくの間黙りこくっておりましたが、意を決したようにちくヒゲに視線を返しました。
「その生き物、随分と大人しいようだが」
「大人しいと言うか、ちょっと間が抜けてるというか」
「脅威は感じない、と」
ちくヒゲが頷くのをみて、またも黙りこくる耳長。
なんでしょうか、この人間はいちいち考える時間を挟まないと喋れないのでしょうか。
「……こちらへ。ああ、その生き物はしっかりと抱いておきたまえ」
ちくヒゲのごんぶとの前足が、ぎゅっと私を抱え込みます。
気に入らなかったので暴れてみましたが、全然効果がありませんでした。
宥めるようにちくヒゲの手が首のあたりを撫でたので、噛んでおきます。
背後で小さく呻く声が聞こえましたけれど、知ったことではありません。
血が出るほどは噛んでいないので、これは教育的指導というやつです。
薄暗い建物の中をしばし進み、細い道をいくつか曲がった頃。
極端に人間の気配が薄い場所に、私たちは案内されたようでした。
突き当りにあった小さな扉を、耳長ががちゃがちゃと音を立てて開けています。
なんだか今まで見たものよりも付いている金具が多いのですが、それのせいで開けるのに時間がかかっているようです。
なぜわざわざ開け閉めを面倒にするのでしょうか、私にはよくわかりません。
人間の愚かさというのは、時に狸の理解を完全に超えてしまうようでした。
難儀な生き物です。
森の中では暮らしていけないのも、頷けます。
弱さを補うために、沢山の工夫をこらしているのでしょう。
健気な人間に免じて、ちくヒゲがいまだに私を抱き上げたままなことには、もう文句は言いますまい。
私が一匹でうむと納得していると、ぎいぃと最悪の音がなって扉が開きました。
すかさず耳をぺたりと下げてみましたが、効果はあまりありません。
これだから耳の悪い人間たちは!
無神経、無神経ですよ!
「こらこら、暴れるなったら」
んぎー!宥めるならあの煩い扉をなだめなさいよ!
「……獲れたての魚のようだ」
なんと、こんなにもふもふの狸を捕まえて魚扱いとは。
ヒョロ人間のデリカシーの無さには、呆れるばかりです。
耳長、ヒョロ人間、ちくヒゲ、赤毛の順番で扉の向こうに進みました。
どうやっているのか不思議ですが、壁がぼんやりと光っている大広間っぽい場所です。
おかげで暗くて見えないことはないのですけれど、はて。
この、目の前の壁一面にされた落書きは一体なんでしょうか。
「神官長、これは……?」
「ニーディ、貴方にはまだ教えていなかったな。我々古代種だけが知る、此度の災厄のあらましだ」
遠い昔にお寺で見た掛け軸や襖絵と違い、こちらの絵は硬い壁にこってりとした色合いで描かれています。
絵巻物のように片側から物語がはじまるらしく、文字は読めずともなんとなく雰囲気は理解できます。
時間の流れは、左端から始まるようでした。
「近代種の方々に伝えた通り、この世界は神樹の存在によって成り立っている。神樹は世界が生じさせる瘴気を浄化し、その身を枯れさせる。しかしそれまでにいくつかの神樹の種を世界のどこかへ生まれさせるのだ。今までは神殿がその種を回収して、聖域たる神樹の森へと植えていた」
やたらと有り難そうなエフェクトを描かれた木々から落ちる、先日食べた最高のどんぐり。
沢山あるそれを、嬉しそうに食べる黒い獣の絵。
邪悪に笑んだ口元から、砕けたどんぐりが見えました。
「だがある時から、発見される種の量が減り始めた。そうだな……ざっと百年ほど前からか。この絵は、原因を探っていた老研究者の証言をもとに描かれている」
ごくり、と誰かが喉を鳴らしました。
「それでは、この獣は」
「ああ、古代種の間では、【災厄の獣】と呼んでいる」
さいやくのけもの。
おや、なんだか聞いたような気のする単語ですね。
「予兆もなく忽然と現れたこの生き物は、神官たちの啓示では追いつけないほどの即座に、この世に出た神樹の種を食らっていきました。何度か討伐隊を派遣したものの、未だ交戦まで至れた者もおりません」
「どういうことです?」
「我々にも、わからないのだ。どれほど必死で追いすがっても、囲い込んでも、奴はいつも雲か煙のように逃げおおせてしまう。ああ、奴のせいでどれほどの種が喪われたか……!」
「そんな生き物の話、俺たちは教えてもらっておりませんでしたが」
「本来なら、今も伝えるつもりはなかった。なぜならばこの生き物については圧倒的に情報が足りないからだ。近代種は思い込みやすい。不正確な情報から導き出した推測で、何度戦争を起こした?」
「……ま、その辺はお上と話し合ってくださいや。では、なぜこのタイミングで?」
耳長は、一度深ぁいため息をつきました。
切れ長の目を私に向けて、細い眉をぎゅっとしかめます。
厭わしそう視線をいただいてしまっては、私とて喧嘩を買わずにはいられません。
「なんか急に顔がシワシワになってないか」
「酸っぱいもの食べたみたいになってる」
「先ほど、天聖はこうおっしゃられた……その生き物こそ、災厄の獣であると」