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かみしめるぽんぽこ

目の前で、隠密性を意識してか炎は纏っていない大狸が、もくもくとどんぐりを貪っておりました。

殻を噛み砕く小気味好い音と、食欲をそそる匂いが部屋に満ちています。

最悪です。

まさか、こんなところですら遭遇するなんて。

お前のどんぐり感応は、いったいどうなっているのか。

というか、それは私のどんぐり。

この巣に招き入れられた狸は、私だけなのですから。

しかしそんな事を理路整然と説いたところで、こいつは聞きやしないでしょう。

なにしろ、それが出来たら私はこんなに奴を恐れたりしていませんし。

しかし、大狸はどうやら私に気づいていないようです。

目の前の大量のどんぐりを、夢中で頬張っております。

私は彼の咀嚼音に紛れ、ゆっくりゆっくりと近づいてみました。

全身の毛皮が浮き立ちますが、呼吸すら抑えての接近。

さすがに気配を感じるかと思ったものの、大狸は一瞥もくれずどんぐりを貪っています。

勢いよくどんぐりの山に顔を突っ込んだせいで、いくつか床に転がりました。

その中の一つが、私の足元へ。

これは。

大狸の様子を、伺います。

彼は相変わらず夢中で咀嚼しており、その音が部屋に響き渡っていました。

私はそっと口を開け、彼のそれに合わせて噛み下しました。

舌の上に広がった味の、なんと芳醇なこと!

大狸は気付かずに、もりもりと適当に箱を開けながら食べ放題を続けています。

おや、これは。

そっと位置を変えて、もう一つむしゃり。

慎重に、慎重に。

ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。

身体中に、力が漲ってくるのを感じます。

目の前の大狸ほどではないにせよ、私は確実に強さを増していました。

私とて、馬鹿ではありません。

この行いが、人間たちに露見すれば凄く怒られるであろうことはわかっています。

一度人間たちが皿の上で食べているご飯を盗んだことがありましたが、報復は苛烈なものでした。

まさか、口吻(マズル)を握られるとは。

この上ない屈辱でしたが、馬鹿力の上に素早いちくヒゲからは逃げ切れなかったのです。

お腹がいっぱいで、動きが鈍っていたのも敗因の一つでしょう。

それに、人間よりも危険な敵がここにはいます。

ちょっとずつどんぐりを掠め取っていることが発覚すれば、かなりまずいことに。

ですから、いつまでもここにいるということは、不可能なのです。

ああ、私のどんぐりちゃん。

お別れは、とっても悲しいですけれど。

うまい具合に撤退すれば、私が食べた分もこの大狸の責任になるはず。

これぞ、出来る狸の完璧な作戦。

しかしながら、問題はいつ退去(どろん)するかということ。

こんな機会は滅多にありませんから、ぎりぎりまでどんぐりちゃんのことを味わっていたい。

せめて、あとひとつ。

いや、まだ行けるかな……。

これが最後の一口、そう思って口を開けた瞬間。

「射てっ!」

ちくヒゲの低い声が、部屋に響きました。

開け放してあった扉から、無数の光る矢が。

とっさに大狸の陰に隠れて、伏せました。

矢が刺さるよりも前に彼自身気づいたようですが、なにしろそう大きくない部屋の中。

幾本ものそれが刺さって、苦しげな雄叫びを発しました。

もがき、体を震わせて矢を落とし、むせ返るほどの敵意を人間たちに向けています。

弓を構えた人間の背後でヒョロ人間や耳長と似た装束のやつらが、一心不乱に何かを唱えていました。

お経に若干似たそれが、放たれる矢に力を与えているようです。

しかし、大狸は苛立ちはすれど深刻さはありません。

この怒りようは、どちらかというと盗み食いを邪魔されたことからでしょう。

気持ちは分かりますが、勝手に侵入したので怒られるのはやむを得ません。

しかし、不味いのは私も一緒。

今は大狸の物陰にいるから露見していませんが、ここで一緒にどんぐりを食べていたことがバレれば、最悪ついでに退治されます。

なんたること。

限界まで体をぺったんこにして、じりじりと大狸と人間たちから遠ざかりました。

彼らはお互いに夢中で、私に気づく素振りはありません。

そうなれば、だんだんとこちらにも余裕が出てきます。

周囲を見渡せば、随分と少なくなったとはいえどんぐりがころころと。

こんな緊急事態にも関わらず、食欲は収まりません。

もっと、もっとたくさん食べたい。

争う彼らの陰で、またひとつ噛み砕きます。

ああ、なんて美味しい。

どんぐりを呑み下すたび、浮世のことをすっかりと忘れてしまいそうになります。

胃の腑や全身が、ふわふわとするような多幸感。

これを味わえるなら、何もかもを捨て去ってもいいほどの。

傍らで、大狸が一際大きく吠えます。

いつの間にか発していた彼の青い炎で、部屋の中は青く照らされておりました。

溢れ出た火が、床を舐めます。

転がっていたどんぐりが、ぱちりと哀れな音を立て呑み込まれていきました。

なんたる悲劇。

人間からばんばん攻撃されている状態では、さしもの大狸もどんぐりを構う暇はないようでした。

周囲に、木の実の焼ける香ばしい匂いが漂い始めます。

「いかん、このままでは燃え広がる!」

大狸の向こうから、耳長の声がしました。

切羽詰まった声に煽られて、焦燥が伝播する気配。

人間たちが、ざわざわと言葉を交わします。

「奴の炎を止めなければ」

「そんなこと言ったって、神官長……」

「わからんのか、アレが喪われれば向こう百年は神樹が植えられぬのだ!」

果たして、この密室でそんな器用なことをしながら交戦できるのでしょうか。

「……っ了解、少しでも種から引き離すぞ」

「は!」

ちくヒゲと、赤毛たちの声がします。

何が始まるのかとこっそり顔を出して観察すると、赤毛が大狸の鼻面に短い剣を投げつけた場面でした。

その切先は奴に刺さらなかったものの、気分は十分に害したようです。

狂乱した目をぎょろりと彼らに向け、獲物と定めました。

さして広くもない部屋の中、首を巡らせて牙を向けます。

ごうごうと燃え盛る青い炎が、指向性を持って人間たちに伸びてゆきました。

室温は不思議と上がりませんけれど、まばゆいほどの青さのせいで壁には我々の大きく影が映し出されています。

まるで、悪夢の一幕のような光景です。

なんだか随分と、よくない展開になってきました。

私が人間たちならすたこらと逃げてしまうところですが、彼らは諦めません。

「こっちだ獣!」

今まさに赤毛に食らいつこうとしていた大狸に、ちくヒゲの渾身の一打。

ほんの少しだけよろめいて、憎々しげにちくヒゲを睨みつけます。

ああ、いけない。

まだ体勢を立て直せていないちくヒゲに、大狸が容赦なく炎を向かわせています。

どうしてそんなことをしようと思ったのか、自分でもよく分かりません。

ただ私は忘我のまま、その身をちくヒゲの前に割り込ませました。

灼熱と表現するほかない痛みが、全身を覆います。

しかし予感に反して、自分が焼けてしまうことはありませんでした。

「ぐ、ぐ、貴様、あぁあぁあっ!!」

燃えかすの理性を駆使してか、大狸が人語を発します。

まったく、元は名のある古狸だったのでしょうに。

時を経て得た知恵は、どういうわけかすっかりと削ぎ落とされてしまったようでした。

狸の矜持もどこへやら、その姿はいたたまれなくすらあります。

「貴様、おれの、我の、実を、おれの、おれの!」

別に、お前のどんぐりではない。

しかし、そんなことを言ったって仕方がありません。

威嚇がてらに歯をむき出して、唸り声を返しました。

私の挑発を正確に受け取ったらしい大狸が、青い炎で私を燃やそうとします。

しかし、先ほどの一発で死なないことは判明済み。

痛いのはものすごく痛いのですが、炎が途絶えて数秒もすればそれも平気になるのです。

迫る炎に真正面から飛び込んで、奴の喉笛に食いつきました。

こんな本気の喧嘩、狸生で初めてです。

体格差が厳しいとはいえ、私もいっぱしの狸。

口の中がじゅうじゅうと燃えますが、そのまま食らいつき続けます。

私が小さいのが幸いしてか、大狸は前足で私を引き剥がすことができませんでした。

痛みと怒りで暴れはしますが、そんなことで離すなら最初から噛みついていません。

「今だ!!」

ちくヒゲの、鋭い声。

呼応して、無数の矢が私たちに飛んできました。

その多くは大狸へ突き刺さりましたが、中の一本が私の肩にヒットします。

痛みのあまり口元を緩め、そのまま地面へと転がりました。

人間たちが、一気呵成に大狸へ攻撃を仕掛けます。

刃物が、矢が、光線が彼に集中しました。

文字通り矢継ぎ早に繰り出されたそれがやんだ頃、大狸はひとつの肉へと姿を変えていました。

そこに生の気配はなく、惨めに荒れた黒い毛皮が横たわるのみです。

動かなくなった彼を一瞥してから、私も少しだけよろけました。

自分に突き刺さった矢が、絶え間なく再生する肉に押し出されてゆきます。

それ自体が、堪え難い苦痛でした。

とうとう完全に肉体から離れた矢が、からんと音を立てて床に落ちました。

呆然と大狸を見ていた人間たちの、ハッとした視線がこちらに集中します。

「茶色……なのか……?」

その見開いた目には、致命的なほどに変わり果てた私が映っていました。

煌々と燃え盛る毛皮をまとった私は、大狸ほどとはいかずとも随分と大きくなっています。

剣を構えたまま視線を注ぐ人間たちの姿を見て、取り返しはつかないのだと悟りました。

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